宣セーショナル

宣承をひらく

じいちゃんの味覚の不思議

2016-03-28 14:09:07 | 日記
先日、光寿苑家族会の役員会があった。

宴の席で、私の前にいらした家族会の方が、何かを食べながら、


『胃の中に入れば一緒だぁ♪』


と笑いながらおっしゃっていた。
その言葉に、亡きじいちゃん・祖電さんのことを思い出していた。

祖電さん、まだ妻であるばあちゃんが生きていた頃のこと。
元々、そんなに味覚が優れていない祖電さんが、刺身に醤油もつけずに食べていたのだ。
それを観たばあちゃんがすかさずツッコんだ。


『おじいさんだば、何だって味オンチなんだがら(笑)。刺身に醤油つけなかったら味しないでしょうに、ホンニホンニ…(苦笑)』


それを言われたじいちゃん。
な、なんと、醤油を後から呑んだではないかぁ!!!

そのじいちゃんが言った。


『胃の中に入れば丁度良ぐ味つけに成るべったぁ、ワッハハハハッ♪』


豪快というか、何と言ったらいいのか……想定外のおもしろい人だったなぁと思い出す。

おかげさまです。

まんさく203号&実践事例発表会

2016-03-26 21:13:59 | 日記


広報紙『まんさく』203号ができまして、全8頁の内の6頁をUPします。

この中にもありますが、『光寿会実践事例発表会2016』は、エントリー5組がすばらしいプレゼンをしてくれました。

人手不足で忙しい中、それでも前を向いて関わりを表現してくれた職員に、そして関わったすべての職員に感謝と感激でした。

その中でも、特に、気持ちが振るわされた言葉をここにご紹介します。


『「家に帰りたい…」の真意は、ただ単に帰りたいという単純なものではなく、家族への思い、申し訳ないという気持ちなど、さまざまな思いが隠れている。』

『家族間では、近過ぎて分からなかったものが、施設に入り、距離を置くことでお互いに分かるようになったものを感じた。』

『「光寿苑に来て良がった」というユニット目標を、発表の中身として新たに出発点としたかった。』

この他にも、『自分らしさって何だろう』というテーマで、3人の方の其々のらしさを探求しアプローチした内容や、栄養士・調理部門では、個別の調理法や個人の能力に合わせた種類の食事提供など、大変な種別の提供が成されていることを見せられて、皆、感謝と感激に浸っていました。

その中でも、ピカ1だったのが最優秀賞の『変えたことで変わったこと〔排泄〕』という発表でした。

オムツ交換等、介護に対しての拒否が強く見られる方への対応について、オムツ交換だけではなく、ご家族から、昔のご本人の様子や人柄を改めて聞いたことで、意識が変わり、その対応の工夫にも活かされていったという旨の発表でした。その中での抜群のキーワード。

『私たちの意識や方法が変わったことで、ご本人が安心されることが増えてきました。
「格闘のようなオムツ交換からゆとりある排泄ケア」へと変わりました。』

まさに、職員の論理から一変。ご本人目線での表現へと、見事に意識転換が実現したのです。

改めて、すべての発表がすばらしかったんです。順位はつきましたが、これらの発表の節々に、個別ケアに取り組んできた証と、ユニットケアに入ってからの関わりの深さがみえた研修会となりました。


苦しい時期もまだ続いているけれど、目指すべき道、多くの職員が同じ方向を向いていることを感じさせられて、前に進む力をいただいているところです。

おかげさまです。

区切りではない5年目の3.11

2016-03-18 07:05:10 | 日記
3.11から1週間が過ぎた。

1週間前、現地で聞いてきた言葉。


『ひと区切りって世間では言うでしょ。首相も言ってた。でもね、区切りたくても区切れない人いっぱいいるんですよ。区切れたらどんなに楽か分かっていても区切れないから苦しい。』

『同じ被災地でも温度差が激しい。終わったんだから前向こうよって人もいる。自分の家族を失った人と失っていない人のギャップ。再建できた人と未だ前向けない人のギャップ。
あの頃は、一緒に手を取り合って進んでたはずなのに…。』

『この5年、懸命に走って走って、疲れてしまって、ここに来て前が向けなくなって。復興に今、尽力できない自分はダメなんじゃないか、価値がないんじゃないかって罪悪感をもってしまう人たちがいるんです。』

『かさ上げが急ピッチで進む中で、身内が未だ行方不明の家族は、〝あそこを掘り起こしてくれたら、きっといる〟と思っている人たちがたくさんいるんですが、〝復興の邪魔になるから言えない〟って我慢している人たちなんです。』

『お母さんのあの大好きだったやさしい声が思い出せなくて。絶対忘れないと想っていたのに、忘れてしまった。忘れたくないのに何で忘れてしまうんだろう。それが悲しい。…と言った中学生がいたんです。』

『あの日あの時、現地に居なかったからって、抱かなくていい罪悪感を抱いている地元の人がいる。その温度差で、離れて行ってしまった人がいる。そうさせてしまう人間の煩悩の悲しさを感じる。』

『ここには気軽に来てほしい。気のきいた言葉がほしいんじゃないんです。空気を感じるだけでいいから。普通の世間の話しでいいから、話したいだけですから。』

『〝絆〟って言葉が私は違和感を感じていました。人を縛ってしまうようで。
私は〝つながり〟でいいと思っています。つながりだと、いつでも離れていいし、いつでもつながれるし。その人の状況によっていつでもお互いを尊重できないと、長く続きませんしね。』


被災地だけの問題ではなく、私たちが抱える問題、表面化されていない人間の本質の課題が存在している今。

だからこそ、私たちはまた足を運び続ける必要がある。自分の問題として。


おかげさまです。

5年…3.11

2016-03-13 21:55:20 | 日記
3.11

5年が過ぎた。今年は岩手~宮城の沿岸で過ごした時間。様々なお話しを伺ってきたが、まずは活動のご報告まで。

西和賀のお土産を携えて車で出発。朝方、雪が降った西和賀。

『あぁ、やっぱり今日は3.11なんだなぁ…』

…などと感慨深くなっていたけれど、沿岸は朝から晴れていて、ただ単に雪国西和賀だから降っただけだったと、自分の思い込みぶりと当てつけたがる癖には笑ってしまった。

この日の一つ目のミッションである陸前高田市の本稱寺さんでのお参り。仮設の本堂に緊張気味で入った私だったが、お参り前の堂内にいらした御門徒の皆さまが和やかな雰囲気で笑ってお話しになっていて驚いた。御身内を津波で亡くされた方々がほとんど。そんな中での和やかな空気感。後でご住職にお聞きしたのだが、毎年、この3.11の法要の時は、いつもこんな雰囲気で過ごしていて、色んな人から驚かれるのだということだった。
法要は、皆さん全員でお勤め。私も精一杯声を出して、ご一緒させて頂いた。

14時46分。
あの津波でしばらくは埋まって見つからなかった鐘を鳴らす時。梵鐘堂のご住職を見守りながら一つ目の鐘をご住職が打ち鳴らされた。続いて息子様と娘様、ご門徒様と…。私も鳴らさせて頂いたのだが、実は、毎年、関西の兄貴たちがこの日に被災地に来て下さっていて、総勢32名の関西と九州の介護の兄貴や妹弟たちも鳴らすことを許していただけて。皆さん、感無量の面持ちでいらした。


その後は次なるミッションのある、子ども夢ハウスおおつちへと向かった。
5年目…心の揺れ動きがさまざまにある中、毎年、多くのボランティアを受け容れてきた夢ハウスも、今年は『身内だけで過ごしたい』ということで、方々の申し出をお断りしていた。
ありがたいことに、藤原先生や吉山くんたちが私も身内としてお声掛けくださって、出向かせていただく運びとなったのだ。
子どもたちや関係した大人たちが作った手づくりの灯篭を流すため海へ…。
私は御依頼を受け、初めに少しのご法話とお勤めをさせていただいた。その間、参加した皆さんが代わる代わる御焼香。ここでも精一杯声に心を込めた。
お勤めが終わり、灯篭流しへ。想いを乗せて流していた夢ハウスの皆さんだった。
藤原先生が言って下った言葉が強く胸に響く。

『宣承さん。私はお経のことなんて全く知らないし分からない人間ですが、本当に心にしみるもんですなぁ…。なんだろうなぁ、全く分からないのに、響いてくるもんですねぇ…。』

お勤めの質が良かったわけでは決してない。けれど、涙を流してお話し下さった藤原先生のお姿に、やはりこの方の感受性の深さはとてつもないものだと頭が下がった。笹原さんや吉山くん、横澤さんがいて、そしてこの藤原先生が居たからこそ、夢ハウスは強く生き続けているのだと改めて想った。


夜18時半頃、大槌を発ち宮城県南三陸町へと車を走らせた。
地理的なことを知っていらっしゃる方は“えっ!?”と思われるだろうが、西和賀町から陸前高田市へ入り、その後大槌町に北上して、そこから南三陸町へ南下するという、普通の行程からすれば無駄とも言える走り…。でも、それぞれの場所での時間があるわけで、これは必要なことだったのである。
南三陸のさんさん館という廃校となった学校をリニューアルした民宿に入ったのは21時。
先ほどご一緒していた関西と九州と岩手の仲間と杯を交わし、3.11を振り返っていた。


あくる日は、再び本稱寺さんへ。4月の末に予定されている東日本大震災『心に刻む集い』の打ち合わせ。沢山の現在の生の声を受け取ってきた。


仮設店舗でランチをいただき、午後、夜の通夜のために帰路についた。

振り返れば盛りだくさんの2日間。疲れ…があってもおかしくなかったけれど、快晴と穏やかな空気感のおかげなのか、とても平穏に終えられていた。


おかげさまです。

サラリと感謝♪

2016-03-10 12:55:56 | 日記
年度末となり、部署毎におつかれさま会が開催されている。

その部署の呑み会には、気を使わせまいと私などは参加はしていない。

そんな中でも、何気ないことだけれど、出勤してきた職員の多くが、


『昨日は、ありがとうございましたぁ♪』


と、出勤時、感謝の意を言ってから任務についてくれている。

何気ないことだけれど、そんな気持ちと言葉って嬉しいし、気分がいいものだ。

私もうっかり忘れてしまうところがあるから、うちの職員を見習って、そういう感謝の気持ちをサラリと言える人でありたい。


おかげさまです。

私の中の悪

2016-03-05 00:49:00 | 日記
光寿会理事長に就任して3ヵ月目に入った。

この時間、あまりにも厳しい現実がある。

新しい職員を獲得できずに苦悩と共に進んできた日々…

それどころか、信頼してきた職員を多く失う春を迎えてしまう結末…


ここまで取り組んできたことが間違いだったのかと自信を失い、否定されるような気持ちで過ごしてきた今冬…10年ぶりの小雪にも関わらず、心中は豪雪と氷点下の中で閉ざされ、動くことすら考えることすら忘れてしまったかのような毎日だった。

毎晩、眠れず、寝ては悪夢にうなされた。。。


すべて辞めてしまいたい…逃げたい…


そんなことすら想った日々…。ため息の時間が続いた…。


けれど、本当に追い込まれて、たどり着いたのは、今日まで傍にいてくれた人たちに感謝する…そんなあたり前のことだった。

信じられる人たち。。。


一番の悪は、私自身の中にいつも居る。


その悪を認め、向き合い、その上で周りに頭を下げる時から、また時間が動き始める。

尊敬すべき、誇れる人たちが、老若男女まわりに沢山居てくれているではないか。


理事長に成るということは、偉い人に成ったということではない。

その役目を果たさなければならない場所に巡り合っただけ…。その場所を護り全うするということは、その尊敬すべき皆さんを大切にする生き方に成るのだということ。


気負うものなどない。

明日はまた、恐怖に怯える自分に戻っているのかも知れない。

それでも尚、尊敬すべき、ステキな人たちと共に生きるということを、また一から始めることしかないのだから。。。

私には、それしかできないのだから。。。

そんな私からの再出発は、どこか不思議な清々しさがある。。。

なんだか不思議と自然に笑えた日。

明日から、心も表情も笑顔で過ごしてみよう。

やっぱり、そこから始まるのだから。


おかげさまです。

ソファーのおっさんの諸事情

2016-03-01 20:15:14 | 日記
あっという間にまた1週間が過ぎていく。

講演は3本。
25日は、北上市社会福祉協議会黒沢尻東支部小ネット中心者研修会にて講演。人生の大先輩たちが多い中、見守られながらの雰囲気で無事務まる。
26日は宮古高等看護学苑の全学生対象の講演会。初々しくも真剣な眼差しの前で全力投球。のり過ぎて、半分以上食べ残しとなってしまったがいい感触だった。岩手の看護を担う素晴らしい人たちが、ステキな先生たちに見送られ旅立つことだろう。
29日は二戸市保健推進員研修会にて講演。昨年度も呼ばれた場所だったが、皆さん、お役柄気持ちの優しい方々のためか、会場の空気感が優しかった。


週末の27~28日は西和賀町主催のさわうちクロカン。父さん母さんたちもフル稼働でワックス掛けやらがんばっていらした。強豪が町外県外から出陣してきた中、子どもたちも大いに頑張っていた。
うちの子どもたちも、二女・三女・四女が出場したが、一冬で一段と成長した姿に涙がにじんだ。私自身も子どもの頃、スポ少で続けてきたが、こんなに過酷なスポーツは中々ないと思っている一つなので、客観的にプレイヤーをみると感激も一入なのである。


また27日の夜には、西和賀町の介護事業所職員の出逢いの場を運営したが、こちらは後日触れたいのだが、初対面の人も多い中で、超盛り上がった大成功だったと感じている。

28日はさらにご法事やらお葬式もあって、これまた、あっという間に3月突入してしまった感覚の1週間だった。


あっという間の2月最後の昨日の夜。
家呑みながらソファーでいつの間にか眠ってしまい、気づけば夜中にハッと目を覚ますおっさんがいつものように1名確かにいた。。。


おかげさまでした(泣笑)