rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

霧ヶ峰・蓼科山登頂記

2021-09-24 12:10:52 | その他

昨年は北海道の羊蹄山、一昨年は岩手山に登りましたが、今年はコロナの事態もあり、近場で宣言の出ていない長野県に一泊二日で行きました。連休の合間だったので松本で一泊しましたが、渋滞なく行き帰りもスムーズでした。時間が読めなかったので、まず出来るだけ高所まで車で行ける霧ヶ峰を目指しました。頂上は車山(1925m)で、リフトは使わず、車山肩バス停(1700m位)のパーキングに車を止めて頂上を目指します。200m程度の緩い高低差なので30分ほどで、余裕でレーダードームのある車山山頂に到着しました。

富士山にあったレーダーの替わりに作られたという観測所        車山の頂上

 

非常に天気が良く、360度の展望に恵まれました。富士山、南アルプス、御嶽山、北アルプス、浅間山などが遠望できました。見ると目の前に八ヶ岳の北端、蓼科山(2531m)が頂上まで青空にくっきりと浮かんで見えました。当初は霧ヶ峰の湿原を3時間くらいで回ろうと思っていたのですが、急遽蓼科山登山を思い立ってそちらに向かいました。小中学校の登山でも使われるという7合目登山口に車で向かい、30分程で到着。早速頂上を目指しました。

車山の頂上から富士山を遠望      北アルプスの槍ヶ岳が見えます

霧ヶ峰から蓼科山が頂上まで非常にくっきりと見えます         蓼科山7合目の登山口、頂上が望める

 

登山道は良く整備されていて、登り計600mほど、やや急登が続きますが、将軍平から後、1/3ほどが鎖場もある岩登りで手足を使ってよじ上る必要があるものの11時過ぎから登り始めて1時には頂上に着きました。車山と同じく大変良い眺めでした。まだ紅葉には早く、所々赤い葉が見られる程度でした。

後半の岩場を登る登山道はややきつい                 蓼科山頂上はサッカー場4面の広さと言うが、大きな岩が多い。中央に鳥居

遠方は北アルプス、手前の電波塔が立っているのが翌日に行く美ヶ原

 

頂上は岩場ですが、野球ができるほど広く、中央に祀られた神社にお参りしてから帰りました。帰りはもと来た道を7合目まで降りて、その日は高速で松本へ。

美ヶ原の麓にある温泉旅館「すぎもと」に宿泊。待ち合いや食事場所には品の良いジャズが流れていて地元の食材を生かした和風創作料理を堪能しました。店主手打ちの出来立て10割そばはなかなか味わえない美味でした。

地元の食材を生かした創作コース料理 冬瓜の汁物、キノコや野菜、鶏のスープと冬瓜を崩しながら食べる

 

翌日はやや天気が悪く、松本方面から美ヶ原自然保護センターを目指し、そこから歩いて王が頭(2034m)まで30分ほど歩きました。残念ながら雲の中で何も見えなかったので王が鼻(2008m)や牧場には行かず退散、白樺平方面には抜けられないので、254号まで戻って佐久・軽井沢から帰路につきました。

前日は快晴だったのに王が頭頂上は霧で何も見えず、残念。

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Heinkel He 115 C-1 TSUKUDA HOBBY 1/72

2021-09-23 17:20:25 | プラモデル

関係ありませんが、自宅ベランダから拡大で撮った中秋の名月

大分前に買い置きしていたツクダホビー(中身はレベル製)の1/72 ハインケルHe115を作りました。Heinkel He115は1937年にドイツ航空省の多用途の双発水上機開発の要望に応じてハインケル社が製作量産した水上機で、フロートを付けた実用水上機としては最大のものとなりました。乗員は4名で操縦士、航法士、銃手、爆撃手がそれぞれの搭乗口から乗り込み、BMW132 9気筒960馬力エンジンを2機搭載して航続距離3350km、最高速度は355kmでした。機首と後方銃手にMG157.7mm機銃を装備し、変わった物として各エンジン後方に固定式の7.7mm機銃を後方に向けて発射する2丁の機銃を装備していました(後の量産型では役に立たなかったため省略された模様、Matchbox製のキットには付いていない)。C型は機首下面に固定式のMG151 15mm機銃を装備し、爆弾、爆雷、魚雷などを1250kgまで搭載可能でした。航続距離の長さから主に北方海域でソ連への輸送船団の攻撃や連絡、哨戒に使用されました。269機製作された由ですが、使い易い機体であったのでドイツのみならずスウェーデン、ノルウェー、フィンランドの他イギリス空軍でも運用された記録があります。

参考文献(Deutsche Kampfflugzeuge Dorfler)にあった実機と同じ型番の模型

模型は凸モールの古い金型ながら、比較的整合は良好で形も良く、機首や胴体に固定された梯子など特異な形態を良く表していました。フロートの支柱はパテ処理が必要ではありました。塗装説明はライトブルーにダークグリーンとブラックグリーンの迷彩でしたが、参考文献に冬期作戦用の白を混ぜた迷彩が載っており、スペシャルホビー製の1/48の模型で冬期迷彩のモデルも発売されていたのでそれらを参考に塗装しました。各尾翼の両側についている突起物はバランス(錘)の様です。モールは組み立て前にスプレー塗装をした後、2Bの鉛筆で定規を当てて書き込んで見ました。大きさの比較に米軍のカーチスSeahawkと並べてみました。

固定式の梯子や尾翼のバランスが特徴的    冬期の塗装にしてみました。

機首にMG151機関砲      カーチスシーホークとの比較

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Henschel Hs 126 B1 Brengun 1/72

2021-09-09 09:43:44 | プラモデル

チェコの新興模型メーカー、ブレンガン製のヘンシェルHs126を作りました。ヘンシェルHs126は第一次大戦後にドイツの再軍備の機運が高まった1933年、ドイツ航空省から操縦性に優れ、全周性の視界が得られる偵察連絡用の航空機開発を指示された各メーカーから、鉄道車両などを主に手掛けていたHenshel社が提示した機体です。

箱絵は最近の潮流でデジタルながら洒落た体裁で機体の特徴を良く表しています。

 

当初Hs122という機番で開発が進みましたが、細い胴体に特徴的なパラソル翼で乗員からの良好な視界が得られるという物でした。エンジンをBMW132 880馬力にし、Hs126Aとしてスペイン内戦にも参加しました。その後850馬力のブラモエンジンとしてHs126Bが600機量産され、電撃戦における陸軍の直協機として各戦線で活躍しました。後に連絡機としてはより短距離離着陸が可能なフィゼラーFi156シュトルヒが決定打として導入され、偵察機としては双発双胴のフォッケウルフFw189が実用化されて、Hs126は大戦後半にはグライダー曳航や雑務に使用される事が多くなりました。最大速度358km 航続距離710km 爆弾搭載量100-150kgとやや中途半端な性能ですが使い勝手は良く、荒れ地での離着陸も可能であったため大戦初期には各方面で汎用されました。機体の胴体側面には謎の斜め線が実機にも描かれているのですが、急降下爆撃の際に僚機から降下角度を見る目安の様にも見えます。文献を当たっても説明がないのですが、ユンカース87の様な4000m近くの高高度からの本格的急降下爆撃には機体が耐えられないはずで、せいぜい1000m位からの軽い攻撃用(爆弾搭載量も100kgですし、本機は実際夜間眠らせないための嫌がらせ爆撃に使われた由)であったと思われます。ドイツは米海軍式の編隊一斉降下による爆撃方法(日本は一線に並ぶ各個爆撃)であったので自分では見えない胴体側面の記載でも役立ったのかも知れません。

模型は新しい金型で作りやすく設計されていて操縦席も細かく作られていて出来上がりも綺麗です。接合も比較的良好で細かいエッチングパーツをつける場所も小さい筋彫りが入っているなど取り付けに困らない配慮がされているところが良いと思いました。塗装は下面ライトブルー、上面ダークグリーンとブラックグリーンの典型的な折れ線明細で1940年のフランス戦線仕様として指示されている物にしました。デカールが多いので胴体と翼を組む前に貼ってから最後にパラソル翼を取り付けて完成にしました。ユンカース87と比べると同じ二人乗りながら割と大型の機体であることが判ります。尾輪の後ろにはグライダー曳航索の取り付け金具が付いています。

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