宣セーショナル

宣承をひらく

やる気がおこらないとき

2011-01-31 11:38:41 | 日記
 少し山場をこえて、ふっと休息があると、何もやる気がおこらないときに遭遇してしまう。外にも出たく無かったり、誰にも会いたく無かったり、何もする気がおこらなかったり、とにかく気持ちが上がってこない日とき。


 まぁ、そんなときは無理はしないことにしよう。

 気持ちがあがってくるまで、最低限のやるべきことだけこなしてね。

 だらけそうだけれど、仕事に戻るのも億劫になりそうだけれど、ゆっくりダラダラすることにしよう。

 そしたら、また、自然と気持ちはあがってくるだろうから……


 そんなこんなんで、やる気のないブログもつけてみたけれど、これはこれで、自分自身の一部分として付き合ってまいりましょうかね。。。

ザックのおかげで…

2011-01-30 15:11:04 | 日記
 昨日は、会津若松で、今日は紫波町にて講演をさせて頂いて、大好評のお褒めの言葉群に、本当にうれしく思いました。

 どこに出向いても、聞く作法(よく笑い、よく聞いてくださる)のできている皆様のおかげで、気持ちよく語らせて頂いて。。。予定していた内容を大幅に食べ残して終わってしまうほど、乗せられてしまいましたね。おかげさまです。


 そんな流れの中で、昨晩は、サッカーアジアカップ決勝に釘付け!寝不足覚悟で、晴れの舞台を見続けておりました。
 宿敵オーストラリアにも最高のシーンの連続でリベンジした試合。

 ケガ人続出の中でそれぞれが役割を果たし、ついに優勝。ベンチスタートの選手も次々活躍してね。あれだけの個性ある集団を短時間でまとめあげてしまうザッケローニ監督の采配ぶりには、本当に名将ですね、としか言葉が見つかりません。すごいっすぅ♪


 ワールドカップまで、まだ3年半あるから、まだまだ大波はあるでしょうが、必ずや3年半後に強い日本を世界に見せつけて欲しい。ザックぅ、夢を現実にしてくださぁい。お願いしまぁ~す!!!


 馴れ馴れしく呼んですんません。

勇気

2011-01-29 09:54:59 | 日記
 勇気をもって挑むことの裏側には何があるのだろうか?……ふと、そんなことを考えた。

 きっとそこには、普段の自分とは真逆のエネルギーと気持ちを奮い立たせる動きもあるのだと思う。


 自分のことでたとえれば、


 やめる勇気
 放っておく勇気
 何もしない勇気
 初志貫徹する勇気
 自分らしいと今まで考えていた自分と全く違う自分を表現しようとする勇気
 〔過去の自分に執着する心を捨てる勇気〕



 こんなところが私自身には思い浮かぶ。
 普段の自分とは、全く逆のエネルギーを費やすことは疲れるし、できればやりたくはない。
 けれども、あえて突き進まなければならない時やタイミングが必ずある。それは、自分ひとりで生きてはいない世界であり、みんながつながる必要がある時代だからではないだろうか。


 勇気を振り絞って扉を開けるとき、他の勇気ある人たちの心とエネルギーにも触れられる。
 それこそが響きあい、ハーモニーとなってフレッシュな世界観を創り出していけるのだと信じている。

 信じて、進もう。信じて、勇気を出して生きてみよう。
  

心の奥の奥のほうの欲求

2011-01-28 12:11:21 | 日記
 『好きなように、自分らしく自由に生きたい。』

 この言葉。私は正直違和感がある。

 要するに、みんながみんなこれを口にしてしまえば、日本人は完全に自らを失ってしまうだろうということだ。

 自由の裏側には自己責任が当然ある。自分らしさの裏側には社会性が必ず存在する。このバランス感覚は抜きには語れないはずである。
 これなしに、やりたい放題、自己主張や権利主張に使われる言葉や中身は、ますます頭でっかちになってきた。正直、ため息が出てしまう。

 精進という言葉を軽々しく使うお偉いさんも増えているのが嫌な感じだけれど、本当の意味で精進して生きてきた人や、忍耐強く生きてきた人にこそ、『自分らしく』『好きなように』道を生ききって往って欲しいのである。


 この種の『自分らしさ』は、先述してきたわがままという性格のものではなく、その人の心の底というか、奥というか、自分という存在を本当に大切にしたいという根源的願い〔内的欲求〕であることを大事にして差し上げたいのである。

探しています

2011-01-27 12:52:43 | 日記
 突然ですが、いや、前にも申し上げましたが、

 看護師さん を探しています。。。

 うちは給料も安いので、中々困難とは思いますが、明るい人柄と、ご縁あった以上は向き合う心で生きている職場です。

プロ集団と言うよりも私たちは、〝温かい人柄集団〟です!

 生きている実感をかみしめたい!そんな場所でありたいと思い、今、光寿会は生き続けています。


 どなたか、来てくれませんかねぇ。。。どなたか、そんな人知りませんかねぇ。。。


 教えてくだされぇぇぇぇぇ♪

燃えた!

2011-01-26 06:35:23 | 日記
 昨晩のアジアカップ準決勝日韓戦は燃えた燃えた!

 日本のサッカーが、本当にアグレッシブであんなにおもしろいのは、今までで僕は一番のように感じている。観てて、今までの日本のサッカーとは思えないほど攻める攻める。

 そして、日韓戦をPK戦で圧勝してしまうあの心臓の強さ。
 PKと言えば、ワールドカップのリベンジであり、さらに、前回のアジアカップ3位決定戦での対韓国戦でのリベンジでもあった。だから、日本のサッカー界の歴史の扉を開けた瞬間とも言えた試合だったと僕は思う。

 ほんで、試合が長くなったせいで、飲み過ぎてしまった。。。〔飲み過ぎたのは自分のせいっすけど…〕

 しかし、ザック流がこんなにも早く浸透するとは……これから楽しみだが、これが3年半後のワールドカップにどんな形になっているのか?うまく照準があってれば良いが、その時に失速しなければ良いと願っている。必ず、この3年半の間には、底はくるだろうから。。。願いたい。

 しかしながら、本当にうれしかった。必ずアジアカップを手にして欲しい!!!


 いやぁ、燃えてきたので今夜はバスケットいこうっと!…なんでやねん!!!

哲学を味わった時間

2011-01-25 07:14:43 | 日記
 今回の結婚式の移動や待ち時間の中で、一冊持って行った本に目を通した。

 在宅での終末期ケアに精魂こめて向き合っていらっしゃる内藤いづみ医師の『最高に幸せな生き方と死の迎え方』という本。これは、歌手の小林啓子さんに頂いた本である。

 彼女は医師として人として、人の生き方に寄り添い、死に向き合いながら日々を全うしているステキな方だ。
 彼女の言葉は、すべて読み切ってからいつかご紹介するとして、この本の中にでてきた哲学に触れたいのだが、よくホスピスケアという言葉を耳にすることはおありなのではないだろうか。

 ホスピスケアのホスピスとは、元来、ホスピタリティ『温かくもてなす』という意味からきているものであり、治療(キュア)よりも介護・寄り添う(ケア)ほうが馴染むのだろう。

 この本の中で、シシリー・ソンダース女史と呼ばれる“現代ホスピスの母”と呼ばれ尊敬されている方を紹介していた。この方は、第二次大戦後のイギリスで、末期がん患者が耐えがたい痛みの中で亡くなっていく人々を看取った一人の看護師だったそうで、その後、一念発起して医師となり、画期的なモルヒネの使用法などを再確認し、ホスピスという新たなシステムを世界中にまいていった方なのだそうだ。

 もう、この部分を読んでいるだけでジーンとしてくるが。。。

 いづみ先生が、このソンダース女史とお会いした時、

 『ホスピスとは何ですか?』

 と素朴で、しかし、根源的な問いに対して、


 『ホスピスは建物ではありません。中身、人を支える哲学です。治癒の見込みがほとんどなくなった患者さんの心とからだの痛みを取り除き、本人だけでなく、ご家族も支える活動でもある。』

 こう明快で、心強い言葉を言われたそうである。いづみ先生が終末期ケアを、『安らぎほっとできる場所づくり』と強く確信させたのは、この女史の哲学との出遇いがあったのだろう。

ナダル哲学

2011-01-24 12:40:27 | 日記
 現在の男子テニス界のランキング1位の人と言えば、スペインのラファエル・ナダルである。多くの方は、ロジャー・フェデラーのほうがイメージにあると思われるが……。

 弱冠25歳の彼は、テニスの四大大会とオリンピックの金メダルをすべて持っている天才である。過去にそれだけすべての金メダルを手にした選手は、あのアンドレ・アガシのみだと言うのだから、どれだけ大変なことなのかお分かりになると思う。


 今回の結婚式の往復で、4回飛行機に乗って、暇をもてあまして備え付けの冊子を毎回手にした私は、彼を紹介したページを何度も見返していた。

 気づけば、最後の便の中で私は、感激した彼の哲学を書き写していた。


 『テニスは、ポイントの積み重ねで勝負が決まる。だから、全部のポイントが大事で、大事じゃないポイントなんてない。ひとつひとつ積み重ねて、結果として勝敗が分かれるんだ。
 人生でもそうだと思うけど、大きな決断なんてない。小さな決断の積み重ねで今が決まっている。』



 私たちの日常のひとコマも、善いことも悪いことも、すべてが大事な私の部分なんだとこの度も感じていた。

笹谷の結婚式

2011-01-23 13:56:47 | 日記
 寮時代の友、笹谷の結婚式に呼んで頂き、初めての長崎を堪能してきました。いやぁ、昔から世界と貿易があったところは、雰囲気も違う。途中、国際交流もあったりと、非常に衝撃的な日となりましたね、卓くん、野原くん。


 さてさて、笹谷くんのお相手は25歳ってんだから、僕ら36のおっさんからすれば、これまた衝撃的な話なわけで。。。とってもかわいらしい品のある方でした。

 まぁ何より、寮時代の仲間と、プチ同窓会みたいに飲めたのが一番よかった。真くん、サブ、ジュランはうすら20年ぶりに迫る勢いでの再会だったので、嬉しいの何のって。。。みんなイイ大人になってて、しっかり足つけてがんばってて。考えて生きている証の言葉の数々が、悪酔いしなかった理由でしょうかね。

 そして、当の笹谷の最後の挨拶よかったなぁ。


 『僕は36年いろんなことがありながら生きてきて思うのは、僕は、彼女に対して、一生幸せにするからと言った事はありません。いろんなことがある日常の中で、いいことばかり軽々しく言えないと思って言ってきませんでした。いい時もあれば、喧嘩する時もあって、泣いたり、その時間を一緒に過ごしていけたらと思います。明日は必ず日は昇ります。一緒に日の出をみたいと思います。』


 だったかな。
 笹谷も本当にいろんなことに向き合って挫折もしながら生きてきたんだなぁって思えるイイ言葉でした。涙でてきて。。。笹谷らしい、すばらしいスピーチ。ほっこりした気持ちで拍手を送りました。


 ありがとう、おめでとう、笹谷。

大阪にて

2011-01-22 08:41:34 | 日記
 学生時代、寮で一緒だった親友・難波くんと酒を酌み交わした。
 長崎で、寮時代の友・笹谷の結婚式があり、その途中、難波くんに会うことにしたのだった。

 寮時代、ご縁あって隣りに寝ていた難波くんとは、いろんな思い出話をした。びっくりしたのが、来年が寮生活20周年ということ!正直、ビビった。そんなに年とったんかいなぁ~。。。

 今はお互いに福祉の現場で働いているだけに、多くがその話に言及していた。かなり盛り上がって、

『おっ!オレ、明日それブログにするわ!』

って言ったのだが、一体何の話題だったか、全く思い出せない。。。う~む、何だっけ?
 それと、同じく同部屋だった京都の本多くんとも電話で話せたのはかなり嬉しかったぁ。。。相変わらず、やさしいボイスだったなぁ。。。


 思い出せないけれど、覚えている話をすると、今の福祉と父親がやっていた時代の福祉は、ケアという面では随分変わってきた。そんな中で、たとえば、雪見そりの復活は大変意味がある。

 ここで、僕がどうしても言いたいのは、父親の時代にやっていた雪見そりと、今の雪見そりとでは、全く環境が違うということなのだ。傍から見て、

『受宣さんがやってたことだもんな。いやぁ、復活したか。よかった。』

とアッサリ言われるが、同じことをただ単にやっているのではないことを声を大にして言いたい。それは、前述でも触れたように、人的環境や地域の環境、そしてその協力体制も当時とは大きく変化させたのであり、お年寄り自体が、当時の方々とは違って、かなり重度化したり、リスクマネジメントがより一層きつく問われている中での滑走は、比較して欲しくないのである。


 勿論、受宣さんの志しと理念を引き継いだ雪見そりに間違いはない。ただし、形は一緒であれ、大きく関わりが変化した中で、今の現象があることを、色眼鏡をつけずにみて頂きたいのである。


 そんな話をした夜だった。。。しかし、一番ブログにしたかったネタは、未だに思い出せないっす。。。
 難波くん、教えてくれぇ。。。

 さてさて、長崎に行ってきまぁす!