宣セーショナル

宣承をひらく

子供と大人

2011-02-28 09:29:24 | 日記
 子供のままでイイって部分と大人にならなければって部分と、両方持ち合わせられたらいいなぁ。


 子供のままでイイことって何だろう?

 物事を純粋に観る目
 純粋な表現力
 無邪気な心
 豊かな感受性
 よく笑って泣くこと


 大人にならなければないことって何だろう?

 待つ心
 グッと踏みとどまる気持ち
 オブラートな表現力
 相手の立場で理解しようとする心
 聞く力


 子供のままで、それでいて大人の振る舞いでいられたらステキだなぁって思う。

NZの大地震に想う

2011-02-27 08:27:50 | 日記
 今朝も何ていい天気。こんな清々しい中、雫石町婦人会にて講演に行ってくる。ありがたい。

 
 しかし、一方で、ニュージーランドクライストチャーチの大地震がおこっていて。
 私は専門家でもないので語るのはおこがましいが、映像と情報を得るたび、辛くなってくる。何もできなくてね。
 
 ……でも、すぐ自分の生活に戻ると、そんなことも忘れていて。。。


 こんな時、学生の時よく聴いていた、イエモンの『JAM』を聴きなおしていた。殊に、あの一節には胸を打たれる。



 あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も
 みんな昔 子供だってね

 外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
 『乗客に日本人はいませんでした』
 『いませんでした』『いませんでした』
 僕は何を思えばいいんだろう 僕は何を言えばいいんだろう

 こんな夜は逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて
 君に逢いたくて 君に逢いたくて

 また明日を待ってる




 日本人が助かればホッとしている私。外国人の悲しいニュースを平気で眺めている私。
 一体、私の死生観とは、いかがなものなのか?

 深く考えさせられてしまうから、イエモンの曲に慰めてもらっているんだと思う。

真の平等を願う医療の皆様

2011-02-26 17:40:36 | 日記
 本日、盛岡にて、『岩手民医連学術運動交流集会』の特別記念講演をおおせつかった。多くが医療や介護の従事者という方々120名様の前でお話しさせて頂いた。

 中身はともかく、本当に患者さんに寄り添われて課題をいっぱい抱えていらっしゃる皆様だけに、本当に真剣に耳を傾けて下さって嬉しかった。。。
 
 開会行事では、委員長さまたちが、

 『患者さん皆さんを医療費をタダにするということではなく、たとえば無保険無年金の方であっても、今すぐ医療が必要だというかたには医療を施させていただきたいとしてやっている活動でございます。』

 とか、

 『医療費が高額になってしまう疾病に対しての負担軽減を実現することで、本当に必要な医療がご提供できるようになってきました。』

 等など、本当に温かく志し高き医療従事者の皆様に、いきなり感激して始まったわけである。


 今回は、与えて頂いたキーワードが次の通りで、


 ①『無料低額診療』
 ②『無差別平等の診療』
 ③『医療介護から遠ざけられている人たちにどうアプローチするか』


 この3点を予め頂戴していただけに、前々からプレッシャーがあった。


 この難しい課題や目標をお持ちのプロフェッショナルの皆様に響く中身とは何なのか?
 こんな私が果たせることは何なのか?
 そもそも、今回の場にご縁を賜った私の存在意義は何なのか?

 とても考えさせられていた。
 ちなみに、具体的講演内容についてよく熟慮したという意味ではなく、自分のもともとの力量の中で、こちらの会が求めていらっしゃることとのシンクロするところは何なのかを追求してみた……という感じである。


 しかしながら、難しいテーマを頂くということは、本当に幸せなことである。


 その分、それに応えなきゃと、より考え普段から行動させてもらえるからである。
 要するに、自分の中の能力を最大限引き出して頂ける時間そのものだからと言えるだろう。


 かくして、参加なさった方の感想は知りたいところであるが、伝わっていればいいなと願っているが、結果はやり残しはあったものの、精一杯自分自身の伝えたいことは表現できたと感じているところである。


 ご縁頂き、おかげさまでした、皆さま。。。



【追伸】お忍びでいらしたLionさま、娘さま、お逢いできてホッとしました。おかげさまでした。。。

ひとつの看取り方

2011-02-25 17:40:54 | 日記
 今朝、また一人の偉人が光寿苑で往った。92歳だった。

 生涯通して

〝申し訳ねぇ、ありがど、にっちゃん。〟

という感謝と心配りのできる方だった。多くの職員が泣いた。


 実は、このご家族が、看取りの連絡や相談をしてからも中々足を運んで下さらない状況にあった。
 ここでよく陥るのが、

 『気持ちがないご家族なんだね。。。』

 と捉えてしまう施設職員の見方。これは、仕方ないと言えば仕方ないのであるが、どこの施設でも不安要素の一つとして、この『家族の疎遠』『預けっぱなし家族』などという課題を抱えているものである。

 ただし、今回のご家族は疎遠という訳でもなく、冷たい感じの方という訳でもなかったのだが、会話の中でのちょっとしたボタンの掛け違いから、わが職員も、そのご家族に対して〝希薄さ〟を抱いてしまったのである。


 さらに、それは感じ方に留まらず、看取り期に入っていらしたおばあちゃんの〝いよいよかも…〟という知らせをしたものの、ご家族は、〝明日行きますから…〟と返答なさったのだという。時間は、夜21時に迫っていた。

 いたたまれなくやるせなさを感じた心ある看護職員が、私に電話をくれた。


 結論として、私自身が添い寝することにした。


 心筋梗塞の兆候と糖尿病等の様々重なって、もう点滴も打てない状況の中で、おばあちゃんは一晩中体をバタバタさせ唸り声をあげていらした。私はただただ横で、その苦しそうな呼吸を一緒に合わせるしかなかった。〝がんばって〟でもないわけで、〝つらいべなぁ〟ってしか言葉に出なかった。手を握ったり摩ったりしながら……。

 最終的に、一晩つかせてもらった私は、最期の息を引き取る瞬間もそこに偶々いることができた。ご家族が到着したのは、その40分後だった。


 しかしながら、そのご家族がこれまで中々急な対応を出来かねた訳を聴かされた時、私たちの見方を改めて学ばせて頂いた。


 そうなのだ。


 人には、どうしても明かせない実情や分かりかねる環境というものがある。

 足を運ばないからといっても、単純に〝疎遠〟〝希薄〟〝気持ちがない〟などとは言えないということを改めて学ばせて頂いた体験となった。


 それに、この度のご家族がご縁なく看取りの寄り添いができなかった状況があったおかげで、〝一人にはさせない看取り〟を願う光寿苑の使命が、今回、一晩添い寝という形に繋がった。

 たまたま今回は私がつかせてもらったのだが、うちの光寿苑には、こんな場面には志願して寄り添おうとしてくれる温かい人たちがいっぱい居てくれる。何でそう言えるかって、今日のことを立ち話ながら何人かと振り返った時、


 〝苑長(私のこと)だけ毎回こんなんなったら倒れるから、方針はこれでいいとして、体制は考えなきゃねぇな。〟


 …なんて嬉しい言葉。
 それと、夜勤だった若い女性職員が、何回も部屋にきては温かくて楽しい言葉を掛けてくれた。
 なんと彼女は、5年前に始まった『いのちのしゃべり場』の際には、

 『死は怖い。どうしていいか分からない。』

 と言っていた子。その彼女が五年後、堂々と死に向き合いながら、ご本人が一番欲しい思い出話をしてくれたのだから、これまたとってもありがたかった。成長してくれていることに喜びが湧き上がっていた。


 最期の瞬間、誰もが、〝オレの人生、良かったよね?〟と正当化して欲しい時間だからこそ、ご家族が無理なら、私たち職員がその場面に寄り添い向き合える心をいかんなく発揮させてもらえればと思うのである。


 看取りとは、何も高度なことをすることではなく、人としてあたり前に最期まで関われる心と姿勢そのものに尽きると言えるだろう。

心のバリアフリー

2011-02-24 17:49:13 | 日記
 このフレーズは、よく自分の講演会でお話しする一端である。

 要は、自分自身が、心のバリア(壁)を降ろすことで関わる相手の方も心のバリアを降ろして下さる、いわゆる、『心のバリアフリー』の状態ができるということである。

 わかりやすい例として、14年前やっていた番組『ココがヘンだよ日本人』という番組の中で、身体障害をお持ちの方が出ていらしてこうおっしゃった。


 『バリアフリーとは言うけれど、建物だけではダメで、要は、心のバリアフリーが日本人はまだまだ成っていないんですね。特に、私たち障害を持った人間ができていないんです。
 どういうことかと言うと、たとえば、車いす生活の人間が、坂道を前にして登ろうとしている時、ある若者が、
 〝大変ですね、押して手伝いましょうか?〟
って言ってくれるとしますね。そこで、心のバリアがある人は、
 〝いいえ、結構です。一人でできますから!〟
って断るでしょう。
 しかし、バリアを下げた心を持った人であれば、たとえ、自分の力でできる人であっても、こう答えます。
 〝すみませんね、じゃあ、お願いしましょうか。〟
こう言いますね。つまり、自力で坂は上がれるんだけど、これも何かの縁だから、今日は、この青年のやさしさに身を委ねてみようか。
 そうすることで、その若者の気持ちも生かされるし、委ねたこちらも気持がいい状態がつくれる。
 
 ……こういうことが心のバリアフリーなんですね。』


 これは、障害をお持ちの方だけの課題では決してなくて、人間そのものの課題である。

 人は、ある程度気持ちを持った人であれば、〝相手に何かしてさしあげたい〟と思うことだろう。
 けれど、自分が、その何かをしてもらう立場だとしたらどうだろうか?

 〝迷惑はかけられない。自分で何とかしたい。〟

 って思うのではないだろうか。それが、人の自立心というものである。だからこそ、福祉というものは、福祉を必要としている方々がどんな気持ちで受け容れようとしているか、想像しながら関わるべきだと強く思う。その想像なしの〝よかれ福祉〟は、相手にとって〝押しつけ〟にしかならないかも知れないことを肝に銘じて関わりたいものである。


 そう。


 私たちは、お世話する側に立てたとしても、お世話される側としては中々甘んじられないというのが、実態なのだから。。。

今日はすがすがしい

2011-02-23 12:49:40 | 日記
 今日は、本当すがすがしい日ですね。気持ちいい日だなぁ。。。とにかくね、無性に気持ちがいいのです。。。


 何せ、本日は、H23年2月23日、要するに、『23.2.23』って何かいい感じじゃないっすか?えっ?そうでもない?だったら、去年の『22.2.22』のうちに書けって話ですよね。その通りです。


 そう。


 何を隠そう、今日はあまりにいい気持ちのいい天気なので、あまり考えないようにというか、言葉は何もいらないような気がしておりまして、こうなった次第でございます。。。


 本日、残りの時間も皆様、ごきげんよう♪♪♪

 

ため…続編

2011-02-22 12:44:20 | 日記
 ためはためでも、言葉遊び。

 ストレスは〝ため〟ないほうがイイ。
 エネルギーは〝ため〟といたほうがより力がでる。
 お金や財産は、〝ため〟てイイようで悪い部分も持っている。
 「アリとキリギリス」の世界観では、食料を冬に向けて〝ため〟たアリのほうが喜んだ。
 喜びであれ悲しみであれ、一人で〝ため〟込むのはやめたほうがイイ。
 〝ため息〟は、時々であれば、ついたほうがイイんじゃないだろうか。


 さてさて、今日注目したいのは、体がスポーツであれ仕事であれ運動状態にある時について。特に足の膝。

 膝に〝ため〟があれば、高くも飛べるし、遠くにも飛べる。
 膝に〝ため〟があれば、重い物にも耐えられるし、それを持ち上げることにも有効になる。

 
 〝ため〟は、クッションにもなる。


 人と人との間にも、やっぱり〝ため〟が必要だと思う。
 それは、〝一呼吸おいて待つ心〟そのもの。


 待ってみましょう。時間というやさしさに身を委ねながら……。

届かぬ願い…未来に届け

2011-02-21 10:08:50 | 日記
 願いがそのまま形を変えず叶うってことは、そうそうあることではない。


 でも、願いを持ち続けていけば、必ず叶う何かがある。一番最初の願いとは形や中身は多少変わったとしても、願いを持ち続けることで波及効果と化学反応は必ず起きていく。

 信じて願い続けた向こうには、届く願いがある。届けられる願いがある。届ける側も受け取る側も、今は知り得ない、もっと広く深い感性と形とが待っているはずだから……。


 ずっと大切に温めた願いを受け取る未来の私たちはきっと、

 『あの時の願いがあって、ずっと大切にしてこれたから、今、ここにつながったんだね。』

って言えるだろうから。…そう言いたい。そう信じたい。

 未来を信じるこの願いこそ、今の私が唯一、心に身につけられるものなのかも知れない……そう思って。。。

文化は内から発信する

2011-02-20 16:39:03 | 日記
 本日、ゆきぐに文化祭、無事、終えることができました。

 光寿苑とひなたぼっこのお年寄りたちの作品展示は、明日までやってございます。

 
 本日の舞台部門の一日の流れを申し上げますと、

 ①10:00 西和賀町社会福祉協議会主催作文コンクール表彰式
 ②11:00 西和賀高校吹奏楽部演奏会
 ③13:30 やよい会『こども会』による舞踊


 まずもって、福祉作文の最優秀受賞者の子供さんたちの生の朗読には、涙が流れてしまいました。純粋に自分の気持ちを言葉にできるって素敵ですね。おっちゃん、泣いでさんたぁ…。

 西高さんの吹奏楽演奏会もホットで、会場がやんわりと温かく包み込まれました。
 さらに、西高さんからは、10名のボランティアの生徒さんにお力添えいただき、裏方を支えて頂きました。おかげさまです。

 最後のとりを飾ったやよい会さんの子供たちの姿は、もう、何も語る必要なくて。3歳から17歳の踊り子たちが、お年寄りや会場の皆をほんのりさせてくれました。


 冬の時期。豪雪の西和賀にあっては最も外にでにくい時期。そんな時だからこそ、『ゆきぐに文化祭』を企画する意味があります。

 内から光寿苑から文化を発信していく。それが、ゆきぐに文化祭の真髄だと、この度も思ったところでした。


 関わってくださった皆様、本当におかげさまでした。

やってしまった…

2011-02-19 13:15:31 | 日記
 妻子ある身でありながら、昨晩、過ちを犯してしまった私。


 昨日は、太田地区子供会の総会。子供たちも大勢いて、総会後は楽しい宴の席となった。ワイワイとやっていくうちに相当酔っていた私。


 そのまま、Hさん宅での二次会になだれこんでしまった。


 ヤイヤイと、そこでもまた、しこたま飲んだ私。夜もふけていった。。。


 ~時間が過ぎて~


 携帯電話のアラームが鳴った。
 気づくと、『ろ、六時』ではないか!しかも、そこはHさん宅の居間。しかも横にはHさんが寝ていて。。。

 妻子ある身でありながら、Hさんと朝を迎えてしまうとは……やってしまった。

 
 何もなかったかのように、そそくさと身支度をして、振り返ることもなくその場を立ち去った。
 反省しきりであった。。。

 Hさんご夫婦、本当にご迷惑お掛けしました。私の過ちをお許しくださいませ。




【追伸】Hさんとは、中の寺さんで男性でございました。。。チャンチャン。