さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

江田浩司『孤影』

2018年07月29日 | 現代短歌
 手元の本を引っくり返していたら渋沢孝輔の詩集が出て来た。江田さんが詩歌にもとめるものは、渋沢と似たところがある。ひとつ詩を引いてみようか。

スパイラル           渋沢孝輔    

わたしの背後の埃の中に
もう帰ることはできないねじくれた途
ねじくれたまましだいにかすみ
もうどうでもよい過去となる思い出となる
わたしの踏み迷ったこころの中に
どこをどう通っても脱けることのできないねじくれた途
ねじくれたまましだいにあらわれ
もうどうにかしなければ
生きられない痼疾となる幻覚となる
それでも容赦なくわたしを越えて闇の方へ
わたしを越えて未来の方へ
ひたすらねじくれていっている奇っ怪な途

 これは、まるで江田浩司のために作られたかのような詩である。このスパイラルの螺旋をなす途は、エクリチュールを通してしかあらわれない途であり、それゆえに常住坐臥と言っていいくらいに作者はハイデガーや、それを受けたブランショの言う<死>を意識した詩のことばを求めてやまないのである。要はそれに尽きるのだけれども、江田の歌が難解だというのは、それをそう思って読む詩の読み方を読者が知らないだけである。実感の根は残してあるけれども、実感を梃子にして志向し、試行する先にあるものについて、書き手がすべてを知っているわけではないし、また書き手が責任を負うものでもない。そこのところを通常歌人は身体的に社会的にすべて引き受けようとする。たとえば本多一弘の『あらがね』という歌集は、そういう歌集である。本多の場合は実感の外にあるものを歌にしようとはしていない。これは、どちらがいいというわけではなく、短歌型式にもとめるものが異なっているのである。

 ゆるさるることもあるらむ父の死に知るやさしさを思ひつくさば

 くるしみのきはみは霧にとざしたり 詩篇をこがす野火を放てり

 藍ふかく木霊するなり醒めぎはの溪間にひびく詩を惜しみて
 
  ※「詩」に「うた」と振り仮名

詩にちかくありしひと日ののこり日に霧にかがよふ故郷は逝く

  ※「のこり日」に「(のこり)び」、「故郷」に「ふるさと」と振り仮名。

夏ぞらの雲の溪間に熟れふかき光りをまとふ銀翼の見ゆ

  ※「熟れ」に「う(れ)」と振り仮名。

同じ一連から引いた。父への挽歌として読める一連だが、掲出歌の二首目の「くるしみ」は、詩に苦しんでいるようにも読めるのである。一連がそういう作り方になっている。<父>の死という事実よりも詩に対する求道的な希求の方が前面に出ている。

 火の中にむち打つ音を聞きながらあゆみゆけるは孤影なりけり

 タイトルともなった歌だと思うが、この「孤影」を作者自身と読むと何かとても自愛の勝った歌となってしまうだろう。この後の連に次の歌がある。

 ゆく方なく歌に彷徨ふ人としてありへし日々に終の寂かさ
 
  ※「ゆく方」に「(ゆく)へ」、「彷徨ふ」に「さまよ(ふ)」、「終」に「つひ」、「寂かさ」に「しづ(かさ)」と振り仮名。

 かの人のいなくなりたる暁にささやきやまねやはらかき闇

 この歌の「かの人」は、父親のことでもいいが、たぶん山中智恵子のことなので、そうすると「孤影」も、山中もしくは先達の誰かと解釈した方がよい。

全体に沈痛で、おごそかな歌が並んでおり、短歌の様式美を追求した溢美の歌集であるが、江田には枕詞をもとにして作った実験的な歌集もあり、短歌の言葉(エクリチュール)の様式性を極めてみたいという欲求があるのだろう。『まくらことばうた』は、意味の「反覆」の外に出ようとしつつ、同時に徹底的に既成の言葉の意味の「反覆」に依拠しようとする、矛盾したことを同時に手探りしたアクロバットの実践でもあった。それが今回は大きく様式美の方に傾斜している。江田の以前の『ピュシスピュシス』のような歌集と対照してみた時に、どうしてこんなに様式美にこだわったのだろうかと思ったりもする。だんだん還暦も近くなって来たせいだろうか、自己の来し方を振り返り、「ねじくれた途」(渋沢)を思い返してみるようなところが強くあり、年齢を意識する歌が多くある。ずっと無理解にさらされて来て、自分は正調の歌もこういうふうに作れるんだよと、言ってみたい作者の気持ちはわからないでもない。むしろ短歌型式には、幾通りかの様式があって、それを作者は何種類も作りわけているのだと言った方がいのかもしれない。

さ迷へる命のひかり 白昼の月に類へて歌はかなしも

 ※「類へて」に「たぐ(へて)」と振り仮名。

七曜のはじめに老いの掌のごとき光りはさしぬ寒き春なり

 ※「掌」に「て」と振り仮名。


ここでは、われわれの道行きはまだおわっていないのだと強調しておくべきだろうか。先日久しぶりに『饒舌な死体』を取り出してみて、まったく難解だとは感じなかった。むしろ懐かしいほどに親しみを覚えたのである。


藤田冴『湖水の声』 2

2018年07月28日 | 現代短歌
 それについて書こうと思って見ていた本が、あっという間に行方不明になって、二時間ほどさがしているのだが見つからない。そのかわりに、この本が出て来た。

 はい。とだけ届きたるメール夜をこめて信じたきものあへて捜さず

 少しづつ後れて歩む夫を待つ稲穂揺れゐる小道に入れば

 読んですぐにわかる歌ではないが、一首目は、潔癖で静かな自己についての倫理を語る歌であり、私はこの人のクリアな、自意識の花を水盤に生けたような歌が好きである。これは私にとってはもっともなじみの文体、と言ってもいいもので、岡井隆のエコールのなかでも純粋種の自意識短歌の姿である。

 楝の葉ひそと揺らししおとなひに顕ちきぬ磊落なりし義弟

 ※「楝」に「あふち」、「義弟」に「おとひと」と振り仮名。

 「わたしはね未ダ亡クナラザル人よ、お姉さまほら渋谷にも雪が」

 一首目の「おとなひ」は「訪なひ」、楝の葉のそよぎに、死者の魂が訪ねてきたように感ずる、というのだ。楝の木に亡き義弟のイメージが重ねられていることは、言うまでもない。二首目は、夫をなくした妹が、「未亡人」のことをこう言ったというのだ。しゃれた歌である。

 沈香のうすらなる膜ここよりはうつつしがらみ断ちて、わたくし

 細面の古瀬戸の茶入れ現れぬなべてを解く力放ちて

 ※「細面」に「ほそおもて」、「古瀬戸」に「こぜと」、「解く」に「ほど(く)」と振り仮名。

 どんなにか深く愛でられ所持されしか濃きみどり緒に吾らも触れつ

 作者は茶人でもあり、これは名物に接することのできた時の茶会の歌である。「なべてを解く力」を放つ美なるもの。言葉でそういうものを作れないか。実にフランス象徴派以来の願いを、現代短歌は依然として抱き続けているのであり、作者もその一人である。

 電線に小鳥集ひて啼き交はすおそらく自傷を知らぬその声

 驟雨去りしあしたの街に現はるる日常のなんとすがしかる綾

 銀色のブレスレット欲し過ちはわたくしですと挙手をするため

 三首目の歌は、世間に自己否定的な人や、かぎりなく自己評価の低い人というのはざらにいると思うのだけれども、その人が「過ちはわたくしですと挙手をするため」に「銀色のブレスレット」が「欲し」いという人は、そういるものではない。この辺の加減が性に合うというひとは、藤田さんの支持者となるであろう。岡井隆の栞には、完全をもとめすぎないで、というようなアドバイスが記されていた。「挙手をするため」というのは、いたって生真面目に言っているのかもしれないが、どこかに可笑(おか)しみを伴っている。巻末に近いところからもう一首引く。

 多摩川の夕くれなゐを運ぶため風はしづかに宙へと還る

 ※「宙」に「そら」と振り仮名。
  
※この歌集については一度書いていたのだったが、身の回りを整理していたら本が出て来て、また書いてしまった。

 

 

竹内文子『午後四時の蟬』

2018年07月26日 | 現代短歌
この本をめくってみて思ったのは、新幹線の歌が多いな、ということだった。竹内さんの師の岡井隆にも、新幹線の歌はたくさんある。

 朝戸出の「ひかり」に乗りてぬばたまのダークスーツの群に混りぬ

 平日はことにビジネスマンのスーツ姿が多い朝の新幹線の、独特の緊張感、少し苛立たし気で、人によっては疲労感も漂わせている空気が伝わってくる。もう一首、同様に枕詞を用いた新幹線の歌。枕詞と「ひかり」という呼び名は相性がいい。

 ひさかたの「ひかり」の窓ゆ右富士は喘ぎつつ見え大寒となる

 朝方に沸き出でし雲は昼すぎて富士をかくせり恥ぢらふ富士を

 二首目も電車のなかから見えている富士。朝のうち見えていても、大地から湿気が放散され始めると、たちまち富士はみえなくなる。この歌集には、電車に乗っている歌もたくさんある。

 九頭竜と神通を越え帰らなむ淋しき駅をいくつも過ぎて

 八尾とは枯あぢさゐの似合ふ町いかに胡弓は辿り着きしか

 竹内さんは旧仮名文語派だけれども、ベースには軽妙な会話的な調子があり、一九八〇年代のおしゃれでポップな文体が流行った頃の余韻が、全体に感じられる。岡井隆が豊橋に住んでいた頃の歌誌「ゆにぞん」の思い出を記した一文も巻末に収められている。たとえば、骨折した時の次のような歌や、ミサイル発射のニュースについての歌を見てみよう。

 肋骨は鳥籠にして折れたればわたしの鳥が逃げてゆきたり

 発射場はトンチャンリ・プクチャン かの国の地名と言へどどこかかはゆし

 この内容をリアリズムで歌に作ったって楽しくない。顔をしかめながらのユーモアだ。この腰の骨を折った歌の四ページあとに、巻末の「さうだ。ボヘミアへ行かう からす麦の風に触れたる音(ルビ、「ね」)を思ひ出せ」という歌が来る。骨が折れだしたらもう無理しない方がいいとは思うが、現代の八十代は、かつての六十代に相当するのかもしれない。

 しかし、竹内さんは戦争体験を歌に残すことができる世代の一人なのだった。波音の聞こえる海辺の疎開地にいて空襲に向かう敵機を見送っていたという歌があり、次の歌がある。

海のむかうのふるさとに降る焼夷弾海に映えしを美しと思ひし

 ※「美し」に「は(し)」と振り仮名。

 明けぬれば焼けただれたるわが家に小さき仏塔ころがりてゐし

 空襲が遠目には美しく見えた、という体験談はおおく語り残されている。これもそういう歌のひとつだが、幼い頃の思い出は鮮烈である。

 仏具屋を横目に見つつまさかあんなきんきらきんのあの世でなからうに
 
 八月の雨は大粒ピーマンを炒めるときのやうな音して

 「前向きな失恋」と「ぐにやぐにやな恋」夏の花火に名をつけてみる

 おしまいに夏の歌を何首か引いてみた。



大谷真紀子『風のあこがれ』

2018年07月26日 | 現代短歌
 読んではいても、それについて何かまとまった批評文を書こうとすると、いつまでたってもコメントできないまま時間が過ぎてしまって、結局触れないままになってしまう、ということが結構ある。それで、ちょっとした感想にすぎないのだけれども、書いてみることにする。

〇大谷真紀子『風のあこがれ』
 三冊めの歌集だというが、大谷さんは、「未来」のベテランの歌人である。

うちそとのそれぞれの世や触れるなき古き玻璃の歪みを見上ぐ

朱を入れるにためらいのありさてもさて九十歳の恋歌さやぐ

その夫の膝に抱かるる家猫を妬む一首に立ち止まりたり

 一首めは、家の古いガラス窓の内と外には別の空気が流れているというのだ。これは一昔前の嫁姑関係などに悩まされた女性なら、すぐにぴんと来る歌の世界なのだが、これだけ核家族化が進展して家族の解体状況が進行してしまった時代には、わかりにくい歌になっているのかもしれない。

二、三首めは、選歌の歌。「未来」の古参の歌人には、地域の短歌教室の指導者をしている人が大勢いる。大谷さんもその一人だ。九十歳のおばあさんの恋歌は、夫(「つま」と読む)の懐に抱かれる猫への嫉妬の歌であったという。おもしろい。 …とこう書いたのであったが、後日著者より書信があり、これはNHK学園の通信添削の業務のことをうたったものである、ということであった。訂正いたします。

怖ろしい雨が降るぞと幼き日ニュースに聞きてやがて忘れき

先日の豪雨災害のような状況を思う人もいるのかもしれないが、この歌はおそらく原爆実験のニュースのことなのである。これもなかなか伝わりにくくなっている歌だ。第五福竜丸のことは、「未来」ではしばしば歌われていた。短歌で社会的な事柄や思想を歌わなければならないというのは、大谷の師の近藤芳美の教えだった。

この国のゆくえ如何にか十方に夕陽をたたみ草靡きたり

近年は、「この国のゆくえ如何にか」と思う事柄が増えた。課題山積の社会である。「十方に夕陽をたたみ」という終末の感じは、山や谷などの起伏の多い地に住む作者らしい言い方である。「草」は民草、青人草という言葉を連想させるし、そういう含みも持っているだろう。

先生の足を撫でたりそのかみの喧嘩太郎の百姓の足

歳月が塊となり燃え始め窓辺の少女もいなくなったよ

一首めは、遠方に住む恩師を見舞った歌。二首目は、遠い青春の日を追想しつつ、歳月の嵩を思っている。

五人家族四箇所に暮らす八月尽米を研ぎつつ鼻歌うたう

その昔、私の母もよく厨仕事をしながら鼻歌を歌っていたのを今思い出した。流行歌の一節であったろうか。あるいは女学校で習った歌のどれかであったか。一連を見ると作者の夫は単身赴任が長いのだ。衣類の荷物に『「不良中年」は楽しい』を入れたという歌もある。あの本には、確かうまくいくための愛人の年齢の計算式なんていうのも載っていた。愉快な牽制球である。

幸いは心の裡に在るものをながく祈りき壱比賣さんに

※「壱比賣」に「いちひめ」と振り仮名。




川野里子歌集『硝子の島』

2018年07月22日 | 現代短歌
この歌集にうたわれている期間を俯瞰してとらえるならば、東日本の震災ののち、日本はさびしい国になってしまって、過ぎてゆく時間もなべて、蹌蹌(そうそう)としてさびしいのである。

まして作者のように認知症の深まる母を見守りながらすごす日々は、生きてこの世にあることの意味を不断に問い返しつつ、わたくしが何か圧倒的な不条理の前にほとんど無力であるほかはないことに、とにかく向き合って倒れないように立っていることが第一だ。そのことを通して、内でも外でも、積極的ではないが強いられた殿(しんがり)戦を戦うような気分に浸されながらも、たまたま言葉をもて扱う職掌にあることを幸いとして、とりあえず言葉で物語をつくり、絵を描くことはできる。それで何事かを為したと言えるのかどうかは、危ういような…。あの震災のあとの幾年の間、歌を作っている人たちは、みんなそういう気分だった筈である。いまも底の部分ではそういう気分は続いているのであって、あらゆるイベント、催しが軽躁な嘘臭いものに思えてしまう時がある。極限のところから生を見通す死者の視線を感じてしまった者に、それに見合う言葉は、そうすらすらと出て来るものではないのである。そういうことを作者も「あとがき」でのべていた。「短歌研究」での二年間の三十首詠連載が、「東日本大震災を挟んでの連載となり、一体何が書けるのかと立ち往生したこともありました。」とある。

とは言いながら、われわれは生きていかなければならず、ふさぎこんでいれば不健康になるばかりだから、原色の絵や、きらめく季節の風物を受けとめてこころを慰めようとするのは、生きる者として当然そうあるべきなのだ。そういう作品も、本集には多く収められている。

ブルーシートかけし大屋根みちのくのあをい傷口あざやかなまま

防護服うすがみに命つつまれて働く人あり百合の白さに

ゆふぐれに思へばオセロの白い石、原子力発電所島国かこむ

がんばらうにつぽん がんばらうにつぽん 木霊かへさぬ森しんとある

守るため大地のなべて剥がしゆくブルドーザー見ゆ土埃あげ

傷ふかき君がふるさとなくなりさうな吾のふるさと一枚の空
 
いちいち解説を要しない歌だけれども、こうして引いてみると端的に共通の記憶を要約している優れた言葉がある。その時のいらだちや、違和感、押し殺した思い、伏在する感情が情景とともに同時に表現されていることに気が付く。作者は福島にゆかりが深いだけに、かえって言葉を選んで極力抑えた表現になっている点に注意してもいいだろう。

人生といふ時間の重たさ父母はもちわれはこのごろ失ひはじむ

老い母の陽だまり遊具の象がゐて幼子のやうな老母乗せたがる
 ※「老母」に「はは」と振り仮名。

でんでら野この世とあの世のあはひには愛の重荷を降ろす国ある

ある日記憶に消え残る花を母は言ふ照明弾のやうに赤い花なり

まはつてまはつてまはつて徘徊は花吹雪のやう老人歩く

家族なりし時間よりながき時かけてひとつの家族ほろびゆくなり

こういう歌と、津波の際の避難の歌が重なる作品があった。悲歌である。凄絶な断念の歌である。

歩けぬ老母は置き去りにしてゆくべきか ゆくべきならむある段差にて
  ※「老母」に「はは」と振り仮名。

わが裡のしづかなる津波てんでんこおかあさんごめん、手を離します

 ※引用歌の原作は、「てんでんこ」に傍点。

震災の直後の報道で、避難の際に手が離れて津波につかまってしまったお爺さんが、波の間に浮かんで流されながら、少しだけ先を走る家族にむかって、にっこり笑いながら手を振った、という話を読んだ。みごとな死に方だ、と旧友と語りつつ嘆じたのをいま思い出した。生者は、生きてゆくことによって、何事かをなし続けるほかはないのであって、「手を離すこと」は、時に人間の生の必然である。それを真っ直ぐ見つめることが、詩歌の存在意義である。しかし、川野里子の歌は次のような作品に良さがあるということも確かだろう。

むささびに遭ひたしぱつと飛びつかれ驚く大きな樹木になりたし

 ※同日、文章を少し手直しした。

藤田正代 「未来」の短歌採集帖(7)

2018年07月22日 | 現代短歌
 だいたい手元の本をぱっと手に取って読むことにしている。今日は、「未来」の六月号を見ていたら、次の歌が、心にしみて来た。

 泥のやうに目覚めてをれば麻痺の手を冷たくわれに重ねてきたり  藤田正代

 たふれこむやうに眠りぬ君の手の触れし左のほほは覚めてて

藤田正代さんは、大島史洋選歌欄の歌人である。「麻痺の手を冷たくわれに重ねてきた」のは、夫だろう。「泥のように」というのだから、体はとても疲労しているのに、作者は眠れないまま横になっていたのかもしれない。

二首目は、夫が手で顔に触れてきたのをきっかけとして、ようやく私は眠りにつくことができたのだろう。夫は、横に寝ながら、何となく私の状態を察していて、「もう寝ろよ」と、ほとんど感覚のない腕を動かして、私に思いを伝えてきたのだ。そのことに感動して、倒れ込むように眠りに入ったのだという。深い心の交流の姿が写された歌である。続けて同じ一連から引く。

沈みゆく心に鵙の鋭き声の刺さりしままに春の日暮るる

なにもかもうまくいかない一日の終はりにシーツの春の陽たたむ

「鋭き」は「とき」と読む。二首とも春のもの憂き心情を詠んでいる。続く歌では、読者は「シーツの春の陽たたむ」という言葉で、やや救われる。こういう歌にずっと心が寄ってゆくというのは、私のいまこの時の気分によるのである。

古谷智子『片山廣子』

2018年07月10日 | 
  質量ともにみごとなバランスのとれた好ましい書物である。片山廣子は、大正期におけるアイルランド文学の先駆的な紹介者にして歌人であり、晩年の芥川龍之介の最後の恋人でもあった。そうして軽井沢のつながりから、堀辰雄の小説『菜穂子』の母のモデルともなっている。

本書の著者は歌人だから、歌誌「心の花」の会員で短歌も詠んだ芥川と片山廣子の心の交流の姿を、短歌作品に即してその微細な心理の襞に分け入り、丁寧に読解してみせた。芥川の手紙は不幸にして焼かれてしまったが、廣子の芥川宛の手紙が発見公開されたことによって、二つの知性の芳しい交流の姿が自然と浮かび上がる。

本書の表紙にもなっている二十歳の肖像写真の片山廣子は、旺盛な知的好奇心が目の輝きにあらわれた美女である。しかし、生涯を控えめに生きた彼女には、おどろくほどスナップ写真が残されていないという。随筆集『燈火節』の中から紹介されている「地山謙」という文章は、そういう人柄と生き方を象徴するものだ。この文章を選び出したところに、本書の著者古谷智子の見識があらわれている。

息子にすすめられて、廣子は易をたてる稽古をするようになった。自分の一生を占ってみると、「地山謙」と出た。それは、苦労が絶えないという「地水師」ではなかった。

「頭を高く上げることなく、謙虚の心を以て一生うづもれて働らき、無事に平和に死ねるのであると解釈した。何よりも「終り有り吉」といふ言葉は明るい希望を持たせてくれる。何か困るとき迷ふ時、私は常に護符のやうに、謙は亨る謙は亨るとつぶやく、さうすると非常な勇気が出て来てトンネルの路を掘ってゆく工夫のやうに暗い中でもコツコツ、コツコツ働いてゆける。」 片山廣子「地山謙」  ※「亨る」は「とおる」。

 この随筆集は、昭和三十年、著者が没する二年前に第三回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
巻末の古谷智子選一二五首のなかからいくつか選んで読んでみたい。

 いにしへの病者を洗ひたまひけむ大き湯殿をふと思ひたる   片山廣子

これは光明皇后が、らい病の患者の体を湯殿で「洗ひたまひけむ」、仏の慈悲のこころをもって湯で洗いすすぎなさったという古代の伝説をうたったものである。町湯の片隅でこんなことを思っている。

 さびしさの大なる現はれの浅間山さやかなりけふの青空のなかに

 影もなく白き路かな信濃なる追分のみちのわかれめに来つ

 廣子の歌には、胸を張って気持ちを外側に押し広げてゆくような、素朴な詠嘆がまず先立つものとしてあることが感じられる。掲出歌について表記を変えて分析してみる。一字明けは小休止。

 さびしさの 大なる現はれの浅間山 さやかなり。
 けふの青空のなかに

 影もなく白き路かな。信濃なる 追分のみちのわかれめに来つ

こんなふうに句の隙間でたっぷり時間をかけて嘆声をこめる。うた、なのだ。 

 日の照りの一めんにおもし路のうへの馬糞にうごく青き蝶のむれ

 「日の照りの一めんにおもし」という把握は、高原の夏の日差しを十全にとらえている。

 亡き友のやどりし部屋に一夜寝て目さむれば聞こゆ小鳥のこゑごゑ

 人は死に吾はながらへ幾世経て今も親しくいともしたしき

 これは芥川龍之介との交情を踏まえて読むべき歌。本書の第一部五章に丁寧な解説がなされている。

 本書は、今から一四〇年前に生れた一女性の生涯を描くことを通して、大正末期の文化史を最深の部分から照射している。また初期の廣子の歌を通して、「心の花」における浪漫主義の一典型を知ることができる。そうして、うたによって心の静安を得た孤影深き一人の歌人の生き方に、詩歌や文学が人生において持つ豊かな意味を感じさせてやまないのである。
 

 

 





新学習指導要領の高校の国語科科目の再編について 追記。10月6日。

2018年07月02日 | 大学入試改革
横浜駅の西口にはいくつも彫刻があって、とりわけシェラトン・ホテルの前にある大きな像と、こんど新たに設置された金色に塗られた女性像の左手にある、手を垂らしたブロンズの少女像が、いつ見ても心をなごませる。それにしても、あの新たに設置された金色の像は、従来の像を動かしてまであそこに設置する必要があったのだろうか。私は以前の配置の方が好きである。

行政というのは、時におどろくほど愚劣なことをやらかすことがある。下北沢駅の再開発がいい例で、要するに大切な文化遺産を破壊して平気なのだ。文化というのは、無形の社会的資産である。歴史(思い出)がそこには蓄積しているのに、勝手に大きな変更を加えて、それを恥じない。横浜の話題からそれるけれども、二十代、三十代を下北沢で飲んだくれていた人間としては、くやしい限りである。彼らは、見せかけの「仕事」をしないことも仕事である、ということがわからない。「である」価値がわからないということか。

 ついでに述べておくと、今度の文科省の高等学校の国語科の再編案では、大幅に文学と古典の旗色がわるい。従来は二年生の「現代文」2単位のカリキュラムでも、評論的文章と文学的文章の両方を盛り込むことが出来た。しかし、今度の「論理国語」と「文学国語」を標準4単位選択させるかたちだと、それができない。減単をみとめるとしても1単位はなさそうだから、どちらか一方をとるとしたら、進学校は「論理国語」を優先するだろう。「文学国語」は選択だから、へたをするととらない者もでてくることになる。こうしてまた日本の文化的な教養の足腰が弱る。

 こうして実用の国語と論理的文章を読むことを優先した選択科目を選択する学校が増えるであろう。この問題では、全国の高校現場が頭を抱えている。従来の方がまだ現場の裁量が効いたのに、今度の科目分けでは、それができない。

 小学校では、文学の教材が昭和の時代とくらべて半減している。国語の時間数も少なくなっている。自国の文化を大切にしない国や政府というのは、いったい何なのだろうか。

 ※ 追記 10月6日。

 そののちの続報によれば、「論理国語」は「エビデンス」を重視した文章を収録したものであるべきで、夏目漱石の「私の個人主義」や、山崎正和の「水の東西」などは、それに該当しないという説明が担当官によってなされたようである。

 そうすると、従来の教科書の「評論」は、すべて「論理国語」から排除されるわけで、担当官がいったいどういう教科書を考えているのか、まったくわからない。


 いっそ「商業国語」とか、「経済団体忖度国語」とでも名前をつけてみたらどうかと思うが、必ずしもそういうものではないのだと思いたい。それとも「PISA対策国語」の発想として出てきたものなのか。

 文科省の担当官はきっと宇宙人なのだろう。
現場では、六月にやって来る教育実習生のためには、一年生の教科書で「羅生門」がなくなると、とても困る。ただでさえ陸上競技大会や、学校によっては体育祭や運動会で忙しい時期なのだ。

 そういうことについての感覚がゼロの、まったく現場を知らないひとの机上の空論で教科内容まで一度に勝手に変えられるのは、本当に困る。と言うよりも、そこに民主主義的な手続きがまったくなく、上意下達ですべてが進行してゆくのが、本当に困る。

(※アリバイとしてパブリック・コメントをとっていた、と言うかもしれないが、でも、その時にこれだけの内容だという事をあらかじめ示していただろうか?)




志垣澄幸『黄金の蕨』

2018年07月01日 | 現代短歌 文学 文化
華やかな元禄の代は十六年平成はすでに二十七年過ぎき

 この歌からもうすでに三年、その平成も終わろうとしている。この歌は「十六」と「二十七」という数の離れ加減がだいたい十年である、というところに面白さがある。結句が三十年では倍に近くなってしまって、もう開きがありすぎる。昭和の次の平成にして、すでにこうなのだから、本当に昭和は遠くなったのだ。私の父は昭和二年生まれですでに故人であるが、その頃に小学生だった著者の思い出も、いまや昔語りのひとつになろうとしている。「あとがき」より。

「私たちの世代にとって、学童期に見た戦争は消えることがない。いつまで経っても、今そこにある現実と重なってよみがえってくるからである。くり返し詠んできたこれらの歌をどうするか迷ったのだが、考えてみると、もうすぐ戦争を体験した人の歌集出版もこの世から消えてなくなるだろう。ならば些細な出来事であっても、一少年の記憶としてあえて残しておこうと思ったのである。」

国のために死ぬこと子らに教へしと教師たりし日を悔いる媼は

特攻隊出撃を見送る少女らもやらせだつたと元特攻兵は

志願したのではなく志願させられて若きらあまた空に消えたり

戦の長びけば上陸せしといふ日向灘春の陽を吸ひやまず

これは事柄をのべた歌だけれども、私にとっては常識に属する戦争についての知識や感じ方も、後続の世代にとっては、そうではないのかもしれない。だから、こういう歌は残しておいていいのだ。私の父は予科練から三重の航空隊に入隊した昭和ひとけた世代の一人である。

春の川ところどころがとぎれゐてわれにも最後のあること思ふ

水底まで陽の透けてゐる細きながれ芹の葉むらのなかに消えたり

水の芯左岸に寄りてゐる川を見おろし見おろし橋わたり終ふ

水の面を吹きつける風のつれあひが幾度もいくども葦むらをうつ

 枯葦のさやげる川の辺にくればけふの余光を浮かべる水面

特に私は川の歌に心をひかれた。これらの歌からは、いつも空の光を感じているような作者の散策姿が彷彿とする。人生の終盤に近づいていることの自覚から、とりわけ川の流れは、一首めの歌のように人生そのものの喩となる。清々しい芹の葉むらのなかに流れ込んでゆく川水は、かつて半田良平の「彼岸より此岸にうつり来たる瀬の目にさやさやし冬の川みづ」という歌にうたわれたように、彼此の間をつなぐものなのかもしれない。

映画のやうにうまくはゆかぬ現世に出づれば雨に濡れてゐる街

 ※「現世」に「うつつよ」と振り仮名。

人の世をかなしみをれば階下にて妻が嬰児をあやす声する

 ※「嬰児」に「みどりご」と振り仮名。

舞ひあがる砂塵のごとき鳥の群れいつか来む日の空想ひゐる

こうして作者は、おしまいに引いた歌のように、現実の風景を介して生と死の重なった時間を相望するに至るのである。時間に統べられた人生の書物を丁寧に静かにめくってゆく者に許された充足の詩境が、ここにはある。