さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

つぶやき

2020年12月30日 | 日記
 いまはやりの漫画本の一巻と二巻を読んでみた。ひとつ気になったのは、鬼がつかう呪術に対抗するために主人公が繰り出す剣法に、「壱の剣」「弐の剣」などと名付けられた秘術が次々と繰り出されるのだけれども、これがその詳細を丁寧にわかるように描いていない、いまひとつ説明不足という感じがしてもどかしいのである。われわれは『巨人の星』の「消える魔球」とか、「大リーグボール二号」なんていうアニメで育った世代であるから、トリックやテクニックの裏付けのようなものが、たとえそれがどんなに荒唐無稽のものであったとしても、きちんと理論的に説明されている必要があった。この漫画では、そこのところの納得感が得られない。何となく気分に流されるという感じがあって、物足りない。だから、史上最大のヒットであると聞かされても、アニメ映画を見に行く気はしない。細部の仕上げが粗すぎやしないか。

 もうひとつ気になったのは、主人公の鬼退治のミッションが、いきなり伝書鳩役のカラスを通じて伝達されるのだが、これが何やらブラック企業の派遣現場のイメージを彷彿とさせるのである。さらに、戦士として選別される子供たちの描写には、能力不足を理由に簡単に淘汰されてしまう労働者のイメージが重なる。

 一巻と二巻を見るかぎりでは、この漫画は優勝劣敗の法則を見せつける、残忍・残酷な復讐ドラマのように見える。首を斬る場面が多いので、これは海外では絶対に子供に見せられないものとなるだろう。私はこれに熱狂する今の日本の文化的な雰囲気をおそれる。この雑な感じにやすやすと乗っかる、というか乗せられる感じがとてもいやだ。

 念のため、このアニメ映画を観てはげまされたり、元気が出たというような人たちを私は否定しているわけではない。だから、このブログを見た人は決してこの文章を私に無断で拡散したりしないでください。

 ※文章に翌日少し手を入れた。

前川明人『頓着』

2020年12月29日 | 現代短歌
 第九歌集。「未来」と、「青幡」の後を継いだ「幻桃」の会員であり、土屋文明から近藤芳美に到るリアリズムの系譜に位置し、「青幡」で吉田漱と今西久穂と行動をともにした人である。作者は昭和三年生れで、いわゆる戦中派であるが、私の父の一年下だから何となく慕わしい気がする。集中には卒寿を自祝する歌もある。しかし、あとがきの文章からは若々しい気息が感じられ、散文があればもっと読みたい気がする。
本集で作者は、自身の末期を見据えながら、痛快な気炎を吐いている。諦念を抱きつつも気骨の感じられるユーモアが随所に弾けており、読む者を飽きさせない。十七歳で長崎の県庁に任官したばかりの作者は、原爆の惨禍と猛火を目の当たりにした。

  誤算ばかりまた残りたり原爆の実物大模型見て来て

  原爆の閃光に直ぐとみな立ちしあの日の局員の目玉忘れぬ

  飛びあがり次つぎ輪くぐるイルカらよ従順なんてみじめなもんだよ

  口車に乗ってしまった鯉のぼり風を大きく呑みて逆立つ

 三首目でイルカに呼びかけているのは、軍国少年だった自分たちの世代の苦い記憶があるからだ。四首目の歌の「鯉のぼり」には、なんとなく特攻機のイメージがあるが、人生の苦しい局面を比喩としてあらわしているようでもある。また日本国の行方というようなものも、暗示しているかもしれない。
 
  言い逃れの嘘など許さぬ針先で栄螺の中身みんな取り出す

  繕いをしているばかりの答弁を聴きつつ硬き干飛魚を噛む
     ※「飛魚」に「あご」と振り仮名。

この二首は、国会のことをうたったものである。ちょうど時宜に適っているだろう。

  許せない赦すしかない寒空にいよいよ高く冴えるオリオン

これは原爆投下をはじめとして、この世の数々の理不尽や不正についてのべたものである。

  保障などまったくなかった戦中をおもいつつ磨く編み上げ半靴

  栄光も挫折も人間が決めるゆえ銀杏きらきらきらめくばかり

 「赤い背中」の写真を国連で掲げたる被爆者谷口も遂に果てたり

  電報配達の詰所に坐りいし谷口を見たりしは原爆の前日だった

当時は勤労動員で少年も働いていた。   ※以前「学徒動員」と書いたのを「勤労動員」に訂正しました。2021.9.12 

  起重機に吊られ海外へ渡りたる軍馬の戦死ああ五十万頭

  明日知らぬ戦中の碧空がふと恋し 高射砲火の銀色、純白

  海軍の払い下げ服着て闇市をさ迷いし戦後初の正月

 いまに繋がるものは何か、ということを考えながら読む。今日はたまたま正月間近であるが。私は、予科練の志願で三重空に行って通信兵の訓練生となり、青島から帰ってきた自分の父のことを考える。

  弓張りの明るき月にま向いて昭和に呼びもどされたい迷子

  デイック・ミネが三根耕一で歌いいし戦中博多の「或る雨の午后」

 この懐旧の念の表明には嘘が無い。こういうことは、実はなかなか普通は表現できないのである。存念のなかに想像力を注ぎ込むことによって生き続けるものは、あるのだ。それは、「昭和」というもののかたちが、「昭和」を生きた人にはどうしても最後まで気になるということなのだ。

  東天紅誰を呼ばんと叫ぶのか掠れたままの長き鳴き声

この歌を引いて、本文をおわりにできそうな気がしてきた。

  今日もまた信じ合うこそ安穏と寄り合う白鳥の首の直立

  抗うということなのか朝空に蝸牛が軟き角を突き出す

 こういう歌を作りながら、まさしく作者が「抗っている」ものは、加齢の現実だけではなく、歴史のとらえ方や、平和を願う世界の今後のあり方にかかわる現実政治の動きそのものなのだが、それはこの歌集だけでは十全に捉えきれていないようである。と言うより、作者の志向するものへの関心がないとわかりにくい。すでに年齢がネックとなっているかもしれないが、あとがきに引かれた「歌壇」の文章のようなものがたくさんあったら、一本にまとめてみてもいいのかもしれない。

身めぐりの本 

2020年12月21日 | 
 いま頭の後に積んであった本が百冊ほど崩壊して、それを片付け終ったところである。それで、久しぶりに「身めぐりの本」を例によって書き出してみることにする。主として絵画関係の本である。

・『岡鹿之助文集 フランスへの献花』昭和五十七年十月、美術出版社刊。
 貧窮時代の藤田嗣治についてのエピソードが秀逸。
・「美術手帖」1959年10月号
 特集 モーリス・ユトリロ。「パリ風景にたくす 民衆画家の詩情」として高野三三男と大久保泰が対談している。ユトリロの絵は贋作の方がうまい、というのはおもしろい。ほかに本郷新のアトリエ訪問の記事や、野口彌太郎の伝記がある。野口の伝記の文中には、版画家の永瀬義郎の名前がある。永瀬は映画「ラ・バタイユ」で東郷元帥役をやり、その縁でほかにも多くの日本人画家が一緒に映画に出演したという。永瀬は昭和時代の版画のパイオニアの一人であり、その功績は大きいのだが、近年はほとんど顧みられない感じになっているのを残念に思う。
・黒田重太郎『欧州芸術巡礼紀行』大正十二年八月、大阪時事新報社編、十字館刊。
 どこかの出版社で注をつけて再刊してもらいたい本。同様に黒田の小出楢重伝である『KOIDE』は同じ船場育ちの著者による出自から理解が行き届いた著作である。
・『小出楢重絵日記』昭和四十三年七月、求龍堂刊。
 やや高額な本ではあるが、修行時代の小出の絵による日記の自由闊達さには目を瞠らされる。
・.山田光春『瑛九』1976年6月、花神社刊
 瑛九についての基本書と思う。中で話題になっている三岸好太郎の蝶と貝殻の絵は、いま平塚美術館で寄託展示されている大きな油彩の板絵のもとになったものではないかと思う。
・金子光晴『人伝』構成 桜井滋人、一九七五年ペップ出版刊。
 これは金子の自伝的な座談を活字に起こして担当の編集者が構成したもので、書名の由来を説明した十四ページもある長い自序がついている。それにしてもよくまあ、というぐらい奇談がつづくので、ちょっと読むとおなかがいっぱいになってしまうのと、紙の黄変がはげしくて読みにくいためにまだ全部読んでいないが、ぜったいに退屈しない本であるということは言えるだろう。
 金子の絵は、放浪中にも絵をかいて売った話が出てくるが、その技量たるや大したものである。神田の老舗の古本屋の包装紙になっているのは見たことのある人が多いと思うが、私は学生の頃にそれを見て気に入って、長いこと壁に貼ってあったのをいま思い出した。
・岩田専太郎『溺女伝』昭和三十九年八月、読売新聞社刊。
 永井荷風よりだいぶ離れるが、まだ江戸の残り香があった大正時代の東京の風俗を描いて居る。地色漁りは男の恥、という言葉があったそうな。男女観や恋愛観が現代とはよほど違っている。そういう空気のなかで関東大震災前にはじめた放蕩暮らしを、戦争をまたいで生涯一貫してしまった画家の回顧録。
 そう言えば子供の頃、新聞の特別な色刷りで岩田専太郎の画集の広告が入ってきて、私はそれが無性に欲しかったということがあった。だんだん思い出してきたが、切り抜いて壁に貼ってあったかもしれない。専太郎の美人画の絵皿のようなものは、あちこちの家でよく見かけるものだった気がする。田村孝之介の外国美人の絵皿も同様である。そういうものは、普通の家庭の玄関や応接間の本棚のガラスケースの中などに何となく飾られていた。そういう記憶の下地があって、この本を古書店で手に取ったわけなのだ。こういう十代前半の記憶の底にあるもののことを、すっかり忘れていた。
 
 などと書いているうちに、積み上げ直した本の山が再度崩壊してしまった。さっきから何て時間の無駄をしているのだろう!もう寝なくてはいけない時間だから、これでやめにする。

日記

2020年12月20日 | 現代短歌
今日の一首

  つき纏ふ処世は悲し嘘ばかりつきて時雨が本降りとなる  さいかち真

 さて、このあと黙ればいいのだが、まあ何か書いてみることにする。「週刊文春」の巻末グラビアの今年亡くなった著名人のページをしばらく眺めて、そう言えば岡井さんは載っていないなと思い、寺山さんは載っただろう、塚本さんはどうだろうか、なんてことを考えた。くだらないな。坪内祐三が書棚を背にして寝そべっている写真がある。書棚を前にしていれば極楽、という感じ。書痴として人生をまっとうしたんだから、でも早すぎる死だ。
 近所を散歩して、小学校と中学校が同級だった人の家の前を通る。雨戸が閉まっている。何かあったのだろうか、と思うが、旅行に行っているのかもしれない。
 実は先日彼が近所のスーパーにいる姿を見かけたのだが、明らかに向こうはこちらに気が付いて避けているようだったのだ。この昔のままの自分を嫌われているという感覚は、とても変な感じがして、何かすまないような気がしてしまったのだ。でも、今現在彼は私などとよけいな口をきくのが嫌な境遇にいるのかもしれない。いずれにせよ、いくつになっても特に親しくもなかったやつの顔など見たくはないだろう。生きているといろいろなことがあると聞いてはいたが、これもその一つだろうか。ごめん、あの時のばかな俺は、君をさんざん傷つけていたのだ。…こんなことばかり。そうやってすれ違って、死ぬまで相手のことを誤解して、たいていの人間は生きてゆくほかはないのだ。

 嘘はさう、冷たいミルクのやう優しく人に力をくれる  中島靖子

 『冬のあぢさゐ』より。私が1999年に出した評論集『解読現代短歌』に引いてあった歌を、いまふと思い出した。
これは、誰かが私に対してついた嘘なのかもしれない。嘘だとわかっていても、わたしはその嘘の包み込むようなやさしさに安堵している。きっと会えるから待っててねとか、百年待っていてくれますか、とか。いや、ここでの嘘はもう少し卑近なものだろうけれども、それがミルクのようにやさしく感じられるという、相手はどんな素敵な心優しいひとだったのだろう。
 今日は何をしていたかと言うと、昼前後は買い物。帰ってきてから最近中古で購入した版画の汚れた額から絵をはずして、額縁の色を白からブルーに塗り替えていた。絵のうしろには、ミューズ社のバリア紙を入れて、これまでのものは一枚後に置く。額は古いので変えようかと思ったのだが、その絵が長年痛みもせずになじんできた額なわけだから、ガラスをきれいに拭いてぴかぴかにして再利用することにした。マットも新しくサイズをはかって注文する予定。
 そのほかに今日は何をしたかというと、玄関のところに置いてあったゴーヤの鉢の蔓がすっかり枯れてしまったので、かわりに花屋でみつけた苺の苗をそこに植えつけてみた。この鉢植えというやつは、水をやるのを忘れると、あっという間にだめになる。今年の夏は特に植物にとっても人間にとっても過酷だった。本当にみんなよく生きてきたものだ。しばしば水やりを忘れられてしまうわが家の鉢植えどもは。

橘夏生『セルロイドの夜』

2020年12月14日 | 現代短歌
. 今日は某書店の古書コーナーで「現代短歌雁」のバックナンバーを見つけて、一冊五百円だったから二冊買って来た。そのほかに美術系の雑本も買ったがそれはすぐ見てしまったから、手元の歌集類を何となくめくりはじめたら、次の歌が目にはいってきた。
詞書に「冨士田元彦氏も小紋潤氏もいまや亡く」とあり、

  そのかみの雁書館の本なつかしき煙草の匂ひの染みつきし本   

 雁書館の四畳半ほどの事務所の壁にある本棚には、売るための本も置いてあるのだけれど、残部少数で長く置かれた本などには、たしかにうっすらと煙草の匂いがしみついてしまっていて、ああ雁書簡の本だなあ、とへんな感動をした覚えが私にもある。
 橘夏生さんの歌集のあとがきには、天井桟敷のオーディションに落ちてがっかりしている作者に寺山修司が手づから文庫本の『寺山修司青春歌集』を渡して、あなたには書くことの方がむいているよ、と言ってはげましてくれたとあるが、その文庫本は、私も高校の頃に熱中したものである。後年、冨士田元彦氏に会った際に、角川文庫の寺山修司の歌集が自分の短歌を作るきっかけのひとつになったと言ったら、「ああそれは、私が編集したんです」と即座に言われて、へえーっと驚いた記憶がある。 
 
『セルロイドの夜』からもう少し引いてみることにする。「夜の街」と呼ばれて、という詞書のある一首。

 そのかみに桂銀淑なるひかりあり宗右衛門町はいま沈黙の街
   ※「桂銀淑」に「ケイ・ウンスク」と振り仮名。

作者は大阪の人である。

 キッチンの秤がふるふこんな日は大津絵の鬼の目が炯りたり
   ※「炯-り」に「ひか-り」と振り仮名。

私はいま塚本邦雄に捧ぐ、と献辞のある歌集からあまり塚本ふうでない作品を探して引こうとしている。詞書のある歌はあまり塚本ふうでないものがあるようで、私にはそちらの個人的な述懐をもらすような歌の方がおもしろい。

  御陵血洗町コンドーム自販機はビニ本自販機とセット
    ※「御陵血洗」に「みささぎちあらひ」と振り仮名。
  
  あしひきの山川呉服店みかけたり飛田新地へいたる近道

一首目は「御陵血洗町」と「コンドーム自販機」という言葉の激突するところがすごいが、私的な詞書きが付せられていて、句またがりの効果的な使用はまさに塚本邦雄の方法であるが、内容や選択された語彙は塚本美学を換骨奪胎しているところがある。二首目は言わずもがな。
 
 麻酔のねむりのなかに置き忘れしごとき記憶のひとつ高瀬一誌の死も
   ※「高瀬一誌」に「たかせさん」と振り仮名。

この歌にも詞書があるが、ここには引かない。高瀬一誌は「短歌人」の拡大につとめた人で、独特な口語自由律の歌を作った。作者は「玲瓏」に入らないで「短歌人」に入ったために塚本邦雄に破門されたと歌集の後記に記している。

 便箋の白舞ひ上がるゆふぞらにわが名を呼びて走り去るもの

 うつしよに在るかなしさよ木枯しのなかにジャングル・ジムは毀れず

 次に引く歌は、詞書に川本浩美の歌が引かれている。

 吊り革のあたりまよへる花虻は近江のくにへゆきて死ぬらむ  川本浩美

これはいい歌だ。これに続けて、

 雲の切れ間にかがやける近江の死者の笑顔をこそおもへ  橘夏生

とあるが、挽歌なのだ。歌集のおしまいの歌。

 哭きながらたつたひとりで生まれ来しわたくしがまだ、哭いてゐる

深みのある歌で、しんしんと生き難いというひとはいるんだなあと思う。やはり挽歌の気配が濃厚である。この「わたくし」を包む孤独を慰めてくれる存在として身回りにある事物や事象が多く歌われているのが、この歌集である。というのは、いささか逆説的な言い方かもしれないが、短歌はもとより生に対して肯定的なものなのだ。私は先に次のような歌を引くべきだったのかもしれない。

 「さうさ、地上は時々うつくしいよ」飾り窓のアンスリウムが戦ぐ夏

島田修三『露台亭夜曲』

2020年12月13日 | 現代短歌
 先に椎名誠のことを書いたが、いくつになってもやんちゃ坊主的な精神を失わない大人というのは、どんな世界にもいるものだ。歌人だと島田修三にそんなところがある。最近続けて二冊歌集が出たが、たとえばこんな歌。

  学長は強権ふるへと強ふるこゑ天降りくるなり、ありがたいねえ   島田修三
    ※「天降り」に「あも-り」と振り仮名。  『露台亭夜曲』

  泣きながら膿出しながら飯啖らふ子規の娑婆苦をもとな想ふも

 いつの間にか学長のような地位につくことになってしまって、人事や役所との対外交渉などに忙殺される日々に疲れている。まさに憂き世の苦しみ。それはあの子規の塗炭の苦しみとは別のものだけれど。「東京の花売り娘」の一連をコピーして、例によって地元の小教室で参加者のみなさんといっしょに朗誦したのだが、掲出歌は読んだときに参加者の何人かが声を出して思わず笑った。男歌の色彩が強いから女性にはどうだろうと思って差し出したのだが、「おもしろい、おもしろい」となかなか好評だった。この短歌の斉読は、高齢の方には声を張って読むことが健康にもいいのではないかと思って続けている。何年も続けてきた会なので阿吽の呼吸でこういう反応がある。この日は毎年一冊出している自選の「二俣川短歌」が第7集ということで気持もやや高揚していた。
「東京の花売り娘」の一連を持って来たのは、高齢の方も多いので何か記憶をたぐってもらう手がかりになるのではないかと思ってのことである。こちらもいろいろ話が聞けるのがありがたい。

  「東京の花売り娘」を聴きながら西に曲がればバイパス暮色 

しばらく参加者たちはメロディーを口ずさんで思い出そうとしていて、あとで調べると岡晴夫の歌なのだが「高峰秀子?」というような声があがり、あれは「銀座カンカン娘よ」というようなやりとりの末、ふたつの鼻歌が混線してしまって、ついに誰もうまく歌わなかったが、一時場がざわめいた。ここで「歌のタイトルと結句の「暮色」という歌謡的な言葉が、実にうまくマッチしています」というコメントをつけた。

  鉛筆を舐めつつ励みし学童の日々ははや朝よりPCに滅入る

  書きかけの文末「いいのだ」バカボンの慈父ならぬ身はそこより進まず

  女房に逃げられましたと暗く告ぐ逃がしてやつたと思ひたまへよ

同じ「秋刀魚の事情」の一連から引いたが、作者の嗜好はいわゆる名歌志向ではなくて、むしろそういうものに対する含羞が先立つ。 理知の機敏さと神経の細やかさを、ユーモアと諧謔あふれるサタイアでもって覆い隠している。そこにこの作者の作品の魅力がある。

  小学唱歌「朧月夜」を母に聴かせ不意に抱かれし遠き遠き日よ

  夜のふけを書棚より抜き「人生の一日」読みしが哀しみ鮮し
    ※「鮮し」に「あたら-し」と振り仮名。

  伊藤エミもその妹もいなくなり南京豆はむかしのことば

  さよならもいはずいはれず気づかざる失せ物のやうに逝きけり人は

 この歌集には、芸能人から学者、歌人まで多くの人への挽歌が散りばめられている。老年を迎えた人間の哀愁というものが全篇にただよっていて、それは「露台亭夜曲」というタイトルにふさわしい。徳川夢声や、往年の銀幕のスターの名前、ジム・モリスンといったロックスターの名前のような固有名詞には、思い出の酸鹹甘苦の味がする。絶妙な言葉の料理人の手になる昭和と平成の記憶のなかの音のさざめきが聞こえる歌集なのである。

諸書雑記 椎名誠 高田榮一 松田みさ子 阿部昭

2020年12月13日 | 
. 椎名誠の少年時代の思い出を書いた『黄金時代』という小説を読んでおもしろかったので、似たような匂いのするものをブックオフでさがしたら、『トロッコ海岸』(※『猫殺し その他の短編』改題。これ『猫を捨てる』ではないのネ。ちなみに友達が殺そうとした猫は最終的に死なないで済むのだけれども、そこにシュールな赤目男がどかーんと登場するところが椎名流。)というのがあった。読んでみたらやっぱり的中で、この本に収録されている短編が核になり『黄金時代』が書かれた、と著者の自解にあった。懐かしい少年の頃の遊びの記憶がふんだんに盛り込まれており、半裸体の大人と、はだかの少年たちが、ごちゃらごちゃらと錯綜している過去のできごとの喫水線を、作家の抱く夢の世界に接続すると、近年文芸誌に連載しているような独自の超現実主義小説の世界が拡がってくる。そこでは、やくざ者や、浮浪人や、乞食や、一所不住の移動季節労働者のような人達が大きな役割を演じていて、かつての日本の庶民の日々の哀歓と愚行と、いいかげんかつ真剣な生き方を全面的に肯定する共感力が、ずっと底に流れているのである。あわせて買って来た大河小説ならぬ著者自称「小川小説」の『新宿遊牧民』という結果的におもしろサクセス・ストーリーになっている自伝小説も二日ほどかけて読み終えた。やや粗放な印象のある書きものではあるが、たぶん丁寧に書き直したら宮本輝の大河小説みたいに十倍の長さになってしまうだろう。

 ついでに忘れないうちに書いておくが、椎名が就職した会社の上司だった爬虫類研究家の高田榮一(たかだ えいいち、1925年 - 2009年)は、新短歌の作者である。椎名の『新橋烏森口青春篇』で高田が朝礼の挨拶の時にポケットから蛇がにゅーと顔を出すのを片手で押し込み、またにゅーと出て来るのを押し込みながら話をしていたというエピソードなどは強烈で、蛇嫌いの人には恐怖の会社勤めだろうが、そこは男ばかりが出て来る椎名誠の世界である。著者らしい独特な誇張があるが、奇人変人としてカリカチュアライズされている人物は、どこにでもいるような勤め人なのだ。だいたい企業社会という無理な機構のなかに閉じ込められている人間は、どこかしらヘンである。とは言いながら、椎名の周辺に登場する人物の変人率、奇人率はかなり高いかもしれない。
 これも忘れないうちに書いておくが、「パパはなんだかわからない」という山科けいすけの「週刊朝日」連載漫画のタイトルと同じフレーズは、椎名の『新宿遊牧民』のなかにあった。直近の同誌では、某総理大臣とおぼしい人物が自分に対するイメージ調査報告を聞きながらマクスをした顔でかんかんに腹を立てる姿を夢で見て「いやな夢を見た」と起き直っておわる、という漫画がおもしろかった。

 それで、私は椎名の『新宿遊牧民』ではなく、埼玉の歌人松田みさ子さんの『青あらし 私の戦後』によって高田の名前を知ったということを、ここに書いておきたかったのだ。
 戦後すぐから看護婦と女性の待遇改善のためにたたかった松田さんの自伝的エッセイでは、爬虫類研究所として有名になる家を訪ねて、白い大きな蛇を首に巻かせてもらった体験記が書かれている。その時の蛇の手触りが歌人らしい繊細な表現で書かれていて、私は彼女の短文を、何十年も前に自分が担当していた高校「国語表現」の授業で文章のサンプルとして生徒たちにくばったことがある。ちなみにウィキペディアの項目には高田榮一の短歌も含めた文学関係の仕事についての記述がほとんどない。
 松田みさ子さんには、歌人の研究会である十月会で二度ほどお会いして、(この会には、広告代理店につとめていた強烈な個性の人物が、近藤さん夫妻の悪口をがんがん言うのですぐに顔を出さなくなってしまったが。まあ、それで別の視点から見える近藤夫妻の人物像を知ることもできた。)出たばかりの本を十冊ほど送ってもらった。そのうちの一冊は当時新人だった笹公人さんのような若手にも送って私なりに拡散につとめた。今でもいい本だったと思っている。松田さんは「多摩歌人」という冊子を出していたが、何度めかの交通事故で亡くなってしまったと聞いた。強度の近眼だった。そういう目が悪い人にやさしくない社会は依然として変わっていない。

  夜のふけを書棚より抜き「人生の一日」読みしが哀しみ鮮し   島田修三
    ※「鮮し」に「あたら-し」と振り仮名。

 
 阿部昭で思い出したのだが、遊行寺のそばで友湘堂という印刷所を兄弟でやっておられた西野さんという秋櫻子系の俳句誌「波」の俳人が小説に出て来るのだが、もう知っている人も少ないだろう。同人誌にやさしい印刷所ということで、「美志」の印刷はそこで頼んでいた。版下を手作業で用紙に貼りつけて写真製版するという、今では考えられないような手間のかかるやり方だった。それで「波」には倉橋羊村さんが在世のころ何年間か入っていた。そのうちに退職した自分の職場の先輩が私のことを知らずに下手な句を初心の欄に出し始めたので、気がさしてやめてしまった。短歌の方で忙しかったせいもある。その印刷所を紹介してくれたのは、プロコフィエフのピアノ曲を自宅で暇な時に弾くという東工大出の理科の先生で、平田さんといった。彼はSFを専門にして生きていた。口癖は「なんかおもしろいことないですかね。」というものだった。今でも元気にしているだろうか。
 それでまた思いだしたが、別に自慢話とかいうのではなくて、私はその阿部昭について書いた文章を一度だけ若い頃の穂村弘さんに励まされたことがある。ちょうど中澤系の歌集の栞文を依頼した頃で、私がいちばん元気に外に向けて活動していた時期にあたる。その時に、あなたの書くものは読むことにしたよ、と言ってくれたのがうれしかった。それは私が「美志」に書いた「阿部昭の文章を読んでいたら頭の中に水が流れるような気がしていい気持になった」というような一文のことだったろうと思う。後に穂村さんのエッセイを読んでいたら「脳が汗をかいた」というような一節を見つけて、何十年もあとにその言葉が変奏されているような錯覚にとらわれた。もっとも私と穂村さんとの縁はそれきりで薄いものである。新歌集を送っていただいた時はとてもうれしかったので、一文をこのブログに書いた。

 阿部昭は私の身の回りには好きな人が多くて、「未来」の中野歌会で松浦郁世さんがほぼ全部読んでいると言っていた覚えがある。あとは門馬真紀さんに全集を貸したら舐めるように読んだとおっしゃっていたのが印象的だった。どうも歌人の愛読者が多い作家である。 
枝葉の雑談が多い文章になったが、削るのももったいない気がするので、このままにしておく。ここに名前を出した方には、そののちお元気ですか、と呼び掛けたい気持ちもある。

付記。12月13日付「毎日新聞」に「本の雑誌」創刊45年ということで編集長の浜本茂のインタヴュー記事がのっている。12月号は450号なのだそうだが、ちょうどこのタイミングに私が初めて椎名の本を読んで話題にしているという符号がおもしろい。しかし、出版界はたいへんで、土曜日の読書欄の片隅にみすず書房の「パブリッシャーズ・レヴュー」(もと「出版ダイジェスト」)がこの12月の号で最後になるというニュースが載っていた。白水社の分が来年1月に出て終刊となるとのこと。スマホは便利だが、出発点の検索のスタート地点が常にひとつしかないことが問題である。本や紙媒体のいいところは、幾種類も散開して展示されていることであるが、その分の面積が必要となるところが、この情報端末時代にそぐわない。しかし、紙媒体などで直接体験しながら気づかないようなことを自ら検索して探すことは不可能である。きっかけとなるワードがそもそもなければ、何も調べられない。だから、教養の下地がどうしても必要だ。何がその時代に必要なのかは、同時代の仲間の声の調子や姿から肌で感じ取るほかはない。だから、コロナでオンライン化が加速しているけれども、同級生と出会えない大学なんてあるわけがない。知識や教養というものは触覚的なものなのだ。椎名誠の教えをつづめて言えばそういうことになる。「本の雑誌」が生き残って来たのは、「無理をしない、頭を下げない、頑張らない」という社是のせいもあるだろうが、言葉の成立にかかわるもろもろの皮膚感覚的な要素を大切にして来たからである。
  




 

  


寝耳に水の種苗法国会通過 

2020年12月05日 | 政治
 コロナや学術会議の問題で忙殺されているうちに、改正種苗法が12月2日に国会を通過してしまった。何となくテレビをつけて、寝そべって別のことをしている耳に聞こえてきたので、「えーっ」と思った。ネットのニュースでみると、内容は前回出したものとあまり変わっていないようだ。

 大手の種の会社が猛威を振るいかねない内容が懸念されているのに、そこはノーチェックで、国会答弁の内容もひどいものだったようである。本当に信じがたいほどひどい答弁なので、詳細はネットの答弁起こしの記事を検索してみてください。

 まさに竹中平蔵が加わっている菅政権ならではの、イージーゴーイング。やってくれたな、というところだ。この法律は、日本国発の特産品を守る体裁を装っていて、内実は買弁的な内容の法律なのだ。彼らは本気で国益を守る気があるのだろうか。安部、菅ラインの自民党は? 私は以前、故吉田茂が聞いたら激怒するような内容の法律だ、と書いた。

 気になる人は、角川新書『売り渡される食の安全』山田正彦著をぜひ買って読んでもらいたい。野党は反対質問をしていたのなら、安保法制の時ぐらいの覚悟でねばってほしかったが、賛成多数で押し切られた。公明党は何を政権内でチェックしているのか、存在意義がわからない。こうなった以上、新しくきちんとした「種子法」を作り直せ、ということを今後は言っていかなければならないのだが、どうしたものか。このままでは、ハイブリッド米やら何やらの種を売りつけたくて仕方のない連中がどっと入って来て、日本の農家の自家採種はやっかいな手続きが必要なために駆逐されてゆく、という危惧が、現実のものとなりかねない。