ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




繁の湯。中央区入船3-6。1985(昭和60)年頃

中央区入船・湊で「近代建築」といえるのは今は中央小学校(旧鉄砲洲小学校)が唯一のものだが、かつては昭和14年築の山田守が設計した築地電報電話局があった。とはいっても、ぼくは目にはしているはずだがまったく覚えがない。このあたりにカメラを向け始めた頃にはなくなっていたのだろう。もう1件、誰もが興味を引きそうなのがこの繁の湯である。
繁の湯の前の道路は新大橋通りの1本東の裏通り。建物後方の洗い場と湯船がある部分は木造のごく一般的な風呂屋の造りだ。問題は前面で、洋風のビルのような躯体の上に和風の瓦屋根である。屋根は中国風にも見え、全体も中国風に感じてしまうのはぼくだけだろうか。帝冠様式という和洋折衷のスタイルがあるが、それに当たるのだろうか。前面はタイル貼りだが横はコンクリートの地肌のまま。それでも木造らしい。



繁の湯。1987(昭和62)年5月3日

現在は「ニッセイ入船3丁目ビル」(1990年竣工)というのが建って、そのビルの地下に「入船湯」という区営の銭湯ができた。運営は繁の湯の人が引き受けているという。(「風呂屋の煙突入船湯」を参照)



木村屋パン店。1987(昭和62)年5月3日

繁の湯の並び。看板建築の商店と商店長屋が並んでいる。左から木村屋パン店、3軒長屋に料理屋の「はし」、民家、文華堂洋品店。路地を隔てて5軒長屋で、伊藤畳店と佐倉屋鶏肉店の看板が見える。

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