rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

トランプ現象はマルチチュードの反乱だ

2016-11-14 22:05:23 | 政治

トランプの大統領選勝利は、シリアにおける米軍とロシア軍との実質的な開戦、第三次大戦の勃発を防ぎ、ひいては日本の自衛隊が米軍の援護のためにその戦争に関わる運命にあったことを避けることができたという点で、天祐とも言うべき出来事であると思います。「品のない柄の悪い大統領が当選した」などというレベルの感想しか述べられない日本人が多いことを大変残念に思います。

 

また、選挙前にトランプが「不正選挙が行われつつある現実」を糾弾して、このままでは選挙結果を受け入れかねると発言したことを猛烈に批判したメディアや人達が、トランプが選ばれた途端に「選挙結果を受け入れない」とデモをしている群衆に批難の声をあげない不条理をどう考えればよいのでしょう。あのNHKですらデモをする群衆に同情的とも取れる報道を繰り返すことに、「結局デモクラシーの基本も理解できていなかったのか」と暗澹たる気持ちになります。デモは「選挙が不正であった」と訴えているのではなく、「選挙結果が気に入らない」と訴えている全くデタラメな内容なのです。

 

日本ではトランプの勝利をネトウヨが喜んでいて、サヨクは怒っているらしいです。日本のサヨクは「クリントンが勝利して安倍首相と共にTPPを推し進め、シリアで米国とロシアで戦争が始まった方が良かった」と言っているのですから全く愚かな上に恐ろしい人達です。

 

ところで、トランプは無制限な自由貿易であるグローバリズムには反対であり、内向きの政治を行う事を公約としていることから、極右とかナショナリズム偏重と言われています。確かにサヨクというのは国家の枠組みをなくし、グローバリズムを推進する事を信条としていますから、安倍首相のようなTPP推進派はバリバリの左翼であると普段から私が批判している通りです。

 

経済の三要素は資本、労働力(ヒト)、資源(または物)と言われていますが、これら3つが国内でバランス良く成長すると健全な経済成長になります。しかし資源のない国や資源しかない国もあるからお互いの足りない所をやり取りする「貿易」を行うことでwin-winになるというのがこれまた国際貿易の健全な姿です。初期の(90年代)グローバリズムでは国家単位で資本の国(米国)、労働力の国(中国)、資源の国(中東など)と分けて国家単位で経済の要素を分担するグローバリズムでした。結果、米国はドルが国際通貨だから輪転機を回すだけ(或はコンピュータのキーをはじくだけ)でいくらでも資本を作り出すことができていくらでも儲けることができた。中国も安い労働力で世界から労働を奪って国家としては豊かになったのです。

 

しかし経済は「商品」を買ってもらわなければ回らないから当初豊かになった米国や中国で商品が良く売れたけれども国家内という単位で見ると豊かになったのは資本家や一部の高所得者だけで一般の労働者や物を扱う人達は安い労働力や物価であった他国の基準に引っ張られて等しく貧しくなってしまったというのが21世紀に入ってからのグローバリズムの姿です。つまり始めは国家間で貧富の差があったものが、次第に国内で貧富の差がついてそれが各国同じ状況に近づいてきたということです。

 

国家国益のためといって米軍が「テロとの戦争」を推し進めても結局グローバル企業が儲かるだけで国民が豊かになる訳ではないということが次第に解って来て、米軍の軍人達ももう騙されなくなってきた。トランプ氏を支持する米軍の将官が200人はいるという評判ですが、「米国の国益」という仮面をかぶったグローバリズムの「化けの皮が剥がれた」ことを米軍の当局者達が最も良くわかっている証拠でしょう。

 

「反グローバリズム」というのは「それぞれの国の中で経済の三要素が健全に発展するように戻しましょう」という運動であって、労働賃金に国家間で差があっても良いではないか(そのためには外国からの製品に高い関税を儲ける)という運動です。安倍首相はこの時になっても「関税をなくすTPPが日本の国益に資する」などと戯言を言ってTPPを批准する方向で動いていますが、欧州もTTIP(環大西洋貿易投資連携協定)にNoを突きつけているのに、日本だけが未だにTPPまっしぐら(国内は反対だらけなのに)というのは哀れなほどです。

 

アントニオ・ネグリとマイケル・ハートはグローバリズムにおける権力構造を「帝国」と呼び(以文社 2003年)、新たな民衆の敵として具象化してみせました。そしてその「帝国」的権力に対するグローバル民主主義の構成に向かう多種多様な集団的主体を「マルチチュード」と任命しました。続く「マルチチュード・帝国時代の戦争と民主主義」(NHKブックス2005年)や「コモンウエルス上・下」(NHKブックス2009年)、「反逆」(NHKブックス2013)でもマルチチュードたるものの「帝国」への抵抗のありようを種々説いているのですが、どうも抽象的すぎて今ひとつ理解しにくいものでした。「反逆」においては「アラブの春」の様がマルチチュードの表現とされていて、アラブの春も旧ロシア領のカラー革命もCIAに踊らされた米資本主義帝国のための権力構造の棚卸しである事が明確であるのに何を血迷った解説をしているのだろう、という感想しか持てませんでした。ネグリ・ハートはどうしても20世紀的な左翼思想から脱皮できておらず、地球市民的な抵抗運動に郷愁を持ち続けている点で「現実には使い物にならない」思想なのだと思います。

 

私は英国における「ブレグジット」によるナショナリズム回帰、欧州における移民増加を拒否する「自分達の生活を守る思想」、今回のトランプを応援する「グローバリズムの否定と米国内第一主義への回帰」こそが「一般民衆が声をあげてグローバリズムにNoを突きつけた」マルチチュードの平和的革命であると思います。移民とかマイノリティーとかを阻害するという点でこれはサヨクの人達からすると「受け入れがたい考え」のように見えますが、移民やマイノリティーを重視して「奇麗事を押し付ける事」で大衆を抑圧する方策こそが「グローバリスト達の常套手段」であることにそろそろ気がつくべきなのです。

 

移民は移民しなくても元の場所で生活できるようにグローバリズムを潰してローカリズムを復活させれば良いのであり、マイノリティはマジョリティを支配しようとせず(これを専制政治と言います)マジョリティを尊重しつつも自分達の地位を確保できるように訴えてゆけばよいのです。だからブレグジットやトランピズムで示された大衆の意思(グローバリストはこれをポピュリズムと呼んで上から目線で批判します)こそがグローバリズムに一石を投ずるマルチチュードの反乱と呼ぶべきなのです。残念ながらこのような視点を主張しているのは私だけ(海外のブログなどもググってみましたが)のようです。それだけ「反グローバリズムが具体的な力を持つ」ことを畏れる権力者やメディアが多いということでしょう。

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書評「やがて死ぬけしき」

2016-10-31 23:25:12 | 書評

書評「やがて死ぬけしき」 玄侑宗久著 サンガ新書2016年刊

 

「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」 という芭蕉の句からヒントを得て付けられた題名で、商品化される墓や葬儀、大震災と死、がん治療や新薬の登場まで、現代の死の様相を考えるとともに、いろは歌や高僧の言葉に耳を傾けながら、日本人の死生観の変遷を辿る。芥川賞作家の禅僧が語る、安心して死ぬための心構えと、さわやかに生き直す秘訣!・・というのが商品に付けられた説明でその通りなのですが、やはり死をいうものを意識して生きる大切さ、特にがんになった時に考えるべき「死」の様相を解りやすく示唆した(説明したとは言いがたいので)優れた内容の本だと思いました。

 

種々の示唆に富む話、送り経としての「いろは歌」から震災後に被災地で見られた怪談話までエッセイを集めたような形で特に形式張らずに集めた内容なのですが、医師として特に印象に残ったのは、がんの終末期と題名である「やがて死ぬけしき」の句を掛け合わせて説明した所でしょうか。「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」という芭蕉の句は様々な解釈があります。蝉はもうすぐ死んでしまう短い命なのに能天気に無邪気に鳴き騒ぐものだ、という軽卒をたしなめるような解釈もあり、鈴木大拙氏のように小さく短い命であっても十の力を出し切って生きる蝉こそ偉いのである、と讃える解釈もあります。玄侑宗久氏は蝉の人生の大半は地中にある、世に出る蝉の姿は長い蝉としての人生の終末期であって人生としては変態を遂げた別のステージであり「やがて死ぬけしき」なのだ(ということを意識して蝉の声を聞いてはいないが)という感嘆であると説明しています。私もこの解釈が良いように思います。

 

今までの長い人生は別の所にあって、人生の終末期は別のステージとして「やがて死ぬけしき」として存在するという考え方は、人間で言えば「がんの末期」や「老いで寝たきり」米澤 慧氏の表現を借りると「老揺(たゆたい)期」という事になるのではないかと思います。人間の場合は蝉のように長い臥薪嘗胆の末に繁殖のために花開く時という訳ではありませんが、人生の終末期とは「やがて死ぬけしき」として死を意識しながら人生の別のステージとして過ごす大事な時ではないか、という考え方は共感できます。日本人の死生観として、死を「新たな旅立ち」「誰もが知るあの世への帰還」と捉える事が大切であり、むやみに死を「恐怖」とのみ捉えることから開放される準備をするのは意味のあることだと思います。その中で宗教の役割、今話題の臨床宗教師の意義といった事も説明されます。

 

私の病院は地域の「がん拠点病院」に指定されています。私も「がん拠点病院」の内部委員として診療内容の充実に向けて会議に出席もするのですが、現在の急性期病棟のみで緩和病棟がない状態ではどうしても「治療できるがん」をベルトコンベア式に次々と治療してゆくのみで、終末期の患者さんをじっくりと看て行くことができないジレンマがあります。患者さんの立場にしてみると、早期癌から進行癌になって末期になるまで同じ一人の人間として存在するのですから、進行癌から末期になった所で当院では診れないので別の施設に移って下さいと言われても簡単に気持ちの切り替えができるものではないと思います。結局急性期病棟の中で次々と退院してゆく患者さんの中で末期の方も診るという結果になってしまうのですが、できれば同じ施設の中で自然な感じで急性期病棟から緩和病棟に移動して、最期は畳の上(自宅で)で迎えることができれば最高なのではないかと常々思います。

 

本書の内容から印象に残る話として、死が近い人が「亡くなった近親者の迎え」を感ずるのは自宅の場合の方が多い、という話が紹介されていて、「近親者の迎え」を感ずる人の方が安らかな死を迎えることができると言われています。「近親者の迎え」は日本だけでなく、アメリカのテレビドラマでも撃たれて死ぬ間際の人が亡くなった父親が自分を迎えに来ていると横で手を握る同僚に話すシーンがあり(NCISであった)、万国共通なのだと思います。また迎えに来るのは必ず死んだ人であること(小児であっても生きている親ではなく、必ず亡くなった肉親に限られる)が科学的に確かめられていて、人間にとって死の持つ意味や死後の世界というものの共通認識につながっていると考えられているようです。

 

一生懸命早期癌、進行癌を治療してきた医師ほど、ある程度の年齢を迎えると終末期医療や看取りをしっかりやりたいと考えるようになってホスピス医療を行う場合が多いのですが、私もそのような時期に来ているのかもしれないと少し感じています。

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日本のがん医療は遅れているのか?

2016-10-20 16:26:13 | 医療

下記の厚労省の統計からの表に示すように、1980年以降日本人の死因の第一位は悪性新生物(がん)です。また40歳から90歳までの年齢層においても死因の一位はがんです。日本人のがん罹患率も年間160万人と増加を続けています。大阪府立成人病センターの記事を見ても、大阪府のがん罹患数、死亡数ともに2005年は1975年の2.5倍近くになっていることが解ります。日本人の二人に一人は一生の間に癌になりますし、3人に一人は癌で死ぬのが日本の現状です。

   

    日本の主な死因順位の変遷                                                大阪府のがん罹患数

 

このような統計だけを見ると、日本のがん医療が諸外国と比べて遅れていると勘違いをしてしまう人が中にはいますが、私が以前から指摘しているように日本における早期癌への治療は進んでおり、早期癌は根治してしまい、一生のうちに複数の癌にかかる高齢者が増加することでがんの罹患率が増加し、高齢者が他の病気で亡くならず、結局癌で死亡するから死因としての癌が増加する事を理解する必要があります。決して若い人のがん死が増加しているわけではありません。まあ勘違いしているだけならば良いのですが、本気で日本の急性期がん医療が間違っていると思い込んで正しい癌の治療を拒否してしまう「意識高い系」を自任する人達がいるので現場では困ることが度々あります。私もいままで複数のそのような方に遭遇し、適切な時期に治療をしなかったり、インチキ民間医療に走ったためにいよいよ重体になってどうにもならない状態になって救急車で病院に搬送されるといった経験をしてきました。その状態からは辛い状態をしのぐ一時的な処置と緩和医療しかできませんし、一番苦しい思いをするのは患者さん自身です。

  

 H6年とH23年の人口10万人あたりの癌死亡数(縦軸は人数)超高齢者は増加             H6年とH23年の全死因にしめる癌の割合(がん死数/全死亡数)若年者ではがん死はむしろ減っている

厚労省の死亡統計から作成した平成6年と22年の人口10万人あたりの年齢別がん死亡数を見ると、高齢者のがん死は増加しているものの、若年者は同等または減少していることが解ります。小児がん死は一見増加傾向に見えますが、小児の死亡率自体が減少しているので実患者数は減っていることが死亡統計の図からわかります。つまり高齢者の寿命ともいえるがん死(天寿癌)は増加していますが、若い人のがん死が増えている訳ではないのです。

 

   H6年とH23年の全死亡者数(実数)の年齢別推移 (縦軸は対数で人数、小児、若年者は死亡者数自体が減っている)

では全ての領域において日本のがん医療が優れているかというと、医師である私から見てもそう思えない分野が多々あります。それは終末期におけるがん医療です。治癒が期待できる早期癌については、現在の日本の医療は大変優れていると思います。しかし転移を伴う進行癌の治療についてはどうでしょうか。現実には早期癌を扱う急性期病院がそのまま進行癌や終末期の癌、看取りを含めて対応しているというのが現在の姿です。しかし欧米においては医療制度の違いもありますが、それぞれのステージにおいて医療の棲み分けがなされていると言えます。確実に治る早期癌の人が手術をしてどんどん退院してゆく隣で末期がんの人が点滴につながれて緩和医療を延々と行っているというのは明らかに異常な姿です。患者さんにとってもそのような病室で終末期を迎えることが残り少ない人生を自分らしく生きる助けになるとは思えません。

 

完治できない進行を遅らせるだけの治療であっても、自宅で苦痛なく普通に生活できることが前提の医療であれば、急性期病院でがん治療することは目的にかなっていると思います。しかし終末期になり、緩和医療が中心になったら自宅でホームドクターの往診を受けながら過ごすか、ホスピスのような自分のペースでのんびりと過ごせる病院で最後を迎えるのが優れた医療と言えると思います。特に患者さん本人や家族への「こころのケア」に配慮した医療ができれば最高だろうと思います。

 

日本のがん医療が遅れているのは「終末期の医療」においてです。

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抗がん剤治療は無意味か?

2016-09-26 23:11:40 | 医療

最近複数の雑誌などで手術や薬物治療を否定するような特集が組まれて、「医者も自分なら受けない治療」などというキャッチコピーで人気記事になっています。西洋医学が進歩して「急性疾患であれば治るのが当たり前」になる一方慢性疾患は未だに症状をごまかすことしか出来ない現状から、そのような西洋医学の弱点に対して伝統医学やまやかしとしか思えない施術がいかにも「一歩進んだ医療」といわんばかりの紹介をされることがあります。

 

「がん」医療については、早期癌については手術や放射線治療の技術が進み、「根治」できる場合が多くなってきました。しかし原発巣から遠隔転移や浸潤を伴う進行癌になってしまうと、種々の抗がん剤治療が発達してきた現在でもなかなか根治に至らず、「がん死」の転帰を取る場合が多いのが現実です。そこで「根治できない抗がん剤治療は無意味だ」「抗がん剤治療は製薬会社と医者の儲け手段だ」という主張がなされるようになります。確かに新しい抗がん剤は非常に高価な物も多く、1瓶60万円とか一日内服2万5千円といった物もあり、今話題の肺がん(腎癌にも適応追加)治療剤オブジーボは一回150万円、年間3600万円という途方も無い値段になります。それで癌が根治するのかというと、しません。

 

しかし古くからある比較的安価な抗がん剤や後発品であっても効果がある薬剤は沢山あるので、経済的な問題は一時置いておいて、ここでは「抗がん剤治療は無意味か?」という問題について考えたいと思います。

 

多くの識者が指摘するように、抗がん剤の多くはがんを「根治」することはできません。白血病やリンパ腫、一部の癌においては全身播種や転移を伴う癌も根治可能なものがあります。私も睾丸腫瘍で複数のリンパ節転移がある例を化学療法で根治に持って行った事が何人もあります。私の母も抗がん剤+放射線治療で食道がんを治療し、すでに5年再発がありません。しかし根治できない癌の場合はどんなに頑張っても駄目です。

 

では根治できない癌を抗がん剤で治療するのは「無駄」なことでしょうか。確かに抗がん剤が全く効かず、治療しても一方的に癌が進行して死に至る例もあります。また抗がん剤の副作用で患者が亡くなってしまう所謂「化学療法死」というのもあります。このような場合は「無駄」或は「やらない方が良かった」という結論になるでしょう。

 

しかし最近の化学療法は吐き気や骨髄抑制などの副作用対策も進んで、また治療効果も高いものが多く、10年前であれば半年程度しか生きながらえなかった進行癌が、治療をすることで2年3年と日常生活を送ることができるようになってきました。最終的には「がん死」に至るのですが、治療をしながら2年3年と自宅で普通に生活することを「無駄」「意味の無い人生」と決めつけることはできないと私は思います。根治を目指さず、日常生活が苦痛なく送れるような治療を行うtumor dormancy therapy(癌と共生する)という概念は特に高齢者の癌治療においては重要な考え方と言えます。以前「癌医療におけるこころの問題」とうブログテーマの際に触れましたが、人生において二つ三つの癌を経験することも珍しくない現代の長寿社会においては、「程々に癌を治療する」ということも医療の目標として良いと思いますし、超高齢者の癌は天寿癌として緩和的な医療のみ行う方向で良いと思います。実際現実の医療において、私はこのような考え方を実践しています。

 

「根治を目指さない癌治療は無意味」「癌と共に生きる人生は敗北」という考え方も人生観の一つとして「あり」「一つの見識」だとは思いますが、日本人の死生観は「肉体は死んでも魂はあの世で生き続ける」「死生一体」というものであり、死んだら神の審判が降りるまで復活はないといった一神教的な西洋思想とは別であると思います。だから肉体が完全でなくても「それなりに自分らしく生きる」ことができればその間を「無意味」と定義付ける必要はないと思います。できるだけ日常生活を続けることができる「抗がん剤治療」であれば、無意味だと決めつけるのは誤りだと私は考えます。

 

「がんとは何か」

少しテーマから外れますが、医師や専門家は常識としているところの「がん」の概念を正しく理解していない一般の人があまりにも多いことを普段患者さんと接していて痛感しますので、ここで「がん」とは何かについて触れておきます。

 

「がん」とは「身体の細胞が決まった機能を逸脱してしかも無限に増殖してしまう状態」を言います。だから身体の細胞の種類だけ癌にも種類があり、機能逸脱の状態も増殖の状態も様々あることになります。「がん」という決まった病気があるのではなく、機能を逸脱して無限増殖する細胞があればその「状態」を「がん」と表現しているにすぎないのです。「血液検査すればがんがわかるのでしょう?」「癌化する遺伝子は決まっているのでしょう?」いずれも間違いです(一部正解ですが)。ちなみに上皮由来のがんを「癌」非上皮由来のがんを「肉腫」といい両方あわせてひらがなの「がん」と言います。

 

従って、抗がん剤とは「機能の逸脱を戻す」「無限の増殖を抑える」「本来の自分の細胞でなくなった非自己である細胞を認識して殺す」といった作用機序が考えられます。機能の逸脱を戻すものには血液癌の治療に使うものがあり、増殖抑制はチロシンキナーゼ阻害剤やDNA合成阻害剤など最も種類が多い抗がん剤です。非自己を認識して殺すものは免疫療法剤や各種の抗体治療剤があります。「・・・でがんが治る」などという広告を良く見かけますが、「・・・」の部分が機能の逸脱を是正するのか、癌細胞の増殖を抑えることが立証されているのか、非自己であることを認識して殺すのかきちんと説明してあるのは希です。それが書いてないものは「インチキ」と断定して良いです。がんとは西洋医学でサイエンスに基づいて病理学的に定義付けられた「細胞の状態」であって「がん」という「ひとつの物」が漠然と存在する訳ではないからです。

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生前譲位と憲法

2016-09-12 23:20:18 | 政治

2016年8月8日に放送されたビデオによる今上陛下の「生前譲位希望」を示唆するお言葉に対して、各界や安倍総理のコメントなどその対応を巡って議論が交わされています。私は結論的には現行法制通りに摂政を立ててご逝去されてからの新たな即位で全く問題ないと思っています。日本は天皇存在の有無に関わらず民心が動揺する事は無いと考えるからです。しかし改めて天皇の存在を考える時、日本国憲法の第一条に規定されているからには日本国のあり方を考える上で非常に重要な存在であることは明らかと思いますし、再度憲法との関わりについて検討してみるべきであると思いました。

  

 

まず日本国憲法と大日本帝国憲法の構成を比べてみると、その構成が殆ど同じであることが解ります。押しつけ云々と言われていますが、日本国憲法は大日本帝国憲法からの移行にパッと見で違和感がないよう配慮されていて、何よりポツダム宣言受諾において必須とされた「国体の護持」が保たれている事を印象付けるように第一章に天皇を置き、天皇が日本国において最初に規定されるべき存在でしかも「今後も存続する」存在であることが示されています。そして今までになかった戦争放棄の規定を二番目に配置して、帝国軍の無条件降伏とこちらは「存続の否定」が明示されたのです(帝国軍の消滅であって専守防衛に徹する限りにおいて自衛隊は別と私は思います。だからこそ帝国軍的な行動を取りかねない海外派兵はもっともらしい理由があっても絶対不可なのです)。それ以降の構成は国民主権、基本的人権の尊重に基づいて帝国憲法に類似の構成で国内の基本的規範が憲法上規定されたと考えれば分かりやすい内容です。

  

この構成は合衆国憲法とも全く異なりますし、同じ立憲君主制のオランダ憲法とも異なります。また同じ敗戦国であるドイツの基本法ともかなり異なることが解ります。

 

私は日常生活において天皇のことなど考えることはありませんし、尊敬はしていますが「絶対」の存在などではなく、天皇機関説、超特別職国家公務員(職業選択の自由がなく任免罷免の明確な規定もありませんが)であると考えています。だから本人が何と言おうが、法律に基づいて粛々と公務を行い、過ごされるのが良いと考えます。昭和大帝もそのお考えで亡くなるまで粛々と過ごされていたものと理解しています。「老い」も皇室典範に規定される身体の不治の重患と考えれば良いのであり、皇室会議の議により第十六条の規定通りに摂政を置けばよいだけの事です。これは日本国憲法の第五条にも銘記された事項です。最近、突然「にわか天皇崇拝者」が増殖して、今上天皇が特別のおことばを述べたからには、その遠回しに希望された内容を直ぐにも叶えなければ「不敬」と言わんばかりの雰囲気が世間に溢れていますが、噴飯ものと言わざるを得ません。現行の法律通りに皇室運営を行うことで困る国民は一人もいません。むしろ無理矢理法改正をしようとすることで不要な皇室論議が惹起されて、必要の無い生前譲位や女系天皇論で国論が二分される事になり、かえって国内が乱れる元になるのです。

 

摂政を置いて、近上天皇が理想とする国事行為を粛々と摂政となる東宮は行う。皇太子は置かない。現行の秋篠宮が今行っている事と同様の皇室外交を秋篠宮家が継続すれば良いだけのことです。宮内庁ホームページにおいて紹介されている「陛下のお言葉」における象徴天皇としてのあり方、考え方は実に正しいと思います。しかし、譲位して天皇でなくなれば、逝去された時の儀式を省略できて国民が楽であると言うお心遣いは無用です。逝去における喪をどう過ごすかは国民の側に託された宿題であって、それをどのように受け止めるかを国民が決めることこそが憲法第一条に規定された「・・この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」の思想を体現することになると私は思います。畏れながらそれを陛下が勝手に決めてはいけません。

 

残念ながら種々のブログや有識者の意見などにもあまり私のような意見は見当たらないのですが、もう一度日本国憲法の精神に戻って、憲法に規定された通りでは何故いけないのか、(天皇の個人的希望ではなく)憲法の精神を一番尊重するにはどうすれば良いのかを冷静に議論する事が大事なのではないかと、憲法の精神をないがしろにしがちな現行安倍内閣を見るにつけ思います。

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書評 日本が中国の属国にさせられる日

2016-08-19 17:30:54 | 書評

書評 日本が中国の属国にさせられる日 副島隆彦 著 2016年刊 KKベストセラーズ

やや衝撃的で挑戦的な題名の本で、販売戦略上ある程度キャッチーなタイトルにせざるを得ない点があったことは前書きにも書いてあるのですが、内容は今までの氏の著作とは少し趣が変わったと思われる内容でした。通常ブログで書いている書評(といっても本の紹介までゆかない単なる感想ですが)の形式ではなくて、直に著者である副島氏に送った感想文を記します。有難い事にすぐに直接著者である副島氏からメールによる返事をいただきました。概ね私の受け止めかたは著者の意図に反していないと言っていただけました。

 

著者 副島隆彦 氏に送った感想

 

 いつも示唆に富むご教示をありがとうございます。今回先生の力作「日本が中国の属国にさせられる日」を拝読し、「今までの先生の切り口と少し違うかな。」と率直な感じを得ました。それは前書きと6章の終論でも述べておられますが、修辞的内容を排して「本音」を直言することで現在の政界・言論界が20世紀的な観念に未だに執着して現在の状況に適合しきれていない状況に警鐘をならしていると思われた事だと思います。

 

 現在右翼左翼ともに何か未だに1980年代的な「セットになった観念」に捉われていて、現実に対応する上で何を言っているか解らないと思う事がしばしばです。共産中国はすでに毛沢東の時代の中国ではなく、米国と次の覇権を争い、必要があれば(国家戦略上利があれば)外国に対して限定的な武力闘争を仕掛ける事も辞さないというのは本当だと思います。「一体どこの国が日本に責めて来ると言うのです?」みたいな事を言っているようでは話にならないのであって、中国が日本に対して武力を使うことに「利なし」と思わせるにはどう振る舞って行くか、という議論が必要なのだとのご提案と感じました。それは「米国の先陣を切って戦場に突入する準備を整える」ことではないことは勿論ですが、もっと根っこの部分から日本のあり方について思想を持ちなさいということかなと愚考しております。以下先生の御著書を拝読して感じたことをご報告させていただきたく存じます。

 

 まず「中国の属国化」というタイトルは中国嫌いの諸兄への先生一流の注意喚起と思いますが、私なりに感じましたのは、広い意味で「日本は中国の文化経済圏の一部である」という先生の主張だと思います。ユーラシア大陸の西の端には種々の問題が山積していますが、統一通貨のユーロ圏という経済圏があり、今回EUからの離脱を表明しましたが、英国がその文化経済圏の一翼を担っています。そして東の端が中国と日本であり、中国は中央政府の統制がめちゃくちゃ強力なユーロ圏のようなものであり、それが二千年来支配者を変えながら続いてきた。現在は漢民族が主体の共産党という中央政府が仕切っている経済圏であると考えられます。日本は好むと好まざるとにかかわらずこの大きな経済圏の一翼を担っていて今後もその影響を受け続けるということだと思います。

 

 企業の経営者たちには中国嫌い、共産党恐怖症の人達が多いというご指摘はその通りでしょう。しかし1億人の日本人が生活してゆくための経済を動かすには今後とも中国とうまく付き合ってゆかねばならず、国益を考慮すれば大陸経済圏の一部として活動してゆく、もっと積極的にかかわってゆくことも必要になると私も思います。現在米国の対中戦略に取り込まれて日中が対立する構図が作られつつありますが、詰まるところ裏で手を結んだ米中に日本が二分割されるような結末にならないよう注意する必要があります。そのような「まさかという事」を平気でやるのが大国というものだと私も思います。

 

 また理屈だけでよい社会が作れるなどという幻想を抱いている左翼への叱責もまさしく当を得ていると思います。人間は理屈だけでは動きません。理屈で動かない人間を処罰や殺戮で言うことを聞かせてきたのが左翼の歴史です。その事実に真摯に向き合いなさいという先生のご指摘は至言と思いました。

 

 今程リベラルと言われる人達の立ち位置がはっきりしない時代はないと思います。1980年代のようなマルクス主義と反米・市民運動がセットになったような状態は比較的解りやすい状態であったと思いますが、反グローバリズムは突き詰めるとナショナリズムに繫がる可能性があり、親韓・親中も中韓のナショナリズム的右翼思想に利用されるだけという構図が見えている状態で「自分はリベラル」と思っている人達は一体何を主張すれば良いのか呆然としているのではないかと思われます。先生が主張されるようにきちんと左翼の誤りを総括してその上で何を目指すべきかを確立しなさい、というのは非常に重要な事と思います。

 

 ファシズムにならない郷土愛やナショナリズムというのは、米国の伝統的右翼・保守というのが国家統制から徹底的に自由であろうとする「リバータリアリズム」という解りやすい立ち位置である一方、日本の保守が米国では国家の統制を強める左翼的思想に近いというのが日本のリベラルにとって混乱する原因になっているように感じます。国家をバックにしたグローバリズム(コーポラティズム)に対抗する思想的な軸を確立するとともに、1億人が食べて行くにはどうするか、といった現実的な対応を提供できるようなリベラル思想がなければ「良くわからないうちにアジア人同士で戦争をさせられる羽目になる」という状況を打破する事はできないのではないかと先生の著作を読みながら痛感しました。

 

 以上雑駁な感想で恐縮ですが、今後とも先生のご活躍、ご教示宜しく御願いいたします。            Rakitarou   拝

 

以下 副島隆彦 氏からの返事

 

拙本 「日本が中国の属国にさせられる日 」をお読みいただき、丁寧な感想をお書きくださりありがとうございます。  正確に 私の考えを理解してくださいまして、心から嬉しく思います。

このように 私は、日本の 右、左 の両方を、結果として敵に回す(ほどではなくて、さらに無視される)ことになります。  私の先生たちが、そういう人たちでした。

そのために 勢力としての 彼らの仲間に入ることが、どうしても出来ません。

言論人として、影響力を持てないままで、生きてゆくのは、大変です。

これも自分の運命と、今では、すっかり諦めています。 諦(あきら)めるとは、何が事実かを明らかにする、ということだと、ずっと考えて生きてきました。

 

私にとっては、この本は、見抜いていただいたとおり、かなりの決断の末の 大きな態度変更の本です。日本共産党系の私の、数少ない、しかし、私から情報を取っていた人たちが、早くも、離反しました。 彼らは、やはり 古臭い左翼です。過去の栄光も、自分たちの先人たちの業績さえも、はっきりと確認できない人たちだ。

嫌われてもかまわない、という生き方を、私は、これからも、死ぬまで続けるのでしょう。

丁寧な読後感想をありがとうございます。重ねてお礼を申し上げます。

副島隆彦拝

 

 私は読んで強い印象を受けた本は、著者に出版社経由で感想を送ったりすることもたびたびあるのですが、きちんと返事を返して下さる著者の方も多く、有難いと思います。副島氏は10数年前に初めて読んだ経済本で強い衝撃を受けて感想を送った時も丁寧に封書で返書いただき、普段はべらんめい調ですが、非常に読者を大切にしている方だと以来尊敬しています。その点、「内田 樹」氏は著作の内容は非常に納得できるのですが、感想を送っても「なんで自分の知らない人の書いた文を読まされないといけないの?」などとツイートされてしまうので、不特定多数へ情報発信をしているプロの言葉と思えず興ざめでした。

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終戦の日に戦傷病学を考える

2016-08-15 23:57:19 | 医療

雑誌「軍事研究」8月号に「戦闘外傷からのサバイバルー駆けつけ警護自衛隊は戦死者続出」という記事が載っており、現代の戦傷病学について簡潔に説明されていて興味深く読みました。私が戦傷病学を学んだのは1980年代であり、当時はまだ米軍の朝鮮戦争・ベトナム戦争時の戦傷病学が自衛隊でも教えられていて、テレビ映画「M★A★S★H」(mobile army surgical hospital)の世界のような感じでした。今では災害医療の常識となっているトリアージ(傷病者の振り分け)も元は大量の戦傷病者を効率的に治療する目的で行われていたものであり、80年代当時我々も習いました。銃創についてもhigh velocity wound、low velocity woundライフル銃か拳銃かといった位は習いましたが現代のような高機能ライフルや高性能爆薬が実用化されていなかったのでまだ込み入った状況ではなかったと思います。米国内では当時から銃犯罪は多発していたので、米国で実際に医療を行っていた医師から「ブルックリンで銃で撃たれた妊婦から子供を取り出した」みたいな話は聞いていました。

 

記事を読んで、現代の戦傷病学を語る上で以前と大きく異なるように感じたのは以下の点です。

 

○  陸上戦闘では小口径銃(7.62mmから5.56mmへ)が中心になっていること。

○  命中精度の高い銃でスナイパーが防弾チョッキのない腰から下を狙うこと。

○  高性能爆薬で四肢が吹き飛ばされる可能性が高いこと。

 

銃の小口径化はNATOに続いて自衛隊でも行われていて、私が習った64式小銃は既に旧式で89式小銃(5.56mm)やMINIMIという分隊用機関銃も小口径を使っています。一方現代戦の特徴である対人狙撃銃の導入も行われています。

 

  陸上自衛隊89式小銃

映画「アメリカン・スナイパー」はイラク、アフガニスタンなどでの米軍の戦闘を具体的に描いていた訳ですが、主人公が前線で哨戒する兵士達をやや後方からスナイプすることで支援する現代戦の様がよく解ります。バトルライフルの命中精度が飛躍的に上がって、ゴーグルを使用すると450mの距離で30cmの的に50%は当たるという状況になり、戦闘の有効射程が700-800mになってきている(裸眼では殆ど見えない所から撃ってくる)現状があります。つまり前線で小口径の銃を乱射して敵を誘い出しておいて見えない遠方からスナイパーが仕留めるというのが現代の戦法です。先週から始まったNCIS LAの新シリーズでもテロリストとの国内における戦闘でこの方法が取られていて「ほう」と感心しました。私は昔64式小銃でスコープなしですが、400m先の4m四方くらいの的にまぐれで当てたことがあります。1-2mmずれてもメートル単位で的が外れるのであくまでまぐれです。南部式のピストルは25m離れて30cmの的に当てるのは時々当たるという程度です。テレビなどで刑事役の人が中央近くにバシバシ当てているのは出来過ぎと思います。

 

爆薬の高性能化を逆手に取ったものが、イラクなどでイスラム原理主義勢力が用いたIED( Improvised explosive device) で、数千円の元手で数百万から千万単位の装甲車などを吹き飛ばすことができるというものです。以前「勝てないアメリカ」という書評で紹介した通りです。ここで大事になってくるのが、四肢からの出血を最小限に抑える止血帯の利用です。米軍では一人最低2個の止血帯をいつでも直ぐに使えるよう携帯することが義務づけられているそうです。

 

   米軍の個人用救急装備

以下備忘録の意味で現代戦傷病の原則を記しておきます。

○  2-2-3の原則 2分以内で止血、20分以内で鎮痛(モルヒネなど)、3時間以内で有効な外科的処置による止血(阻血によって壊死を起こすから)。

○  SABACAの原則 Self-aidまず自分を助けよ

         Buddy-aid戦闘員相互の救護

         Civilian-aid市民への救護提供

○  LLEの原則 戦闘外傷救護の優先順位 Life-Limb-Eyesight(生命、四肢、視力)の順

 

これらはtactical combat casualty careのガイドブックによる防ぎ得た戦死の統計から得られた教訓だそうです。私は幸い戦傷病を診療せずに医師人生を終えることができそうですが、子供や孫の時代の日本人が再び戦火の中でこのような戦傷病と戦わねばならない日が来ることは避けたいものです。自然災害と違い、戦争は止めようと思えば止められるものです。現実に世の中に戦争がある以上、現代の戦傷病学は知っておかねばなりませんが、「殺し合いを避けるあらゆる努力(非武装中立ということではありません)」が第一であることは論を待たないと思います。

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ルーズベルトの三選がなければ第二次大戦も原爆投下もなかった?

2016-08-10 19:15:40 | 歴史

今年も原爆忌が過ぎましたが、広島の原爆投下にあたる8月6日に非常に興味深い番組がNHKスペシャルとして放送されました。「決断なき原爆投下 
~米大統領 71年目の真実~」と題されて、NHKの番組公式サイトにおける説明として「アメリカでは原爆投下は、大統領が明確な意思のもとに決断した“意義ある作戦だった”という捉え方が今も一般的だ。その定説が今、歴史家たちによって見直されようとしている。
アメリカではこれまで軍の責任を問うような研究は、退役軍人らの反発を受けるため、歴史家たちが避けてきたが、多くが世を去る中、検証が不十分だった軍内部の資料や、政権との親書が解析され、意思決定をめぐる新事実が次々と明らかになっている。
最新の研究からは、原爆投下を巡る決断は、終始、軍の主導で進められ、トルーマン大統領は、それに追随していく他なかったこと、そして、広島・長崎の「市街地」への投下には気付いていなかった可能性が浮かび上がっている。それにも関わらず大統領は、戦後しばらくたってから、原爆投下を「必要だと考え自らが指示した」とアナウンスしていたのだ。
今回、NHKでは投下作戦に加わった10人を超える元軍人の証言、原爆開発の指揮官・陸軍グローブズ将軍らの肉声を録音したテープを相次いで発見した。そして、証言を裏付けるため、軍の内部資料や、各地に散逸していた政権中枢の極秘文書を読み解いた。
「トルーマン大統領は、実は何も決断していなかった…」
アメリカを代表する歴史家の多くがいま口を揃えて声にし始めた新事実。71年目の夏、その検証と共に独自取材によって21万人の命を奪い去った原爆投下の知られざる真実に迫る。」というものです。

 

ルーズベルトの突然の死亡(4選されて4ヶ月なので死ぬことは予期されていなかったと思われます)によって副大統領になって4ヶ月しか間がないハリー・トルーマンが大統領として終了間際の戦争の指揮を執る事になり、日本に対する原爆の使用についても大統領として全責任を負うことになりました。原爆の計画が極秘裏に始まったのが1942年ですから、ほぼ完成した状態で詳しいことを知らされずに原爆使用についての責任を持たされたのはやや気の毒な感じもします。番組によると広島・長崎の原爆はトルーマン大統領が決断する間もないうちに規定の方針の如く軍部の計画として使用されたとなっています。当初京都への第一弾の投下が強く主張されたのですが、軍がおらず、市民の無差別殺戮を行うことになるという理由で陸軍長官のスティムソンとトルーマンによって変更させられたということです。恐らく京都に訪問歴がある民間人のスティムソンにとっては古都の文化を灰に帰す事への躊躇もあったのではないかと思います。しかし戦後「戦争を早く終わらせるために原爆が必要だった。」という後付けの言い訳を考え出したのは原爆推進派のスティムソンであると言われており、トルーマンはその説を採用し続けた訳です。

 

この「原爆投下正当化論」というのも広く米国では信じられているものの、近年「本当にそうか」という議論がまっとうなエリート達の間では行われるようになってきており、ハーバードビジネススクールにおける授業でも論理的、倫理的妥当性についてまじめに議論がされるようになってきました。

 

私は以前から、周りが反対したにも関わらず「無条件降伏」というかつての戦争でありえなかった戦争終結条件をルーズベルトという非情な男が設定しなければ、原爆投下はなかったと思っています。そもそもルーズベルトの日本人に対する人種差別意識がひど過ぎます(日本人は劣等民族なので多民族と交配して民族自体を変えてしまえ、と言っている)。日本への原爆投下もルーズベルトにとっては既定路線であり、だからこそ軍人達は全力で原爆を開発し、前大統領の命令通りに出来上がり次第投下したというのが真相でしょう。

 

私は、ジョージワシントン以来の米国の慣例を無視した大統領連続3選という異常事態を固辞する「節度」をルーズベルトという腎不全で高血圧の「まっとうな判断力を失った人間」が持っていたならば、当時多くの米国人達が抱いていた「関係のない戦争に巻き込まれて死にたくない」という願いがかなったのではないかと思いますし、人類初の核兵器使用による無差別大殺戮という汚名を米国が着る必要もなかったのではと思います。トルーマンは核の軍事基地への限定的使用は考えていましたが、市民の無差別殺戮には反対でしたし、広島・長崎と続けて知らないうちに原爆投下による大殺戮がなされて慌ててこれ以上の核使用を中止する指示を出したほどです。

 

Wikipediaの「1940年アメリカ合衆国大統領選挙(ルーズベルト3選目)」の項を見ると、ルーズベルトは欧州で始まったナチスとの戦争に連合国として加担したがっていたのに対して、共和党から出馬した実業家のウエンデル・ウイルキーはルーズベルトの好戦的な姿勢を批判し孤立主義による米国の繁栄を強く訴えて多くの米国民から支持を得たと言われます。注目するべきは大統領選の得票数でルーズベルトが2700万票で54.7%であるのに対してウイルキーは2200万票で44.8%と僅差であるということです。得票数で僅差であっても選挙人の得票では449人対82人と大差がついてしまうのが米国の大統領選挙の特徴ですが、半分近くの米国民はウイルキーの孤立主義を支持していたことが解ります。

 

この状況、現在の米国大統領選に似ていないでしょうか。戦争大好き民主党のヒラリーが実業家で孤立主義のトランプに僅差で選挙戦を進めています。そもそもヒラリーは民主党の中での選挙でも得票数においてはサンダースに追いつかれる所を「特別代議員という高下駄」のお蔭で民主党候補になったようなものです。オバマ政権一期目の国務長官として、ヒラリーの政治手腕やアラブの春を演出してリビアやエジプトをボロボロの国家に貶め、ISにリビアでせしめた武器を供与して結果大量のシリア難民を作り出した業績は十分理解されているはずなのに、ここでヒラリーが大統領になればルーズベルトの三選目と同じ不幸が米国と世界にふりかかることが十分予想されます。

 

佐藤優氏は「世界史の極意」という本で「歴史的事件をアナロジーで認識して現在の問題を捉える」と提言していましたが、その説に従うとこのルーズベルトの3選と現在のヒラリー・トランプによる大統領選というのはその後に起こりそうな事を含めて極めて示唆に富む内容になると思われるのですがどうでしょうか。

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本当に精神疾患なのだろうか

2016-07-30 13:58:20 | 社会

【相模原19人刺殺】措置入院後2週間で退院、「家族同居」もフォローなく…植松容疑者“野放し状態”で惨劇

戦後最悪とも言われる大量殺人事件で、小出しにされる情報からは全貌をつかむことができないのですが、今回の事件を複雑にしているのは、犠牲者が重度の障害者のみ選択的に被害を受けたこと、加害者が精神疾患で措置入院を施されて退院して間がないことにあると思います。

メディアで紹介されている衆議院議長への手紙などから加害者はある信念を持って「重度の障害がある人は生きている価値がないので殺してしまうべきだ」と考えていて、「日本国からの指示」があればいつでも殺害する、と言ったことで措置入院になっていたようです。そして実際に犯行に及んでしまった訳ですが、実行するにあたって大麻などのドラッグが関与していたことも明らかになってきたうようです。しかし総合的に考えてもこの犯人の精神状態を「精神疾患」として病気のせいだと考えることには無理があるように思います。

この犯人には「誤った信念」と「社会性の欠如」があることは明らかですが、これは精神疾患、医学の問題ではありません。フランスや米国における最近の大量殺人は「テロ」と定義されていても精神疾患による犯罪とは言われていません。「ジハードによる異教徒無差別殺人」や「同性愛者は殺しても良い」というのは「誤った信念」であって、後は犯人が「社会の中で責任ある存在として生きてゆく」という「社会性が欠如」して「自分は何をやっても良い」「事件をおこして自分が死んでもかまわない」という状態になれば、場合によってドラッグなどの後押しがあるかも知れませんが同じような大量殺人は世界中どこでも起きてしまうと思います。

今回の事件は、加害者が精神疾患であって、その管理に問題があったという結論に落とし込んでしまう方向で社会が動いていますが、私はこの人は精神疾患ではないし、このような結論にしたところで何の解決にもならないのではないかと思います。かえって今までの類似した事件のように本当の精神疾患の患者さんへの誤解や社会的差別を助長するだけのように思います。

猟奇的な殺人があると、犯人は精神病であるとか心神耗弱状態だったので責任能力が問えないなどと、刑事罰を回避するための法廷戦術として精神疾患が利用されることが多々あります。しかし同僚の精神科医などは「このような犯人が精神病であることは殆どない」と以前話していました。「誤った信念」「社会性の欠如」がセットになっただけで精神疾患ということにされて加害者の法的責任が免除となり、周囲の人達や医師を含めた行政などの管理者が責任を問われるような結論にならないよう祈ります。これでは今回犠牲になってしまった方やそのご家族の方が浮かばれませんし、再発の予防にもなりません。

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効果が期待できる薬ですが国が滅びる可能性というのもあながち

2016-07-14 12:56:09 | 政治

がん新治療薬 適応外投与で副作用 死亡例も

切除不能の進行癌に対して癌に対する自己の免疫的排除を抑制するポイントを解除することで患者自身の免疫機能で癌を治療するという新しいコンセプトに基づく薬です。悪性黒色腫他肺がんで日本において適応となり、日本中で使用されています。確かに化学療法が効かなくなった進行癌に一定の効果を示して(全例に効く訳ではありません)いて有効な薬であることは間違いありません。

問題は2週間毎の投与で1回150万円かかること、毎月小型車2台を買って行くのに等しい医療費を当然国民全員の保険で賄って行くことになります。しかも終了地点は効いている限りずっと(年単位ではマンションや家が買える値段になります)続けるという事です。

癌の抗原性を認識して自己の免疫力で攻撃するというコンセプトですから、現在適応の癌腫以外にもいくらでも効果が期待でき、今後適応癌腫が広がって行きます。この秋には腎癌にも保険適応が広がり、いずれ膀胱癌など他の癌腫にも広がると言われています。

特定の癌細胞をターゲット(攻撃目標)にしている訳ではないので、もともと癌細胞は自分自身の細胞であることから、正常な自分自身の細胞に対して攻撃が行われて所謂自己免疫疾患を副作用として併発する可能性が高いこと(指摘されている間質性肺炎など)も問題です。例えは悪いかもしれませんが、暴漢やテロリストを取り締まる警官隊の機能をめちゃくちゃ高めて、しかも抑制する司令官を拘束して「好きなように怪しい奴を攻撃しろ」と言って街に放した状態と考えて下さい。まともな市民でも少しでも怪しいそぶりをみせようものなら機関銃を乱射されて銃殺というのがこの治療です。

この免疫治療、残念ながら「癌の根治」は望めません。早期に導入すればもしかすると可能なのかもしれませんが、以前この治療の研究を専門に行っている研究者の方と討論した時にも「可能性はあり、完治例も世界の中では散見されているようでもありますが、現在の使い方では無理」ということでした。本来毎日人間の体内では何万という癌細胞が誕生しているのですが、自己の免疫能や癌細胞自体の不完全さによって自然に体内から除去されています。そういった免疫チェックをすり抜けた希有な癌細胞がたまたま増殖してしまって臨床的な癌になると言われています。自己の免疫チェックをすり抜けて臨床的な癌に発展した「臨床癌」を再度自己の免疫機能で完治するというのは所詮無理がある設定ではないか、と私には思います。神はそのような免疫能力を人間や動物には与えていないと私は思うのですが皆さんはどう思われるでしょうか。

さて、子宮頸癌のワクチン療法の際にも、一例の子宮頸癌の発症を抑えるために750万円の税金がかかることを紹介しましたが、癌の延命に一例3,600万円皆の払う保険医料と税でかかるこの治療を広げて行くことに国民は皆賛成なのでしょうか。日本国民の平均年収が1,000万円を超えているような裕福な国ならば永続可能と思いますが。

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クリントン候補の私用メール問題不問か

2016-07-08 18:52:46 | 政治

サンダース氏、12日に支持表明か=クリントン氏とそろい踏み―米紙

クリントン候補の私用メール問題不問か

東京新聞2016.7.6朝刊(引用開始)

 

私用メール問題 クリントン氏の訴追求めず FBI、意図的でないと判断

 

 【ワシントン=後藤孝好】米大統領選で民主党の指名獲得を確実にしたヒラリー・クリントン前国務長官(68)が公務で私用メールを使っていた問題で、米連邦捜査局(FBI)は五日、訴追を求めないとの捜査結果を発表した。司法省が近く最終的な判断を示すが、訴追されない可能性が高まった。

 FBIによると、クリントン氏が国務長官時代に私用のメールアドレスで送受信した内容に、機密情報が含まれていた疑いがあるとして捜査。三万通以上のメールを精査したところ、当時、機密情報に指定されていた内容を含むメールがあったことが判明した。

 だが、クリントン氏や側近らが意図的に機密情報を流出させたことはなかったと判断。FBIのコミー長官は機密情報の取り扱いについて「極めて軽率だった」と批判したが、訴追には至らないと結論づけた。

 FBIは二日、首都ワシントンでクリントン氏から三時間半にわたって任意で事情聴取。側近らからも事情を聴いて捜査していた。

 クリントン氏は私用メールを使ったことが間違っていたと認めつつも、当時は機密情報と記されていなかったなどとして、違法性はないと主張していた。

 

この私用メール問題というのは機密情報が含まれる内容を私用メールで送ったということが問題になっているようですが、本当の問題はこの機密情報の内容であると副島隆彦氏は指摘しています。要は2012年9月11日にリビアの米国大使が惨殺された「ベンガジ事件」に至る経緯、2011年の10月にヒラリー指示の下特殊部隊がカダフィを殺害した報復とされていますが、それらの経緯をやりとりした極秘情報の内容が私用メールを使っていたために漏れてしまったという事です。その内容(下記)については私でも普通にNew York timesのサイトで見れます。米国はカダフィを殺害して潤沢にあったリビアの資産を収奪してシリアの半政府軍に配った(間接的にISに渡った)ということです(重たい掲示板1945)。しかもカダフィを暗殺したアフガニスタンの部隊はタリバンによって輸送機ごと始末されてしまったとか。

 

           リビア解体における英仏政府の暗躍みたいな内容が書いてある文書

共和党の下院議長のポール・ライアン氏(反トランプ)はクリントン氏への訴追中止は「法の支配を傷つける悪しき前例」と批難しています。一方でオバマ氏はノースカロライナ州の集会でクリントン候補支持を表明したそうですが、メール問題やTPPには触れず、(本当は応援したくないんだけどね)という雰囲気だったようです。これでサンダース氏もクリントン支持ということになると悪女クリントン氏が本当に次の大統領になってしまうかも知れません。

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今回問われているのは自衛隊を海外で戦わせる是非だ

2016-07-06 18:23:06 | 政治

参議院選挙までの残り日数が短くなってきました。ある調査では改憲を主張する党が得る改選議席は全議席数の2/3を超えて改憲を発議することが可能になる確率が高いとの調査結果もあります。私にはどうも改憲論議、特に9条を巡っての論議について紛らわしく、論点がぼやけてしまっているように見えます。

 

今回、主に自民党が掲げている改憲の趣旨は、自衛隊を日本の国外においても戦闘ができる国軍として扱えるようにすることであると認識するべきです。「専守防衛に限って存在を銘記する」という従来の「自衛隊の存在を認めるための改憲」をするつもりはないと考えねばなりません。そうでなければ昨年あれだけ揉めた集団的自衛権についての解釈改憲をする必要もなかったのですから。

 

改憲論議についての解りにくさをまとめると下図のようになると思います。つまり1980年頃まで国論を二分していたのは自衛隊の存在自体を認めるかどうか(A対BCD)だったのです。その中で専守防衛のみとしても現在の日本国憲法で自衛隊が存在することは合憲と言いがたいというのがCの意見であって、現実問題として自衛隊は存在しても良いというBCDを合わせると国民の半数近くだったのですが、自衛隊を合憲とはっきり考えていたのはせいぜい20%程度(私もその一人)だったと思います。憲法学者に至っては合憲派はほんの数人程度で殆どの人は裁判官も含めて違憲であると考えていました。だから統治行為論のようなものが出て来たと言えます。

 

ところが現在は自衛隊の存在を認めないとする国民はごく少数(5-10%以内)であり、殆どの国民は自衛隊の存在自体は認めようと考えています。但し集団的自衛権を認めて日本国外においても戦争できるよう変えて行こうと積極的に考えているのは1980年頃のごく少数よりは増加して20-25%位はいるかも知れませんが、全体としてはまだ少数派であると思います。今回改憲の是非という論点で可否を問えば図のように国論を二分(AB対CD)する可能性が出てきますが、きちんと「自衛隊の海外派兵による戦闘行為に対する可否」で問えば否決されることが明らかと思います。我々は今回の選挙を憲法解釈の問題における自衛隊の存在の可否という論点(図で言えばBと考えるかCと考えるか)で投票すべきではありません。ABCに属するか、Dかで選択投票することを解りやすく説明しないと投票率も伸びないし、野党が勝つこともないと思います。

 

自民党が目指す改憲のもう一つの目標は「秩序維持」「公共の利益」のためならば国民の権利を制限して良いということの銘記です。これは2001年911以降の米国「愛国者法」の下に国民個人のプライバシー他殆どの人権の制限が許される法体系ができていることへの憧憬によります。米国は国力衰退と共に、長期に渡るアフガニスタン、イラクなどでの戦争で疲弊し、米欧の資本主義を中心とするワン・ワールド形成のために戦争を遂行する能力が減退しています。だから数年前から米国は自衛隊にも海外で戦争をする能力を高めることを執拗に迫るようになりました。

 

一方、中国を現在のような大国に育てたのは米国でありながら、大国になっても米欧財閥中心の資本主義の傘下に入ろうとしない(独自の通貨発行権を持ち続けて国家資本主義を発展させる)ことに業を煮やした米国は中国に対して敵対政策を取り始めました(ピボット戦略)。これに対して中国も軍事力強化で対抗しているというのが現在の姿です。一方で米国国内も1%の権力者が経済を支配することに国民が反発を始め、トランプ現象、サンダース現象が起きていることは周知の通りです。本音では国内で勝手な事をさせないために戒厳令に近い厳戒態勢を布いて完全な管理社会にしてしまいたいというのが愛国者法を作成した理由です。最近頻繁に「テロリストによる凶行」が米国内で報道されるようになりましたが、何とかテロ事件を増やして完全管理社会にしてしまいたいと焦っているようです。

 

中国の目下の最大目標は中国貨幣(CHY)の価値の維持に他なりません。AIIBを作り、国際通貨バスケットに元を認めさせた事、ロシアなどとの間で自国通貨による貿易を増やしている事など全てCHYの価値を維持させることが目的と言えます。軍事力の強化は軍人の暴走も否定はできませんが、自国の領土拡張などという前時代的な政策で国力が増大できないことは本当の天才達が揃っている中国指導者達は理解していることと思います(中国は想像を超えたバカ野郎も沢山いるので困ってしまうのですが)。

 

日本は今ここで自衛隊を領土外で戦争できるように変えても何も得るものはありません。ワン・ワールド達成など二千年の歴史を誇る日本国にとって迷惑千万な話であり、米中(ロシア欧州も)ともにあまりうまく行っていない実情が見えているのですから、何も変えることなく静観しているのが得策であると私は思います。その意味でも今回改憲はノーでしょう。

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何故トルコにISがテロを仕掛けるか

2016-06-29 18:06:25 | 政治

トルコ空港テロ、首相「IS関与の可能性」 36人死亡

トルコにおけるテロはクルド人組織のせいにされることが多く、トルコは陰でISを支援しているという評判もありました。今回トルコの空港でISがテロを仕掛けたとすれば(政府がクルド人ではなくIS関与と声明を出したということはかなり確実なのでしょう)、エルドアン大統領がロシアに対して昨年のISを攻撃しているロシア軍機を領空侵犯を口実に撃墜した事件を正式に謝罪し、ロシアとの関係修復に乗り出したことへの警告と取るのが妥当ではないでしょうか。

NATOに属するトルコは領空侵犯を理由にISに効果的な爆撃を行っていたロシア軍機を撃墜し、ロシアによるIS撲滅を止めるか、あわよくばNATOを巻き込んだロト戦争にまで発展させようとしていた可能性があります。ウクライナの内戦ではロシアが正式に親ロシア派勢力に加勢することを避け、NATOとの開戦に発展しそうになることをプーチンは避けてきました。トルコによるロシア軍機撃墜もプーチンは挑発にのらず激怒したいところを抑えて米国の一部勢力が画策する戦争への発展を防ぎました。戦争を始めたくないオバマやメルケルらの欧州指導者達もどこかでプーチンにシグナルを送っていたものと思われます。結局リスクを犯したエルドアンだけがはしごを外されて浮いた存在になり、国内の治安や経済が厳しい状態になってしまい、大量のシリア難民を欧州に送り出す戦略もEU諸国から総スカンを食って遂に英国のEU離脱といった事態にまでなりました。

もう中東で大規模な戦争は起こらない、サウジとイエメン、シリア、イラク、イラン、トルコがいくら挑発してもどこにも大規模な戦争は起きないことがはっきりしたからロシアと手打ちをしたということではないでしょうか。

現状に不満を持つ若者が銃の乱射など起こしても、ISに示唆されてやったことになり、ISも後追いで声明を出すような風潮が見られますがどうも怪しい。本当は何の関係もないのではと思います。

ところで、英国のEU離脱問題で、早速移民に対する嫌がらせなどが増加したと報じられ「多様性に対する寛容が足りない」といった批判が見られます。本当は多様性を認めていないのは移り住む先の文化や生活様式に対して寛容でない移民の方が問題なのだという視点はありません。大抵迷惑を被っている一般市民が批難の対象となります。異なる文化や生活様式で暮らす世界各地の人達の多様性を認めず、一つの経済法則を押し付ける左翼グローバリズムこそが「多様性への寛容」を身につけるべきであると私は思います。

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EU離脱は本当にポピュリズムか

2016-06-25 14:11:08 | 政治

英国がEUに留まるか離脱かを問う国民投票は僅差でEU離脱が多数を占め、2年後の離脱に向けて準備に入ることが確定されました。英国のEU存続派を含め、日本を含めた諸外国の反応としては、EUからの離脱はEU圏内からの人の移動が自由であるため、貧しい地域からの移民が増加して地域社会が対応しきれなくなってきたことから、大衆が移民を拒否する、また民族主義を正面にかかげる右派、ポピュリズムの主張によるものであると批判しています。一方でグローバリズムの精神に則り、世界を受け入れてゆくことが理性的であり世界の経済にも有益であるとそれが規定の正しい姿であるがごとく上から目線で語る評論家が目立ちます。しかし私はそのような決め付けには違和感を抱かざるを得ません。

 

理性で煩悩を克服できるというのは既に否定された共産主義的思考である。

 

私有財産を否定し、計画経済で物を管理すれば全てうまく行くと考えた共産主義の実験は既に否定されました。人間は理性のみで生きてゆくことはできないのです。個々人の価値観や生き方が違うように、地域、民族によって社会のありようは異なります。それを統一した経済社会体制にしようというグローバリズムの考え方でうまくゆくはずはありません。結局うまくゆかずに末端の人達が苦労をする事に対しては力で押さえつけるか、「皆のために理性で我慢しろ」と強いることになります。

「世界は原始共産制に向かって進んでいる」というかつての愚かな信念と同じく「世界はグローバリズムの統一した価値観、経済観に向かって進んでいる」という宗教のような信念を恥ずかしげもなく語る学者がいます。そんな勝手な信念を押し付けられてはたまりません。世界は多様であり、多様性を保つことが進歩や予想外のカタストロフィーから人類滅亡を防ぐ担保になるのです。これは自然界における真実ではないでしょうか。共産主義経済と市場に任せれば全てうまく行くといった拝金資本主義経済は対極にありながらも、ともに理性を万能と考える類似した片手落ちの思想であり、どちらもその原理主義的な状態では人類全体の幸福につながることなどないのです。

 

ユーラシア大陸の両端にある政治経済共同体

 

ユーラシア大陸の西の端には、二つの大戦を経て力による統合ではなく、協調による経済統合を目指したEUおよびユーロ圏ができました。一方大陸の東の端には二千年前から力による多民族の統合を成し遂げた中国という政治経済共同体があります。ただし支配者はたびたび変わっており現在は漢民族が主体の共産党が支配しています。中国というのは中央権力がめちゃくちゃ強い欧州共同体のようなものと言えるのではないでしょうか。その中でEUにおける英国の位置は中国と日本の関係に似ていると私は思います。米国との強いつながりも同様でしょう。

 

今日本が中国を中心とするアジア共同体に属していて、人の移動が自由であり、チベットやウイグルから言葉の通じない移民たちが続々と日本国内に越してきて住みだしたとしたら明らかに困りますし、「共同体などに入らなくても日本は日本だけでやって行けます」となるのではないでしょうか。そこで諸外国から「理性的な判断をして中国経済圏にとどまれ」とか「移民を受け入れないのはエゴである」とか言われる筋合いはないと普通考えると思います。

 

ギリシャがEUやIMFの命令を聞かない政権を選挙で選ぶのはポピュリズムであると批判されます。フランスにおける移民排斥を訴える政党は超右翼とレッテルを貼られてやはりポピュリズムであると批判されます。米国の大統領選挙もトランプはポピュリズム、若者に人気のあるサンダース候補も人気のないクリントンと比較されるときはポピュリズムに分類されて批判されていました。国民が日々の生活に本当に困って「何とかしてくれ」という声に応えようとすることを「ポピュリズム」といって批判するのは誤りです。一部の既得権益者が金融支配を持続できるグローバリズムの発展だけが正しいことであるような幻想は否定しないといけません。またグローバリズムを阻もうとする勢力を「ポピュリズム」と言って一段下の問題であるように批判するのは民主主義の否定でしかありません。今世の中で問題になっている事のほとんどは1%の既得権益層が推進するグローバリズムと99%の一般民衆の日常生活を守ろうとする戦いであるように見えます。

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映画 セッション(Whiplash) 感想

2016-06-07 19:13:02 | 映画

セッション(Whiplash)2014年米国 監督 デイミアン・チャゼル 主演マイルズ・テラー(アンドリュー)、J/K シモンズ(フレッチャー)

 

偉大なジャズドラマーになるべく名門シェイファー音楽学校(バークリーみたいな所)に通い、練度ピカイチのジャズバンドに参加することになったアンドリューだが、その指導者(フレッチャー)の指導が人間の極限を追求する理不尽なもので多くの若者は挫折してゆく。最後憎しみ会う程対立する二人だがその対立の頂点で珠玉の演奏が生まれるというもの。

 

   映画表紙  度を超した指導(なかなかこんな先生いない)  血が出るまで練習   熱演でアカデミー賞を授賞したJK Simmons

 

実際に視ていないと音楽を通した映画の緊張感は理解できないと思いますが、教育者のフレッチャーのやり方は度を超していて現在の日本ではまず受け入れられないとは思います。しかし小中学校の音楽の授業ではなく、プロのしかも時代を代表するような天才ミュージシャンを育てたい、或は才能を引き出したいのであれば、こういった教育方法もありではないか(勿論映画のはやり過ぎですが)と思わせるものがあります。

 

「この演奏が好き」という場合、ミュージシャンの人柄や人生とは関係なく「演奏自体が良い」というのが聴く人の本音だと思います。そこが絵画や小説のようにある程度作者の人間観と共鳴する部分を持つ芸術と音楽の違いでしょう。だから「究極の良い演奏」を追求するには奏者の日常生活や感情を切って捨てて音楽そのものに全身全霊のめり込む必要がある、というのがフレッチャーの思想なのではないかと思います。音と譜を極限まで追求して指揮する者と演奏する者の時空が完全に共有されて初めて満足のゆく演奏に至るという考えなのでしょう。フレッチャーの悪い点は「こいつは行ける」と見込んだ相手をとことん追いつめて潰してしまう所です。主人公のアンドリューも追いつめられながらも必死に反発して答えようとして遂に壊れてしまいます。多くのカリスマ的ジャズミュージシャンが薬などに溺れて短命であるのはそういった純粋さから来るものかも知れません。米国のジャズ奏者は即興部分を徹底的に練習してから演奏する(もはや即興とはいえない)と言われていますが、一見自由に演奏しているように見えるジャズもそういった厳しさがあるから素晴らしい演奏に繋がるのだろうと思います。自分自身の仕事への情熱や厳しさを改めて見直してみるという気持ちにさせる映画でもあります。その点音色が複雑な管や弦でなくあえてドラムスを主題とした事で訴えかける内容が解りやすくなったと思いました。

Law & Orderで渋々の役を演じたスコダ先生、このwhiplashでアカデミー助演男優賞も授賞していて実は幅の広い上手な役者なのだなと感じました。全ての男児に一見の価値ありの映画です。

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