この週末は、第17回日本在宅医学会もりおか大会『生きかた=逝きかた』を支える在宅医療という全国大会に参加してきました。
丸々2日間、午前から夕方までみっちりのプログラムが組まれていましたが、全国から2000人皆さまがお集まりになられたとのことでした。
私は部分的な参加となりましたが、特にもオープニングの市民公開講座では、シンポジウムパネリスト5人の内の1人として出場させていただきました。
なんと、このパネリストのオファーは2年2ヶ月前……。『その頃、生きていたら行きます!』と半分冗談&半分本当の気持ちの中、お受けした日のことを思い返していました(笑)。
色んな意味で、本当に生きていられたので、今回、ご期待に応えられたかどうかは別として、任務を果たせてホッといたしました。
本当にすばらしい大会が、ここ岩手で開催されたことは、質が良く深い実践をされている方々が主催されているからであって、改めて頭が下がる思いでありました。
そんな中、一番の収穫は、釜石で在宅医療の最前線にいらっしゃる寺田先生のお言葉。
『震災を経験して、突然の死、孤独死を前にして思ったことは、
「みとる」とは、
その人の『生き方に関わり、肯定して、受けとり、大切にしていく』こと
ということでした。』
ググッと、きた言葉でした。
ステキです。目下、大ファンになっております、私♪
(ちなみに寺田先生は男性であります!)
人は、いつ、どこで、どう亡くなるか分からない。
もちろん、可能な限り本人や家族が希望し満足するような生きかた=逝きかたを目指していくことが、これからの人類の歩むべき方向性であることは間違いありません。
それを描きつつも、人の思い描くようには、すべて叶うものではないことも分かっていることです。
100%、理想通りいかない…いや、いかない確立のほうがどんな時代になっても高いとも言えます。それは、人間の理想の追求には、果てがないからだとも言えるでしょう。
だからこそ、どこでどんな最期を迎えたとしても、その終わり方や終わる場所だけで評価することではありません。
その時代の理想の逝きかたにならなかったとしても、ご本人の思い描く逝きかたにならなかったとしても、その一点の結果で評価するのではなく、その方の人生丸ごと、輝いていた時間などを偲ばせていただくことによって、今一度、その亡き人が輝けるのではないか。
いいこともあった。悪いこともあった。嬉しいことも悲しいことも、キレイなことも汚れていたことも、人に喜ばれたことも傷つけてしまったことも…さまざまあったかも知れない。最期もあっけ無かったかも知れない。
それでも、それでも尚、残された人たちによって、もう一度その人を思い返して、正当化し受け止めていくこと。
振り返ったら、どの人生も丸だったね…と認め合えることこそ、本当に看取りをしていくという意味であり道なのではないかと思っています。
この大会に呼んでいただき、改めて考えを深めさせていただきました。
おかげさまでした。
この大会を企画し準備し運営~後片付けまできちっとされた関係者の皆さま、おつかれさまでした&ありがとうございました♪
丸々2日間、午前から夕方までみっちりのプログラムが組まれていましたが、全国から2000人皆さまがお集まりになられたとのことでした。
私は部分的な参加となりましたが、特にもオープニングの市民公開講座では、シンポジウムパネリスト5人の内の1人として出場させていただきました。
なんと、このパネリストのオファーは2年2ヶ月前……。『その頃、生きていたら行きます!』と半分冗談&半分本当の気持ちの中、お受けした日のことを思い返していました(笑)。
色んな意味で、本当に生きていられたので、今回、ご期待に応えられたかどうかは別として、任務を果たせてホッといたしました。
本当にすばらしい大会が、ここ岩手で開催されたことは、質が良く深い実践をされている方々が主催されているからであって、改めて頭が下がる思いでありました。
そんな中、一番の収穫は、釜石で在宅医療の最前線にいらっしゃる寺田先生のお言葉。
『震災を経験して、突然の死、孤独死を前にして思ったことは、
「みとる」とは、
その人の『生き方に関わり、肯定して、受けとり、大切にしていく』こと
ということでした。』
ググッと、きた言葉でした。
ステキです。目下、大ファンになっております、私♪
(ちなみに寺田先生は男性であります!)
人は、いつ、どこで、どう亡くなるか分からない。
もちろん、可能な限り本人や家族が希望し満足するような生きかた=逝きかたを目指していくことが、これからの人類の歩むべき方向性であることは間違いありません。
それを描きつつも、人の思い描くようには、すべて叶うものではないことも分かっていることです。
100%、理想通りいかない…いや、いかない確立のほうがどんな時代になっても高いとも言えます。それは、人間の理想の追求には、果てがないからだとも言えるでしょう。
だからこそ、どこでどんな最期を迎えたとしても、その終わり方や終わる場所だけで評価することではありません。
その時代の理想の逝きかたにならなかったとしても、ご本人の思い描く逝きかたにならなかったとしても、その一点の結果で評価するのではなく、その方の人生丸ごと、輝いていた時間などを偲ばせていただくことによって、今一度、その亡き人が輝けるのではないか。
いいこともあった。悪いこともあった。嬉しいことも悲しいことも、キレイなことも汚れていたことも、人に喜ばれたことも傷つけてしまったことも…さまざまあったかも知れない。最期もあっけ無かったかも知れない。
それでも、それでも尚、残された人たちによって、もう一度その人を思い返して、正当化し受け止めていくこと。
振り返ったら、どの人生も丸だったね…と認め合えることこそ、本当に看取りをしていくという意味であり道なのではないかと思っています。
この大会に呼んでいただき、改めて考えを深めさせていただきました。
おかげさまでした。
この大会を企画し準備し運営~後片付けまできちっとされた関係者の皆さま、おつかれさまでした&ありがとうございました♪