週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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『恩徳讃』

2010-10-26 00:02:24 | 法話のようなもの
いよいよ今週末、最乗寺報恩講法要が勤まります。
皆さんは、法要の最後に歌われる『恩徳讃』の歌詞を覚えておいででしょうか?

  如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
  師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし

如来とは阿弥陀さまのこと。
師主知識とは親鸞聖人にまで阿弥陀さまのみ教えをお伝え下さった七高僧や先輩方のことを言います。
さて、歌の最後を「べし」と結ばれていますが、これは私たちに向けて「~しなさい」「~しなくてはならない」という命令や強制をしているように受け止めがちですが、そうではありません。

阿弥陀さまは私たちに何一つ条件を出してはいません。
良いことをしたからお浄土行き、悪いことをしたから地獄行きといった区別もありません。
そのままで良いと、そのままのあなたを救ってみせると、見捨てたりしないと誓ってくださったのが阿弥陀さまなのです。

私たちは心の中にいろんな毒を持っています。
よく貪り、よく愚痴を言い、よく怒る。
生まれながらに持つこの心を三毒と言います。

望む望まないに関わらず持つこの毒で、自分が傷つかないように、誰かを傷つけて生きているのがこの私。
それは蠍(サソリ)が毒で身を守る姿に似ています。

阿弥陀さまは蠍の毒をお叱りになるでしょうか?
私たちの毒を消そうとされるでしょうか?
いいえ、阿弥陀さまは毒を持った私のそのままの姿を照らし出し、毒を持ったままの私をそのまま救おうという大悲を差し向けて下さっているのです。

恩徳讃には、自分にまで至ったその大悲と仏縁に、身を粉にしても報わずにはいられない、骨を砕いてでも感謝せずにはいられないという、返すにも返せない深いご恩を、深い感動と共に受け止められた親鸞聖人の籠められた思いが伝わってきます。

その思いを共に味わい、共に感謝し、共に念仏申させていただく、その報恩感謝の法要である「報恩講」にどうぞお越しくださいませ。
最乗寺ならびに世話人一同、心よりお待ち致しております。