DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

小池昌代(1959-)「喫水線」『夜明け前十分』(2001年)所収(42歳):無慈悲で沈黙する「美しいあをぞら」だ!

2018-04-10 22:17:18 | 日記
 喫水線  A waterline

風のつよい日であった
窓から外を見ると、遠くのほうで
屋根の工事をしている者があった

It was a windy day.
I saw outside of the window.
I found a man who worked at a roof in the distance.

シャツが風にわななき
飛びそうな帽子を片手で押さえているのが見える

I saw his shirt flapping in the wind.
And I saw that he held his cap with his one hand in order not to let it flown away.

手の触れられない ある高さに
ふいに出現した
それは ひどく新鮮で頼りない
一人の人間の立ち姿であった

It abruptly appeared at a high position which no one could touch.
Actuallly, it was one standing man, who looked extremely fresh, and unreliable.

《感想1》
「手の触れられない」ことは、コントロール不能であり、畏敬の念を抱かせる。
《感想2》
「高さ」は、後で「奈落」と対照され、崇高・神聖な天に近い場所を示す。
《感想3》
「不意」とは、心が準備されていない状況での対象の出現、すなわち意味(類型、言葉)が投企されない状況での対象(事態)の出現だ。それは驚きをもたらし「新鮮」だ。
《感想4》
「頼りない」とは、《あらかじめ準備された意味・類型・言葉を欠いている》ため、《新たな意味を与える》、つまり《類型に包摂する》、つまり《命名すべき言葉を探し出す》必要がある。
《感想5》
詩人は「人間」に、関心を持つ。自分も「人間」で、仲間だからだ。「人間」は注目するに値すると、思っている。詩人はヒューマニストだ。《人間は、無価値で有害で無意味な存在で、注目に値しない》と思っていない。
《感想6》
詩人は「立ち姿」に注目する。屋根の上で、怠惰に、のんびり、わけもなく《ねそべっている》人だったら、注目しなかったろう。詩人は、人の決断や意志に、雄々しさを感じる人だ。

見知らぬ人であったが
遠方のなつかしい友という感情がわいてきた

I didn't know the man, but I began to feel that he was an old friend who lived far away.

《感想7》
これは、屋根上の本人の気持ちと無関係で、詩人の主観的な感情だ。詩人は、「人間」は注目に値する存在で、無価値・有害・無意味と思わない。また、「立ち姿」に象徴されるように、人間には決断や意志の雄々しさがあると詩人は思う。これらを思い起こさせる、かの「見知らぬ人」は、詩人にとって、主観的に「なつかしい友」となる。

見知らぬ友は、工事を終えると
やがて後ろ向きに屋根から降りていく
静かに、少しずつ、奈落へと

Finishing his work, my friend whom I didn't know soon went down from the roof with showing his back.
He went down quietly, step by step, and toward the Hell.

《感想8》
詩人にとって生は、有価値・有益・有意味で、そのような生の営為(「工事」)を終えると、人間は「奈落」へ降りていく。詩人は《健康な》精神を持ち、生は光、死は闇と考える。「奈落」は無価値・有害・無意味である。(しかし、もちろん、この世が「奈落」であることもある。今、詩人は、そのように思っていない。)

空と地上とのあいだ
魂をはこぶ空船(カラフネ)の喫水線の揺れを見たように思った

Between the sky and the earth, I felt to have seen a waterline of a ship whose inside was vacant shaking.

《感想9》
「魂をはこぶ空船」とは、人間の肉体(身体)だ。魂が「奈落」へと去れば、船は軽くなり「空船」となる。船から、魂の重さが急に失われ、船が揺れる。つまり喫水線が揺れる。詩人は、「屋根から降りていく」者を見て、それを人の死ととらえた。人の魂を運ぶ空船(内部に空間を持つ船)は、空の下、地の上を進む。

風はいよいよつよく
あとには
欠落を含んだ美しいあをぞらが
ただ茫洋と
ひろがっている

The wind became stronger and stronger, and after all, the beautiful blue sky which included a lack only extended unlimitedly.

《感想10》
人間にとって死(「奈落」へ行くこと)は大きな事件であり、かくて「風はいよいよつよく」不吉であり平穏でない。「あをぞら」は一見「美しい」ままだが、人ひとりの死によって、実は、宇宙に「欠落」が生じた。
《感想10-2》
しかし、この欠落は宇宙全体としてみれば、もちろん、超微細・微小な欠落だ。詩人は、そのあまりの些細(ササイ)さに人の生の悲しさを見る。無念さだ。人の死は、はじめから宇宙的には忘れられている。
《感想10-3》
青空は、普通、多くの人にとって美しい。だが、その「美しいあをぞら」は、実は、人と無縁に無機的に、無人間的に(人間と無縁に)美しいのであって、そのかぎりで「茫洋」(広いさま)として、人と関わりなく広大に無情に広がる。いっさい答えない無慈悲で沈黙する「美しいあをぞら」だ。

《注》
原詩は、ひと続きで、区分けされていない。区分けは評者が便宜的に行った。
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言葉(意味、イデア)の錯綜し雑然とした宇宙(世界)

2018-04-10 22:01:11 | 日記
(1)
心が元気でないと、対象(or事態)の向こう側が見えない。錯綜し雑然とした広大な意味世界が見えない。
(2)
対象は、意味(理念的意味、類型、イデア)の範例(包摂されたもの、あるいは名付けられたもの)となる。
意味は、さらに別の意味に包摂され、名付けられる。
包摂の仕方は錯綜し、経験の重なり(論理)・連想・類比が包摂の範囲を、無限に拡大していく。
かくて言葉(意味、イデア)の錯綜し雑然とした宇宙(世界)が生まれる。
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