さる食事会で他大学の教授との話しに出た話題です。医学部を卒業して最初に研修する先を、厚労省が大学の医局制度解体を目指して市中の総合病院でも可能になるよう大改定をしたのが先の医師初期研修、後期研修制度改革でした。
以前は大学を卒業した医師は主に出身大学か、どこかの大学医局に所属してそこで関連病院などを転々としながら研修を積む中で「学位」を取得し、留学を経験して、ある程度一人前になってから大学に残る、関連病院の医長になる、開業するなどの選択をして医師人生(キャリアパス)を築いてゆきました。
そこには大学教授を中心としたヒエラルヒーと人事管理制度があり、厚労省が病院を管理したくても人事には手が出ないという状況がありました。また医師の側からも一人前になるまでは大学の医局に奉仕、雑巾掛けをする期間が必要で、見方によっては人権無視の無賃金強制労働的なことを強いられる素地があったことも否めません。
欧米では制度化された専門研修制度が確立されており、日本でも医学部に女学生が増加し、また病院管理を厚労省ががっちりやりたい(病院評価機構やDPC—医療費一括制度などを通じて)ことの一環として、研修医が自由に研修病院を選べる(病院側も研修医を選択できますが)マッチング制度が導入されて、全国の大学は卒業生の3割から半分位しか残らないという事態になりました。勢い大学では人手が足らなくなり、また医学生の定員増加による教育負担の増加も伴って、各大学は派遣している病院から医局員を引き上げ初め、地方を中心に病院医療の崩壊が起こってきた事は周知の通りです。
若い医師達は研修先として、便利で症例が多い都会の病院を選んだために医師数の偏在がより顕著となり、地方大学を含む過疎部の医療崩壊がなおさら進んでしまったというのが現状です。
しかし新しい制度ができて数年が経過し新制度で研修を終えた若い医師達がその後の人生設計を考えねばならない時期になって問題が生じてきました。以前であれば、大学で雑巾掛けをしながら修業を積んだ後にはそれなりの複数の人生航路が開けていたのですが、新しい制度ではまた一から自分で開拓しないといけない状態になるのです。特に研究や留学を希望しても道がないために再び大学に戻る必要が出てきます。しかし大学には少ない若手として頑張ってきた同年代の研修上がりの医師達がいるので自分のやりたいことだけ大学に戻ってやると言う訳にはゆかないのが人情です。
厚労省は研修終了後の医師人生のキャリアパスまで考えて研修制度を作っていませんでした。「研修が終わって専門医の資格を取ったら終わりでしょ」と言う感覚であり、一人前の外科医が育つには10年かかるとか、研究の指導ができる大学教官が育つには15年かかるとかそのようなことは考えていませんでした。日本の理系を志望する高校生の上澄みの殆どを医学部が吸収してしまっているにも係わらず、その優秀な若者達を5年間研修させた後は「勝手にしろ」と放り出してしまうのが今の研修制度です。もっときちんと教育を続けたり研究や留学の機会を与えて次の時代の日本・世界の医療を担える人材を育ててゆくのが本来の姿ではないかと私は思うのですが。
厚労省もやっと自分たちの誤りに気付き、かといって自分たちが医師達の面倒を見る能力はないですから、「各学会は専門医達のキャリアパスについて指導できる体制を作りなさい」と今度は大学から専門学会に仕事を転化してきました。専門学会というのは大学の教員達が作り上げているのが現状ですから、畢竟「若い医師達はどうぞ大学に戻ってきて下さい」ということになるし医師達も「先が見えない一般病院よりも大学の方が選択肢が広がる」ことに気付いてきました。但し今のところ人気があるのは都心部の有名大学だけで地方の大学には若手は戻ってきていません。
最近内田 樹氏の文章をよく参考にさせていただきますが、氏の最近のブログに「大勢の中から悪い奴を見分ける説明不能な能力のある人が警官になるべきだし、証拠が不足していても犯人を適確に有罪にできる能力がある人が裁判官になるべき」という文章がありました。これは医師にも言える事で、同じような症状で受診をした大勢の患者の中から重い病気を嗅ぎ分ける能力がある人が医者になるべきだと言えます。そしてこのような能力は初めは備わっていなくても「本人の努力と適切な教育」によって育てる事ができると確信します。それは残念ながら現在の新研修体制では作りがたい状況のように思います。教育プランやカルテの書き方の充実ではこの「説明不能の能力」を身に付けることはできません。教わる側が「この先生のようになりたい。」という師と仰げるあこがれの人を見つけ、その人から努力をして説明不能の能力を盗み取ることをしないとこのような能力は身に付かないからです。以前の教育体制では例え大学の中に師と仰げる人材がいなくても、若い内にいくつかの病院を転々とするうちにそのような人に会える機会がありましたし、留学した先でスケールの違う恩師に出会うこともありました。
地域人材育成と言う名目で、出身地方に一定期間残ることを条件に医科大学に推薦入学させる制度が増えてきていますが、今後は地方の大学を中核として周辺の病院と連携を組ながらキャリアパスを考慮した教育研修制度を再構築してゆくべきではないかと考えます。