さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

二〇二四年 年頭所感

2024年01月01日 | 寸感

昨年はブログの文章を書くことに魅力を感じられなくなって、ほとんど更新しなかった。その理由を考えてみると、一つには、どうしても不特定多数を意識しながら気を使った文章にしなくてはならないという意識がはたらいてしまったということがある。一冊の本をとりあげる場合に、書評のようなものを書かなくてはならないという意識が強くなってしまって、ますます書けなくなってしまったということもあった。あとは、そもそも家に帰ってパソコンの前に坐る時間が少なかった。畳の上に寝そべって、クッションを背中に本を読むうちに寝てしまうことが多かった。夏から秋にかけての異常気象のせいもあったけれども、まあそれは半分言い訳だ。多少は加齢と仕事の疲労のせいもあるかもしれない。

 今年は何か小さい冊子のようなものを作成して、文学フリマなどで直接売ろうと思う。ネットにはその一部を出すことにしたい。本当にそれができるかどうかは、わからないが、文字だけでなく、絵や写真などを入れて自由に楽しくやりたいという思いが強くなった。ネットの不自由感が憂鬱である。

 以下は、年頭所感にかえて、一句引く。

  舌いちまいを大切に群衆のひとり     林田紀音夫  昭和三十三年作

         『昭和俳句作品年表(戦後篇)』現代俳句協会編(東京堂出版)より

 座五の「群衆のひとり」の「群衆」の読みは、六〇年安保闘争の直前という時代背景を考えると、「ぐんしゅう」なのかもしれないが、この一句だけ取り出して私の好みで読むなら、仏典風に「ぐんじゅ」がいいように思う。

現在の手ごわくファクトが揺れ動くインターネットの時代の到来など夢にも想像できなかった時代に作られた一句が、こうして取り出してみると、異なったコンテクストのもとで、たしかな手ごたえをもって受け止められるのである。己一個の「舌」だけは、確かな、信用の出来るものでありたいという願いと、ただの群衆の一人でしかないちっぽけな存在である自分自身への矜恃とが同時にここには表出されていると感じる。現代とちがって、この「群衆」は歴史を動かす力を持った信頼できる存在でもあった。 

この頽落した時代に、晴朗な精神をもって生きてゆきたいものである。

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