さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

身めぐりの本 つづき

2023年10月29日 | 
 先週は、金曜の夜に藤沢のオーパの地下食品売り場に入ったら、最近この店では有線で八十年代のヒット曲がかかっており、ここは店内の音響設備がなかなか良くて、この日は竹内まりやの「シングル・アゲイン」の四連打音にしびれた。なんかヤバイっていうやつ。帰って家のスピーカーにアイフォンをつなげて聞いてみたが、同じ感動は得られなかった。

 それで土、日は、図書館で借りた本が見当たらないので、身辺を探しているうちに積んであったものがまとめてくずれてしまったので、片付けと掃除をかねて整理しているうちに、空いた時間がどんどんなくなっていってしまったので、結局、外出する予定を一つ取り消した。どうにか探し物は見つかったので、それを今日の午後図書館に返しに行ったついでに、森類の『森家の人びと』(1998年三一書房刊)を見つけた。手に取ってめくってみると、熊谷守一の名前が目に飛び込んできたので、迷わず借りて帰った。『蒼蠅』という美術出版の求龍堂で出した熊谷についての本は見たことがあるが、森類の地の文があると、これはまた違った味わいがある。夕方にかけてそこだけ先に読んだが、二章しかないのがまことに残念。老翁の語りを眼前に見るかのような、文豪の息の名に恥じない行き届いた文章である。エピソードなどはだいたい『蒼蠅』で知っているようなことが書いてあるのだが、熊谷の瞳の表情についての描写が生き生きとしている。

「…廊下に膝を衝いてお辞宜をすると、写真の平面的な熊谷さんが、俄にむくむくつと立体的に浮き上つて、こつちを注視された。白髪の髪、口髭、顎髭に覆はれた老人の顔の中から、純真な、人懐かしさうな、二つの優しい目がほゝゑみかけてゐた。それは大人の目としては初めて見る美しさであつた。」96ページ

 ついでに思いだしたので書いておくと、『蒼蠅』のなかで、熊谷が樺太に行ったときにお前はアイヌだと言って、言葉は通じないが完全に仲間あつかいされて歓迎されたという話が印象的で、さもありなん、という気がする。
     ※     ※
 このところ寝床の横に置いてあって少しずつ読んでいるのが庄野潤三の『文学交友録』(新潮文庫 平成十一年刊)で、斜め読みするには惜しい本だから、急いで読まずにちびちびとめくっているのである。前半は学生時代の先生の思い出や、戦時中の島尾敏雄らとの文学的交友と、師事した詩人の伊東静雄の姿を三十年ほど経て回想した書き物となっており、出征前後の身辺のあわただしい光景の描写には、なかなか胸に迫るものがある。安岡章太郎の学生時代ものの作品とも共通する、青春の時間を戦争によって強制終了させられた世代の花火のような短い人生の大切な時間についての思い出が点描されている。昭和十八、九年というのは、あの島尾敏雄が志願して海軍に入るような時代だったのだということが、改めて思われた。島尾とはお互いに持っている佐藤春夫の本を見せて自慢し合った仲だという。筆者は幸いに出征前に書いた処女作に近い書きものを佐藤春夫に見てもらえた。後年、先生が亡くなったあとで奥さんからいただいたという半切に書かれてあった句をここに引く。

  紅梅や花の姉とも申さばや   佐藤春夫
  
  ※     ※
 整理している本の山の中から岩波文庫の西脇順三郎の詩集が出てきた。これも、二行だけ引いてみよう。

  あけびの実は汝の霊魂の如く
  夏中ぶらさがつてゐる    「旅人」

 久しぶりに拡げてみて、このぶっきらぼうな口調がこちらにぼいと届けられた気がしたので書いておく。

  ※     ※
 整理中に目に付いた本の名を書く。
・ビートたけし『やっぱ志ん生だな!』(フィルムアート社 2018年)
・茂山千之丞『狂言役者―ひねくれ半代記』(岩波新書 1987年12月刊)

 ちなみに、文科省の一単位あたり36週の規定を厳守しろという指示を杓子定規に受け取って、教育委員会が現場に過剰な授業時間確保を強制し、結果として夏休みが短くなり、行事整理という名目で、能や狂言や落語を中高生のうちに見せる芸術鑑賞会が、多くの県立高校で廃止の流れに向かってしまったのは、まことに残念なことだった。あとは合唱祭も淘汰されたところが多かった。何年もたってから文科省はこの規定の運用を弾力的に、と言ったというのを新聞で見たが後の祭りで、一度廃止になった行事はなかなか復活できるものではない。そのうちAIが大方のところをやってくれるようになるだろう英会話に時間を割くより、日本の伝統芸能についての勉強に時間を割いた方が、よほど未来の日本のためになると、私は思うのだけれど。

 アンテナ情報をふたつ。「情報」の科目の共通テスト導入の余波は、今年の一年生の上位校を目ざす生徒たちの部活動加入率の減少という結果となって表れている。また、「現代の国語」2単位、「言語文化」2単位という科目二分割は、「古典」の実力低下というかたちですでに現場では危機感をもって語られている。

 

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