さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

サマセット・モーム作『昔も今も』

2018年11月27日 | 
天野隆司訳のサマセット・モーム作『昔も今も』(ちくま文庫2011年6月刊)を読んだ。こなれた訳文が読みやすくておもしろかったが、主人公のマキアヴェリが、子供がいない商人の若い細君を手に入れるために、財産相続をめぐって策を弄するという筋書きから、私はこの夏にまとめて読んでいたジェイン・オースティンの小説世界を連想した。作者は、当時のイタリアというよりも、自分の住んでいるイギリス社会を投影しているところがあるのではないか。

 ところで、先週あたりから話題にしている花田清輝が、ツヴァイクの『ジョセフ・フーシェ』について、手厳しいことを言っている文章を見つけた。私は二十代の頃にこのツヴァイクの小説にいたく感銘を受けた覚えがある。と言うよりも、これを一種の抵抗小説として誤読していた覚えがある。ツヴァイクは、当時の全体主義政党に集っていた政治的人間の姿を浮き彫りにしたのだと私は思った。花田の文章を引こう。

「猫にミルクをやっている大仏次郎の写真などをみると、かれは、まことに心のやさしい人物らしいが、残念ながら、わたしには、平野謙の推奨するかれの『地霊』といったような作品は、ツヴァイクの『ジョセフ・フーシェ』などとなんらえらぶところのない、ダブル・スパイを神秘化した通俗読み物のような気がしてならないのだ。なにもわざわざ『地霊』をもちだすまでもない。伊藤整流の「組織と人間」といったような定式なら、大仏次郎の第一作である『鞍馬天狗』からでも読み取れるであろう。鞍馬天狗が、ひとりぼっちで抵抗しているのは理由のないことではないのだ。ということは、つまり、その方式そのものが、鞍馬天狗とともに、すでに疾の昔からパータン化しているということであって、…(以下略)」

 二十代の私は単純にツヴァイクに感心してしまっていたのだから、こういう手厳しく批判する視点は生まれようもなかった。のみならず、私の周辺にはこの小説を地で行くような人物もいないではなかった。私はそれをも面白がっていたのだから、土台がこんなふうに相対化などできようもなかった。

 さて、花田の文章の引用を続ける。
「そこへいくと獅子文六はちがう。(略)岩田豊雄の本名で彼のかいた『東は東』という戯曲は、昭和八年の作品であるにもかかわらず、わたしのみるところでは、いまだにわれわれの周囲においては、これを抜く作品は一篇もあらわれていないのだ。」
                      (全集第十巻所収「実践者の眼」より)

 私は獅子文六のこの戯曲を読んだことがないが、これは尋常でない称讃の言葉である。さらに、花田は次のように書く。

「…そういえば、わたしが岩田豊雄の名前をはじめて知ったのは、ピランデルロの芝居の翻訳者としてであった。ピランデルロの芝居の翻訳の後記のなかで、岩田豊雄が、「世には多くのピランデルロ嫌いがある。恰もピランデルロを無責任な手品師か、ダダイストの酔漢の如く心得てる人がないこともない。少くとも自分の見るところはその反対である。(略)少くとも一度はドストエフスキーのように、人生の正不正と人間の悲惨と不幸を、目の玉の飛び出るほど眺めたことのある人であると思う。即ち彼は純粋な技巧派でも芸術派でもなく、寧ろ正銘な人生派の現実主義者として出発点を持ってると考える」といっているのは卓見である。認識者の文学というのは、要するに、そういうものだ。」

以下に花田の一文から『東は東』の内容がうかがわれる岩田豊雄自身の文章を孫引きしてみようと思う。

「当時、私の妻はフランスで死に、大きな打撃を受けたが、それを私は運命的に考え、日本人と外国人の結婚を絶望視した。その頃、誠文堂文庫かなんか、流布本の狂言集を読んでると、日本へきた唐人と日本女の結婚生活の笑いを書いた゛茶三盃゛とかいうのがあり、ひどく身に沁みた。それにヒントを獲て、ああいうものを書いた」と。

 こうして抜き書きをしながら、そういえば日産とルノーの話題で持ちきりのいま、今日のこの一文のコンステレーションの度合に少し驚いている。獅子文六、どこかでリバイバルしないかな。 


ポイント還元 感想

2018年11月23日 | 政治
素人の直観だが、私は今回の消費税増税に伴う安倍政権のポイント還元政策はあぶないと思う。先だってのビット・コイン騒ぎを見ていても、デジタル決済のシステムには種々の不備がある。これを一億人相手に国家が胴元になって行うというのは、危険だ。私は、詐欺師が世界中から結集して来るのではないかと思う。これは、もしかしたら国家財政に致命的な打撃を与えるかもしれない政策ではないだろうか。

柄谷行人の言葉を参照しつつ、「論理的」「国語」とは何かを考える

2018年11月23日 | 大学入試改革
柄谷行人の言葉を参照しつつ、「論理的」「国語」とは何かを考える

 阿部昭の『千年』について、柄谷行人が『言葉と悲劇』のなかの夏目漱石を論じた章で触れたことばが印象に残っている。

「五歳の子供は、もうすべてを了解しているのではないでしょうか。彼は、親がもう万能の神ではないし、親にもどうにもならないものがあるということを、わかっています。それは、ある純粋な悲哀であり、不条理感です。それ以後われわれが何を学んだとしても、その時に感じた人生や世界についての把握に、付加するものなどないのではないか。ところが、五歳を過ぎ、小学校に行くようになれば、もはやただの幼稚な子供になってしまいます。(改行)ギリシア悲劇は、そういう意味で、五歳ごろに持っていたような世界の把握を思い出させるのです。そういう類推でいえば、シェイクスピア悲劇は、十一、二歳のころのような感じがあります。この時期の子供も、高校生や大学生以上に世界が見えていると思う。自分自身に関して、そう思うことがありますね。いうまでもなく、僕は発達心理学的に考えているのではありません。「他愛ない」ことは確かだとしても、しかし、そこに人間的条件が凝縮されて現れているのだ、ということをいいたいだけです。」(「言葉と悲劇」)

 さて、「言葉と悲劇」のなかの当面気になっているくだりについて、引いてみよう。

「オースティンの『言語行為論』によると、文には、事実を述べている(コンスタティブ)のと、行為をさせようとする(パフォーマティブ)のとがある。「このマイクはおかしい」というのは、ある客観的な事実を述べているように見えながら、それは「直せ」と語っているわけです。したがって「何々である」というようなことは、客観的な事実の陳述というより、つねに命令というか、何かしらそういうメッセージを含んでいます。
 これを数学でいえば、「1足す1は2である」は、けっして事実を語っているのではなくて、そのようにせよという命令を語っているのです。そこをまちがえてしまうと、数学の基礎論でも、ウィトゲンシュタインが指摘したように、まるで必要のない基礎づけをすることになってしまう。」

「(略)言語は、その根底においてパフォーマティヴだというべきです。ところが、コミュニケーションの理論は、まったくそれを省いています。(略)コミュニケーションというと、ふつうは事態についての言明の交換とみなされています。そして、話すほうと聞くほうの間に、客観的な、ノーマルなコミュニケーションが考えられているわけです。ノーマルなコミュニケーションとはそのようなものであり、そうでないのは例外と思いがちですね。しかし、たとえば僕らの生いたちを考えてみれば、ノーマルなコミュニケーションというのは、むしろ結果的に後から考えられたものである、というべきではないでしょうか。なぜなら、当り前のことをいうようですが、僕らにとって最初のコミュニケーションは、親との関係においてであるからです。親子の、けっして対称的でないような、均等でないような関係の中でのコミュニケーションが、いちばんの基底にあります。」

 教育の場において、文学作品は、言語のこうした「非対称的関係」についての認識を深めることができる唯一のものである。たとえば新美南吉の「ごんぎつね」は、善意(の行為と言葉)が報われないということの悲劇性と不条理の存在を子供たちに教えている。子供たちはそこから無理に「意味」を読み取る必要はない。そこで生の不条理に触れる(向き合う)だけでいいのである。

 高校の「論理国語」の内容から「文学」教材を排除するということは、柄谷の言う意味での言語のパフォーマティブな働きについて一切顧慮しない「コミュニケーション理論」に立脚して「国語」教育を構想する、ということである。

 「論理」ということで言えば、たとえば芥川龍之介の「羅生門」では、「悪をなす」ことをためらっていた主人公が、門の上で女の髪を抜くという「悪」をなしていた老婆の自己弁明の論理を逆用することによって自分の強盗行為を正当化する様子を描いていた。極限状況のなかで言語はどのように作用するか、人間のモラルが、いかに言語がらみのものであるかということを教えることができる教材である。

 しかし、一年生必修二単位の「現代の国語」にこれを収めることは、文科省の担当官の科目内容の口頭説明によれば、できない。それは「言語文化」で扱えというのである。しかし、一年生で二~三単位(週に二~三時間)しか「国語」の時間がとれない学校もあるのだから、もうひとつの必修科目「言語文化」で古典を扱ったら、とても以前のように「文学」に時間を割けない。特に一、二年でだいたい二単位程度しか「国語」科の時間がとれない商業科・工業科などの学生は、「文学」を排除した「現代の国語」以外学ぶことができないということを意味する。

 しかし、これはたとえば相手を説得する時に何が必要かを考えればわかるように、言語についての感覚を鈍らせることにつながるのではないだろうか。たとえば文化交流や外交の場において、どのような「論理」的な「国語」が駆使されているかを考えてみればいいだろう。そこでは「情念」や相手の持つ「教養」や「感性」への顧慮と歴史についての知識が不可欠である。というよりも、それに先立つ身体的な表現力や共感力とそれを表現する力がまずもとめられている。

 柄谷のいう言語の根柢的な「非対称性」についての知見と知恵を育てること、それが本来「論理国語」において求められるものでないだろうか。そうして、言葉と人間の存在にまつわる「悲劇」の意味を「文学」を通じて受けとめる感性の訓練を経るということが、若者には必要である。われわれは「伊勢物語」や「源氏物語」や「平家物語」や「史記」や「山月記」や「こころ」や「舞姫」をなぜ学習する必要があるのか。そういうことは、むろん常に検証されてよいが、今再びそこから議論を始めなければならないのだろうか。しかし、時間は限られているのだ。

 新学習指導要領に名をかりて、そういう「文学」や「古典」そのものに触れる時間を事実上減らすことにつながる高校の「国語」の新科目の設置が、いま強行されようとしている。彼ら文科省の役人がどのような「コミュニケーション理論」を持っているか、ということの検討は、九月に刊行された紅野謙介『国語教育の危機――大学入学共通テストと新学習指導要領』によってなされている。これは、この問題に関心を持つ人の必読書である。

※ いま鷗外の「カズイスチカ」を見ていたら、Coup d'oeil という言葉があって、検索すると「全局を察する一眺」(斎藤和英大辞典)とあった。新学習指導要領と教科書検定の実態について、上記文章がCoup d'oeil に資することを願っている。

雑感 文末に堀合昇平の歌を紹介

2018年11月17日 | 政治
※ 知人がやっている雑誌に2015年11月に出した文章が出て来た。けっこう今でも通用しそうな内容だからアップする。先日〇〇党の議員が駅頭で、ТPP条約への批准を今後もアメリカに促していきたいと演説していたが、一種の不平等条約であるТPP条約をおめおめと推進しようなどと言っていること自体が、オメデタイ脳味噌の持ち主であることを暴露している。〇〇党の不勉強な県議レベルは、だいたいこういうのが多い。

 雑感  
                     
 いま日本の国が置かれている危機的な状況について理解するための、もっともわかりやすい本を紹介するとしたら、私はためらいなく堤美香の本をあげるだろう。食べ物については『(株)貧困大国アメリカ』(岩波新書)を、医療制度については『沈みゆく大国アメリカ<逃げ切れ!日本の医療>』(集英社新書)がいいと思う。先頃のТPP交渉のニュースを見るたびにいつも頭に思い浮かんだのは、『(株)貧困大国アメリカ』に掲載されていた薬でふとらされた鶏の写真であり、抗生物質がきかなくなった豚肉生産農家の農民の証言だった。

 私は最近になって、発泡酒や第三のビールの原料に遺伝子組み換えのトウモロコシが使われていることを知って驚いた。各社がそういう原料を使用しはじめたのは、今年のはじめ頃からだというが、知らないうちに何という事をしてくれたのかと思う。価格の高い従来のビールでは、非組み換えのトウモロコシ由来の原料を用いているということだが、当然だろう。それとても、元々五パーセントまでなら遺伝子組み換えのものの混入が認められているのだそうである。

 遺伝子組み換えの農作物は、発がんリスクが高いと言われている。さらにまた、遺伝子組み換えのトウモロコシは、家畜の餌に使用されている。だから、アメリカ産の肉をやめて国産にしたとしても、その肉の生産者がどういう飼料を使っているかによって危険性は変わって来る。

 だから、生産者の顔が見えない製品は、今後ますます危険性が増すということである。逆に言うと、そこに農業・畜産業の未来の可能性はある。とは言え、ТPP交渉の内容について、それがもたらす影響について、今後とも注視し続ける必要はあるのである。

 私は今年の一月から一年間、砂子屋書房のホームページで「今日のクオリア」という原稿を書いて来た。その中でТPPについての歌として、池本一郎の次の作品を取り上げた。

 ちちんぷいぷい 何の呪文でありしかなТPPを見ざる日はなく

    池本一郎『萱鳴り』(2013年)より

 <「ТPPを見ざる日はなく」という下句は、「ТPP」という言葉を新聞やテレビの上で、ということだろう。この作者の歌には、飄々としたユーモアが感じられて、いつも楽しくページをめくることができる。ジャーナリストの堤美果の本などを読めば、現在日本人が置かれている状況は、長新太作の絵本『ブタヤマさんたらブタヤマさん』の主人公のようなものだということがわかる。
 この本についての出版社の紹介文を引くと、「ブタヤマさんは、ちょうとりに夢中。うしろからおばけや、大きなイカやヘビなどが呼びかけても知らん顔。ちょっとこわいが楽しいお話。」とあって、河合隼雄が最終講義で引いているのをテレビで見て以来、私はこの絵本が恐るべき傑作だと思うようになった。> と書いた。

 その文末には、やや不謹慎な冗談として、
<さて、「ちちんぷいぷい」と言って退散しないお化けをどうしたものか。ゲームに移し替えて、ゼロ戦で撃ち落とすのもいいかもしれない。>
などと余計なことを書いてしまった。「ゼロ戦で撃ち落とす」という時代錯誤なことを書いたのは、戦争末期に進化したアメリカのグラマン戦闘機の餌食となってやられてしまったゼロ戦のイメージを重ねたのであるが、秘密の交渉の蓋をあけてみると、やっぱり相当にやられてしまっているのは、最近のニュースによっても明らかである。「ちちんぷいぷい 何の呪文でありしかな」とは、まったくぴったりの言葉であったのだ。後日著者より葉書が来て、私ら農民にはТPPなどど言われても本当に何のことやらわからないのです、とあった。そういうダマクラカシの法案なり、「閣議決定」なりが、ここ数年多すぎる。

 安保法案についての議論で世間が騒がしかった頃、労働者派遣法の改正案が国会を通過していた。ニュース解説では、「事実上、人を入れ替えれば企業が派遣をずっと使える仕組みに変わる。背景には多様な働き方を広げようという政府の考えがあるが、逆に不安定雇用が広がるという指摘もある。」(「朝日新聞」)とあるが、長期にわたってボディーブローのように効いて来る点では、ТPP交渉の結果以上のものがある。

 ここ数年の間の若い労働者の現場の苦難を詠んだ歌集としては、堀合昇平の『提案前夜』(二〇一三年 書肆侃侃房・新鋭短歌シリーズ)が印象的だったが、知らない人もいると思うのでここに紹介しておきたい。著者は一九七五年神奈川県生まれ。「詩歌句」のホームページ掲載作品から。

原色のネオンに染まりゆく街で遠吠えの衝動をおさえつつ
試せども試せども不敵の笑みはうまく浮かばず 待ち人がくる
生垣の隙間にみえる裏庭に野ざらしで立つぶらさがり健康器
眠れずにきつく閉じれば明け方のまぶたのうらに何も映らず
脱衣所のうす暗がりに浮かんでは消える充電ランプのひかり


八十九翁の書物と香川景樹の老いの歌について およびブックレヴュー 

2018年11月12日 | 
※老いをめぐって自分が書いた十年ほど前(2008年か)の文章が見つかったので、以下に再録する。

 本を読むよりも何かものを書いている方が楽だ。書くことは、まったく苦にならない。しかし、書くためには読まなければならないので、それが難儀である。本は、飽きたら足元に積んでおき、折々取り出して見ているうちに、いつの間にか全部読んでしまっていた、というような読み方をするのが理想である。しかし、実際はなかなかそうもいかない。春から夏にかけての三、四カ月の間に、ざっと見て三百冊ほどの本が、仕事机の前後に乱雑に積み上がってしまった。ただでさえ私の部屋は潜水艦のような状態なのだから、本の過飽和は物の雪崩を引き起こす。それに足場が狭いために、茶碗を持って椅子につくことができない。今もコーヒーをこぼしてしまって、あわてて拭いたところだ。今日は夏休み期間中の木曜日だが、休日出勤の振替で一日空いている。本を片付けようとして書名を見ると、半分はまだ手元に置いておきたい気がするのだが、そこを思い切って運び出すことにする。いったん書庫に出しておいて、それからまた少しずつ持ってくればいいと自分に言い聞かせる。

 本はサイズごとに紐でしばっていく。紐は、浴衣の帯のように腹のところでぐるぐる巻くだけで、十文字結びにはしない。三周ほど巻いて少したるみを持たせるのが、こつである。蝶結びにして、そのまま紐の真ん中を持ってぶら下げると、本の重みで自然に羊羹型の一塊になる。これは古本屋で教わったやり方だ。ただし両脇の本は押されて紐の跡がつきやすいので、大事な本は、中の方に挟む。紐の当たるところに厚手の紙をあてがってあるのを古書店で見たことがあるが、私はそこまでしない。本の整理をしていると、時々、こんなことばかりやっているうちに俺の一生はおわるのかなあ、などと思ったりすることがある。楽しくて、空しくて、多少めんどうだ。詩歌にかかわることも、これに似ている。

 近刊から。
〇穂村弘著『短歌の友人』には、中澤系の作品がたくさん引いてある。どれも初出で見ている文章だが、あらためて中澤系の作品が、八十年代から九十年代のはじめにかけての若者の心情を代弁するものだったということを思わせられた。

〇 柴田千晶『セラフィタ氏』。これは藤原龍一郎の短歌と柴田の詩とのコラボレーションである。開いたら最後まで一気に読み終えた。どういうやり方をとったのかが書いていないので、コラボの過程がイメージできないのだが、両者の言葉は、密接な内的結び付きをもって共振している。展開されるイメージは、皆川博子や久世光彦の小説世界に多少似通ったところがあると思ったが、エロス的なものの表現はどれも戦慄的であり、全編がアイロニカルな姿勢をもって統御されている。これは短歌が出て来るテキストでは近年まれなことである。

〇笹公人著『念力短歌トレーニング』。とにかく紹介されている投稿者の作品の技術レベルが高いのに舌を巻いた。おもしろ短歌で一つのジャンルを作ってしまったというところか。
  タクシーがすつと止まりてつまらなし洗い髪にて立つ墓地前は   桐生祐狩

〇池本一郎歌集『草立』。鳥取の歌人。「塔」所属。先日、花山周子の読書会に行き、この人の挨拶を聞いた。現実の作者も作品同様に諧謔にあふれる人だと知った。すっきりとした写生を基本のところに置いておいて、今生のもののあわれを軽妙に詠んでいる。

  かざかみに風紋はのび砂うごく従うのみに年かさねつつ
  一線に二百もならぶ漁火が散ってゆくなり丘にのぼれば
  底辺につづく兵士ら聞こえよく一等・上等とよびしこの国

〇浦上規一歌集『点々と点』。大阪の歌人。「未来」所属。自ら最後の老兵、と言う。一九二〇年生まれの作者としては、目の黒いうちにと出した歌集である。闊達自在な歌境であり、歌によって老年の生の輪郭を確かめ、日々のかけがえのなさをかみしめている。

  新しきいくさ爆ぜたり、新しき酸素管つけて妻は生きつつ
  幕煙の九・一一のひと日より青空の奥のもの暗い青
  「主婦の友」「婦人倶楽部」のすくよかの豊頬思う吾は老深く

〇樋口覚著『雑音考』。二〇〇一年刊だが、最近取り出してみて、「『やぽん・まるち』―萩原朔太郎と保田與重郎の行進曲論」という論考に感心した。

〇『室町和歌への招待』。林達也、廣木一人、鈴木健一共著。読みやすかったし、知らない作者がたくさんあった。関連して大谷俊太著『和歌史の「近世」』が近刊として目についた。終章では、最近何かと話題の「実感」がキーワードの一つになっているので、興味のある方はご覧を。

〇一ノ関忠人歌集『帰路』。病気療養の歌は同情なしには読めない。しかし、独吟連句あり、長歌ありと、一冊には文芸の徒の遊びが感じられる。また生命への意志といつくしみのまなざしが感じられる。         
  目盲ひたる春庭翁の坐りけり妻壱岐をまへに歌くちずさみ
  セキレイのしばし憩へる石のうへいまわたくしが疲れて坐る
  いにしへの あづまの王の
  墳丘の 草の茂りに
  四股ふみて わが彳めば
  いつしかに
  いのち生きよと 地に響きたり

 ここでは療養は、大地の霊力を身につけるための忌みごもりなのだ。

〇源陽子歌集『桜桃の実の朝のために』。夫の経営する会社が親会社の事業整理で一気につぶされたり、自身は交通事故にあったりするという多事多端の年月を詠んだ歌。歌はきりっと引き締まった調子を持つ。
  雑草の波を漕ぐとも何処までも所有の線のきびしく引かる
  胸のこのここの辺りに武士の生きると言えりシャツを掴みて
  一ミリを折り曲げんため一歩を踏み出さんため生き直すため
  これしきの事と言いたり是式はさいさい交わす賄賂の隠語

 読みながら、幾度もどきっとさせられる歌を見つけた。知的で力強い、生の意志に満ちた歌集である。

〇小児科医として著名だった松田道雄の没後に、追悼の気持をこめて出された『幸運な医者』という本がある。活字の大きい百五十ページほどの書物で、巻末には主要著作目録がついている。一九九八年岩波書店刊。雑文をまとめただけの、格別な内容もないと言っていい本なのだが、八九歳の人の言葉には、やはり教えられることがある。

 親しく接した人の追悼文によれば、その当時京都のロシア語書籍店「ナウカ」で、最もロシア語の文献を買うのは松田道雄だったという。河出書房新社刊の『ロシアの革命』は私も読んだことがあった。彼は戦後ロシアに行き、幻滅して帰って来る。

 「少年の日に『入信』して戦争中は冷凍してきた信仰がだめだとわかった気落ちが、それからの私の考え方をきめた。」と書いている。続けて「人間を離れた超越者だとか、歴史の理法とかから道徳をひきだすことに賛成できないのは、そういう道徳はむごいからだ。」とも言う。この人がなかなか痛快なのは、次のようなことを平気で言うところにある。

 「八十七歳まで生きた医者、貝原益軒の『養生訓』を訳した人間というので、長生きのコツのようなものを期待されるかもしれない。だが、私は長生きのコツとか、長命法とかいうものを信じない。医者だから信じないのだ。長生きするしないは、大部分遺伝因子できまっていて、変更できるものではない。」

 さっぱりとした、物おじしない死生観と言っていいのではないだろうか。

〇もう一冊、高齢の著者の本をとりあげてみたい。新古書店の百円棚にあった波多野完治著『吾れ老ゆ故に吾れ在り』という本だ。一九九三年光文社刊。あとがきに、来年で九〇歳になるとある。この本の副題は「老いと性と人生と」で、性についての記述がたくさんあるのに私は期待して読んだのだ。

 「わたしが九〇に近くなっても、なおいろいろな学習に耐えるとして、それは、若いときから病気に苦しめられ病気とつきあいながら生きる方法を発見し、ついには病気を手なずけて生きることに成功して、現在では、一つの病気哲学とでもいうようなものをつかんだからだ、と思っていただきたい。」と書いている。息の長い昂然とした文章だ。それに老年の性についての記述には型破りなところがある。

 「何にしても高齢者の回春に、第二の結婚または、「アウトサイド・マリッジ」が有効なことはほぼ確実のようで、問題は、現在の一夫一婦制の下で、かつウーマン・リブの世界にあって、どう上手に処理するかであろう。つまり、生理だけの問題ではなく、心理または教育(生涯教育)と深くかかわるのである。このことを度外視した教育論はヘソの抜けた腹のようなものである。」

 長年の臨床の経験に基づいて言っているだけに、右の言葉はなかなか痛快に響くのだが、言うは易く行うは難いのであって、自他を含めた切実な人生観察の経験に基づいて、年齢的にも自由な場所で書いたのだろう。

〇さて、このところ近世の和歌を読むことが多いのだが、少し香川景樹の老いの歌を引いてみたい。(繰り返し記号を起こして表記し、一部旧字を新字にあらためた。)一連三首を引く。 

 題しらず    香川景樹

燈のかげはそむけて寝たれどもさやかにのみぞ夢は見えける 

 かぎりなく悲しきものは燈の消てののちの寝覚めなりけり

つくづくともの思ふ老の暁にねざめおくれし鳥の声かな

 一首めの燈(ともしび)は、行灯だろう。火を消さないまま寝ることにして、目をつむれば真っ暗なのに、夢のなかではくっきりと(さやかに)明るい光(かげ)が射していて、なつかしい人の姿が見えたのかもしれない。むろん「古今集」の名歌を下敷きにして読むのであって、その艶なる古歌の匂いと、自身の枯れた老いの心情が対照されながら、ほのかな「あはれ」の響きを伝えるのである。

 二首め。人は年をとれば眠りが浅くなる。そうして、いったん目が覚めると再び寝入ることが難しいのは、多くの人が経験するところだ。それを「かぎりなく悲しきもの」だと作者は言う。

 三首めは、そうして次々湧いて来る楽しくもない思案を追って、目覚めたままでいると、眠れない自分よりも遅く起き出した鳥のさえずりが聞こえてくるのである。老いの眠りの寂しさが惻々と伝わって来る秀歌である。 さて一方で、眠りが浅いためにいいこともあった。

郭公一聲
 時鳥老いのねぶりのうれしきは只一聲に覚るなりけり

 時鳥(ほととぎす)の声には鋭いところがあって、ただひとこゑが耳に入ってきた途端に、はっと覚醒させられる(さむる)のである。景樹の朝の歌には、すぐれたものが多い。

舟行夜已深
堀江川あかつき汐やさし来らむ棹の音ふかく成まさるかな

  湖上船
 俤はたが朝妻の舟屋かたむかしのうかぶ波のうへかな

男をんな舟にのりてあそぶ
 我せこが棹とる池の嶋めぐりぬらす雫もうれしかりけり

 『桂園一枝 花』雑歌上の十二首めから、続けて三首を引いた。どれも動きのある歌である。堀江川は運河で、満潮になると水嵩が増して来るのだ。「汐やさし来らむ」は、潮がさして来たのだろうか、の意。舟を進める棹の音(ね)が変わってくる、その微妙な変化を耳でとらえた歌である。作者はおそらく堀江近くの宿にいるのだろう。高瀬舟が通るような運河である。

 二首めの朝妻舟は、琵琶湖の東岸と大津を結ぶ連絡船で、遊女の乗ったものもあったというから、「たが朝妻の」は、多少それを匂わせている。ぼんやりとうかぶ船影は、そのまま朧な「むかし」の大宮人への追憶に重なって、歌もやや万葉調である。自身の若い頃の「朝妻」への追憶も多少入り込んでいるような感じがあって、なまめかしい。四句目の語の斡旋は、現代の美意識からすると、無理が感じられるかもしれない。

 三首めの「せこ」は男同士にも用いるが、これは女の気持ちになって「我せこ」と言っているように読める。もしかしたら扇絵などのために作った歌かもしれない。これも四句目がやや間遠いか。

花田清輝「老人雑話」

2018年11月11日 | 日記
 先日中学校の還暦の同窓会というのが開かれて、私は幹事の当番のクラスに属していたため、お前は司会をやれということで、柄にもなく司会などをつとめたのだが、来ている人たちは和気藹々として笑顔が多かった。四十年数年ぶりに会う同級生もいたりして、恩師も存命の方三名が出席してくださり、最後は草野心平作詞のすばらしい校歌を全員で斉唱して会は盛況のうちに終了した。

 それで、自分で自分の頭に水をぶっかけるというわけではないが、たまたま手に取った書物が花田清輝の『乱世今昔談』という書物だった。その中に「老人雑話」という文章があって、これがすばらしい。チェホフの『退屈な話』という作品に触れるところからはじまって、老いたる人に対する辛辣な警句に満ちた一文なのである。一ページほど読んでいると、

「そもそも老醜とは、いかなる状態をさすのであろうか。」と来る。これに続けて、

「それは、いっぱんに、肉体とともに精神の老化している状態を意味するものであると考えられている。しかし、時として、そんなふうに、肉体と精神とが、ぴったり呼吸をあわせて、仲よく年をとらないばあいもまた、ないことはない。つまり、肉体の老化のテンポについていけずに、精神だけが、いつまでも若々しいばあいもあれば、その反対のばあいもあるのである。そういうアンバランスな年のとりかたをした連中は、肉体と精神のどちらかを、とにかく、使いものになる状態のまま、とりとめているというので、人々からは祝福され、当人たちもまた、そのつもりになっているが――しかし、わたしをしていわしむれば、それこそ老醜以外のなにものでもないのだ。」

 これを読んで、痛いなあ、と思う人はまっとうであるはずだ。腹を立てた人は、その時点で、すでにして老いが進んでいる証拠である。つまり、リトマス試験紙みたいな文章だ。しかも身近に思い当たる例が、見つかりはしないか。昔だったらさっさと死んでくれたから世代交代が容易だったのに、今は上が詰まっていて、なかなかそうもいかない。そのうち会社なり組織なりの命運が尽きてしまう、という事例もなきにしもあらずだ。

 人物がいない、のではない、下の者が「人物」になってもらっては困るので、うまく時間をかけて擂り潰している。二、三年干されれば、たいていの人間は参ってしまう。覇気など育ちようがない。そういう組織ばかりだから、日本の大企業はだめなのだ。どんどん老朽化している。

「どんな会社もたいていやっているよ、あんなことは。」と、これは何のことを話題にして言われたセリフなのかは伏せておくけれども、こういう感覚が広く共有されているということ自体、すでに日本の多くの会社組織が「老醜」をさらしつつあるということの証左であろう。日本の企業文化におけるモラルは、どうしてここまで落ちぶれてしまったのか。

 続いて花田の文章は、狂言の『枕物狂』に言及し、『財宝』にふれていく。まったく関係がないことだが、私が以前、国語の試験で難読語のひとつとして、「好々爺」という語句を出題したところ、これを「すきすきじい」と読んだ生徒がいたのには驚いた。しかし、昨今は週刊誌の広告やコンビニの雑誌棚などを見ていると、この読みがなかなかリアルに見えて来ることも確かなのである。

 さて、花田の筆は、キケロが『老年論』を書いた一、二年後に自殺したことにふれ、やおら森於菟の『老耄寸前』という文章の称揚に移る。これは正宗白鳥も激賞したというのだから、どれだけすぐれた文章かはわかるだろう。森於菟は、その文章の中で、「平凡人の老耄状態を賛美して」次のように述べているというのである。

『人は完全なる暗闇に入る前に薄明の中に身を置く必要があるのだ。そこでは現実と夢とがないまぜになり、現実はその特徴であるあくどさとなまぐささとを失い、一切の忘却である死をなつかしみ愛撫しはじめる。』

『痴呆に近い私の頭にはすでに時空の境さえとりはらわれつつある。うっすらと光がさしこむあさまだきの床の上で、時に利休がいろり端でさばく袱紗の音をきき、またナポレオンがまたがる白馬の蹄の音をきく。はたまた私は父に連れられて帝室博物館の庭を歩きながら父と親しく話し合う青年の私ですらある。現実の人は遠く観念の彼方に去り、以前は観念のみによって把握される抽象の人と考えられていたものが、今の私にとってはより具象的な現実である。』  (森於菟『老耄寸前』)

 さらに花田は江村専斉の『老人雑話』に話を進める。専斉・江村宗具は、加藤清正に仕え、寛文四年にきっかり百歳で死んだ医者である。

「明智日向守が云う、仏のうそを方便と云い、武士のうそを武略と云う、百姓はかわゆきことなりと、名言なり。」

 どうせ歴史を学ぶなら、こういう言葉を諳んじておきたいものだ。本読みたるもの、国民を早々に老耄に誘うようなテレビ番組に感心している暇などないはずなのだ。

ゲオルゲ、石田比呂志、高校の新科目

2018年11月04日 | 現代短歌 文学 文化
 人は、ある年齢になったら、いろいろなものを断念しなければならなくなるのかもしれない。たまたま取り出してひろげた本に次のような詩が載っていた。手塚富雄訳『ゲオルゲ詩集』(1972年刊)より。

きみはいまもなお荒蕪の地に
かつてのゆたかな色彩を求めるのか、
色あせた野に実りを持つのか、
過ぎ去った年々の穂を刈り入れようとするのか?

影のヴェールにつつまれてかつての充溢が
柔和に仄めいているのを見たら それで満足するがいい、
そしてまた倦みつかれた空気をやぶって
遠くからの風がねんごろにわれらを吹きめぐったら――。

見るがいい、過ぎ去ったわれらの生の前史のなかで
傷のように燃えた日々は足早に消えてゆく……
だが われらが花と呼んだすべてのものは
涸れた泉のほとりの塵塚に集まっている。
            P132、133より

 このほかに、こんな詩もある。

避けがたい移ろいを前に最後の一瞬まで
享受するのは思慮あるわざではない。
鳥たちは海をめざして飛び去った、
花はしぼんで雪を待っている。

あなたの指はひっそりと疲れた花々を編んでいる。
ことしはもうほかの花は望めない、
いくら懇望してもそれをよびよせることはできないのだ、
ほかの花をもたらすのはおそらくいつか来る春だろう。

わたしの腕から離れてしっかりと立ってください。
日が落ちて霧が山から襲ってくるまえに
私といっしょに園を去られるがいい、
冬に追われぬうちにほかへ去るべきわたしたちです。
            P89、99より

 この詩を読んでいると、毅然として頭を上げて生の盛りの時から歩み去ってゆく人の姿が浮かんでくる。未練がましくなくて、良い。
    *      *
 今日は石田比呂志の遺歌集『冬湖』をめくった。読み始めるといつもの石田節、とは言いながら二〇一一年までで早々にその愉しみは途絶えてしまう。絶詠というのが、「牙」四月号掲載予定として作成してあった「冬湖」三十首である。水鳥の姿に託して自らの死生観を述べた、堂々たる一連である。

 一羽発ち一羽また発ち一羽発つ恵方にあらぬ方と知りつつ
   ※「発ち」に「た(ち)」、「恵方」に「えほう」、「方」に「かた」と振り仮名。

 漂泊と流浪と微妙に違うこと身に引替えて鷗は知れり

 暮れ残る湖面の鴨の一団に擾乱起り残照乱る
   ※「擾乱」に「じようらん」と振り仮名。

 天翔くるあれはかりがね水茎の無沙汰の詫びの文を銜えて
   ※「天翔くる」に「あまか(くる)」、「銜え」に「くわ(え)」と振り仮名。

 殿の一羽縋らせ棹となる羇旅の行手に恙あらすな
   ※「殿」に「しんがり」と振り仮名。
 
 飛ぶ鳥は必ず墜ちる浮く鳥は必ず沈む人間は死ぬ

 もうこういう文芸の伝統に立脚した歌を作れる日本人は、今後なかなか出て来ないだろう。教養の基盤も違うし、言葉についての感覚の勘所のようなものも変化して来ている。この年代の人たちが今まで維持して来てくれたものを、われわれはどのように継承していったらいいのか。

    *      *
 さて文科省が今進めようとしている新学習指導要領の高校の国語科の科目についての情報である。

 新設される予定の一年生向けの「現代の国語」(週二時間)と、二・三年生向けの「論理国語」(週四時間まで)では、「データなどのエビデンスを駆使した、説得力ある論理的議論を学ぶ」ことが目標なので、文学作品は基本的に排除される、ということが明らかになった。

 古典や文学作品は、併行して設置される「言語文化」と「文学国語」の方に移動せよ、というものである。

 だいたい「国語」で確保できる時間数は、多くの普通科の学校では一年生で多くて週に四~五時間、二年生では二~三時間がいいところなので、そこに文学的な要素の一切入らない実用的な国語を二時間も入れてしまうと、文学や古典に触れる余地が大幅に狭まってしまう。

 文芸の未来に関心を持つ者としては、これは危機的な状況であるということを諸氏に訴えざるを得ない。

 これから日本の高校生に昔の保険会社の社員研修みたいなことを全国的にやらせようと企画している文科省の役人は、アメリカの先端的なIТ企業では文学や芸術を重視しながら新たな取り組みを開始しているということを知らないのだろう。

「だが われらが花と呼んだすべてのものは
涸れた泉のほとりの塵塚に集まっている」

 ということに、ならなければいいが……。