中央区立久松幼稚園。中央区日本橋久松町1。1987(昭和62)年4月26日
久松町はごく小さな区域で、外から人がやってくるような施設も店もないのであまり知られている町ではない。久松警察署がある場所だといえば、分かった気になってくれるかもしれない。写真の簡素な建物は区立久松幼稚園。浜町川を埋め立てた跡に建てたものだ。区立の幼稚園はほとんどが小学校に併設しているものだが、久松幼稚園はどういう理由からか別棟である。区立久松小学校は幼稚園のすぐ向かい(写真左)にあり、幼稚園も現在はそこに併設されている。
浜町川が流れていたときには写真右の道路には高砂橋(川の対岸は現在は富沢町だが震災前は高砂町といった)が架かっていた。川の埋め立てで廃橋になったのが昭和25年3月という。下流の有馬小学校の辺りは昭和47年の埋め立てで、だいぶ時代がずれる。『 久松幼稚園』の沿革に「昭和29年9月9日、独立園舎落成」とあるから、その「独立園舎」が写真の建物だろう。
現在は「区立久松町区民館」に建て替わり、写真右の「太呉商事」のビルも建て替わっている。
春美本店。日本橋久松町2。1987(昭和62)年4月26日
浜町川を埋め立てたところは川の中心だったところが町境で、その境は狭い路地で、その両側は、久松町区民館の向かいから東日本橋三丁目の辺りまで、ほとんどバラックのような小さな家が密集して並んでいた。写真の前の道路はかつての浜町川の河岸の通りで、久松町側は「西通り」、反対側の富沢町の側は「みどり通り」という名称になっている。
写真の建物は今でもそのまま残っているが、いつ取り壊されても不思議ではない。「カワマタ」の看板の家が、今は「酒喰洲(しゅくず)」という立飲み屋になっていて、なぎら健壱が雑誌なんかに書いている。
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本文の「昭和35年頃の埋め立てになると思う」を「昭和47年の埋め立てで、だいぶ時代がずれる」と訂正しました。
写真撮影時の住宅地図で春美の家並みの、店名と思われる名前を列挙してみます。南から、六さん、鳥安、おゑん、マリー、レモン、川又、美よし、喜代乃、春美、二葉、蛇の目、鳥安、レインボー。