さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

玉城徹の「夢の歌」について 

2023年08月05日 | 新・現代短歌
※ 今年の五月の「左岸の会」で作ったレジュメに手を入れて、以下に示す。

 玉城徹が第二歌集の後記で連作を否定した理由を書いた文章の中で、自分の作品は単なる「生の記録」でも「ある観念の文学的表現」でもないとことわったうえで、方法としては両者とも形象的であり、どちらも対象の感覚的な姿を媒介とするものである、とのべて、この「対象模倣的方法」こそは、短歌の根源的な抒情力を大きく損なうものであるとして、それが連作の方法と大きく結びつくものであるが故に、自分は連作を否定する、と主張したことを百も承知の上で、そうは言うけれども、玉城作品から否応なしに「生の記録」的な要素を読み取り、「ある観念の文学的表現」の要素を読み取って来たのが、読者としての私である。さらにまた、ある表題のもとにまとめられた一連については、どうしても「連作」的な読み方をとってしまっている読者としての私が存在する。生活事実に即した表現は、玉城流に言うと、「生活性」ではなくて「生活史性」であると、続く後記の文章では述べられているのだが、「生活自体がその日常性を洗い落され、非日常的な意味づけを得て」作品化されることを自分は目指すのだ、と高らかに宣言したのが『樛木』の後記における玉城徹であった。同じ文章には、次のような言葉も見える。「超個人的」で「いくらかは神話的で、いくらかは形而上的なもの」を自分は追求する、とか、それは『馬の首』の後記にも記した「美への祈願」と言いかえてもよいものである、とか。しかし、こうした精神の内圧の高さを持続することは、なかなか困難なことである。

 では今回の課題に移りたい。現在のような情報化の大洪水の中で、玉城徹の歌集の中から「夢」を端緒として生み出された作品を抄出し、それを読んでみようというこの企画そのものが、そもそも反時代的である。それは、ここに集う人たちの自恃を示すものでもあるのだけれども、では「玉城徹の夢の歌」には、そのような反時代的な精神が現れているだろうか、というのが、今回私が最初に設定した問いである。
端的に言って、夢ほど想像力が恣意的であると同時に無意志的に行使されるものはないわけだから、夢においては、最初から「日常性」もなければ「非日常的な意味づけ」もないような領域が拡がっているのであって、夢を端緒とした作品は、もともと超時代的なものなのである。そのような繊細かつ純潔な結晶物としての作品の持つ形而上的なものへの志向性を、言語についての美感として、つまり詩美として感受することができれば、読者としては充分なのではないかと、最初から上手に逃げたような具合に話が始まってしまって片腹痛い。

 思い返せば、「生活史性」という言葉は、先に私が報告した『芭蕉の狂』においても追及されていた文学思想である。「生活性」と「生活史性」の差異をテコとして玉城が弁別しようとしていたもの、それは「対象の感覚的な姿を媒介とする」ものではない、つまり、単に「形象的」ではない詩的な伝達の可能性を、実践的に創作のなかで模索し、追求することと機を一にしたものであった。この点において、玉城は従来のリアリズムの方法論と、ロマン主義的な想像力論の双方を同時に乗り越えようと企図していたと言うことが出来る。  
そのような超克の理想的な例として、『芭蕉の狂』では「水とりや氷の僧の沓の音」の句をあげ、「氷の僧」という言い方は、近代文学的な「イメージ」の詩句ではないのだ、もっと直接的な詩の発火する現場に即いた語彙の選択なのだ、と強調していたことをここで想起しておきたい。

・花の枝を百日紅がふかぶかとさし伸ばすなれば怖れて覚めぬ  『樛木』「夢」

 この一首あとに「幻覚」として

・夕ぐれの曇りし空の中ほどに蛇腹のごときものふと見えつ

が来る。この二首を続けてよむ時、両者は深いところでつながっていると感じる。それは「連作」的な連関ではないけれども、夢と覚醒時に見えているものとが、うごめきながら響き合う世界である。その「神話的な」夢の光景から感じた「怖れ」。それはこれに続く作品の「曇りし空の中ほどに」(この世のものならぬ怪異の現象として)「蛇腹のごときもの」が見えてしまったことから湧き起こる不安と地続きであるように読み手には思われる。

 百日紅の「ふかぶかと手をさし伸ばす」(腕のような)枝という言い方は、微妙に玉城の嫌った〈擬人法〉的に作用しながらも、単なる「比喩」としての擬人法ではない。ぐいと鼻先に花の枝が突きつけられるような〈現前〉性を持っている。この「花の枝」の〈現前〉と、幻覚的な「蛇腹のごときもの」の〈現前〉とは、等しく「日常性」を超脱しながら、その生々しさにおいて、「氷の僧」と等しい詩的言語の直接的な〈物質性〉を持っている。だから、玉城の論法に則って言うならば、安易にこれを「イメージ」と呼称してはならないのである。

・夜な夜なをわが見る夢ぞいくいろのぱたーんにより顕はれにける  一首あけて
・広き青はためきうごく空間に隈ある貌があらはれて消ゆ

 「広き青はためきうごく」光景が夢かどうかはわからない。連作でない、と思って読めば無関係かもしれない。しかし、「広き青」は風に雲の動く蒼天だろう。「はためく」という語は曇天に黒旗のはためく様子を見た中原中也の詩句への連想をさそうが、青空の光をネガとポジを逆転させたように切り取った不思議な修辞である。映画の一場面のような感じがして、まるでゴヤの版画のような怪異の顔貌を浮かび上がらせている。何とも夢幻的である。
「窓をしめた夢」という小題のもとにくくられた六首のうちから。

・窓しめて出かけんとする夢の醒め心ゆらぎぞ残れるあはれ   
・部屋の壁のある部分より膨れくる幻覚を耐へに耐へて我在り
・くらやみを波立ち来りたゆるなきその縁(へり)にしもわれは傷つく
・冷え冷えと過ぎもゆきしは大いなる夜の一ひらの果肉なりしか

 この四首は続いている。「窓しめて出かけんとする夢」の一首と、それに続く幻覚に耐える歌とは別の時の歌だろう。しかし、読む上での心の準備のようなものを「夢」という言葉はもたらしている。「くらやみを波立ち来りたゆるなきその縁(へり)」とは、何か。「大いなる夜の一ひらの果肉」とは、何か。夢をもたらすものとしての眠りの中で傷つき続ける魂ということをここで思ってみる。これは、時代精神の大波のようなもの、共時的に存在する世界の時間の推移の総体につながる人間の無意識の総量を暗示するものなのかもしれない。だから、「一ひらの果肉」とは、無の世界に現存在する肉体と精神を暗示しながら、同時にその暗黒の塊から引き出された己の夢の一片のことそれ自体を指しているのかもしれない。このように読んで来ると、これらの作品を広義の〈夢の歌〉として読むことも可能である。とするなら、玉城徹の「夢の歌」は、判別不能なものを多く含みつつ、さらに数を増してゆき、どれが夢の歌でどれが夢の歌でないかは、最終的には読み手の一回ごとの読みに任されるということにもなるのだろうし、それはそれでいいのであろう。

・わが裡にひそみてありし憎しみの生まなましきに動悸し目覚む  『われら地上に』
・いらちつつ若きに何か命じゐし夢さめて胸を闇よりおこす
・指の腹てのひらに草しげく生ふそをいぶかしみ毟りては捨つ
・夢にしてあさましきかなはなやかに吾がふるまふを人の罵る

 これはだいぶ『樛木』の世界より日常の時間に接したところから詠まれた歌である。平易であり、自己の内心に潜んでいる攻撃性や権力意志のようなものを自省する倫理的な歌となっている。わかりやすい分、神秘的な感じは消えている。

・みどりごの笑むにあやしく惹かれつつ寄りゆくとしてあはれ夢覚む  『徒行』

 だんだん老いの自覚が出てきた頃から、作者の夢の歌は生あるものへの慈しみと悲しみの表出を含んだものとなっていく。その一方で戦争体験のようなものを底に沈めたもの苦しい夢は、『樛木』の夜の歌以来変わらずに作り続けられていく。

・戦ふべく浜へと下(くだ)るをとこをみな夢に苦しくわが免れず

 沖縄戦やサイパン島での事件についての知識は、実体験でなくても作者の夢に影響を与えているのである。

・ある一人わが歌を責めまたひとりその歌釈けば夢うすらぎぬ
・ジャンジャクと名のれる河童夢に来て和歌(うた)の秘法を夜すがら伝ふ

 歌人のみる悪夢。それぐらい歌に憑かれているとも言えるし、気の毒なことだとも言えるが、「ジャンジャク」なんどという名の河童を呼び出して来るあたり、神仙画的な気配も醸し出す綺想の使い方はさすがである。夢の歌のことではないが、だんだん水墨画中の人物となってゆくような気配の漂う作品が歌集の後半に行くにつれてあらわれて来る。

 追記。(玉城の文学的なライバル・目標の一人に子規や茂吉のほかに芥川龍之介もいたかもしれない。玉城徹という人のよろしさは、そういった文学史上の巨人たちと対等に渡り合う気概を常に保持していたということである。玉城のなかの旧制高校生気質というものがあるとしたら、たぶんこの一点であろう。それはエリート意識と外見は似通っているが、まるで別のものなのだ。)

・さつさつと風立つごとき墨跡(ぼくせき)を思ひて覚めぬ汗出づる身は  『蒼耳』
・夢の父笑みてすがしくたびたびも立ち帰らむはいかがぞと問ふ
・夢にわが啼きて涙のただよへる器のぞけば魚およぐかな  

 日々美術というものに思いを致して、画集や筆墨などの書画に親しんでいるなかで、美術的なものが手の内に入っている。それぐらい内面化されて、美術品の持つ肌やマチエールが近しくそこにあるものとして感じられている。だから、ここに出てくる「墨跡」も「器」も架空のものではない。十分に自分の身体性を投影できる確かに実在するものとしての「物質性」を持って「夢」にあらわれているのだ。言ってみれば、玉城の美術品、特に絵画を題材とした歌は、どれもみな「夢」の歌のようなものである。

・石の犬噴泉苑の隅にをり昨夜(よべ)夢に来しこれやこの犬  『香貫』
・ロココ風挿画いく葉(ひら)見てやをら差しおきにけり夢に恋ほしく 
・ちかぢかと匂ふをとめを見ざる日の幾とせ過ぐれ夢に連れだつ
・幾夜さの夢の断片(ちぎれ)にかざられてわれ在り古き櫃(ひつ)のごとくに

とは言いながら、一種の痛烈なアイロニーの感覚のようなものは、最後まで玉城の夢の歌のなかで働き続けているのである。生のどのような局面においても、反語的な知性の動きを詩のバネとして保ち続けることが詩人の魂の証であろう。

・見し夢を反芻(にれが)むごとく朝おもひ昼おもひ遂に夕べに忘る    『枇杷の花』 

 「論語」の一句をふまえたユーモアである。この歌のうしろ八首めに、

・すでに〈詩〉の亡びたる世にうたはむとする滑稽を演じつつあり  

というような歌が置かれている。作者は八〇歳の頃。書画に慈しみ、書物を愛する文化そのものが衰亡の時を迎えているこの時代に、われわれの〈詩〉を包含する「うた」はどこに行こうとしているのか。〈詩〉は日常のなかにあって、日常を超脱するところにきざす。玉城徹の言葉は幾重にも反時代的であることを忘れないでおきたいものである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿