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『唯識(上)』多川俊映、第5回第六意識をめぐって(その2):五十一心所(心のはたらき)は「日常の行動リスト」と言いうる!「第六識」の心所しだいで、仏の世界に向け成長も退行もさせる!

2023-01-18 17:16:30 | 日記
『唯識(上)心の深層をさぐる』(NHK宗教の時間)多川俊映(タガワシュンエイ)(1947生)2022年

第5回 第六意識をめぐって(その2)
(17)-3 第六識の社会性:自己中心的に「社会」と向き合うことも自制的に「社会」と向き合うこともある!
Q 私たちは「人人(ニンニン)唯識」、一人ひとりが独特の認識世界を構えていて個性的である。だがその個性も否応なく社会性を帯びる。(127頁)
Q-2 深層領域の第八阿頼耶識や第七末那識は深層領域の作用で音無しの構えだ。だが(当面の自己たる)第六意識は「社会」と正面から向き合う。(127頁)
《感想》「社会」とは自己(自我)(※超越論的自我)とともに他者(他我)(※超越論的他我)が存在し、自己(自我)と他者(他我)との間に種々の関係が生じることだ。
Q-2-2  第六意識が自己中心的に「社会」と向き合う例:(a)自己を恃み他をあなどる慢心が活発、(b)気に入らぬ風(他者or社会)も「柳に風」とあしらい、穏やかに暮らす、(c) (他者or社会について)これは気に入らぬ、あれもけしからんと心に波風を立てる、(d) (他者or社会の)真っ当な考えや意見にも「アイツだけには言われたくない」と素直になれない私たち等々。(127-128頁)
Q-2-3  第六意識が自制的に「社会」と向き合うこともある。社会(or他者)の中で生きていくので自己中心性を薄め・自分をカモフラージュして、なんとか他者と折り合いをつけてor「社会性」を身につけた上で日常生活を営む。(128頁)
Q-2-3-2 ただし第六意識の「社会性」の意識下の深層領域では、執拗に第七末那識の自己中心性がうごめいている。(128頁)
Q-2-3-3 「社会」には「国家」という組織or地域社会も含まれる。(128頁)

(17)-4 五十一心所(心のはたらき)は「日常の行動リスト」・「日常行動のチェック・リスト」と言いうる!
R  心所(心のはたらき)は唯識によれば51ある:五十一心所。そして八識の中、第六意識だけが五十一心所のすべてと相応してはたらく。(129頁)
R-2  かくて五十一心所(心のはたらき)は「日常の行動リスト」であり、更には「日常行動のチェック・リスト」として用いることができる。(129頁)
《参考1》「心王」(心の主体)(※超越論的主観性)としての「八識」、すなわち「八識心王」に相応してはたらく「心所」(心のはたらき)(※心の意味構成的諸作用)は51ある。(50頁)
《参考2》八識(※超越論的主観性の8つの諸領野)のうち「第六意識」(自覚的ないわゆる「心」、当面の自己そのもの、表面における心)はこれら「五十一心所」のどの心所とも相応してはたらく。かくて「五十一心所」リストは私たちの日常行動を一覧するものでもある。(50頁・55頁)
《参考3》「第六意識」と異なり、「前五識」・「第七末那識(マナシキ)」・「第八阿頼耶識(アラヤシキ)」と相応する心所は限られている。(50頁)

(17)-4-2 「六位五十一心所」一覧!①「遍行」(ヘンギョウ)(5心所):このうち(5)「思(シ)」の心所の具体的な内容が、②「別境」(ベッキョウ)、③「善」、④「煩悩」、⑤「随煩悩」(ズイボンノウ)、⑥「不定」(フジョウ)の46心所だ!
R-3 ★五十一心所①「遍行」(ヘンギョウ):どのような認識にもはたらく基本的な心所(5心所)!(81頁)
(1)触(ソク):「心を認識対象に接触させる」という心所。
(2)作意(サイ):「心を起動させる」という心所。
(3)受(ジュ):「認識の対象を苦とか楽、憂とか喜、あるいはそのどちらでもないと受け止める」という心所。
(4)想(ソウ):「受け止めたものを自己の枠組みにあてはめる」という心所。
(5)思(シ):「認識対象に具体的に働きかける」という心所。

R-3-2 ①「遍行」(ヘンギョウ)の5心所:第6識が先ず(2)「作意(サイ)」の心所に相応して認識する心が起動し、次に(1)「触(ソク)」の心所に相応して認識対象を認める。そしてこの認識作用のとっぱなに早くも(3)「受(ジュ)」の心所が相応してはたらく。つまり、その認識の対象が自分にとって苦か楽か、憂いをもたらすものか喜びか、あるいはそのどちらでもないものなのかと受け止める。(130頁)
《感想》唯識仏教においては、「認識」は単なる観想(認識対象との非価値的・非行動的関係)でない。「認識」とは「認識する主体・主観(心)」と「認識対象」との関係づけ(「具体的に働きかける」こと)であり、その関係は、観想的(非価値的・非行動的)関係、価値的・感情的関係、行動的関係のすべてを含む。前五識は認識対象(感覚内容)に観想的(非価値的・非行動的)、価値的・感情的、行動的な色合いをつける。

R-3-2-2 さらに(4)「想(ソウ)」の心所が相応してはたらき、受け止めたものを「自己の枠組み」にあてはめる。「自己の枠組み」とは(a)それぞれが所属する社会の文化、(a)-2 コトバ、また(b)人それぞれの志向や嗜好などだ。(130頁)
《感想》「認識」するとは「受け止めたもの」を「自己の枠組み」(Ex. 価値・感情・意志等を含む類型的知識在庫)にあてはめること、つまり「類型化」することだ。なお「第六意識」は感覚内容(認識対象)を「言語化」するが、前五識は言語化以前の認識対象(感覚内容)の類型化である。 

R-3-2-3 こうした(2)「作意(サイ)」・(1)「触(ソク)」・(3)「受(ジュ)」・(4)「想(ソウ)」という4心所は一連のもので瞬時にして働く。その上で、認識対象に具体的に関わっていく(5)「思(シ)」の心所が発動していく。(130頁)
R-3-2-4 この(5)「思(シ)」の心所の具体的な内容が、②「別境」(ベッキョウ)(5心所)、③「善」(11心所)、④「煩悩」(6心所)、⑤「随煩悩」(ズイボンノウ)(20心所)、⑥「不定」(フジョウ)(4心所)の、46心所のはたらきだ。(130-131頁)

(17)-4-3 「六位五十一心所」一覧!②「別境」(ベッキョウ)(5心所):「覚」(サトリ)の世界を志向する観点から通常、「別境」(ベッキョウ)は③「善」の枠で扱う!③「善」(ゼン):仏の世界に順ずる心所(11心所)!
R-3-3 ★五十一心所②「別境」(ベッキョウ):特別な対象(境)だけにはたらく心所(5心所)!(81頁)
(6)欲(ヨク):(認識対象を)「希求する」という心所。
(7)勝解(ショウゲ):(認識対象を)「深く了解する」という心所。
(8)念(ネン):(認識対象を)「記憶する」という心所。
(9)定(ジョウ):(認識対象に)「集中する」という心所。
(10)慧(エ):(認識対象を)「択び分け、正邪を判断する」という心所。
R-3-3-2  ②「別境」(ベッキョウ)の5心所は、いちおう別立てになっている。しかし仏教は元来、「覚」(サトリ)の世界を志向するものなので、その観点から通常、「別境」(ベッキョウ)の(6)「欲」(ヨク)・(7)「勝解」(ショウゲ)・(8)「念」(ネン)・(9)「定」(ジョウ)・(10)「慧」(エ)の5心所は、③「善」の枠で扱う。(130頁)

R-3-4 ★五十一心所③「善」(ゼン):仏の世界に順ずる心所(心のはたらき)(11心所)!(82頁)
(11)信(シン):「自己を真理に委ねる」という心所。(12)慚(ザン):「自らを顧み、また教えに照らして恥じる」という心所。
《感想》「自己を真理に委ねる」つまり真理を求める価値感情「信」が働いている時、「慚(ザン)」つまり「自らを顧み、また教え(※真理)に照らして恥じる」という心所も作動する。
(13)愧(キ):「他に対して恥じる」という心所。
(14)無貪(ムトン):「むさぼらない」という心所。       
(15) 無瞋(ムシン):「排除しない」(※憎しみのないこと)という心所。
(16) 無癡(ムチ)(無痴):「真理・道理に即する」(※妄想をもたないこと)という心所。
《参考》 (14)無貪(ムトン)(むさぼらない)・(15) 無瞋(ムシン)・ (16)無癡(無痴)(ムチ))は「三善根」という。
《参考(続)》これに対し「貪瞋癡(痴)」(トンジンチ)(むさぼり執着すること・憎しみをもち排除すること・妄想をもち真理・道理に暗いこと)を「三毒」(三根・三不善根)と言う。
(17)勤(ゴン):「精進。たゆまず努める」という心所。
(18)安(アン):「軽安(キョウアン)。身心がのびやかで、はればれとしている」という心所
(19)不放逸(フホウイツ):「欲望をつつしむ」という心所。
(20)行捨(ギョウシャ):「平等にして、かたよらない」という心所。(※楽でも苦でもない不苦不楽の感覚状態 。心の平静。かたよりのないこと 。心が平等で苦楽に傾かないこと 。)
(21)不害(フガイ):「いのちをあわれみ、他を悩ませない」という心所。(※非暴力。他を害しないこと。他者への思いやりの心すなわち慈悲心。)

R-3-4-2 第1回で「五根五力」(ゴコンゴリキ)を取り上げて指摘したように、「心のはたらき」(心所)はどのようなものであれ、私たちを変化させる「力」である。(131頁)
《参考1》仏教は人を大きく成長させる力(根)をもつ「五つの心のはたらき」すなわち「五根五力」(ゴコンゴリキ)に注目する。「五根五力」とは、(11)「信」(真理真実に身も心も委ねる)・(17)「精進」(「勤ゴン」)(たえず努力する)・(8)「念」(記憶)・(9)「定」(ジョウ)(記憶したことがらへの集中)・(10)「慧」(エ)(ものごとの本質を洞察する)である。「信」・「精進」・「念」・「定」(ジョウ)の心のはたらきがダイナミックな流れになった時、「慧」(エ)という心作用が大きく発動してくる。(13頁)
《参考2》「信根・信力」:如来の智慧(真理の法)を信じる。仏陀・真理(法)・聖者(僧)を思念することによって信念確信を得る。「精進根・精進力」:よく精進に住して、諸々の善からぬことを断ち、諸々の善きことを身に付けるため不屈の努力をかさねる。「念根・念力」:よく心に止めて忘れず、最高の思慮分別を持ち、久しい以前に為され・説かれたことをも思い起こす。「定根・定力」:よく心は平等にして、執着することがなく、心を散動させずに、一境に集中し心の静止を得る。「慧根・慧力」:智慧によって選択決定し、正しい理解を得る。

R-3-5 唯識は単なる真理説ではなく、「覚」(サトリ)を求める宗教思想なので、目標は仏の世界であり、それに少しでも近づこうとする。したがって仏の世界に自己を押し上げる力が③「善」の心所であり、また仏の世界を求める方向性の②「別境」(ベッキョウ)の心所がこれに同調する。(131頁)

(17)-4-4 「六位五十一心所」一覧!④「煩悩」(ボンノウ):仏の世界に違反する心所(6心所)!⑤「随煩悩」(ズイボンノウ):煩悩から派生した(仏の世界に違反する)心所(20心所)!
R-3-6 ★五十一心所④「煩悩」(ボンノウ):仏の世界に違反する心所(心のはたらき)(6心所)!(82-83頁)
(22) 貪(トン):「むさぼる」という心所。
(23) 瞋(シン):「排除する」(※憎しみをもつ)という心所
(24) 癡(チ)(痴):「真理・道理に暗い」(※妄想をもつ)という心所。
(25)慢(マン):「自己を恃み、他をあなどる」という心所。Cf. (13)愧(キ)(他に対して恥じる)と反対の心所。
(26)疑(ギ):「真理・道理をわきまえず、疑う」という心所。Cf. (11)信(シン)(自己を真理に委ねる)と反対の心所。
(27)悪見(アッケン):「誤った見解に立つ」という心所。Cf. (12)慚(ザン)(自らを顧み、また教えに照らして恥じる)と反対の心所。

R-3-7 ★五十一心所⑤「随煩悩」(ズイボンノウ):煩悩から派生した(仏の世界に違反する)心所(心のはたらき)(20心所)!(83頁)
(28)忿(フン):「腹を立て、危害をくわえようとする」という心所。
(29)恨(コン):「うらむ」という心所。
(30)覆(フク):「隠し立てする」という心所。
(31)悩(ノウ):「他を悩ませる」という心所。
(32)嫉(シツ):「ねたむ」という心所。
(33) 慳(ケン):「ものおしみする」(※ケチで欲深い)という心所。
(34) 誑(オウ):「たぶらかす」という心所。
(35) 諂(テン):「へつらう」という心所。
(36)害(ガイ):「いのちへの思いやりがなく、他をなやませる」という心所。Cf. (21) 不害(いのちをあわれみ、他を悩ませない)(※他者への思いやりの心すなわち慈悲心)と反対の心所。
(37) 憍(キョウ):「うぬぼれる」という心所。
(38)無 慚(ムザン):「自らを顧みず、また教え(※真理)に照らして恥じない」という心所。Cf. (12)慚(ザン)(自らを顧み、また教え(※真理)に照らして恥じる)と反対の心所。
(39) 無愧(ムキ):「他に対して恥じない」という心所。Cf. (13)愧(キ)(他に対して恥じる)と反対の心所。
(40) 掉挙(ジョウコ):「気持ちが騒がしく浮き立つ」(※心が昂ぶり頭に血が上った状態)という心所。
(41) 昏沈(コンジン):「気持ちが深く沈む」という心所。(※(40)掉挙(ジョウコ)」と(41)昏沈(コンジン)は対義語。)
(42)不信(フシン):「真理を顧みない」という心所。Cf. (11)信(シン)(自己を真理に委ねる)と反対の心所。
(43)懈怠(ケタイ):「なまける」という心所。Cf. (17)勤(ゴン)(精進、たゆまず努める)と反対の心所。
(44) 放逸(ホウイツ):「欲望のままにふるまう」という心所。Cf. (19)不放逸(フホウイツ)(欲望をつつしむ)と反対の心所。
(45)失念(シツネン):「記憶を失う」という心所。Cf. (8)念(ネン)(記憶する)と反対の心所。
(46)散乱(サンラン):「集中を欠いて乱れる」という心所。Cf. (9)定(ジョウ)(集中する)と反対の心所。
(47)不正知(フショウチ):「誤って理解する」という心所。

R-3-7-2 仏の世界に近づこうとするのを障碍(ショウゲ)する力を持つのが④「煩悩」と⑤「随煩悩」の心所だ。(131頁)
R-3-7-3 かくて私たちの「第六識」に相応してはたらく心所しだいで、自己を仏の世界に向け成長もさせるし、退行もさせる。(131頁)

(17)-4-5 「六位五十一心所」一覧!⑥「不定」(フジョウ)(4心所):善(②③)にも不善(④⑤)にもはたらく!
R-3-8  ★五十一心所⑥「不定」(フジョウ):その他の心所(4心所)!(※ともに起こる心所により善あるいは悪・不善となり、それ自体では一方的に性格づけられない!)(54頁)
※五十一心所⑥「不定」(フジョウ)(4心所)は前五識(5感覚)ではたらかないが、その4心所は次の通り!
(48)悔(ケ):「くやむ」という心所。
(49)眠(ミン):「ねむたくなり、身心の自在を失う」という心所。
(50)尋(ジン):「認識の対象をおおざっぱに思いはかる」という心所。
(51)伺(シ):「認識の対象を詳細に思いはかる」という心所。

R-3-8-2 ⑥「不定」(フジョウ)の心所は、善(②③)にも不善(④⑤)にもはたらく。そこで善・不善どちらの枠とも決めがたく、(48)悔(ケ)(くやむ)、(49)眠(ミン)(ねむたくなり、身心の自在を失う)、 (50)尋(ジン)(認識の対象をおおざっぱに思いはかる)、(51)伺(シ)(認識の対象を詳細に思いはかる)の4心所は⑥「不定」(フジョウ)として別立てされている。(131頁)
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