rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

日本の本当の黒幕 を読む

2018-04-06 19:19:15 | 書評

日本の本当の黒幕 上下 鬼塚英明 成甲書房 2013年刊

 

 幕末から維新・昭和初期まで生き抜いて、伊藤博文の時代に明治天皇の宮内大臣を勤め、以降日本の黒幕として政界・経済界に影響を及ぼし続けた田中光顕(1843−1939)を中心に歴史の表では語られる事のない背景を数多くの資料を駆使して暴いた労作です。著者自らあとがきで述べているように、「田中光顕という人物を通して著者が幕末・明治・大正・昭和を研究した本であって、この本は間違いなく独断と偏見に満ちている」というのは本当だと思います。しかし我々が戦前史を知ろうとする時、世界における日本の動きは非常にダイナミックであったにも関わらず、どこか戦後押し付けられた一方的な「見方」からしかアプローチできず、またあれだけ皇室というものの絶対性が語られながら、その皇室を様々な角度からありのまま記した歴史書が非常に少ない事も事実です。だから表に出ていない部分を探ろうとする時に断片的な資料から時に大胆な類推や想像で説明を試みなければならないという現実があります。ネットなどで見られる「トンデモ説」「陰謀論」という括りで片付けてしまう事は簡単ですが、実社会で30年揉まれて生活してくると、社会というのは表に出ていない様々な思惑や陰謀で物事が決まって来る(現実には謀の2-3割しか思惑通りにはならないけど)と言う事を実体験として知るようになります。様々な裏の話を「そんなのは陰謀論」と言って本気にしない人というのは実はあまり社会を知らない「お目出たい人」だと私は思います。誤りも半分と思ってこの本を読み進めてみると、明治から昭和、戦争に向かう日本社会の裏側のダイナミズムを感じます。中身が広範雑駁でまとまりに欠ける所があって、理解しにくい所もある本ですが、そのような意味で有益な本ではないかと思いました。以下特に昭和初期の時代を決めることになった事態について、印象に残る内容を備忘録的に記しておきたいと思います。

 

田中光顕 

1)      田中光顕が宮内相引退後も政界などに力を持ち続けたのは「皇室の秘密」を武器にしたから。

 

○ 明治帝は孝明天皇の後嗣睦仁親王が長じて成ったのではなく、大室寅之佑なる山口県田布施からの出自不明の若者であるという前提で話が進みます。事の真偽は証明しようがありませんが、幕末の志士と言われるさして教養もない勢いだけの人達にとって「皇統の血筋を守る」意味などなく、「玉を担ぐ事で錦の御旗を得る」以上の物ではなかった、それくらい幕末というのは荒々しい激しいものであったというのが本当だと私は思います。大室寅之佑も南朝の末裔などと言われていますが、これも明治期に、水戸学の影響で南朝を正当な皇統と見なす事に成ってから後付けされた由緒のようです。

○ 明治帝は在職中、公式には伊藤博文、山県有朋、井上馨の元老以外は宮内相の田中光顕を通してしか他人と遭う事が適わなかったと言われていて、本当の明治帝を親しく知る人と言うのは実際にはいないのが現実だったようです。幼なじみの西園寺公望ですらあまり親しく接することがなかった(いろいろバレてしまうから)とも記されます。

○ 一方で明治帝は一般に真面目で勉強熱心で知性も高く判断力に優れた大帝という評判ですが、実情は「酒色に溺れる毎日だった」という噂もあります。明治帝には昭憲皇太后の他に記録上5人の側室がおり、10人の娘、典侍 柳原愛子に第三皇子として成人まで達した大正天皇(嘉仁親王)がいます。しかし梅毒であったという噂があって、大正帝の脳病も梅毒からみ、大正帝は幼少期から病弱で不妊であったという事も言われています。

○ これらの(勿論)公にはならない情報を武器に田中光顕は引退後も政界に力を持ち続けた、しかも要塞のような寝室を自邸に構えて、常に暗殺の恐怖に備えていたことも事実です。

 

貞明皇后と皇子達

2)      大正帝と妻貞明皇后の時代が後の昭和の方向性を決めた。

 

○   不妊で病弱の大正帝に、伊藤弘文と大山巌は妻捨松、津田梅子らと計って九条家からということにして会津出身のクエーカー教徒である節子を貞明皇后として迎えます。大正帝と貞明皇后の間には4人の皇子がいるのですが、それぞれが種違いと説明されます。1901年昭和帝(裕仁)は父が西園寺八郎(西園寺公望の養子で毛利元徳の八男、大正帝の学習院同級生)、1902年秩父宮帝(父は東久邇宮 稔彦 昭和帝の妻、香淳皇后は姪であり、終戦時の内閣総理大臣)、1905年高松宮帝(父は有栖川宮—元高松宮)、1915年三笠宮(父は有栖川宮か近衛文麿)。大正帝の息子達は兄弟と言えど、姿形が随分と違うということからこれらの推察もあながちデタラメではなさそうなのですが、なんせ不敬罪に関わる事ですから正史に出来るはずがありません。

 

3)      幕末の志士、明治の元勲、右翼左翼の大物は紙一重

 

○   幕末の志士の一部が明治政府の要職に就いて、後の元勲と言われる明治以降の日本の枠組みを作って行く役割を果たす事は正史で習う通りなのですが、後に赤旗・大逆事件で恐れられた幸徳秋水や中江兆民といった思想家が坂本龍馬の海援隊に入っていたり、大杉栄が後藤新平とつながっていたりします。田中光顕が裏で応援する右翼の大物、民間の元老と呼ばれて昭和帝の結婚式にも招待されたという頭山満も幕末の志士達と共に写真に納まっている若き日があります。

○   幕末の志士、明治の元勲、右翼左翼の大物というのは実のところ出自は変わりなく、時の流れと運でそれぞれの歴史的役割に別れて行ったというのが本当ではないかと思われます。明治になってから京都で長年生息してきた多くの「お公家さん」達は実のところあまり活躍はしていません。皇室を中心とした歴史が新たに始まった事は事実ですが、二千年の歴史を持つ旧来の皇室・お公家さんを中心とした政治が帝都で行われて明治が作られて行ったのではなく、田舎の下級武士達を中心に「一神教としての天皇教」を掲げた立憲君主国としての明治政府が試行錯誤されながら新たに作られたというのが正しい解釈だと思われます。だから明治政府中枢では常識では考えられない事も「何でもあり」だったと言う事ではないでしょうか。

 

4)      三菱→田中光顕の金の流れが昭和テロルのバックボーンとなった。

 

○   テロルというのは何の背景もなく、突発的に起こるものではなく、必ず裏で金の流れを追うことでその黒幕を暴く事が出来る、というのは鬼塚氏一流の歴史解釈です。これは現代のIS(イスラム国)成立における金の流れ見る事でも役立つでしょう(サウジアラビア、ユダヤ財閥など)。昭和にも結盟団事件、一人一殺の井上日召などのテロ事件が多発し、何より五・一五事件、二・二六事件という軍によるテロ事件が起きて、後の戦争へと繫がって行きます。実はこれらにも必ず金の流れがあって「黒幕としてのまとめ役」がなければこれだけの事件を起こす事は不可能です。

○   田中光顕と山県有朋の二人はその立場からは信じられない程の財を成した、と言われていますが、山県は政府の金、田中は岩崎弥太郎と親しくなることで継続した金の流れを作ったと説明されます。田中は引退後も金を得続けてそれらをテロルの資金として活用することで三菱の利益に資することもしたと説明されます。勿論一企業の利益のためにテロルを指揮したのではなく、国家主義者としての田中の信念が頭山満などとのつながりを持たせ、五・一五事件などへの関与に至ったという説明ですが、詳細は複雑なので省きます。

 

今二十一世紀の新たな世界情勢を迎え、日本も世界も新展開を迎えようとしています。その荒波の中を何とか日本という国と国民が生きながらえてゆくには、格式に捉われない柔軟な発想と知恵が必要だと思います。世界の動きが「とても賢い人達が人類全体の利益を考えながら慎重に動かしているはず」などと考えない方が良いでしょう。もっとデタラメ出たとこ勝負で物事は実は決まっているというのが幕末から明治の日本を見て感じます。「何でもあり」だと言う心構えで知恵を働かせて行かないとこれからの世界、生き残って行けないとこの本を読んで感じました。


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