松よし、アルス美容室。千代田区神田鍛冶町3-7。2007(平成19)年1月4日
JR神田駅北口から神田警察通りを越えて、北へ向かう通りで、中央通りの1本西の裏通りになる。写真の3階建てのアパート風の建物は今もまだ残っている。ただし今は、「松よし」も「パーマ」(アルス美容室)の看板はなくなって空家になってしまったようだ。写真右の床屋のポールは「ムラタ理髪店」で、ファサードが異なるが松よしの建物がそこまで続いているのかもしれない。
戦後の建築と思っていたが、昭和22年の航空写真に写っていて、写真手前の横側3階の壁に石積み風に加工したトタンだか銅板が見られる。戦前に建てられたものなのだろうか?
アルス美容室は昭和30年頃の火保図に「アルスパーマ」で載っている古い店だ。ムラタ理髪店の以前の店は、下の写真のように「ハナザキ」の看板があった。昭和30年頃の火保図に「花崎テーラー」とある。
上:神田鉄砲店。1988(昭和63)年8月15日
左:歌舞伎家。2007(平成19)年1月4日
神田鍛冶町3-7
上写真の「神田鉄砲店」の建物は左写真の「石川ビル」に建替わって神田鉄砲店はその2階に移った。そのビルは2018年に再度建替えられて「天翔神田駅前ビル」になった。石川ビルの左、ムラタ理髪店の間が1間ほどの隙間があるのだが、その地所を手に入れたので床面積を少し広くできて階数も増やしたビルに建替えた、という事情かと思う。
石川ビルの右に、アルス美容室の建物と同じような感じの、3階建てのアパート型の建物がある。石川ビルが解体されていた時期のストリートビューで建物横を見ると、元は片流れ屋根の3階建てで、平らな屋根の4階を増築し、さらに中央部分だけだが4階までも増築している。
建物の1階中央にショーウインドーがあり、その右のガラス戸に「かぶきや」と書かれている。1986年の地図では「歌舞伎家」で、いったいなんなのか分からない。招き猫や三味線(SVで見られる)が置かれたショーウインドーからの連想で古物商あたりが思い浮かぶが……。『東京冒険記>神田歓楽カオスタウン「神田鍛冶町」』で知ったのだが、入り口の右に土肥晩翠の「荒城の月」の石碑の銘板が立てかけてある。どこから回ってきたものなのだろう?
かぶきやの建物は2017年頃に取り壊されて今は駐車場になっている。
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ブログ拝見させて頂きました。
僕が生まれ育った本郷二丁目界隈の写真があり、とても懐かしく思いました。
大変、失礼なお願いなのですが、
昔、壱岐坂の途中辺りで、祖母が「平安荘」という旅館を開いてました。今はマンションに建て替えました。
本郷一丁目8-14が現住所です。
興安寺というお寺が裏にあり、ココも今は現代的な葬儀屋さんになってしまいました。
もし当時の祖母の旅館「平安荘」が少しでも映り込んでいる様な写真をお持ちでないか、大変いきなりのお願いで失礼ですが、お調べ頂けないでしょうか?
お忙しいようでしたら、構わず無視して下さい。
URLやアドレスが貼れないようなので、一方的なお願いとなってしまい、申し訳ございません。
平安荘の敷地は現在のマンションと重なるとすると、わりと大きい旅館だったようですね。いつ頃の開業かお判りでしょうか? グーグル古地図の昭和22年の航空写真では焼跡が写っているようですが、昭和38年では建て増ししてきたのか何棟かの建物が写っていますね。
建て替わったマンションの完成が1998年なので、平安荘が取り壊されたのは1995年頃とも考えられますがいかがでしょう?
返信ありがとうございます!
まさしく、そのマンションの敷地が旅館でした。
戦後は神田で店を開いてから、後に本郷一丁目で旅館を開いて、平成になってたたみました。
孫なのに詳しい年数が記憶になく、すみません。
身勝手なお願いに対応して下さり、ありがとうございます。
アルス自体は、そもそも中央通りの方からの移転。
当方が神田にいたのは幼少期で細かな記憶はあいまいなのですが、アルスの右隣は民家。紳士服のハナザキと銃砲店の間には路地があって、2世帯居住。奥の方は戦後の神田駅前マーケットで一山あてたと言う話でした。
かぶきやさん(名前は意識した事が無かったですが)は、三味線やさんです。このかぶきやの隣は、金子さんという家で鉄工関係の工場。一八ずしの隣は大竹タオルと言ってタオルの小売店でした。
アルス美容室は昭和28年頃の火保図という地図に、「アルスパーマ」で「花崎テーラー」と共に載っている歴史あるお店のようですが、その営業期間をご存じでしょうか?
正確な情報ではないかもしれません。
戦前、アルスは浅草が本店の美容室でした。
常連さんとして、エノケンがいたと聞いたことがあります。戦前は数店舗の美容室を経営していたようなのですが、戦後焼け残った地所が、浅草、浜町、神田の3か所で、この神田の店舗は「材料・機材倉庫」だったらしいです。アルス美容室が完全に閉店したのは20年ほど前です。ドーナツ化現象で人が少なくなり、高齢化のダブルパンチで常連さんもいなくなったため。
なお、昭和30~40年頃は住み込みが10人程いたと聞きます。この頃がピークだったのでしょう。
あまり関係ないですが、アルス美容室を開店する以前は欄間の製作を生業としていたと聞き及んでいます。
「パーマ」の看板は閉店後も10年以上架かったままだったようです。
ですよね。佇まいからして、そのように思われて当然かと。お店は内外装すべて家人の手作りです。盛業時は店の前にもう1つ大きな看板をスチールで作って置いていました。また、店の前に脚立を置いて公衆赤電話を乗せていました。集めた10円を手計算して、近くにある拓銀(大木ビル)にもっていったものです。これもなかなか見ない光景だったと思います。自販機を置く前は花壇になっていて、野良猫が良く集まってました。
アルスは、戦中の資材(機材と鏡)供出によってが失われた事、および、地所のいくつは不法占拠されてしまい、3拠点以外での事業継続は難しいと判断したとも聞いています。余談で失礼いたしました。
三味線店かぶきやの建物は、2017年3月18日の火災で全焼しました。
https://video.mainichi.jp/detail/video/5717156195001
天翔のビル(2014年竣工)はこの火災で外壁が焼けましたが、解体せずに補修して営業を再開しました。
「丸冨水産」が入っていた角の店舗物件は、緑色の鉄筋コンクリのビル「神田駅前プラザ」の一部で、焼けませんでしたが、丸冨水産は撤退しました。グーグルの2017年10月のビューは、2017年10月18日にオープンした「筑前屋」の内外装工事でしょう。建物は解体してはいないと思います。
「とんとり」は少し前に閉店しまして、「焼き鳥軒」という店が2月13日から営業を始めています。
流一様のサイトは80年代の写真を見ることができる貴重なサイトでありまして、感謝申し上げます。いつまでも頑張っていただきたく思います。
今回、アルス美容室の親族様のコメントのおかげで、アルスの建物も、かぶきやの建物も、戦前の建築ではないかという心象を強くもちました。貴重なコメントをありがとうございました。
戦後すぐに作成された戦災地図によりますと、この辺りは焼けたか焼けなかったかの境界になっていて、その境界はちょっとはっきりしないのですが、神田鍛冶町三丁目は全域焼けなかったとみてもいいのかもしれません。一八通りの「福尾商店」より北の須田町が焼けていないことは確実です。多町二丁目はまだらに焼けた感じで、司町は二丁目も一丁目も全部焼けたと思います。
https://daisuki-kanda.com/guide/interview/?cno=16
あと、司町二丁目には焼けていない所があるので訂正します。