さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

飯島耕一『別れた友』

2021年06月19日 | 現代詩
 古書の話をする。この本は、刊行されたのが一九七八年である。ちょうど私が大学に入学した年で、私はまだ十九歳になるかならないかの歳だった。その頃、筆者は自分の少年時代に戦地に見送った自分より年長の世代の詩人たちのことを、本に書いていたのだった。

 「リアン」、フランス語で「無」というタイトルの詩誌があった。筆者の早世した父は、そういう若者たちの詩の運動にかかわっていた。その雑誌は、内容が治安維持法にふれているということで、昭和十六年十二月に関係者が芋づる式に検挙された。そこに詩を書いていた詩人Kの遺稿集を出すために、筆者は関係者を訪ねて旅を重ねる。その見聞記を柱にしながら、塗り重ねるようにして戦中と戦争前後の記憶が語られていく本書の文章は、記憶の傷から滲み出て来るような無念と喪失感、痛切な悼みの念に満ちたものであるが、抑制され、感傷を排した、己に決して溺れない文章である。
 
 そこでは筆者の故郷の岡山の空襲や、焼け跡の風景や、広島の原爆のことが自ずから話題にされてゆく。舞台は神戸三ノ宮。岡山。広島。そうして瀬戸内海の島々。記憶はあちらに飛び、こちらに飛びしつつ、戦時の雰囲気を濃厚に立ちのぼらせて、死者たちのある日の残像が、ありありとそこに浮き上がって来る。

「 判事はHの詩集『乳母車奇譚』のページを指で辿った。そこには次のような個所があった。

  OH! あんたはファッシストですナ
  御足を踏んでもごめんなさいョ
  ‥‥‥‥
  人民はハマグリを求めて急湍の如く歴史の海浜へ駆け出して行った。一
  人はハンドルを持ち一人はホロを持ち誰かは車輪を持ち誰かは板を又誰
  かは藤のツルを抱いて、そしてお互ひに先を急いだ。Satyriasisの如く
  そこには若干のヤブニラミの挨拶がこぼれた。

「これは一体何かね。これはニヒリズムではないかね。ニヒリズムはよくない。こんな饒舌は許されない」。 」 同書二九ページ

「 昭和十二年、Kの肉体を蝕んでいた結核は悪化し、Kの弟はそれに付添って朝鮮の釜山までの汽車の旅をした。(略)それより前、北シナの盧溝橋で日中の戦争ははじまっていた。
 Kはそのとき「黒い歌」の一篇をすでに書いていた。

「孔雀のやうに羽をひろげて
 橋の下を
 棄てられた花束のように
 溺死体がいくつとなく流されてゆく」

と、その詩ははじまっていた。Kの詩は日中の戦争がはじまると、何者の力に押されたのか、黒く、きびしく、不吉な色に染め変えられていた。たしかにKを背後から突然押した何者かの力があった。

「空には架空の花が咲き
 天使の夢やボール紙の悲しみが
 知識人の太陽やアナルシイが
 大戦時代の
 マルク紙幣のやうに膨張する‥‥」

とその詩はつづいていた。 」 同書一〇六ページ

 こんな詩を書くだけで権力にとがめられた時代があった。青年たちは戦地に送られ、あるいは餓死し、あるいは病死し、あるいは潜水艦攻撃のために輸送船のなかで溺死した。戦闘による死者よりも、戦病死や餓死の方が多いのだから、先の戦争の教訓は、無能で無責任な指導部が思い上がると、その被害は甚大なものになる、ということである。

 前後して両角良彦の『反ナポレオン考』(朝日選書1991年)という本を見ていたら、スペインにおいてゴヤが戦争の惨禍のシリーズで描いたような泥沼の闘いを強いられたフランス軍も、食料・物資の現地調達(略奪)という過ちを犯したために、民衆の怨みをかって血で血を洗う抗戦を招いたということだった。戦前の陸海軍の学校で、このナポレオンの教訓はどう教えられていたのか。やはり『孫子』の兵法の影響が大きすぎたのかもしれない。補給物資や食料の現地調達というのは、古代的な戦争思想である。アメリカの物資に負けた、とは戦争直後の日本人が等しく口にした言葉である。飯島耕一も、同様なことを本書の中に書いている。GIの体にぴちっと合った制服の大きな尻を見て、この尻に負けたのだな、というようなことを思うくだりがある。

 戦地に行って死んだ人々の大半は、軍属を別にすれば、大半が若い人たちであった。兵隊にとられるのは、職業軍人でなければ二十代、三十代の若い人たちが主だった。そのことの意味が、現在は次第に忘れさられようとしている。安岡章太郎の『悪い仲間』のシリーズや、古山高麗男のビルマ戦線ものなどには、少数の生き残った者が書くしかないのだという思いが感じられる。

 

 
 

藤原龍一郎『赤尾兜子の百句』

2021年06月05日 | 俳句
 ブログの更新をしないうちに、ひと月ほどたってしまった。書きたいことは多いのだが、まとまった時間がとれず、そのままになってしまうことが多かった。コロナのせいではなく、私の怠惰が最大の原因のひとつである。

 本書の副題は「異貌の多面体」である。私が赤尾兜子の名前を最初に知ったのは、永田耕衣の『名句入門』か、それに類する文章によってであったかと思う。ある年齢に達した著者が手掛ける書物として、もっとも望ましいかたちのもののひとつが、こういう本であろうと思う。本を見た瞬間に「ああ、いいなあ」と思わず声に出た。若い頃に影響を受けたものや、師筋の作品について掘り起こしてみるということは、老年に入った創作者がもう一度自分の生の深部を活性化させて、生き直すことにつながる、とても大切なことなのである。

 「 機関車の底まで月明か 馬盥   『歳華集』
                          
 兜子の詩論に第三イメージ論がある。 兜子自身が、その第三イメージの代表句として挙げる一句。俳句の技法の二物衝撃は二つの具体物を組合せることにより、新たな事物の関係性を発生させる。一方、第三イメージは具体物ではなく、イメージ二つを配合し、三つ目のイメージを顕在化させるもの。月光の中の機関車と馬盥、それぞれのイメージの複合から何が生れるか。イリュージョンのリアリティを獲得できれば、第三イメージ論は成功ということになる。」 27ページ

 昭和四九年、赤尾兜子の主催する「渦」に入会し「数々のものに離れて額の花」「神々いつより生肉嫌う桃の花」といった赤尾兜子の形而上的な句に強く惹かれる。」と巻末の著者略歴に記してある。

 「 数々のものに離れて額の花    『歳華集』

 『歳華集』中の傑作の一句。強烈な孤絶感覚が漲っている。(略)「数々のもの」とは日常の中のあれやこれやであり、ひいては森羅万象すべてから意志的に離れる主体。それを支える額アジサイの花の密集。虚無の極致の一句である。」 36ページ

 わたくしの惰眠を覚まさせるのにふさわしい一書であった。