宣セーショナル

宣承をひらく

『生きかた=逝きかた』を探求して

2015-04-28 09:10:33 | 日記
この週末は、第17回日本在宅医学会もりおか大会『生きかた=逝きかた』を支える在宅医療という全国大会に参加してきました。

丸々2日間、午前から夕方までみっちりのプログラムが組まれていましたが、全国から2000人皆さまがお集まりになられたとのことでした。

私は部分的な参加となりましたが、特にもオープニングの市民公開講座では、シンポジウムパネリスト5人の内の1人として出場させていただきました。
なんと、このパネリストのオファーは2年2ヶ月前……。『その頃、生きていたら行きます!』と半分冗談&半分本当の気持ちの中、お受けした日のことを思い返していました(笑)。

色んな意味で、本当に生きていられたので、今回、ご期待に応えられたかどうかは別として、任務を果たせてホッといたしました。

本当にすばらしい大会が、ここ岩手で開催されたことは、質が良く深い実践をされている方々が主催されているからであって、改めて頭が下がる思いでありました。

そんな中、一番の収穫は、釜石で在宅医療の最前線にいらっしゃる寺田先生のお言葉。


『震災を経験して、突然の死、孤独死を前にして思ったことは、
「みとる」とは、
その人の『生き方に関わり、肯定して、受けとり、大切にしていく』こと
ということでした。』


ググッと、きた言葉でした。
ステキです。目下、大ファンになっております、私♪
(ちなみに寺田先生は男性であります!)


人は、いつ、どこで、どう亡くなるか分からない。
もちろん、可能な限り本人や家族が希望し満足するような生きかた=逝きかたを目指していくことが、これからの人類の歩むべき方向性であることは間違いありません。

それを描きつつも、人の思い描くようには、すべて叶うものではないことも分かっていることです。
100%、理想通りいかない…いや、いかない確立のほうがどんな時代になっても高いとも言えます。それは、人間の理想の追求には、果てがないからだとも言えるでしょう。

だからこそ、どこでどんな最期を迎えたとしても、その終わり方や終わる場所だけで評価することではありません。
その時代の理想の逝きかたにならなかったとしても、ご本人の思い描く逝きかたにならなかったとしても、その一点の結果で評価するのではなく、その方の人生丸ごと、輝いていた時間などを偲ばせていただくことによって、今一度、その亡き人が輝けるのではないか。

いいこともあった。悪いこともあった。嬉しいことも悲しいことも、キレイなことも汚れていたことも、人に喜ばれたことも傷つけてしまったことも…さまざまあったかも知れない。最期もあっけ無かったかも知れない。

それでも、それでも尚、残された人たちによって、もう一度その人を思い返して、正当化し受け止めていくこと。

振り返ったら、どの人生も丸だったね…と認め合えることこそ、本当に看取りをしていくという意味であり道なのではないかと思っています。

この大会に呼んでいただき、改めて考えを深めさせていただきました。
おかげさまでした。

この大会を企画し準備し運営~後片付けまできちっとされた関係者の皆さま、おつかれさまでした&ありがとうございました♪

この町の選挙戦に想うこと

2015-04-24 09:48:19 | 日記
光寿苑の不在者投票が無事終わったので、ようやく今回の議会議員選挙について気持ちを語りたいと思います。


今回、定数12に対して13人の立候補者となった西和賀町議会議員選挙。
お分かりの通り、1人だけが落ちてしまうという過酷な選挙戦となっている。

合併して西和賀町となって10年。

昔からの地区代表としての候補者というよりは、町民の代表として立つ!という雰囲気になって……と言いたいところだが、まだまだ、地区代表戦という空気を中々脱しえないのが小さい町の選挙というものだろうか。

それをとやかく言いたいわけではなく、今回の選挙、とにかく勝てばいい…のではなく、当選なさったその後、どのような議員活動をしてくださるのか、どのような議会になっていくのか、どんなまちづくりに成っていくのか…であることは、長い歳月言われ続けてきたことである。

想像してみる。

今回、新人の若い候補者の方々も複数いらっしゃり、議会の新しい風を想像する選挙戦とも感じている。
若い議員さんたちや女性議員の方々により、新たな議会運営、新たな町づくりの場面を想像する今日。

この町は、岩手県で最初に消滅危機にある自治体とされてしまっている。
この10年をいかに過ごしていくのか。

今回は、その意味でも本当に大事な選挙戦である。

様々なしがらみも分かるし、それを大事にしなければ生きていけないものである。

でも、もう一つ踏み込んで、自分のこの一票が、どんな未来につながるのか。

煙に巻くような議論をするような議員さんを排出すべきではない。

堂々と、改めるべきを改め、言い訳せず、他の責任転嫁に逃れることのない、正々堂々とした議員さんたちがあたり前に揃う議会であって欲しい。

自分の選挙を勝つためだけを考えている候補者さんはいないと思うけれど、今一度、この一票が、町の未来、子どもたちの将来を考え悩み立ち向かって下さる気概ある候補者の方に、真っ直ぐな姿勢をもった方に委ねるものでありたい。

そういう選挙に皆さん、していきませんか。

悠長なコメントに聞こえるかもしれませんが、真剣に考えてのものであることをご理解いただければと存じます。

救出劇からの動物(おやじ)ギャグ!?

2015-04-21 12:38:16 | 日記
週末、光寿苑の前の道路で、とある車が横転した。幸いケガ人は出なかったものの一時は騒然とし、出勤していた職員も救出に尽力してくれたという。

その時、犬ちゃんが車内にいて、車内の飼い主が、


『犬、犬頼むぅ…』


と犬ちゃんを差し出したのだと…。その時、たまたま救出に駆けつけていた職員は犬が大の苦手だったのだが、そんな悠長なことは言っていられないという感じで、その中の看護師が手を差し伸べて犬ちゃんを受け取った。。。
気が張っていたので気づかなかったが、ふと我に返ってドキドキが止まらなくなっていたという。いざとなったら、苦手とかそんなんを超えてしまうプロ意識♪


さてさて、そんな話題を話していたら、しょうもないギャグが連発で口をついて出てきてしまう。


『犬抱いて、鳥肌立ったべなぁ…』
『犬も、ゾウっとしたべな。』
『抱いた犬が吠えるでもしたら、トラウマなったんじゃない。』


たわいもない、犬が導き出した動物(おやじ)ギャグだった…とさ(笑)


さぁ、気を取り直していきましょおぉぉぉぉぉぉっ(汗)

看取りとお葬式について語った2日間

2015-04-19 13:45:00 | 日記
週末の金曜日、大船渡市のさんりくの園さんにて、『看取りから考える人生丸ごとケア』と題してお話しさせていただきました。

東日本大震災がおこって10日目、初めて沿岸入りした私が、一番最初に足を運んだのがこちらさんりくの園さんでした。津波で建物は破壊されたため、現在は高台に移転され復活から二年目を迎えられています。
熱をこめた90分、皆さん、真剣に拝聴し、本気で笑ってくださって、暖かい場の空気に包まれる中で終えることが出来ました。
再会できたある職員さんからは、

『明日は休みなんですけど、明日も現場に来たい、仕事したい!って思っちゃいました。ありがとうございました♪』

とありがたいお言葉をいただき、こちらが元気を賜った時間となりました。
夜は、N村さん中心に懇親の場を与えていただき、すっかりいいお酒をいただいてしまいました♪


昨日は、余韻を噛みしめながら午後からの碧祥寺親鸞教室のために、朝から帰路に着きました。

今回のテーマは、『お葬式のあれこれ』。
まずは、お葬式の寸劇を、門徒の皆さんとやらせていただきました。突然身内が無くなったら…そのとき、家族はどうするのか…と言うような設定で物語を演じさせていただきました。観ていらした方々には、よく伝わった様子で、出演者の皆さんの気持ちの入った演技力に感謝でありました。
その後、30分ほど頂戴して、今回は『大切な人の死と向き合い自分と向き合う場所』という中身のお話しをさせていただきました。
気持ちが入り過ぎて、話しながら泣いてしまって大変でありました(汗)。
そして、座談…。

まだ3回目の教室ですが、とっても雰囲気が盛り上がっている感じがしています。

『また、次回が楽しみだなぁ…』

と微笑んでお帰りなった皆さまをお見送りしながら、充実感にあふれた時間となりました。

おかげさまでした。

光寿苑偲びのしゃべり場

2015-04-17 12:58:36 | 日記
今週の初め、平成26年度に光寿苑で見送らせて頂いたお年寄りたちを偲ぶ、『偲びのしゃべり場』を研修会として開催させてもらった。

カンファレンス形式では中々かしこまってしまうため、このようにざっくばらんな雰囲気で語れるようにと企画したものだった。
いや、もっと本音を言えば、中々偲べてなかったから、偲びたい…そこからリスタートしたい!という思いがあってのものだった。

それぞれのフロアでグループをつくり、そのフロアから見送らせて頂いた方について偲ぶ。
『その方の思い出、こんな人、やってあげられたこと、やってあげられなかったこと、感動したこと、微笑ましかったこと』などの中身を語り、偲び、振り返った上で、次の暮らしの関わり(ケア)につなげていこうという流れ。

それぞれ分かれたグループに、相談員やケアマネ、事務員、調理員、洗たく掃除員の職員がちらばって入るという、何とも新鮮なグループ構成での時間となった。

それぞれの観点から、一人のお年寄りについて思いの丈を語る。

一人のお年寄りの方を偲んだら、次の方へ…。

さまざまな、その人となりが見えてきて、大変有意義な時間となっていった様子だ。
(私はビデオ係だったので、基本、口にチャックをして回って拝聴しておりました。)


総括として…(発表の中から)


・急に亡くなられるととてもショックだが、ご家族はもっとショックで悲しんでいるということを覚えておきたい。
・調理員としても、看取りの場面に足を運んでいきたい。そして、食を通して提供できることは何があるのかを考えていきたい。
・看取り期になるとご家族とつながりが深まってきたが、もっと普段から、最初から深まるように、はたらき掛けていきたい。
・個人の大事なエピソード(恋愛の話など秘密の話題的な…)を、聞かせてもらった職員が個人のもので留めておくだけではなく、その方の大事な部分として、皆で共有できるところは共有していきたい。
・人が亡くなることに慣れてしまっている自分が最近までいた。慣れちゃいけない。もっと悲しみたいし、あぁしてあげたい、こうしてあげたいって深めたい。
・偲びのしゃべり場では、いろんな職員が入って開催できたので、とても有意義な時間となった。もっと定期開催をお願いしたい。


とても温かい気持ちが広がっていたように思えた。
特に最後の⑥番目の意見が反響を呼び、結果、お年寄りがご逝去されたら、その1ヶ月後くらいの落ち着いたあたりに、その暮らしていらしたフロアで偲びのしゃべり場を、ゆとりのある日の申し送りなどに開こうということになった。
そして、そこには都合がつけられれば、事務員や調理員、そして洗たく掃除員なども入らせてもらい偲ばせて頂く。
その偲びのしゃべり場で出されたことを、例えば参加した調理員が自分の部署に持ち帰り、今度は自分の調理部門の職員のみんなと偲びを共有していく…。

こんな流れが創っていけたなら…気持ちがようやく春になれた、そんな時間が流れ始めた。

おかげさまです。

お釣りの返ってくる順序

2015-04-15 12:29:24 | 日記
人によって感じ方は違うと思うので一概には言えませんが、今年に入ってから遇った心遣いあるサービスをふと思い出しました。

レジでお金を支払う場面で、お札を出してお釣りを受け取るとき、昨今は大抵、


『まずは大きい方のお返しですねぇ……』


と、お札のお釣りをまず返されますよね。そして、その後に、コインのお釣りが却ってくることがほとんどです。
その際、私がごつい財布を持っているせいもあるのですが、中々お札を仕舞い切れぬままマゴマゴしている私は、お釣りのコインとレシートを今か今かと返そうとなさっている店員さんのプレッシャーみたいなものを感じることが多くあるのでございます。

まぁ、この時点で、よく分らないという方もいらっしゃると思いますが、私みたいなグズグズと手際の悪いタイプの人向けに、この話題を続けてみます。
(素早くお札を仕舞える方でも、ご興味ある方は引き続きご覧ください。)


とあるお店の店員さん。
お札を出してお釣りを待っていたら、


『まずは、小さい方をお返ししますねぇ。』


……な、なんと!コインのお釣りから返していらした!一瞬、〝おっ!〟と思ったものの、財布にまずもってコインから仕舞うこと、何とスムースだったことか!!
その後に、お札が返ってきたが、これまたコインを仕舞い終えていたため、お札もスムースに仕舞えてしまった!この不器用な私が!
そして、その店員さんの爽やかな笑顔♪

とても気分の良い、金銭のやりとりとなっていた♪

よく分らない話かも知れませんが、私みたいなタイプにとっては、このような小さい方から返してくださるパターンのほうが、どうやらいいみたいである。

もう少し、検証が必要だけれど、増えて欲しいなぁ、あのパターン♪

曲ったままイカスぅ~♪

2015-04-14 12:48:25 | 日記
今日も眼まぐるしく半分が過ぎてしまった。

そんな中、朝、職員同士の会話の中で、すっかり元気にさせてもらったやりとりがあった。

封筒に宛名のシールが貼ってあったのだが、それが曲がって貼られていた。
それを見つけたA職員が、シールを貼ったB職員に言った。


【A】『何よ、これぇ~!こうやって曲がって貼って、気持ち悪くない?』


すかさずB職員は返した。


【B】『俺は真っすぐ貼ったんだどもよぉ、封筒の方が曲がってらっけった!(笑)』


一同、ドッと爆笑してしまった朝…。

こういうのって、良くないっすかぁ~♪疲れもとれるし、狭くなっている自分の視野も広げてもらったスタートとなりましたもん♪

こうやって書きながらニヤニヤ笑ってしまっている昼休みもまた豊かになった♪


おかげさまです♪

苦しい局面は私を育ててくれる時間

2015-04-12 09:53:42 | 日記
今年の光寿苑は、インフルエンザA型に長ぁ~く苦しめられた。。。
1月から、利用者か職員か、とにかく毎月罹患者がいた。

懸命の対応と水際対策で、複数名がバッと罹患するときも何度かあったものの、全体的蔓延を免れることができた。

最後は、辞令交付を終えてからのこの10日間の戦いだった。〔最後とは可能性としては言い切れないけれど、最後!と言いたい。〕

一つのフロアのお年寄り3名と介護職員4名が、この10日間で罹患した。

非常事態……この間、罹患していない他の介護職員が休みでも出てきてくれたのは勿論のこと、生活相談員・ケアマネは夜勤へ、他のフロアの介護職員の協力や、看護職員も事務職員も食事介助等、休みの日に介護のために出てきてくれたり……。

その気持ちと、自主的行動が本当にありがたく、涙が出そうなくらい熱く込み上げるものがあった。

ありがとうございます。


その間、ある短期利用のおじいさんが、おう吐した。主治医の所見で『ノロウィルス』と診断された。
このインフルエンザ対応の最中でのノロウィルスの出現は、ショックでもあった。

ただちに、速やかに、静かに、隔離対応が図られた。

このときも、バタバタ感やギスギスした雰囲気にならず、全部署職員がノロウィルス対策を役割分担しながら仕上げていった。
わが職員ながら、『大した人たちだなぁ…』と感動しながらの動きであった。

…しかしながら、なぜ、どこからともなくノロウィルスが一人だけに発生したのだろう?
ノロウィルスがたしゃに感染していない目安とされる24時間以上が過ぎ、そんな疑念が生まれてきた。
そのおじいさんの主治医に懇願し、きちっとした検査を依頼。数日後、『陰性』という検査結果が返って来た。

即刻、窮屈にしてしまっていた隔離を解き、暮らしを元に戻すことにした。

気持ちとしては、主治医の診断の重さを改めて考え、検査の伴わない重い感染症の診断結果には、いささか物申したくも思ったのが正直なところだった。

けれども、それよりも、あの緊急事態の最中、二つの感染症が発生したという状況下(事実は違っていたけれど…)で、お互いに感謝しながら、知恵と声を出し合いながら対応したこと、穏やかな気持ちを保とうと努力したことは、ひとつまた、自分たちの成長につながる経験をさせていただけたと思えるようになった。

現実的なシュミレーション研修をさせていただけたと、今なら思える。


感染症に本当に苦しめられスタートした冬だったけれど、ちょっと遅ればせながら今、心も体も春を迎えられた気分。

緊急事態のとき、くるしいとき、どんな気持ちと協力と対応をとれるかどうか。自分が試される大切な場面となる。

改めて、すばらしき職員の皆さんに、おかげさまです。
これからも、よろしくお願い致します♪

ゆっくり見送れたご葬儀の中で

2015-04-10 12:15:12 | 日記
これまた先月のご葬儀の話という全くもってタイムリーな話題ではないけれど、読んでやってください。。。

その施主様(世間でいう喪主)と私の日程が中々合わず、西和賀地方では希有なパターンの仏事を挙行する運びとなった。火葬をご逝去された日から4日目の土曜日の午前中、そして葬儀をあくる日5日目の日曜日の午前中にという変則日程であった。
(他地域では、珍しいパターンではないが、わが町では珍しい。)

あまりやることのない変則日程だったため、何度も節目節目で頭を下げてご了承を願った私。

無事、数日間にわたる火葬~葬儀という日程を終えて、御斎(おとき…食事)の場に足を運んだ。
その時、今回は施主様がお年を召して病気をお持ちでいることと、人前では話すことが苦手いうこともあり、この場に際しては、前隣りの家のKさんが、大げさにいえば葬儀委員長という立場で一言お話しになった。


『私は、亡くなったSくんとは、幼い頃からよく近所だったんで遊んでいました。彼の兄ちゃんや姉ちゃんの後ろにくっついて歩いていたSくんの姿を思い出していました。
最近は本当に付き合いがなかったのですが、葬儀までの日数に余裕があったので、ゆっくりと彼と向き合うことができました。
西和賀の通常の仏事ですと、火葬やってその日のうちに葬儀やって、しかも3日間のうちにやってしまうことが多いので、もしかしたら通常通りだったら、こんなに向き合う時間は持てなかったように思います。
お寺さんは、申し訳ないって何度もおっしゃってましたけども、私にとっては、都合が許せば、このようにゆっくり見送ることって案外いいものだなぁと思いました。(後の挨拶は省略)』


すっかり養護して頂いた私。

けれども、それだけではない。
昨今のバタバタと仏事を済ませてしまおうという流れの中で、ともすれば、葬儀の日に納骨まで済ませてしまうという忙しさを前面に出た風潮がある中で、とても大切なことを言ってくださったと感謝していた。

確かに忙しく、遠方に離れている関係性の中では、それも一つの選択肢かも知れない。

けれども、大事な人に先立たれて悲しんでいる方もいる中で、生きている側の日常の都合だけで物事を片付けてしまおうという流れは、私はいただけないと感じている。

ゆっくり時間をかけて見送る儀式は、残された心を痛めているご家族たちのグリーフケアそのものにあたる。ゆっくりじっくり時間をかけて、受け容れ始められる日、あるいは向き合い始められる日を感じとっていくことが、現代人にとっては特に重要だと私は思っている。

その間、すべての日程をお参りできなくても仕方ない。これは都合があるから。

その時々の置かれている状況や環境によって異なるため、強くは私も言えない。

けれども、見送ること、向き合うことという大事な場面を、簡略化したりスピード化の中で片付けてしまうような雰囲気だけは避けて欲しい。

仏事は、残された私たちが、もう一度、歩き始めるための大切な場所のひとつ、心を確かめる場所のひとつであるということをお伝えしたい。


Sさん、Kさん、大事な気づきをおかげさまでした。

おじさんの切り返し

2015-04-08 19:17:35 | 日記
今日は、黒沢尻4区ふれあいデイサービスさんにてお話をさせていただいてきました。
65歳以上の高齢者の方々対象ということでしたが、皆さま表情がお若くて、気持ちのいい時間を過ごすことができました。
テーマは、

『人生を活きいき楽しく笑って過ごすには』

でありましたが、年を重ねても元気で現役の気持ちでいらっしゃることは健康の大事な秘訣ですよね。


それで思い出したのですが、先月のことです。

高速道路を走っていまして、あるセルフのガソリンスタンドで給油しようとスタンドに車を寄せました。基本、セルフだと従業員の方は、車に近寄ってきませんよね。ところが、そこのスタンドにいた60代のお父さんは、親切心からでしょう、すぐに近寄ってきました。

私が窓を開けるなり、黄砂や高速道路を走り続けていたこともあって汚れていたフロントガラスを指さしながら、おじさんこうおっしゃいました。


『窓、すんげ汚れでるねぇ。これさ、ウォッシャー液がカラカラなんだよ。汚れ方みれば一発でわがる!
どれ、サービスで入れでやっから、ボンネット開げでみな!』



あまりにキップのいいというか、勢いの良さに、言われるままボンネットを空けることになった私。
でも実は、最近、ウォッシャー液は入れたばかりで差ほど減っているとは思えない状況で、窓の汚れの原因は、冬用ワイパーがあまり調子良くなかったせいだと内心は思っていました。

そんなこともおじさんの勢いの前に言いだせず、傍らで液の注入口のキャップを空けるおじさんの姿をただ見てるだけの私。

そして、液体を勢いよく入れ始めたおじさんは言いました。


『この汚れだどさぁ、これ(ウォッシャー液)一本丸々入るべよ!』


…と、3分の1ほど容器の液体が減ったときです!じ、事件は起きました。。。

車体のウォッシャー液を入れるタンクから、液体が溢れてしまった!…のです。。。
『あっ、や、やっぱり…』と私が思ったのと同時に、いや、それよりも早いくらいのタイミングでおじさんは言い放ちました!


『な、なんだぁ、タンク小っせぇなぁ!思ったより小さめだな。』


この状況、字だけで伝わるものでしょうか。。。

正直、度肝を抜かれた切り返しでありました(笑)。

完全に見誤ったおじさんの所見であったにも関わらず、その見誤りが露呈された、ある意味公開された状況下で、タンクの容量の小ささに方向転換してしまう切り返しのすごさ。。。まぁ、見誤りを認めないとも言えますが…(笑)


頭にくるどころか、逆に、そのおじさんの切り返しのすごさにうならされ、その後、次の車に性懲りもなく駆け寄るおじさんの哀愁漂う姿をバックミラー越しに眺めつつ、なんだか、気持ちがスーッとして微笑んでしまった私でありました…とさ♪