ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




萬代家。千代田区神田淡路町2-7。1983(昭和58)年8月(2枚とも)

同和病院(今は特別養護老人ホーム「かんだ連雀」が建っている)の北に接していた旅館の萬代家(ばんだいや)。今は「第二萬代家ビル」に建て替わって、その1階で「割烹・萬代」として営業している。そのビルの竣工は1986年5月で、日本旅館の建物は1985年7月には取り壊されて間組によるビルの建設工事が始まっていた。
萬代の創業は1877(明治10)年だとネットには出てくる。それ以外の情報は探せなかった。創業時が旅館だったのか料理屋だったのか待合のようなものだったのか、不明である。写真では主に料理屋として営業しているような感じだが、「旅館」の看板も出している。戦前は万世橋駅のすぐ前で、市電のターミナルのように言われた須田町もすぐ横手という繁華街で、この辺りには食べ物屋と共に旅館も多くあったようである。
『東京案内記』(木村毅編、黄土社書店、昭和26年、280円)の「旅館一覧」に「万代家、部屋数:和室26、収容人数:50人、一般料金:800円」と掲載されている。萬代家の裏の路地の向かい側(神田淡路町2-6)にあった2軒の旅館も載っている。「大黒屋、和1・洋5、35人、800円」「佐々喜、和1・洋7室、50人、950円」。この2軒は、1986年の住宅地図では「聚楽大黒寮」と「東京グリーンホテル」。東京グリーンホテル淡路町は『庭のホテル』によると、1938(昭和13)年に開業した旅館佐々喜が1970(昭和45)年にホテルを新築して改名したものだ。



萬代家の裏手

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コメント
 
 
 
萬代、このような姿だったのですね。 (ヴェロニカ)
2015-05-10 20:44:42
はじめまして。
ヴェロニカと申します。

萬代のありし日の姿を拝見でき、嬉しく思っております。

実は、私の、曾曾祖母が、神田連雀町 旅人宿 萬代屋の縁の者でした。萬代屋の初代は、おそらく古田小作氏だと思いますが、曾曾祖父の死亡欄にある親族としての古田氏の名前と、群馬県の文書館に残されている神田連雀町 旅人宿 萬代屋 の宿主の名前が一致しているので間違いないと思います。
とはいえ、父は「萬代屋」の名前は曾祖父母(曾祖父の母方になります)から聞いたことがあっても、親戚づきあいがあるわけでもなし、行ったこともなしで、誰もその姿を拝んだことがございませんでした。

そして、不意に思い立って調べてみたら、貴ブログに行き着き、親子共々、感動しております。すでに、30年前に取り壊されたのは残念ですが、お写真を拝見し、ありし日の姿に思いを馳せました。

ちなみに、曾曾祖父は、東京に家もあったようですが、明治時代の半ばまで、群馬の県会議員をしており、その最中に、萬代屋縁の曾曾祖母と結婚しているので、当時はそういった関係の方々が利用した旅館かもしれませんね……

それでは、このへんで。
他の記事も楽しそうなものばかりで。
これから楽しませていただきます。
 
 
 
>ヴェロニカ様 (流一)
2015-05-12 11:08:35
初めまして。ブログの管理人「流一」です。萬代家に縁のある方からコメントを頂けるとは驚きました。
ネットの情報ですが、残念ながら2013年3月末で割烹萬代は閉店してしまったようです。自家ビルを持っているようなので、その管理に専念するのでしょうか。
万世橋の前身である萬代橋(よろずよばし)が明治6年に架けられています。屋号はそれにちなんでいるのではないでしょうか。「代」を「世」と書くようになって「まんせいばし」と読むようになったと考えられます。「神田連雀町 旅人宿 萬代屋」とは明治期の言い方でしょうが趣がありますね。
ところで、本文では写真に写っている看板から「萬代家」としましたが、古い資料には「萬代屋」と出ているのでしょうか?
 
 
 
お返事ありがとうございます。 (ヴェロニカ)
2015-05-12 20:10:39
こんばんは。
お返事どうもありがとうございます。
感激です。
あれから、ブログ、楽しんで毎日少しずつ読み進めさせていただいております。
本当に、素晴らしい写真のコレクション、失われた(つつある)懐かしい東京の万華鏡ですね。東京に住んでいても、特定のところにしか行かないので、とても新鮮です。萬代はなくなってしまったけれど、まだ健在な建物、みてまわりたいです。もちろん万世橋にも行ってみます。

さて、萬代の名称ですが。
群馬県の文書館の検索↓
http://www.archives.pref.gunma.jp/mkrok/
の総合検索で「萬代」もしくは「古田小作」と入れると、いくつか出てきます。
萬代屋、萬代家のどちらも使ってたみたいですね。(私は、今調べてみるまで明治27年のものしか知らなかったので、前者を使っていました)

それでは、また。
これからも、ブログ楽しみにしております!
 
 
 
Unknown (野田 耕平)
2020-01-14 17:43:33
受験で上京した際、一週間お世話になりました。
一泊二食の上級な旅館は東京では数少なく、出身地の商工会議所の会頭・副会頭さんも定宿にされていました。
中居さんは私のことを坊ちゃんではなく、ご子息様と呼ばれていたのでよく覚えています。
たすき掛けで掃除をされていたのも印象的でした。
その私も今年で70歳となり、生まれ育った尾道に暮らしております。 懐かしい!
 
 
 
>野田耕平様 (流一)
2020-01-15 20:03:43
萬代家に泊まって大学入試を受けたてのは、もう50年以上前になるわけですね。写真を見て新たに思い出すようなこともありそうですね。受験は志望した通りにいったでしょうか?
萬代家は尾道の名士が利用し、お父上も上京した際の定宿だったように読めました。
 
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