宣セーショナル

宣承をひらく

ありかどう、岡田ジャパン

2010-06-30 07:56:14 | 日記
 夢が終わった。

 久々に、自分のものだけではない楽しみをいっぱい創ってくれた岡田ジャパンのサッカー。日本中を奮い立たせてくれた。

 歴史に残るパラグアイ戦。

 鉄壁の守備に苦戦したが、延長戦に入ってからは、日本の足が上回っていた。最後まで、岡田ジャパンのサッカーを全うしていたから。。。

 最後のPK。駒野が外した後、その駒野を列に笑顔でメンバーが向かいいれて、『大丈夫大丈夫!』ってね。負けてしまったけれど、あのシーンを今、思い返すだけで涙がこみ上げてくる。
 結果負けたけれど、いいチームだったなぁ……。失敗した者も決して見捨てない。傷ついた戦士を必ず置いていかない気持ち。


 ベスト16も最高の歴史だったけれど、あの崖っぷちでの肩を組んでラインをつくって祈っていた姿こそ、日本人に魅せてくれた最高の歴史的瞬間だった。

 本当におつかれさまでした。そして、おかげさまでした。

必要ないでしょうけど、〝追伸〟

2010-06-29 20:33:48 | 日記
 今日2度目のブログです。

 誤解のないようにと思いまして、〝追伸〟です。

 僕は、精神的に病んでいる日本人を非難はしていませんから。しつこいようですが、読む人によっては、そう捉える方もいるかと思いまして。。。
 僕自身が、精神的に病む苦しみ、知ってますから。。。体感してきましたから。。。だから、非難なんて絶対しない。

 ただ、病むことはダメなことではないけれど、病み続けることはやっぱり不健康なのです。だからこそ、やっぱり、健康な時間も創っていかなければならないのです。

 そのために、

『転んでも大丈夫。また立ち上がればいい。』
『失敗しても大丈夫。それがあなた自身を深く大きくするよ。』

って言える、あるいは、言ってもらえる人間関係を築いていきましょうよ。その人間関係を創ってもらう力こそ、人の力を超えた、自力を超えた世界観であることに身を委ねてみたいものです。

 いつも委ねられなくても、今日のほんの一瞬だけでも。。。
 今日委ねられなくても、いつの日か、委ねられるように。。。それが明日だったら嬉しいですね。

〝0〟に足せる喜びを…

2010-06-29 07:38:57 | 日記
 何でこんなにも日本人は病んでいるのか…?

 『平和ボケ』という指摘も頷けるところがある。死ぬか生きるかの狭間で、愛おしい命が簡単に亡くなっていく戦火にある国々や食糧難に瀕している人々にあって、〝今日の命に生きる尊さ〟を身をもって知っているから、病んでいられないという実情があるだろう。

 だからと言って、それら諸外国のような命懸けの危機に瀕する状況を意識するなんてことは困難過ぎる。それは、あくまでも想像の世界を脱することはできないと言える。

 ただし、一つ、これから日本人みんな(僕も勿論)が意識して持つ必要のある価値観がある。それこそが、『引き算する価値ではなく、足し算する価値観』ではないだろうか。

 インド人の人にこう言われたことがある。

『日本人はかわいそうな人たちだ。100のものがあると、100に1つでも足りなくなると悲しんでいる。半分にも満たないと、絶望すら感じることだろう。けれど、我々インド人は、1つできることの喜びを知っている。100の内の10あることをどれだけ幸せと思って生きられることか。〝0の発想〟、あなたたちにはないでしょう?』


 誰かと比べて足りないとか、前の自分と比べて満たないとか、普通という世の中のあいまいな物差しに振り回されていくこと、本当に辛いことだ。
 
 今できることを、できていることを、今あることの見落としている事実の一つ一つを喜びたい。喜ぶ練習から始めてみよう。

一人では生きていけないからこそ

2010-06-28 18:00:05 | 日記
『疲れたのでやめます。』

って言える人が羨ましく思う時がある。
絶対、言ってはいけないと言うか、それを言ったら、すべてのことを大打撃を与えてしまうから。

 弱音を吐くことはあっても、

『やめます。』

って簡単には口にできない。それは、多くの人を護らなければならないから。


 なんて言いながら、僕がいなくなっても、きっと世の中は回っていくものなんですよね。

 けれど、それが法則と分かっていても、苦しくても、『やめます。』とは簡単には言いませんよ。

 次世代につなぐためにも……。だから、皆さんの力をいっぱいお貸しくださいね。

秋田にて

2010-06-26 16:30:47 | 日記
 大学の時の同級生・荘子ちゃんのお寺での永代経法要の講師として2日間招いて頂いた。

 皆さんの熱心な聞法の熱によって、白熱の法話をさせて頂けたと思う。

 そして何より、荘子ちゃんの近況や度重なる試練の話を聴かせてもらったのだが、その一つ一つを丁寧に読み取り、向き合っている姿、とっても清んでいて、そして強さを感じた。大人やなぁと思った。それがもう何とも頼もしいことである。

 ワッシーも駆けつけ、三人で飲みながら盛り上がった。僕はまた盛り上がり過ぎて、遠方の親友たちに電話をカケた。大阪の藤政、滋賀の真衣子ちゃん、ともどもにいつも通り迷惑そうに付き合ってくれて嬉しかった!ほんで、島田先生の声もちょっぴり聴けたし、エイスケ兄にもタイムリーな温かい言葉をもらってね。

 皆さん、ありがとう。


 心、もう一回奮い立たせて、また歩こう歩こう!!!

ニッポン、魂感じた勝利!

2010-06-25 05:24:01 | 日記
 散々言われてきた岡田ジャパンが、ついにデンマークを破り決勝トーナメントに駒を進めた。

 やったぁ、おめでとう!ありがとう!

 試合前の国歌斉唱を、全員が大きな口を開けて歌っている姿を初めてみた。以前は口さえ開かなかった選手もみんなね。
 一つになっていた。それが勝利の可能性をググッと手繰り寄せていた。

 W杯直前にみた地獄の苦しみ…相当苦しい心境だったことかと、想像を絶する。あの地獄のようなところから這い上がるのは並大抵のことではない。あのまま自滅してもおかしくはなかった。
 そこからみんなが一つになって一人漏らさず這い上がろうとしていくのか?
 それとも、どん底に落ちたことを仲間のせいにしてバラバラに仲たがいして暗闇に呑まれていくのか?

 日本とフランスの違いは、そんなところにもあったと僕はみていた。


 また、楽しみが続くこと、本当に嬉しいですね。 とにもかくにも、最高の希望をありがとう!


じ、事件〔またの名をジジの件〕

2010-06-24 12:48:27 | 日記
 昨晩22時半頃、みんなが寝静まったはずの静かな家で、それは起こった。

 バスケットから帰ってきた私は、きちんと玄関の施錠をし、風呂に入り、ニュースでも観ようと思いテレビを眺めていた。
 すると、ジジの部屋から物音が…。

『トイレにでもいくのかな。』

普段と変わりのない習慣だと思い、再びテレビに目を向けたその時、居間のドアが開いた。ふと、ドアのほうを見やると、な、何と!…そこに見たのは、スーツ姿で外履の靴を持ったジジの姿ではないか!

『ごめんくださぁい、遅くなりましたぁ。』

ニコッと笑いながら登場したジジの姿を前に、

『ええぇぇぇぇぇぇぇ~っ!』

 思わず声を出してしまった。そして、すぐに、昨日はジジが出張をし、遅くに帰ってくる日だったことを思い出した。

『ご、ごめんなさい、私、住職がもう寝ているとばかり思ってましたぁ……。すんません。どうやって入ってきたのぉ!?』

 何と、ジジの寝室に、朝、鍵を掛けずに出たことを思い出したらしく、そこから這い上がって入ってきたのである。何と、1m弱はある高さをよじ登った御年89歳!超人としか言いようがない。まさに、『age89…ジジの奇跡』である。

 しかしながら、何度も謝罪し、ただ、施錠はきちっとして頂くお願いと玄関のインターホーンを鳴らしてもらうお願いをし、和解は成立したのだった。…って、諍いは無かったですけどね。 

ご葬儀の席で

2010-06-23 12:42:18 | 日記
 昨日、当本堂でのご葬儀があった。地元太田の方のご葬儀には、三ヶ寺が揃い、僕は鐘役と声明(お勤め)のサポートで加わらせて頂いた。

 心をいれて、腹から声を出した。

 ご葬儀後、多くの方が声を掛けて下さった。

 『すばらしい声でした。』
 『お経の声、とってもよくて、流れるようだった。』
 『久々に響いてくるお勤め聞けたよ。』

 本当にありがたいお言葉である。
 そんな中、ある方がこうおっしゃった。

 『導師(住職)の声を上回って。俺の方が上だって自己主張するような感じだっけな。』

 勿論、その方も半分冗談でおっしゃっているのだが。。。
 僕は、すぐに説明させて頂いた。

 『確かに、住職も高齢で声もあまり出なくなってきましたけれど、僕自身、自己主張して上に立っている気持ちは全くありません。
 ただ、ご遺族やご参列なさった皆さんに響くようにと精一杯やらせて頂くのが、うちのお勤めですから。
 11年前、京都から帰ってきたばかりのあたりは、これがふさわしい発声だ!ってな生意気な気持ちもありました。
 でも今は、同じく導師の声を上回ってしまうけれど、導師との呼吸を合わせるように、心地のよいハーモニーになるように気を配りながらやっています。そこだけは、ご理解くださいね。』

 声の大きさや張りだけ聞けば、きっとそのような捉え方もされておかしくないとは思う。その解釈もよく分かる。
 しかし、導師より上だとか下だとか、そんなものは今は思ってもいない。そうではない世界観でお勤めさせて頂いているということを、お伝えする機会を頂けた事は、逆に嬉しかった。

 そして、いつまでも『謙虚であれ』というメッセージを、その方を通して言われているのだとも気づけた。


 おかげさま。

寺子屋 ~中高生としゃべり場~

2010-06-22 08:36:37 | 日記
 ご案内遅くなりましたが、寺子屋夏バージョンでごんす。

【日 時】2010年7月3日(土) 14:00~17:00
【対 象】現役中高生&元子供
【場 所】碧祥寺本堂
【テーマ】『生きる価値って何!?』
〔①ミニ講演、②遊びしゃべり場、③真剣しゃべり場!?〕


※参加人数がたとえ少なくとも、たった一人でも、その人のために結構致しますので、ぜひ遊びにいらしてくださいねん。

長の役割

2010-06-21 18:07:35 | 日記
 様々〝長〟のつく役割を果たしている人がいる中で、多種多様な葛藤や苦悩を皆さん抱えていらっしゃることだろう。

 今日は、僕自身の長としてのあるべき姿とはいかなるものかを語ってみたい。

 長の役割は一般的に責任をとる役目にあることは言うまでもない。
 では、その責任の範疇はいかなるものだろうか?

 僕は端的に、〝お年寄りと職員〟を護りぬくという責任に尽きると思っている。
 しかも、最も苦しんで落ち込んでいる時ほど、渇を入れるのではなく、その気持ちと心理を共感する姿勢にあるのではないだろうかと。

 普段の細かいことについてまで関わることも一つの責任ある姿勢だと思う。

 しかし、もし、その細かい部分まですべて責任もって関わったらどうだろうか?
 次世代、後をつなぐ人が育たないこともままある。
 そこの長が仮に抜けたとしても、同じ日常をマイナスの方向にしていいわけではない。同じように保たなければならない。逆に言えば、カリスマ的存在感のある人がいる会社があるとして、その人がいるうちは元気で、その人がいなくなったら全く元気を失ったのでは、あまりに残念過ぎる。

 そう、ある程度、多くの人たちが細かい部分については責任と熱意を持ってチームになっていけば、色あせにくい将来が築いていける。

 だからこそ、懸命に生きている人たちにとって、本当に苦しくなったとき初めて、〝長〟が必ず見落とすことなく関わっていくことが必要になってくる。大変な局面で騒いだり怒ったりしていては、〝長〟としての役割は果たせないどころか、さらに混乱を招くだろう。


 本当に肝心な局面まで見守れることも、〝長〟としての役割だと思っている。困難な局面こそ、拝聴の姿勢でね。