さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

台風の雲の切れた間に

2022年09月24日 | 日記
 昨日は朝のうち玄関のところの柘植の木の枝先を刈った。葉の先端の葉がふたつに合わさって、そこに蛾の幼虫がいる。それを弾き飛ばすように切ってから、落ちたものをすぐに靴で踏んでおき、早々に掃き寄せてビニール袋に入れてしまう。あとは紅白の肩までの高さの梅が二本あるのだが、その先端はすでに葉が散り始めていて、葉の落ちたあとに小さな花芽らしいものがついている。それを勿体ないと思いながら、少しだけ丈を切り縮める。そうしておかないと、どんどん上に伸びてしまって手が付けられなくなる。
 今朝は、雨に濡れた前庭に回って雨戸をあけるついでに、前の家の陰になっている暗がりに数本ばかり生えている小ぶりな羊歯に目をとめた。私は羊歯を見ているとなぜか心がなごむのである。それから外に新聞を買いに行ってもどると、夏ミカンの幼木に蝶が来ていた。たいていアゲハかアオタテハだが、今日のは明らかに卵を産み付けていた。この木はそう大きくはないのだが、なぜか蝶に好まれて一年中芋虫が絶えない。いつだったか葉の上にまるまると太った大きな芋虫をみつけて、なんとなく手をだしたらころりと下に落ちてしまった。そのあと探したのだけれども草に紛れて見つからなかった。拾い上げて戻してやればよかったと思い出すたびに思う。ほかにも西の窓際にバラやサンショウなど、蝶の好みそうな小木があって、ときどき葉に付いている蝶の幼虫が目に入るのだが、芋虫などは気づいた数日後にはいなくなっていることがあったりして、どうも鳥が見つけて食べるらしい。
 古書で買った榊山潤(さかきやまじゅん)『石原莞爾』(昭和二十九年 元々社再刊)を読み始めた。なかなかよくできた小説で、その頃の軍人というものがどういう人たちで、どんな振舞い方をしていたのかが、よくわかって、教えられることが多い。巻末の著者紹介を見ると、「明治33年11月横浜市に生る。時事新報記者10年。大戦初期は報道班員に徴用されて南方各地をうろついた。」とある。この「うろついた」という書き方に著者の気風が読み取れる。この小説の最初の方の章に、満州へ向かう船底の三等船室で、大陸に向かう女衒と女たちの一行と乗り合わせる場面が出て来る。これには私の読書における前からの流れがあって、このところ井伏鱒二の『徴用中のこと』(1996年講談社刊)をめくっているので、徴用に駆り出された、もしくは積極的に身を投じていった人の動きへの関心がひとつある。
 けさ目に入った本に松永伍一の『子守唄の人生』(中公新書、昭和五十一年刊)があって、そこをめくると「上海出稼ぎ」の章がある。大陸に連れられた女たちの仲間のうちの一人の証言と言ってよいだろう。よくも聞き取ったものである。
 ここでまた連想がはたらいて、浮んで来たのは、先日たまたま手に入れた岩田専太郎の新聞連載挿し絵の一枚である。ここにもろもろのイメージが頭の中でひとつに結びついて、何かひとつの時代の持っている空気感のようなものが醸し出されてくる気がするのである。岩田の絵には、満州か朝鮮の大陸風の家の前にソフト帽をかぶった和洋折衷の服装をした男が、右手にトランク様の鞄を持って立っている後姿が描かれている。
 この絵は、額装の裏側の格子状の木の枠に貼ってある和紙にぜんぶ穴をあけて、何か隠していないか調べたらしい跡が無残に残っていて、そのせいか値段もいくらもしなかった。こういうものでは、ひどいのになると額裏の署名の紙を斜めに切り裂いてあるのまで見たことがある。それで、男の前にある民家には煙突があり、雪を落とす工夫だろう、屋根の上端の方がやや盛り上がった感じの造りになっていて、全体に冬にそなえたらしい重厚な農家風の平屋で、どう見ても当時の内地の建物には見えない。後景には冬枯れの灌木が見えている。
 それで思い出したことがあって、ずいぶん前に、家の近所に大陸から帰って来たという夫婦が住んでいた。宮崎さんといったが、その方の家の庭に大きな一本の木が生えていた。花の咲く木なのに、これがちっとも咲かないのだという話だった。やがてその家の妹さん、奥さんと順に亡くなって、家には誰もいなくなって、「今度人手に渡って取り壊されるそうよ」という話を、これも今は亡き母の口から私は聞いていたのだった。その頃私は家の二階に自室があって、東側の階段を上がったところにある窓をあけると、その家の庭が見下ろせるのだった。ある日、その大木に一斉に白い花が、かがやくように、ぱあっと満開に咲いているのに気がついた。「あの、咲かないと言っていた木が咲いているよ」、「本当だ咲いている」、というようなやりとりを母としたと思う。その屋敷は、それから半年もしないうちに取り壊されて、木も切られてしまったので、「あれは木もこれが最後だということがわかったのかもしれないね」というのが、わが家でのもっぱらの話だった。近くで見なかったので木の名前はわからないのだが、その方が大陸帰りということで、いつもその昔を贅沢に過ごした夢のような時代として回顧していたということから、私はその木は何となくアカシアだったのではないかとも思うのである。