さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

パレスチナの少年 齋藤芳生『花の渦』

2024年01月16日 | 新・現代短歌
  「香を焚く、パレスチナの丘遠ければ身にあふれ来る恋しさを焚く」

 これは2014年から2016年の間につくられた斎藤芳生の短歌作品の一連に見つけた言葉である。作者は学習塾の講師をしており、その教室にたまたまパレスチナのガザ出身の少年がいたことを契機として生まれた作品であるということが、一連を読んでいるとわかる。だから、これは、いま現在むごたらしいかたちで進行中のガザでのできごとを契機として作られた作品ではない。しかし、前後の作品をこのあとに引いてみるが、まるで現在進行中のガザでの悲劇を念頭にして詠まれたもののように読める。
 掲出のうたには、括弧が付されている。だから、これは少年の言った言葉なのだ。遠い故郷を想って香を焚く、ということばには祈りがこめられていて、切ない。

  香を焚く、
  パレスチナの丘 遠ければ
  身にあふれ来る 恋しさを焚く

こうやって分かち書きにして書き写してみると、一句一句の切れ目ごとに深い嘆息がこめられているように読めて来る。作者は少年の心情に深く観入していると言えるだろう。続く作品には、次のような詞書がつけられている。
   「様々な国籍の子供達がいた。」

  パレスティーン、と少年答えその眼伏せたり葡萄のように濡れいき

 「どこの国なの?」とたずねたら、「パレスティーン」と答えた。その眼は葡萄の粒のように濡れて居た。「き」は直接的な経験を伝える過去の助動詞。
 ここで一連十首の冒頭の歌を引く。

  硝煙のにおうことなき長雨に火を噴くように柘榴花咲く

 長雨は日本の梅雨時である。斎藤茂吉の「たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり」を踏まえているようだ。火を噴くように咲く柘榴(ざくろ)は、初句の硝煙という語と響きあっているが、茂吉の歌のようなけたたましい印象は生じない。それは日中戦争のように戦争と直接関係しているわけではないという事情のちがいが反映しているだろう。「パレスティーン、と少年答え」に続く作品を続けて引いてみる。

  死者の数簡潔に伝えらるる夜の器ふるふる豆腐ふるわす

  真夏日の塾の教室冷やされてパレスチナ、遠い国のおはなし

  棗椰子噛むほどにいや増す怒り口腔に甘くはりつく

  火のような柘榴の花も砂となれ 慟哭の深くふかく浸みゆく

  ガザ遠く照らしにゆかん満月に大きく裂けてゆく柘榴あり

  歌っても歌わなくても痛むのだ 眉間にすっと下りてくる蜘蛛

 正調の短歌の骨法でガザとパレスチナをうたって成功している一連だ。右の三首目の「棗椰子(なつめやし)噛むほどにいや増す怒り」というのは、よくわかるではないか。誰の誰に対する怒りか、ということは、ここではあまり詮索しない。それは少年の思いであろうし、この不条理な現実のなかで失われる命への作者自身の憤りでもあろう。そうしてこの「火のような柘榴の花」の色はむろん血の色でもあるのだ。

 歌集『花の渦』は2019年11月に刊行されたものだが、こんなふうにアクチュアルな作品を含む。つけ加えておくと、本書の間村俊一による装丁と表紙の写真は、それ自体がひとつの本の芸術作品である。

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