宣セーショナル

宣承をひらく

紅葉を思案する西和賀777会議

2013-10-31 06:30:05 | 日記
 昨日は、西和賀777会議(町の観光資源を探求する会議とでも言いましょうか)の紅葉部会の会議へ行って来ました。

 私自身、紅葉のすばらしさは感じているのですが、ポイントや知識もなく、言ってみれば、西和賀の良さを多方面から教わるために行っているようなレベルですが、行ってきました。

 車いすでも気軽に出向ける紅葉スポットの整備のほか、白糸の滝のような難所でも出向くプロ志向のスポットについてなど、中々おもしろい話をうかがうことができました。

 特にも、Sさんの指摘は実に良かった。


 『整備はあまり手広くやらず、特にも、掃除から何からやる気をもっている地域の紅葉スポット整備が大事だと思います。
 今、777会議が入って整備を進めても、その後、どう維持していくかが重要なポイントとなるので。777会議の足跡がたとえ無くなったとしても、その地域でそのスポットを護ろうとしている、そういう力にお任せできるようにしていくことが大事なのかなと。』


 どんな事業もそうですね。

 ドンと一発でかい花火ではなく、その後も見据えながら、誰かリーダー的な人がいなくなればやれなくなるようなものではないようにしないとけません。

 人から人へ、受け継いでいけるもの、託していけるものとして、地域全体の考え方やあり方に委ねられる、融合していけるものが、どこにも必要不可欠なのだと思うのです。


 ドのつく紅葉~観光素人・太田、学ばせていだたきます。

今を生きよう。。。

2013-10-30 12:18:28 | 日記
 今を生きる。

 その延長線上に、未来の今がある。

 未来が必ずくるなんて決して言えない「今」という瞬間を生きている。

 今日、2013年10月30日の「今」は、過去の幾多の場面の「今」があったからこそ与えられている時間。

 一所懸命に駆け抜けた今もあれば、空しく呆然と過ごした今もあった。

 夢を語り、熱き志しを胸に、時に戦い、時に友の肩を手繰り寄せた日々もあった。

 受け容れることも逃げ出すことも、どちらもできず苦しくて辛くて、自分を投げ出したくなる日々もあった。

 自分の未来は保障されているものでは決してない。

 けれども、今を生きて、共に仲間と生きて、たとえ自分が絶えることがあったとしても、心を分かってくれた家族や仲間がきっと紡いでくれると信じて、今を歩く。

 今を生きるとは、決して自分ひとりの命を生きる意味ではないということ。

 紡ぎあいながら、今は、すべての命と響きあっていく。

 良いときも悪いときも、すべてが自分自身。誰かにつながる私の今。誰かから私までつながってくる今。

 今を生きよう。。。

太田家の旅行

2013-10-29 22:24:47 | 日記
 27日から今日まで、家族旅行で北海道へ行っておりました。

 天気に恵まれた旭川での時間。

 昨日は、動物がどちらかと言うと苦手な私でさえ『楽しい♪』と思わせてくれた旭山動物園を家族には見せてあげたくて、今回の旅行の企画となったのでした。
 しかも、学習発表会が日曜日だったこともあり、月と火が休みとなったことは、非常にグッドタイミングだったのでした。

 動物園、思惑通り楽しんでくれたのですが、それ以上に、泊まった花神楽の公園のように広い露天風呂に大はしゃぎだった子どもたちでありました。

 昨晩は、サブちゃん&リュウちゃんのおもてなしで北海道の味覚を満喫し、今日もプロデュースしてもらった旅程プランにのって、思いっきり楽しんで参りました。おかげさんです♪

 長いドライブも、おかげさまで行かせていただいた家族旅行に、感謝の気持ちで今、これをしたためておりました。

 明日からまた慌しくなってしまいますが、愛しき家族に包まれて、今夜は寝ましょう。


 おやすみなさぁい♪

出逢う

2013-10-27 06:08:47 | 日記
 昨日は午前中は、徳玄寺さまの報恩講にてご法話を務めさせていただき、午後は勤務割を調整しつつ、夜は都南あけぼの荘さまにて講演をさせていただきました。

 徳玄寺は3ヵ年契約の最終年ということもあり、ありったけの思いを込めてお話させていただきました。
 その後の御斎〔食事〕も初めて、ご門徒の皆さまと摂らせていただいて、やり切った感覚でおりました。

 夜は、Sさんのいる都南あけぼの荘さまでの『看取りケアからの職員教育』と題して90分、走りまくりました。

 結果、皆さんの表情や反応がとても柔らかくなって、ありがたい空気に包まれて終えることとなりました。

 その後、SさんとFさんとの会食&飲酒ワールドへ……。

 今朝、早く発たなければならないこともあり、途中からは水割りならぬ『水ばり』飲んでおりましたが、会話は本当に有意義なものになりました。
 通常通り、何を語ったかはうっすら状態になっておりますが、最高にいい感触と余韻が残っております。どうやら、Fさんとかなり波長が合う私でありまして、とっても健康的なお酒を頂戴いたしました。

 途中、12年ぶりに会うKさんの乱入もあり、これまた嬉しい時間となりました♪

 また12年後に会うことを約束しつつ、解散とあいなりました、とさ♪


 さぁて、身支度して帰りましょう♪

ゴミを捨てる場所

2013-10-26 05:47:06 | 日記
 先日、突然の電話があり、話を聴いて欲しいということだった。

 時間を作れる状況だったため、早速、来ていただくことでお話しを受けた。

 その方は町外に住んでおり、幼い頃にお逢いして以来だったため、懐かしさも蘇ってきた。

 さまざまな日常のご苦労と共に、周囲からの吹聴などに苦しみ、居ても立ってもいられずいらしたのだと言う。

 一つひとつ紐解きながら2時間半拝聴して、結果、事実ではないことに苦しめられ、さらには、悪いほう悪いほうに考えてしまう負のスパイラルに入ってしまっていたことが苦の根源だったことにたどり着いた。

 ご本人はおっしゃった。


『意を決してきて良かった。聴いていただいただけで随分と楽になれました。

 誰にでも話せることじゃないから、たとえ親友であっても打ち明けられないことだったから苦しかった。こうして、聴いていただけて助けられました。』


 心の中に苦しみや辛さや悲しみを我慢して溜め込んでおくと、いつかそれはゴミのように腐敗してしまう。だからこそはけ口を作って、人は愚痴というゴミを捨てる必要があるのだけれど、そのゴミの捨て先を一歩間違うと、世間的な廃棄処分の問題のようにさらされてしまうことだってある。

 だからこそ、信頼の持てる誰かに、秘密を漏らさないでいてくれる誰かにゴミ処理をしてもらうことが大事なのである。

 もしかしたら、リサイクルできるものだって見つかることもあるのだから…。

 そんな一人になれたのなら、それは良かったですねと伝え、お別れした。

 人生の重い悩みを一人背負い込んでしまっていたその方の来たときの声とは、全く違う明るい声になっていた。

 おかげさまです。。。

愛称を鵜呑みにした坊さん

2013-10-25 06:53:08 | 日記
 7回忌のお参りでお寺にいらしたあるご家族との話。

 実は7年前、ご葬儀は某都市で行い、その後はこちらに移っていらしたというケースであり、たまたま年回忌帳からもれてしまっていたその方。
 口頭でやり取りをして、この日を迎えたのだが、心配だったので、この日も直前にご本人様のお名前と祥月命日を確認させてもらうことにした。


【私】『鈴原とし子様(仮名)の7回忌で宜しかったですかね?』
【相】『んだんだ、宜しくお願いします。』


 すっかり間違いないと確信し、本堂へ向かった。

 実は、私が着替えている間、法名が記された法名帳はすでに内陣の阿弥陀様の前に安置されていた。私はそれを事前に見ては居なかった。お参りする場所に座ってみて、初めて法名帳をお持ちだったことを知ったのである。ただし、私の位置からは遠くて法名帳の文字は見えない。

 表白と言われるものの中でも、


 『俗名 鈴原とし子様の7回忌にあたり…』


 と高らかに読み上げ、その後のご法話でも、


『とし子様が遇わせてくださった』
『とし子様が今、私たちに伝えてくださっているものは何なのか』


 と、『とし子様、とし子様』と連呼していた私。

 すべてやりきって、法名帳をご家族へお返ししようと内陣へ出向き手に取ったところ…何とぉ~、


 『鈴原とし』

 
 と書いてあるではないかぁ!!

 そう、この方は、本名『とし様』だったのである。

 実は、私の町、西和賀町のお年寄りたちは、女性に対して名前の後ろに『子』をつけた、いわば、愛称のように呼ぶ傾向が強い。
 ナミならナミ子、ヤエならヤエ子というように…。

 他にも、馬を馬っことか、お粥をおかゆっことか、そんな具合に、何でもかんでもと言っていいくらい『子』をつけてしまうのだった。

 今回も、まさにその愛称で、7回忌をすべてお呼びしてしまったのである。

 都市在住の娘さまは、少し苦笑いだったけれど、この土地の習慣ということで、お許しくださったのだが、何とも、恥ずかしい感じは否めないままだった。


 確認不足でございます。失礼致しましたぁ。

碧祥寺報恩講にいらしてください♪

2013-10-24 05:55:55 | 日記



 今年も碧祥寺報恩講が行われます。
 報恩講は、親鸞聖人のお心に立ち返り、生かされて生きていたことを忘れて暮らしている日頃の自分を振り返り、手を合わせる日です。

 『お寺は、日常の心の荷物を一度降ろす場所』

 という捉え方を教えてくださった人こそ、何とこのたびの講師、「真城義麿先生」であります。

 まず、お話しを拝聴なされば一発で感じていただけると思います、先生のやさしきステキなワールドを♪

【期日】2013年11月9~10日(二日間)
①大逮夜「13時半より勤行…14時半よりご法話(一時間強予定)」
②御満座「10時より勤行…11時過ぎよりご法話(一時間強予定)」

【場所】碧祥寺本堂

【対象】どなたでも気軽にご参列いただけます。出入り自由ですので、都合のよい時にぜひぜひいらしてくださいね♪

想像力を与えてくれたもの

2013-10-23 07:40:58 | 日記
 奈良のおばちゃんが、夏に遊びにいらしたときにおっしゃっていた言葉を思い出していた。


 『現代は、「想像力欠乏症の時代」になったよね。
 人の痛みなんて完全に分かることはできないけれど、同じ体験はできなくても、何らかの痛みの体験を持っていることによって、想像力につながるんよね。
 たとえば、包丁で指切ったら、それ以上の切り傷を見たら、きっと相当痛いんだろうなぁって想像することができるでしょ。

 ITだけで物を知っているだけの子は、実物とマッチングしない。

 だから、簡単におそろしいこともできてしまうし、逆に言えば、人のことも気にもしないようになってしまうんよね。』


 悲しい体験も辛い体験も、痛くて痛くてどうしようもない体験も、すべてが私の強さにつながってくれたり、やさしさを引き出してくれるようになっていっている。

 私という人間の想像力を深めてくれたのは、紛れもなく、大なり小なり一つ一つのすべての体験なしにはあり得なかったことです。


 おかげさまです。

感動し過ぎた結末

2013-10-22 09:06:30 | 日記
 前の晩、藤原茂先生との懇親の席で夢を語って楽しかったこと楽しかったこと…♪

 おかげでフラフラで家へ帰ったのでした。

 講演会の最後に、壇上にて記念品をお渡しした際、涙ぐんで泣き声で語った藤原先生。
 実は、地元のお米やきのこ、一本漬け等々をでっかいパネルに工作し、それをお渡したのだが、その手間隙かけたことに対する涙だった。

 温かい人だなぁって、改めて感じていた。

 帰りの車内のパネルを指差して、


 『本当うれしいですわぁ。ありがとう♪』


 改めて噛み締めてくださる先生にビスケットの天ぷらをお渡しし、熱い握手を交わして見送った私。感動の時間だった。

 いい気分で光寿苑に行ったところ、わ、忘れてたぁ。。。

 パネルもいいけれど、実物の記念品であるお米やきのこたちを差し上げるのをすっかり忘れてたぁぁぁぁ。

 慌てて電話をして、戻ってきていただく失礼をしてしまったのだが、これまた、数名の職員でお見送りできて良かったけれど。。。

 感動し過ぎた結末…まったく、私らしいオチである。
 

 その後、高ぶった気持ちのまま、午前中はお寺本堂での講演。矢巾町さくらの船の会さまの皆さまの前で、熱く語りかけた。

 午後は職員面談。


 朝からバタバタしたけれど、とってもおもしろい一日だった。

 おかげさまです。

藤原茂先生の熱演最高潮!

2013-10-21 13:21:31 | 日記
 昨日は、光寿会35周年企画『藤原茂先生特別講演会』が拍手喝さいの中で幕を降ろした。

 本当に感動の100分間だった。


 『その方のできるところは見守る。できないところだけをお手伝いする。たとえば、重度の障がいを持った方が、片手で胸のところの一個のボタンだけは外すことができる。それもまた喜びなのに、速く済ませたい職員の都合で奪ってはいないか。』

 『平行棒は置かない。握れる手すりもつけない。タンスやイスを廊下に置けば、それを目標にワンステップは進むことができます。それを1ステップ1グッズと呼んでるんですが、それ自体が歩行訓練に自然になっている。』

 『世の中の多くのところで「リハビリ漬け」が行われている。朝から晩までリハビリ漬け。これはリハビリで機能回復までしかやらないということです。機能回復できたら、生活の回復をしていく。そして人生の回復までお付き合いすることが本当のプロでしょ。
 私のところの脳卒中で片麻痺なられた方々が言うんです。
 「麻痺は治らないけど、脳卒中なれてよかった。もっと人生がおもしろくなった。」っておっしゃるんです。』

 『達成感のしゃぼん玉をいっぱい作っていけたら、有能感につながっていく。有能感が増えれば、生きがいというものを見つけられる。
 片手で野菜が切れた!という達成感が増えれば、料理ができるというものまでつながって、「案外オレも捨てたもんじゃないな」という有能感へとなる。やがては、片手で作る料理教室の先生とまでなって、生きがいを持てるようになるんです。』


 生の講演は、これらを熱演しながら、あるところでは涙しながら語ってくださった。

 前のめりとはまた違う、前へ向かって生きていくエネルギーをいただいた時間だった。
 講演聴いた方は、本当に勇気と元気が沸いてきて、得されたのではないだろうか。

 夜の懇親会、私自身はじけ飛んでしまったことは、理解に苦しまれないことでしょう(笑)