rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

応援団が熱い

2010-09-16 00:25:24 | その他
高校生の息子が半強制的に応援団に入部させられて夏の甲子園の予選大会の応援に行きました。伝統のある高校ではないし、進学校でもあるので野球部もなんちゃって野球部に近く、一回戦コールド負けだったのですが、応援スタイルは何故か「模擬早稲田大学」で早稲田の応援団の様式を真似ていました。

応援団の演舞を身に付ける格好のビデオは、毎年6月に日比谷公会堂で行われる六大学応援団披露会「六旗の下に」です。このような催しがあることを息子が借りてきたDVDで初めて知ったのですが、もう50年以上続いているらしくかなり人気のある催しのようです。

何しろ六大学の応援演目は毎年殆ど同じで出演者だけが毎年違う。大学の紹介をする「口上」は毎年その時々の流行などを入れて趣向をこらしているようですが、この「毎回同じ」ということが「伝統を引き継ぐ者」として最も重視されるのですからその年々の団長達がいかに「バンカラ」であるかで盛り上がり方も変るというものです。この催しは六大学がそれぞれ40分近くの演目を披露するので延々6時間位やるらしいのですが、その間中会場から声援や拍手が止まないというすごい熱気のあるものです。手をぷるぷる震わせながら応援団旗を低く持つ、ただそれだけのパフォーマンスに会場から絶大な声援が送られます。伝統の重みを必死に支える現役学生の姿に、(多分)先輩達が声援を送るのでしょう。

私は新設医大の一桁卒業ですから大学に伝統も何もありませんでした。だからこのような世界があることも知らなかったのですが、50を過ぎて二十歳そこそこの現代の大学生達が大学の伝統を背負ってバンカラを競っている姿は何となく羨ましいと感じてしまいます。むさ苦しい応援団の男子のまわりで飛び回るチアガールの面々も健康的なお色気があってとても良い感じです。というか最後のフィナーレなど殆ど30分以上激しくチアリーディングで踊り続ける姿を見ると、その体力気力だけでも男子以上、十分女子も体育会系であることが解ります。

六大学の中で傑出しているのは何と言っても「東大」でしょう。野球などシーズンで一勝するかどうかなので「チャンスパターンメドレー」を本番で踊ることは少ないのかも知れませんが天下の東大生が学生服に坊主頭で手をぶんぶん回しながら必死に応援歌を歌い、鉄腕アトムを踊る姿(六大学の中で一番ハード)は「あっぱれ!」の一言、しかも東大のチアリーディングもかっこよい、You Yubeにもアップされているようなのでこれは一見の価値ありです。

ある状況において、ある決まった形に振る舞う(パフォーマンスする)ことを期待されている場合、その最も期待される形で振る舞えることが「行動における美学」であると私は思います。手術、営業のプレゼン、またこの応援団の演技すべて求められる最高の形でやりとげることが「行動の美学」でありそれができることが「実行力の証」でもあります。そこに迷い衒いがあると美しいパフォーマンスはできません。「東大まで行ってこんなことしなくても・・」というのは本人達が一番判っていることであり、そこを敢えてバカをやれる彼らこそ、「その他大勢よりも一段上を行く美学と行動力の持ち主」であるとこの年になると理解できるのです。

演者の紹介をする時に「どこそこの高校出身!」という所で「名門!」という声が歌舞伎の「間の手」のように入るのですが、考えて見ると「大学」という括りの中では「出身高校」というのがその学生の評価のひとつとして大事なのだな、と判ります。社会に出るとこれが「出身大学」に変ります。私は現在私立大学の教員ですが、この大学の中にも出身高校の同門会というのがあって、年に一回上は理事長、教授、下は学生まで20人位が集まります。出身大学は異なっても現在の職場に来たことでこの大学の一員となって高校の同門に親しみが湧くという、まあどうでも良い事でもあるのですが私としては理事長という大学の最高権力者が高校同窓でそれなりに親しくしてもらえたことは社会人として(―)ではありませんでした。

「応援団が熱い」と感ずるのはそれを見る全ての世代において、美学として期待されるパフォーマンスについての価値観に断絶がないからかも知れません。
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国政選挙を経ずして首相は代わるなかれ!!

2010-09-15 20:43:00 | 政治
密室談合よりはマシだった民主党代表選 いまこそ「首相公選制」を考える絶好の機会(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
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民主党代表選挙は菅氏が勝って、総理は引き続き菅氏が行なうことになりました。小沢氏は副総理位にならなければ民主党を割って出て政界再編に動く事になるでしょう。オバマ氏とクリントン国務長官の関係に似ているかも知れません。

「首相公選」の話題が出ていますが、私は話すべき論点がずれていると考えます。私はそもそも選挙によって選ばれた与党の代表が軽々しく首相の座を投げ出すことが許せないと安倍、福田総理の時代から感じています。小渕さんや大平さんのように命が亡くなればそれはしかたがありませんが、「党の代表になったからには絶対に首相は途中で辞めない」というのは当たり前ではありませんか。

世論調査などというマスコミのデータ捏造(これを正しい輿論などと本気で解釈しているジャーナリストがいるとすればかなり頭が弱いし、確信犯なら犯罪者だ。手紙形式で時間をかけて回収・集計したものならばある程度サンプル輿論と言えますが)など一切気にしなくて良いので、「次の国民が直接選ぶ国政選挙までは首相を続けなければならない」という不文律を作ったらどうでしょう。そもそも6月の鳩山首相の辞任は何の必然性もないものです。国民が選挙であなたを選んだのだから、普天間でつっぱるなら突っ張ってアメリカに殺されるまで首相は続けないといけなかった。選挙における国民の一票の重みというものを政治家は肝に銘ずるべきです。政治家が命がけで政治をするなら国民はしっかり選挙に行くでしょう。マスコミの捏造世論調査ごときに右往左往するから国民はしらけて選挙に行かなくなるのだということを気付いて欲しいものです。

菅総理よ、あなたは死ぬまで途中で政権を投げ出してはいけない!肝に銘じておくように!
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がん難民の実例

2010-09-01 23:37:55 | 医療
がんになったけれど自分の状態にふさわしい病院にかかることができない状態を「がん難民」と言い、日本のがん医療の不行き届きな点として紹介されることが多いです。適切な手術や放射線、化学療法を行なえる施設が限られている場合もありますし、進行してしまい緩和ケアを患者が受ける環境が整っていない場合も多々あります。

たびたび登場する「往きの医療」の観点からは、急性期病院やがん拠点病院における医療を日本中で均質化してどの地域でも最良の医療が受けられることを目標に厚労省は指導をしています。我々医師の側も目標がはっきりしていますから、「手術がうまくなる」「診断技術が向上する」「施設を充実させる」といったことを目標に頑張ります。もっともこれは昔からやってきたことでもあります。

一方で「還りの医療」の観点からの「がんと共に生きる」「緩和ケアを充実させる」といった方は、最近やっと厚労省も診療報酬においてインセンチブを置き始めた段階であって、医師、特に開業医・家庭医が中心になる必要があるのですがまだ殆ど広がりを見せていないと言えます。開業医には医学的にリスクも少なく、責任も生じにくい「予防医学」には熱心な先生が多いのですが、二十四時間拘束されて家に呼ばれる可能性がある「家庭における終末期医療」などまっぴらであるという医師が多いのも事実です。結果として「急変したら救急車を呼んで近くの病院に運んで勤務医に看取らせる」というのが現実となっています。

「家に帰りたい」「畳の上で死にたい」と訴える高齢のがん患者が沢山います。なんとかぎりぎりまで家で麻薬など処方しながら過ごしてもらって、意識も朦朧となって救急車で入院というのが比較的うまく行った「がんの最期の看取りパターン」です。死んで白骨化して二十年も畳の上に放置されるのも困ったものですが、死んでゆく時に「自分の住み慣れた家で」というのは私自身に置き換えてもそうありたいと思います。私の父は三十年前に朝方家で寝ている時に異型狭心症から心筋梗塞になって急死してしまったのですが、十年来通っていた近くの開業医さんが家まで来てくれて死亡診断書を書いてくれたので「検死」だの何だの面倒なことにならずに済みました。当時はまだおおらかな時代でそのようなこと(24時間以内に診察をしていなくても問題がなさそうなら死亡診断書を書いてしまう)も普通だったのですが、現在ならばそう簡単には終わらないでしょう。

私が専攻している泌尿器科は高齢の患者さんが多く、早期前立腺癌などは治療さえしておけば命にかかわる事はないので五年十年と通い続ける患者さんも出てきます。そのうち前立腺癌では死なないけど他の癌になってしまう、特にそれが進行した状態で見つかるなどということも多々あります。以前前立腺癌の治療中で腫瘍マーカー(PSA)はごく低い値であるのに頚部リンパ節に腺癌が出現し、消化器系の腫瘍マーカーが組織で染色されたにもかかわらず明らかな消化器癌が検査で見つからなかったために「取り合えず癌がはっきりしているのは前立腺だけだから」という理由で泌尿器科で最期まで面倒を見たことがあります。死亡診断書は「前立腺癌」と書くしかなかったのですが、明らかに前立腺癌による死亡ではありません(二十年前に大腸ガンの手術をしていたのでそれだろうと思われましたが)。最近も肺に多発転移がいきなり出現した患者さんがいて、マーカーから多分原発は肺癌と思うのですが高齢で検査する体力もなく、最期だけ確証もなくその専門科に押し付けることもできないので泌尿器科で診ている患者さんがいます。

外科系総合診療科(何でも診る外科系の科)を自任する泌尿器科ですから、しかも癌の末期など、どの専門科が診てもやることは一緒ですから、付き合いの長い当科で診ることもやぶさかではないのですが、「これも癌難民の一例か」と感じています。

がんになったら「がんセンター」に行かなければ、とお題目のように考えている人もいまだにかなりいます。築地のがんセンターは悪い病院ではありませんが、原則は治る癌しか診ません。「再発したら地元の病院に行って下さい」という確約を取って治る癌だけを治療します。また特に日本における先進的な治療を行なっている訳でもありません。このような話しをすると目を丸くして「本当ですか」と訝る人もいますが、再発癌や末期癌を全て診ていたらすぐに病院がパンクしてしまうことを話すと納得します。がんセンター東病院には緩和病棟がありますが、総じて「往きの医療」に特化した病院であって「あるべき癌医療のモデル病院とはほど遠い存在」と言えるでしょう。そうなるには規模を5倍位にして医師やスタッフを10倍位増やさないと無理です。厚労省には「がんセンターをあるべきモデルに」しようなどというつもりは予算を見る限り全くありません。

八十五歳以上で特に苦痛もなく死に導く癌は「天寿癌」と考えて老衰と同様に考えよう、という概念を以前紹介しました(http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/547d2c3edec7087952c7c6d233bf06e2)。私は八十歳以上は無理なく治療できる範囲で治療して、後は天寿癌と考えてよいのではないかと思います。「還りの医療」を中心に残る人生を楽しく過ごせるように環境を整えてあげることが「優れた癌医療」と言えるのではないかと思います。
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