DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

不安とその対策

2017-04-21 22:55:36 | 日記
(1)君にとって不安とは何か?
①貧乏になる。
②短気のため大金を失う。
③刑務所に入る。
④つまはじきされる。
⑤侮辱される。
⑥暴行される。
(2)不安への対策は何か?
①稼ぐに追いつく貧乏なし。
②待てば海路の日和あり。
③神のみぞ知る。
④捨てる神あれば拾う神あり。
⑤攻撃は最大の防御。
⑥目には目を。
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金子みすゞ(1903-1930)「おとむらいの日」:子供時代の怖くさびしかった日の回想 

2017-04-21 19:44:34 | 日記
 おとむらいの日

お花や旗でかざられた
よそのとむらい見るたびに
うちにもあればいいのにと
こないだまでは思ってた。
だけども、きょうはつまらない
人は多ぜいいるけれど
だれも相手にならないし
都(ミヤコ)から来た叔母さまは
だまって涙をためてるし
だれも叱りはしないけど
なんだか私は怖かった。
お店で小さくなってたら
家(ウチ)から雲が湧くように
長い行列出て行った。

あとは、なおさらさびしいな。
ほんとにきょうは、つまらない。

《感想》
子供時代の回想。
人の家のお葬式は、お花や旗で飾られて、子供には、華やかに見えた。
ところがわが家で、実際にお葬式があって、それが華やかなどでなく、怖くさびしいものと、わかる。
衝撃的で、つらい回想である。

 THE DAY OF A FUNERAL

Every time I saw a funeral of other house which was decorated by flowers and flags, I wanted that my house also would have one.
I thought such things until just recently.
However, I am not joyful today.
There were so many people in my house, but they didn't take care of me.
My aunt who had come from the metropolitan city was silent and had tears.
No one scolded me, but I somewhat had fears.
While I was timidly nervous at the shop area of my house, the long procession of funeral went out as if clouds came out from my house.

Afterwards, I am sadder than before.
Really, I am not joyful today.
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世界が、一定・同一の事態・事物(言葉の意味)の集合に、変形されることが、分かるということである

2017-04-21 09:55:41 | 日記
(1)
書くと気持ちが落ち着く。
なぜ、落ち着くのか?
形のないものが、形を獲得するから、落ち着くのだ。
(1)-2
そもそも、書くとは、何であるかを明らかにしたい。
たとえば、私が感じていることを書いてみると、気分が落ち着く。
書けば、自分が、何を感じているか、わかる気がする。
これは、どうしてなのか?
(2)
書くとは、言葉を連ねること。
言葉は、私において、あるいは他者たちにおいて、繰り返される現実(体験・経験)の重なりを、示す。
重なりとは、共通点。
共通点とは、抽象された一定・同一の事態・事物のことである。
つまり現実の体験からの抽象物。
この抽象物は、意味と呼ばれる。
(3)
言葉の意味とは、経過する現実の重なりである一定・同一の事態・事物を、現実から抽象したものである。
(3)-2
書かれることによって、過去に流れ去る体験・経験・現実としての世界が、《その経過する現実の重なり》である一定・同一の事態・事物(言葉の意味)の集合に、変形される。
これが、分かるということである。
そして、例えば、よくわからない私の気持ちが、言葉で書かれることによって、私に分かるようになり、私は落ち着く。
(4)
言葉は、この世に新たに生れてきた者にとっては、あらかじめ存在する。
彼の、また、他者たちの現実(体験・経験)は、すでに、言葉のもとで、《どのように現実を重ね、共通点を見いだし、一定・同一の事態・事物を抽象するか》、その仕方が、決められている。
世界は、一定・同一の事態・事物(言葉の意味)の集合に、初めから変形されている。
(5)
経過し過去に沈んでゆく一回限りの体験・経験・現実が、この私においてあり、また他者たちにおいてあり、そのすべてが、言葉において、初めから一定・同一の事態・事物(言葉の意味)の集合に、変形されている。
(6)
感じていることを書くとは、何であるかを明らかにすることだが、何であるかを明らかにするとは、感じていることを、言葉によって、一定・同一の事態・事物(言葉の意味)の集合に、変形することである。
(7)
そして言葉は、他者たちにも、共通である。
かくて《私が感じていることを言葉に置き換える、つまり書く》なら、それは《他者たちにも、理解できる事柄》となる。
これは、明瞭化である。
あるいは私の体験を、普遍化、つまり他者にもわかる形に変えることである。
(7)-2
ここには、新たな別の問題がある。
言葉が、私にも、他者にも共通であるとは、一定・同一の事態・事物(言葉の意味)が、私と他者で、共通に了解されることである。
だが、ある言葉のもとで、一定・同一の事態・事物(言葉の意味)が、共通に、私と他者で思い描かれると、どうしてわかるのか?
これは、言葉の了解の問題である。
この問題が、解かれねばならない。
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