rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

残念なNHKの在宅医療特集

2017-02-17 19:22:36 | 医療

NHKクローズアップ現代+(2017年2月17日)

 

病院から在宅へ、地域で総合的に医療・介護を行う、というのが現在の厚労省の方針です。それは医療費の高騰、介護を含む社会保障費の高騰、高齢化社会に国の財政、社会のヒト(医療従事者)を含むインフラが追いつかない事が明らかでこのままでは医療やケアの構造自体が破綻しかねないという逼迫した情勢があることによる必然的な対応策(これで解決できるかどうかは別として)です。

 

恐らく基本的な危機意識は国民全体誰も否定はしないと思います。しかし実際に在宅医療を進める段になると「あれが不満」「ここが足りない」とより多くの贅沢なサービスを求てしまって、結局「在宅は困難」といった結論が導き出されてしまうのが残念な所です。

 

在宅医療の基本は「在宅でできる事は病院で行わない」という一事です。逆に言えば「病院でしかできないことは大いに病院を活用する」という事にもなります。この番組の冒頭、昨年亡くなった大橋巨泉氏が在宅医から「どこで最期を迎えたいか」をいきなり聞かれてショックだった、という話から始まりましたが、私が主治医でも巨泉さんほどの人物ならばまず本人にどこで死にたいか直接聞いたでしょう。それが一家言を持つタレントで海外事業を展開する「巨泉さんの人となり」を理解して尊敬していれば当然取る医師としての態度です。終末期医療を診る上で最も基本となる事は、どのような最期を迎えたいか、最期の時まで自分らしく生きるにはどのような医療を受けたいかを本人の希望に沿って行うことだからです。それを「禁じ手」と言われてしまったら初めから在宅医療の敷居を思い切り高くされたように感じます。

 

その後の番組で「在宅医療の専門家が少ない」とこれまた在宅医療の敷居を高くする話が展開されて、患者の要望に答えられない医療は失格だという展開になります。私は近所のかかりつけの開業医であれば、誰でも在宅医療の担い手としての資格は十分にあると思います。1970年くらいまでは皆開業医さんはバッグ一つで往診をして、病院に行けない患者さんの在宅医療を行っていました。老衰で亡くなった高齢者の診断書も普通に書いていました。私の叔父は開業医でしたが、胃癌で亡くなる直前まで往診で患者さんの家に点滴をしに出かけたり、看取りをしたりしていました。80年代前半のことです。家で亡くなるのが普通であった当時の日本人が皆不幸であった訳ではないし、病院で亡くなる現在の日本人が皆幸福である訳でもありません。

 

在宅医療の敷居を上げるような報道はやめましょう、完全に満足の行く医療というのは「不老不死」以外世の中には存在しえないのです。つまりそのようなものはないのです。自分がどう生きたいか、最期はどうありたいか、という意思があって、それに沿おうとしてくれる医療があれば不完全であっても「満足」という答えを出さない限り、在宅医療を広げる答えは出てきません。今必要なのは国民の側が「どう最期を生きるか」という哲学であり、社会が希望に沿わないと悲観している限り幸福など永久にこないことを肝に銘ずるべきです。

 

古いインドの社会において、病気を治療する場所と死を迎える場所は別れていたと言います。映画化されたトルストイの「戦争と平和」でも冷遇されていたピエールが死に際の父親から財産を受け継ぐ際に、父親の脇にいたのは医者ではなく東方教会の牧師達(別れの儀式の最中)であったことが描かれています。本来、死に際しては医者の出る幕はないのであって、必要なのは死者を送る家族と宗教者であるはずです。日本の終末期医療は医療者への要望ばかりが議論されて家族や宗教者の関わり方が議論されません。日本人の死に方の議論が空虚なのはそのせいではないでしょうか。

 

先日日蓮宗の住職であり医師でもある方の講演を聴く機会がありました。その先生は自分の勤める病院に臨床宗教師の導入も積極的に行っていると言うことでしたが、まだ在宅においては臨床宗教師を入れるのは躊躇しているそうです。臨床宗教師は「布教をしないで患者さんの死と向き合う」が大前提なのですが、「まだ率直に言って在宅医療に関わることを完全に任せられる所まで来ていない」からであると仰ってました。地域における健全な宗教の関わりは、死生観や哲学を深め、在宅医療を進める上でも今後鍵になってくるように思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

知性の韜晦を真に受ける愚昧

2017-02-14 13:35:16 | その他

有名なテレビドラマの「刑事コロンボ」はぼろぼろのコートを着てうだつの上がらなそうな刑事コロンボが「ウチのカミサンがね、・・」などと言いつつセレブで上から目線の犯罪者達を理詰めで追いつめて行き、最後はギャフンと言わせる人気シリーズでした。米国の刑事物なのに銃を撃つシーンは皆無(一応持っているが<当たりゃしない>と本人談)というのも良い所でした。

 

さて、相変わらず批判の多いトランプ大統領ですが、未だにメディアでは「トランプ氏を政治の素人」「知性が足りない」とバカにした上での論評が絶えません。人をバカにして自分が考える枠内の人物であると決めてかかる事程、対決してゆく上で危険なことはありません。実社会で十年以上それなりに揉まれていれば、「相手を見下して油断する事の危険性」あるいは「己の方がはるかに愚かであったことが後で解って恥じ入る危険性」は学習し理解してゆくものです。だからメディアなどで「政治家の知性の韜晦」を真に受けてバカにして上から目線で論評している批評家を見ると「その批評家自身が愚昧・三流である」という印象しか私は受けません。きっと本人にそのようにアドバイスしてくれる友人もいないのでしょうし、自分は賢いと勘違いしてしまっている「その程度の人達」には何を言っても無駄なのかも知れません。

 

私は興味ありませんが2チャンネルなどでの論争やネットの掲示板、ブログコメントなどにも時々「自分が超越的に賢い」と勘違いした「上から目線」の書き込みがあって面食らうことがあります。まあ実社会に出て活躍したことがない人か、精神疾患に伴う薬剤の影響で自己万能観に陥っている場合もあるので深く追求しないことにはしていますが。

 

トランプ大統領ですが、共和党の代表選の段階からメディアの性質を知悉してその愚かさを逆手に取って金をかけずに自分を売り込み、クリントンとの大統領選においても敵に湯水のように金を使わせて結局自分を好悪織り交ぜて売り込むことに成功してきました。この「何をするか解らない」というイメージを大統領になってからも大いに活用していることが伺えます。日本などは首相が虎の子のGPIFの資産143兆円の1/3にあたる50兆円を米国のインフラ整備に投資しますよという土産を持ってゴルフをしに馳せ参じて満面の笑みで迎えられたのは報道された通りです(直接投資は否定してますが、債券などを経由して遠回しに使われることになるのでしょう)。代わりにトランプ大統領は「日米同盟は固い絆」「尖閣は日米安保の防衛範囲」という今までと何も変わらない原則を述べたのみ。しかもその前日習近平国家主席と長時間電話会談を行って恐らく「明日安倍が来るから尖閣は安保の同盟範囲と言うぜ!」という話はしたに違いありません。習近平氏としては最終的には南シナ海や台湾との「一つの中国問題」で「いずれどこかで折り合いを付ける」という希望的観測をトランプと話をしたことで感触を得たのでしょう。日本の尖閣の事など中国全体の外交問題においてはどうでも良い事であり、トランプに尖閣について言及することを了解して恩を売る位「何もしないことで利を得る」という中国古来からの最高の勝ち方に過ぎません。トランプもそれで50兆円もらえれば言う事無いでしょう。

 

トランプ氏は「何をするか解らない、知性の韜晦を装う強面で最初脅して、後から少し譲歩することで相手を喜ばせて大きな利を得る。」という作戦で米国国内においても反対派を翻弄しており、対外的には中国も慌てさせているのが実体と思われます。日本のメディアの政治経済評論は当たらないし底の浅い下らない物ばかりですが、トランプをバカにして論評するような三流評論家はそろそろ退散した方が良いと思います。また問題発言などに対する抗議デモを報ずるのも良いですが、抗議している人達の背景や「どうして欲しいのか」(実はグローバリズムの推進だったりする)事もしっかりと追求して報道してほしいものです。

 

NHKのニュースウオッチ9に対しては辛口のコメントが多くなりますが、先日もfake newsについての報道で、「自分達メディアの報ずる真実と政府が発表する内容が異なると政府がfake newsを自ら流すことになる」などとメディアが絶対的な真実を報じているという思い上がりの勘違いのコメントをキャスターが述べていてこれまた「唖然」としました。メディアが真実を追求する姿勢は大切ですが、「我々が報道している事が絶対真実なのだ」などという思い上がりは禁物のはずです。常に「真実は他にあるのではないか、」という謙虚さをメディアが持っていて初めて我々はメディアを信用しても良いかもと思えるものです。小保方さんの件をノーベル賞級の大発見と持ち上げたのはNHKです。その後の展開、そして放送倫理にもとる特集を組んで報道したのもNHKです。「恥を知り、謙虚になれ」「2チャンネルの勘違い上から目線野郎達と同じではないか」とあのキャスター達を見る度に思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日本のメディアは強烈な反米・反体制報道から何時転向するか

2017-01-31 00:15:16 | 政治

NHKを始めとする日本の主要なメディアは、トランプ氏が大統領に選出され、大統領に就任してからも激しいトランプ批判の報道を繰り広げています。彼らは気付いていないかも知れませんが、トランプ体制というのはもう「米国体制の主流」になっており、現在の日本のメディアの姿勢は「激しい反米・反体制報道」という1970年頃のベトナム戦争以来見た事が無かったような状態になっているのです。

 

トランプが政権を取るまでは、グローバリズムを主体としたネオコンが主導する民主党オバマ・クリントン体制というのが米国、日本を含む世界の趨勢であって、メディアとしてはこれをヨイショしてトランプやプーチンを批判していれば「親米・親体制側報道」として我が身を案ずる事無く権勢を誇って大きな顔をしていることができました。しかし今や体制はトランプ側に移行したのです。そしてトランプ暗殺や大統領就任までに事態をひっくり返そうとするあらゆる試みが失敗に終わっているのです。日本・米国を含む主要メディアは一体いつまで勘違いな反体制報道を続けるのでしょうか。

 

私はNHKのニュースウオッチ9を夕食の時に仕方なく見る事が多いのですが、先日違法移民を閉め出す方針を明らかにしているトランプ政権に対して、テキサス州で違法移民を住宅建設に使役している業者を取材して、「安く住宅を供給し、米国の経済を成り立たせるには違法移民もなくてはならない存在」などという報道をしているのを見て「唖然」としてしまいました。天下のNHKが違法移民を肯定するニュースを堂々と流しているのです。NHKには違法移民達が正規の労働者よりも補償もなく安い給料で劣悪な労働環境で働かされているという視点は全くないのです。あるのは「労働者を安く使役してたっぷり儲けるのが良い」という「グローバル強欲資本主義の視点」のみです。「反トランプ」を訴えられるならば「違法も有益」と言ってのける倫理観の劣化には吐き気を催すほどでした。それでいてトランプがいつ発言したか定かでないような差別発言には厳しく噛み付いてみせて自分達が倫理的に上位にあるように見せるのですから呆れたものです。

 

日本は違法移民に対しては厳しく対処し、見つけたら入国管理局の施設に収監して母国に強制退去させています。私の病院にもそういった人達が管理局員に手錠を把持されたまま受診することがあります。しかしNHKが彼らを取材して「日本人が物を安く買えるためには違法移民でも開放して労働者として安く使う必要がある」とニュースで報道したら日本国民はどう反応するでしょう。それを米国ならば良いとNHKはニュース番組で言ってしまったのです。普通ディレクターかキャスターが気づいて「さすがに倫理的に問題がある」とストップをかけるのではないでしょうか。

 

さて、激しい反米・反体制報道を続けるメディアですが、上層部の一部には「はしごを外されたらまずいからそろそろ転向することを考えねば」と焦り出している人達がいるのではないでしょうか。「君は明日から来なくて良い」と言われる事を何よりも畏れているのが現在のメディアのサラリーマン達ですから。私が予想するメディアが親トランプに転向する時期について候補をまとめてみました。

 

1)      米国の主流メディアが親トランプに転向したとき。

2)      安倍政権が反トランプ報道に難色を示し始めたとき。

3)      トヨタを始めとするグローバル企業や管理する電通など広告代理店がトランプ政権に忠誠を誓って反トランプ報道をするメディアを批判するようになるとき。

以上私が予想するメディア転向のきっかけなのですが、きっと今までの嘘も交えた反トランプ報道など何もなかったかのように粛々と米国の体制と政権について報道するようになるのではと思います。周りが皆親トランプ報道になっても反米・反体制を貫くメディアやジャーナリストがあれば、それはそれで筋の通ったあっぱれな姿勢だと私は思います。

 

「貧者の一票」渡邉哲也 著 扶桑社 2017年1月刊 は書店に並んだばかりの本ですが、私が今まで主張してきたようなBrexitやTranpismは反グローバリズム革命として庶民達が手を上げた結果であり、これからの世界の潮流であることを経済学者らしい視点で種々の事例を紹介しながら証明した好著だと思います。この本の中でいつも私が指摘する「混乱する右翼左翼の定義」についてまとめる良い図式があったので紹介します。175頁に「ポリティカル・コンパス」として紹介されている図なのですが、縦軸に保守からリベラルまでの政治的価値観の軸、横軸に国家などの制限をきらう自由主義経済(右派)から社会主義・福祉重視経済(左派)という経済軸を配置して各人がどの象限に属するかで立ち位置を示そうとするものです。日本の20世紀的固定観念に縛られた右翼・左翼観では、自由を社会としては制限しつつ経済はグローバリズム的自由を推進する安倍政権を右翼とするか左翼とするか決め難いですし、地球市民を主張するグローバリズム左翼は経済では国家福祉を重視するナショナリストだったりするのですが、この図を使うと比較的立ち位置が明確になると思われます。

 

また本書で紹介されている、ポストグローバリズムの世界のあり方として、各国の事情を尊重しつつ国際化を進めるインターナショナリズムこそが大事であるとし、「日本は現地に歓迎される国際化を進めている点で今後の世界の手本になれる」という主張はやや我田引水的ではありますが説得力のある主張に思えました。これからの世界の主流・体制派を理解する上で良い参考書になると思いました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

資本主義経済下の新冷戦構造とは

2017-01-16 23:41:07 | 政治

トランプ大統領就任まで1週間を切る状況になりましたが、昨日(2017年1月15日)のテレビ番組の政治解説などを見ても、未だにトランプ大統領の政治家としての危うさ、グローバリズム経済が危ないといったレベルの時事解説しかなされておらず、周回遅れの時事解説を聞かされているようでレベルが低すぎるというか、全く参考にならず歯がゆいほどです。

 

「トランプを大統領にさせない。」と1%のグローバリスト支配者がマスコミ人(安倍総理にも明言してそれを彼は信じてしまって未だにTPPを推進しているのか)に宣言していたから現実に起こっている事が理解できないのだろうとは思いますが、CIAを中心にした旧支配層がいくら最期のあがきをしても世界はもう相手にしておらず、次のステージに進んでいることを早く理解すべきなのです。

 

英国のEU離脱に始まる新たな動き、トランプ新政権の米国内第一主義の動き、ロシア(軍備)敵視から中国(経済/軍備)敵視への動きはもう決まっている既定路線であって、今更オバマ・クリントンのグローバリズム時代(に基づいてNATO対ロシアで戦争になって最終的にグローバル支配層の価値観で世界が統一される路線)に戻る事はないのだと理解しないと現在およびこれから世界で起こる事が全く理解できなくなってしまいます。

 

世界は米国一強支配に基づくグローバル社会(世界統一政府)を目指す社会から、米ソ冷戦時代のような多極化時代に戻ろうとしているのです。それは既に社会主義経済圏が存在しないことから、全てが資本主義経済に基づく新・冷戦構造とも言える社会であると思います。ここで自分なりに考察してみた新・冷戦構造について備忘録の意味でまとめておこうと思います。

 

旧・冷戦構造においては、大きな世界の対立軸は資本主義+民主主義 対 社会主義経済+共産主義社会であり、西側vs東側にどっち付かずの後進国である第三世界からなる構造からできていました。対立軸は明確であり、西側の民衆は東側の平等社会への強い憧れを持っており、それが資本主義の欠点である豊かさの不平等性を政治的に均衡させる力の源になっていました。しかし東側の民衆にとっては、オリガルヒへの不平等感は是正される術はなく、政治的には非力で自由と豊かさへの憧れは強くなるばかりで結局は社会主義経済の破綻によって戦争は敗戦で終わる事になります。

 

旧・冷戦構造の崩壊によって、世の中は資本主義+グローバリズム(米国一強世界)となり、敵はグローバリズムを否定しようとするテロリズム(主体はイスラム原理主義だが、本心はグローバリズムを否定しようとする国家をバックに持たない民兵=ミリシアを敵と考えている)のみとなっていました。しかしいくらミリシアを殺す戦争をしても正規軍は疲弊するばかりで、ミリシアと民間人の区別もつかなくなり、悲劇のみが増殖してゆきます。また正規軍の構成員である民衆がグローバリズムの推進によって益々貧しくなってゆきます。一方でミリシアではない中国やロシアは国家を後ろ盾にした資本主義、国家資本主義を前面に立ててグローバリズムに対抗するようになりました。ここに「どうもグローバリズムではなくてやはり国家毎に経済を考えて行った方が個々の国民が幸せになるのではないのか」というナショナリズム回帰の波BREXIT/TRUMPISMが2016年に沸き起こって現在に至ったということです。

 

新・冷戦構造は資本主義+グローバリズムから資本主義+ナショナリズム民主主義(上から目線で言えばポピュリズム民主主義)(米国、ばらけたEU、日本などグローバリズムに向かっていた国)対 資本主義+国家資本主義(中国、ロシア、それに賛同する国でグローバリズムと距離を置こうとしていた国)の戦いであると言えるでしょう。ナショナリズム民主主義と国家資本主義は支配者が資本主義をどう統制するかが異なるだけで、本質的な違いはあまりないと言えます。だから経済的な帝国主義同士の戦いに近いものになると思います。

 

この新・冷戦構造において、戦争は起こるかを考察したのが3つ目のスライドで、全面核戦争は起こらないと思われるのですが、限定的な戦争は十分に起こりえると思います。それも地政学的にユーラシア大陸の中心(ハートランド)と新世界の際に当たるSpykmanのリムランドにあたる部分というのが多くの人達の予想です。つまり中東、東欧、中国朝鮮、東南アジアということです(結局現在を含むいつでもこの辺で戦争してますが)。

 

BREXIT/TRUMPISMの新冷戦構造の時代に日本はどうするべきかというのが次の課題であり、日曜の政治討論ではこれを中心に話してくれれば非常に面白い内容になるのですが、始めに述べたように「トランプでは世界経済が危ない」「米国の世界支配が崩れる」レベルの話しか出てこないから「幼稚だ」と私ごときに批判されるのです。

 

私は日本の進むべき道は「大国の駒にならない」「プレイヤーになる」事だと思います。そのためには自国内の経済的安定が第一です。日本は幸いにも国内経済が経済活動の7割り以上を占め、輸出入の経済に占める割合が少ないので国内経済を活発にしておくことがまず第一に求められます。そして節度ある軍備の充実が求められます。中国のような国が「日本に軍事的な侵略をしても何も得にならない」「日本を米国やロシアとの取引の駒にはしにくい」と思わせる軍事力と政治力を身につけておくことが第一なのです。その際、米国との連携は重要ですが、今までのような「お・ま・か・せ」は厳禁です。軍備に基づく政治を行う(戦争をする意味ではない)上で日本独自の世界戦略を持つ事(パククネのような米中あちこちに擦り寄るという意味でもない)が大事であると言えるのです。たとえ明日米国が消滅しても軸足がぶれない国家戦略を持てという意味であると理解すれば良いです。そのためにはどのような経済政策を打つべきか、どの内容の軍備を整備すべきかを専門家として討論してくれれば実に中身のある政治番組になると私は思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

何とかロシアと戦争を始めたい人達

2017-01-02 08:41:19 | 政治

【国際情勢分析】ロシアのサイバー攻撃で「選挙介入」の米大統領選 21世紀の謀略戦解明求める声強く

サイバー攻撃があった、という結論のみで具体的な内容、誰が行ったのか(機関など)も明らかでない状態で、米国は多数のロシア外交官を国外退去させてしまいました。プーチンが記者会見で述べたように「米国は世界一の(情報管理能力を持つ)国家ではないのか?」という指摘が実に当を得ているように、日本の政府機関、欧州、世界の情報通信をエシュロンやインターネットを米国に集約することで把握しているというのが常識であるのに「何を今更」という感があります。中国のサイバー攻撃についても専用の部隊が行っていることを全て把握していました。

集票結果がサイバー攻撃で改ざんされていない限り「選挙介入」と言えないことは明らか(メディアは投票前日までクリントン優勢と表明してましたから)ですから、結論も出ないうちから早々に外交問題化させたオバマ政権の拙速さ、本来の意図、次政権への迷惑行為の誹りは免れない措置だと言えるでしょう。

昨年の12月24日には国連によるイスラエルパレスチナ入植地への批難決議が採択され、米国は次期大統領のトランプ氏が拒否権発動を促したにも関わらず「棄権」(イスラエルは米国がむしろ主導したと見ている)によって採択が決まりました。イスラエルをあまり敵対視せず、イスラム同士の殺し合いをしてくれるISの存在でイスラエルによるパレスチナ迫害は最近目立たない状態でしたが、ロシアの空爆、シリア政府軍によるアレッポ開放、トルコのISへの決別(陰で支援することを止める)事で、トルコ国内ではロシア大使の暗殺や銃乱射テロなど何とかロシアとの再度敵対化やIS支援再開の方向付けを狙う動きがあるものの、今後ISは急速に存在感をなくしてゆくことでしょう。またトルコ・ロシア間での戦争はもう始まらない(トルコがNATO加盟国であるから必然的にロシア・NATO戦争開始)事になりました。ウクライナでもロシアとNATOが戦争する事態はほぼ避けられました。後は何とかイスラエルをけしかけて戦争を始める、ロシア外交官を追放して米露の関係を悪化させたい、といったCIA、米国政府に巣食うネオコン勢力の最期のあがきが現在行われているということのようです。プーチン大統領の自制と戦略眼は大した物と敬服しますが、次期トランプ政権と共闘して第三次大戦を避ける方向でうまく立ち回って欲しい所です。

あまり興味はないのですが正月の時事番組ではいまだにロシア脅威論をあおって何とかロシアを悪者にして世界情勢を説明しようという論調ばかりで「いかがなものか」と思いますが、トランプはむしろ中国の経済と軍事覇権主義を敵視しているのであって、日本は今中国がどうトランプ政権に対して対応してくるのかに注目すべきだと思います。しかしそれについて適確な論評を述べられるコメンテーターがいない(いても言えないのか?)ので実に番組がつまらないものに思えます。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

日独伊三国同盟とは何だったのか(2)

2017-01-02 00:29:31 | 書評

書評 ハンガリー公使大久保利隆が見た三国同盟 高川邦子 著 芙蓉書房2015年刊 

第二次大戦中イタリアが降伏し、ドイツの劣勢も明らかになり始めた1943年晩秋、赴任先のハンガリーから天皇に状況報告のため、自らの職と命をかけて帰国した日本人外交官 大久保利隆の主に大戦中の記録を自身の孫にあたる高川邦子氏が種々の一次資料を当たりながらまとめた記録です。ハンガリーという枢軸国でありながらドイツとは異なる立ち位置で第二次大戦を戦った国からみた三国同盟やドイツとの関わりは非常に興味深く、前回の松岡洋右の記録で未解決であった部分の疑問に答える内容もあり、有用な書籍でした。

 

駐ハンガリー行使であった大久保利隆(1895-1988)についてまとめます。

 

氏は軍人一家で父は日露戦争時に「大久保支隊」隊長として奉天の会戦で活躍した家系であり、一高東大時代の同僚には岸信介や大佛次郎がいたということです。外務省に入りベルギー・イタリアや米国の大使館勤務をします。二・二六事件の時には辛くも暗殺を免れた岡田啓介首相を自宅から救出した迫水常久(首相の娘婿)は大久保の甥でもあり、反乱軍を騙して救出する際にも迫水に呼ばれて協力したということです。一方で反乱軍の中にも甥にあたる将校がいて、悲しい思いもしたという、時代を動かす人達というのは狭い世界だと思わせるエピソードです。三国同盟成立時には外務省の条約局第一課長として不本意ながら条約作成に参画し、その功績で松岡洋右からハンガリーおよびユーゴスラヴィア公使に任命されます。開戦後、独ソ線でドイツが苦戦する状況を本国に伝えようとしますが、ドイツ大使の大島浩は、ドイツが不利である状況の報告を許さないため、意を決して自ら帰国して「ドイツは1-2年の内に負ける、それまでに戦争を終わらせないと日本はソ連を含む全世界と戦争をすることになり滅亡する」という報告をするために大戦途中で帰国の許可を得てソ連経由で帰国、外務省初め天皇陛下にも欧州戦の状況について上奏を許されます。帰国後は軽井沢の外務省出張所でスイスなど中立国の大使との折衝を努め、戦後はアルゼンチン大使として戦後復興に尽力して外交官としての努めを終えたとされています。

 

第二次大戦におけるハンガリーの動き

 

ヨーロッパ唯一のアジア系民族の国であり、第一次大戦まではオーストリアハンガリー二重帝国として栄えていたものの、敗戦による「トリアノン条約」で領土の2/3を失い、小国となった上に共産党政権になって恐怖政治が敷かれていたのを旧体制に戻したのが海軍提督「ホルテイ」です。ホルテイはテレキやベトレンといった部下を首相につけて何とか国家を安定させるのですが、ハンガリーの領土を取ったルーマニア、ユーゴ、スロバキアなどとは敵対関係になります。それが後にドイツとの連携を結ぶきっかけになります。ドイツは進駐したチェコやルーマニアの一部をハンガリーに帰属させて領土を戻すことで恩を売って枢軸国参加に慎重であったハンガリーを参戦させます。基本的に衛星国の優等生ルーマニアもハンガリーもソ連には恨みがないので独ソ戦に気合いが入っていなかったことは否めません。スターリングラードの攻防戦も気合いの入らない枢軸衛星国の陣地をソ連が集中突破することで戦争の帰趨が変わって枢軸側の敗戦に繫がって行くのですが、ハンガリーも1944年8月にルーマニアが政変で連合国側に付いてハンガリーに宣戦布告45年2月にブタペストが陥落して降伏します。戦後は東側陣営に組み込まれて領土もトリアノン条約どおりの小国のまま現在に至ります。

 

何故ヒトラーは日独伊三国同盟を締結したのか

 

統一した戦略を持つでもなく、戦争遂行に役に立たない三国同盟を何故ヒトラーが締結したのかが謎であると前回のブログでも書きましたが、同書によると明確に書かれてはいませんが、松岡がドイツでヒトラーと会談した帰路にモスクワで「日ソ中立条約」を締結した際、ドイツ外相リッペントロップは大層困惑し、ヒトラーは激昂し、駐独大使でドイツの意図を一番理解していた大島浩は「全然解っていない」と激怒した、とあるようにドイツとしては独ソ開戦に際して東から日本がソ連に攻め込むことを期待していたと考えるべきだと思われます。しかし1936年に日独伊防共協定を結んでおきながら1939年にノモンハンで日本がソ連と死闘を繰り広げているにもかかわらず同年8月に突然独ソ不可侵条約を結んでしまい、当時の平沼内閣は「欧州情勢は複雑怪奇」という有名な言葉を残して総辞職してしまうのですから、ドイツも日本の内情には無頓着で根回しも何も無く身勝手な外交を行っていたことは確かです。

 

何故ヒトラーは日米開戦を阻止しなかったのか。

 

1941年12月3日、日本は日米開戦に先立ってドイツ、イタリアに対して「日本と米英が開戦した場合に、独伊も宣戦して単独講和は結ばない」とする単独不講和協定を申し入れた、とあります。ムッソリーニは堀切大使の申し入れを即座に了解しつつも、正式にはドイツの了解を得てからという答え。ヒトラーは前線に視察に行って不在であったものの基本反対であり、外相のリッペントロップが「日本の英米開戦は英米の注意をアジアにそらす事になり、ドイツ軍の士気向上に貢献する」と言う詭弁とも言えるとりなしで渋々承諾、開戦後の12月11日にベルリンで署名したという経緯です。それでも本音は「ドイツが日本を助ければ日本もドイツを助けてソ連に宣戦布告するはず」という、独ソ線で苦戦している状況からの日本への期待がベースにあったことが本書に示されています。

 

「同床異夢」であった日独

 

前回のブログで記したように、日本は日独伊三国同盟に米国との戦争阻止、ソ連との共闘という夢を託したのに対して、ドイツはソ連を東西から挟み撃ちすることを期待していたことが解ります。つまり日独は「同床異夢」で同盟を結んでいたことになります。これはもっと高校の教科書などで強調されて教育されても良い事ではないでしょうか。日本は終戦間際においても中立条約を結んでいるソ連に対して米英との終戦の仲介を期待していた事実(1945年6月22日、東京では最高戦争指導者会議が開催され、鈴木貫太郎首相が4月から検討して来たソ連仲介和平案を国策として正式に決め、近衛文麿元首相を特使としてモスクワに派遣する計画が具体化した。)があります。

 

国際条約においてこの同床異夢ほど厄介で後々取り返しのつかない禍根を生むものはありません。どうやら雲散霧消しそうですが政府がろくな説明も検討もなく締結したTPPは日米の思惑は一致していたと言えるでしょうか。他にも日本が勝手に良いように解釈している国際条約は本当にないのか、日本の国益を十分に叶えるものとして締結したものなのか心配になります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日独伊三国同盟とは何だったのか

2016-12-13 19:20:50 | 書評

書評「欺かれた歴史」松岡洋右と三国同盟の裏面 斉藤良衛 著 中公文庫2012年刊

 

学校の歴史で習う日独伊三国同盟とは、多くの人達にとって第二次大戦における民主主義連合国家に対抗するファシズム枢軸国家群としての「悪の同盟」というイメージしかないと思います。実際戦後秩序は正義の戦勝国が悪の枢軸を駆逐したことによって確立したことになっていて、米国もソ連、中共もそれぞれ「正義の国」として世界秩序構築にあたることになっており、この正義の国々は原爆を保持しても良いことに一応なっています。

 

「そんな阿呆な」と現在の人達は思うかもしれませんが(教科書通りをそのまま信じている人達も沢山いますけど)、1970年代くらいまではけっこうこの歴史観は盤石のものとして世界を支配していました。私は「何故日本は第二次大戦を起こしてしまったのか」について種々検討することを一つの課題としてブログを書いていますが、本来「米国との戦争を避ける事がドイツ第三帝国繁栄の条件」を肝に銘じていたはずのドイツが何故日米開戦を断固として止めなかったのか、という疑問が昔からありました。また三国同盟は悪の枢軸として有名ではありますが、実質的に三国にどのような利益があったのか、というのも疑問でした。欧州戦線でドイツと共に戦ったのはオーストリア、スロバキア、ルーマニア、フィンランド、ヴィシーフランスなどの同盟国であって、日本はドイツにとってアメリカが戦争に参加して来たという最悪の結果以外何の影響も与えていません。ソ連を挟み撃ちにして東西から同時にソ連に侵攻して初めて日独同盟の意味があったはずです。

 

このような疑問に対して、松岡洋右の右腕として第二次大戦前の外務省において外交の最前線にいた筆者(1880−1956)のレポート(1955年読売新聞社刊行の同名書の再販)は非常に示唆に富むものでした。松岡洋右と言えば三国同盟締結や国際連盟からの脱退における勇姿が有名で、日本を戦争に巻き込んだ戦犯の一人とも言える人間であり、昭和天皇からは嫌われていたとも言われています。ここで松岡洋右の略歴をまとめておきます。

 

松岡洋右 (1880−1946)山口県に生まれる。

13歳で父親の事業失敗に伴い渡米、メソジスト派の洗礼を受けてキリスト教徒になる。苦学してオレゴン大学法学部を1900年(20歳)で卒業、22歳で健康問題などで帰国してから明治大学法学部に通いながら東大を目指している間に外交官試験に合格して外交官になる。欧州勤務などを経て1921年、41歳で外務省を退官して南満州鉄道理事、衆議院議員に転身。

1931年満州事変の後、1932年12月の国際連盟ジュネーブ特別総会で日本の全権代表として出席。本来その英語力を買われての出席だったものの、翌1933年2月のリットン調査団に体する報告書で日本が批難されると松岡は連盟を脱退して退場する有名なシーンの立役者となる。(松岡が独断で決めた訳ではない)

議員辞職して再び満鉄総裁として勤務していたが、1940年の近衛内閣の際に外務大臣に任命され、そこで三国同盟締結のために奔走することになります。戦後はA級戦犯として起訴されるも東京裁判の結審を待たずに結核のため没となっています。

 

略歴は上記の通りですが、基本的にどのような人物で思想であったかをまとめると、天才肌、自己主張と自己顕示、人の言う事は聞かない、親米、反共、基本は平和主義、となります。良い外交官、良い政治家とは人の言う事を聴く耳を持つ、柔軟といった事が基本条件になりますが、松岡が正反対であったことがせっかくの親米や平和主義が活かされず、日本を戦争に導く先導役を果たす結果になります。

 

以下三国同盟の屈折した経緯について、この本を参考に日独両方の時代背景や思惑からまとめます。

 

1939年1月ドイツが日独伊三国同盟を提案

日本は1937年7月7日の盧溝橋事件から発する日華事変が終結せず、1938年には国家総動員法を発令、米欧から一層孤立する状況が作られていました。

ドイツにとっては1938年オーストリア併合、ミュンヘン会談でスデーデン地方を英仏の了解を得て併合したものの、欧州の領土と帝国の拡張を望むドイツとしては日本がアジアにおける列強の牽制を希望していたようです。

 

1940年(昭和15年)7月第二次近衛内閣で松岡洋右が外相就任、9月には日独伊三国同盟がベルリンで調印されます。紀元二千六百年に国内は沸き立っており、民政党の斎藤隆夫氏が衆院で有名な戦争批判の演説をするも除名処分になるなど、軍部が幅をきかせて勇ましい言質が優先される時代であり、平和への志向を表立ってしにくい時代でもありました。

 

松岡の本音は日米戦争の回避であり、自分が国際連盟から脱退を宣言した経緯からも何とか日中戦争を終わらせて平和を取り戻したいという祈念があったようです。それがソ連を巻き込んだ日独伊ソ四国同盟構想につながります。

ドイツは1939年8月に独ソ不可侵条約を結ぶと、9月に独ソで協同してポーランドに侵攻、東西で分け合うという暴挙に出て第二次大戦が始まります。しかし英仏はドイツにのみ宣戦布告をして、ソ連にはしません。ソ連はバルト三国や11月にはフィンランドにも侵攻してゆきます(失敗しますが)。

1940年にはドイツはデンマーク、ノルウエー、オランダ、ベルギーを占領、6月にはパリに無血入場を果たし、破竹の勢いを見せます。

 

松岡を除く日本の軍部は三国同盟を「バスに乗り遅れるな」とばかりにドイツの勢いに乗る事を目指していたのであり、ドイツの日本への期待は列強のアジアにおける陣地、シンガポールなどの攻略にあったとドイツ代表であるスターマーの記録などから読み取れます。独ソが1939年にポーランド侵攻をするに当たり、8月には独ソ不可侵条約を締結しており、松岡としては独ソの良好な関係を軸に日本もその仲間入りをさせてもらう事を狙っていた事は明らかです。

 

1941年(昭和16年)は開戦の年ですが、

日本への圧力を高める米国に対して、何とか対米融和を計りたい松岡は活発な動きを見せます。2月には大本営が松岡の4国同盟の案を了解し、野村大使を米国に送ってルーズベルトと会談をさせます。3月には松岡がモスクワでスターリンと会談、その足でドイツにも行き、ヒトラーとも会談します。しかしどうも独ソの雲行きが怪しいと見ると帰途再びモスクワに寄って4月13日日ソ中立条約を調印してしまいます。つまりドイツに任せていてはソ連と融和できないと踏んだのです。

案の定、ドイツは6月に前年に結んだ不可侵条約を破ってバルバロッサ作戦を発動、独ソ戦が開幕します。

 

ここで日独伊三国同盟が普通の軍事同盟であれば、日本は自動的にソ連との戦争が始まり、ソ連は東西からの侵略に備えなければならなくなります。しかし、日本(少なくとも松岡は)はあくまで対米戦争を避けるためにソ連に味方になってもらう必要から三国同盟を締結したのです。だから条約には「いずれかの国が侵略を受けた場合に戦争に加担する義務はあっても一方が他国を侵略しても一緒に侵略する義務はない」という内容になっていました。ドイツはソ連を一方的に侵略したのであって日本が一緒に侵略する義理はないという結論です。

 

それでも6月には関東軍が関東軍特別演習を行ってソ連侵攻の構えを見せます。しかし有名なゾルゲの諜報によって、日本のソ連侵攻の意図がないことがソ連に知られると、シベリアに置かれていたソ連の部隊が引き上げられて一斉に欧州に投入され、最終的にはドイツの敗北に繫がって行くのです。

 

日本にとって1940年9月に結んだ日独伊三国同盟は1941年の6月独ソ戦開始を持って意味のないものになった訳です。ドイツにとっても独ソ戦で東側から全力でソ連に侵攻して来ないならば三国同盟など無意味だったと言えるでしょう。もともとヒトラーは日本を重視してなどいなかったと言います。むしろ中国国民党政権に軍事顧問団や武器を送って戦争指導をしていたのが実体で、三国同盟締結を契機に引き上げたという経緯があります。

 

日本の戦争指導がヒトラーのような独裁者によってなされていたのであれば、ここで日独伊三国同盟は解消して新たな対米融和の策を練る事になるのでしょうが、「慌てて乗ったバス」から降りようなどと言う者は一人も居らず、ドイツの欧州席巻によって主のいなくなった南部仏印に日本は7月進駐開始します。これに怒った米国は8月1日日本への石油輸出を禁止します。

 

これで日本は追いつめられ、9月の御前会議で対英米戦を決意し、真珠湾奇襲作戦の準備が始められて行きます。アメリカは12月8日の日米開戦を機にドイツとも開戦しますが、これは三国同盟を通常の軍事同盟と見なしていたからに他ならないと思われます。結局日独伊三国同盟はソ連にとっては日本の対ソ参戦を避けるきっかけとなり、米国にとっては1941年8月に英国への戦争援助を決めた大西洋憲章を一歩進めたドイツとの開戦の口実となり、英国は滅亡の危機から救われることになり、中国にとっても米英を味方につける機会を与えたことになり、連合国にとってのみ都合の良い軍事同盟であったと言えるでしょう。

 

計算高いヒトラーが益のない三国同盟を何故締結したのかは謎です。また日本の対米開戦を何故阻止しなかったのかも不明です。強いて挙げるならば、信用しがたいスターリンを煙に巻くためのおとりのような扱いとして考えていた可能性はあります。

松岡は戦後「三国同盟は僕一生の失敗である。これでは死んでも死にきれない。」といって筆者の前で号泣したと書かれています。号泣されても三百万の英霊と犠牲者は帰ってきません。その優秀な頭脳と語学力をもっと柔軟な姿勢と先見性で活かして日本を戦争への道から救えたならば、彼への評価は全く違った物になったであろうにと思います。

 

他にも三国同盟について書かれた本を読書中であり、上記の疑問への答えになるヒントが出て来たらまた報告したいと思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

メディアは何故体制寄りか

2016-12-05 22:13:04 | 社会

米国の大統領選におけるクリントン候補一辺倒であったメディアの報道姿勢や、2度目の安倍政権になってからの日本のメディアにおいても、メディアの報道は体制寄りが著しくなっているように感じます。戦後から20世紀末までのメディアは朝日の慰安婦報道のように明らかな嘘を交えても反体制的な報道をしていたように思います。私が若い頃は体制側の視点に立って冷静適確に世界情勢や日本の政界を分析したメディアに飢えていたように記憶しています。学生時代には現在休刊になってしまいまいたが、時事通信社の世界週報を毎週購読して読んでいました。それでもたまに北朝鮮の主体思想がいかに素晴らしいかみたいな記事が載っていたりして、違和感を覚えることもありましたが。

 

現在のマスメディアは「比較的まとも」と評価して購読している東京新聞でもTPPを表立って反対していませんし、「クリントン当選危うし」と言う姿勢で米国大統領選を報道していました。

 

日米のメディアが何故かくも「体制寄り」になってしまったのかについての分析は種々あります。○景気が悪くてスポンサーの意向に反する報道がしにくくなった。 ○社会の敵とされるテロについての情報が体制批判が強いと政権側からもらえなくなる。 ○日本ではメディア幹部が政権側と寿司友の関係で握られている。 ○ネットを中心とする情報手段に押されて体力が落ちている。といったことが言われていますが、それだけではやや説得力に欠ける気がします。いくら生活がかかっているから、上司が体制側と握っているからといって、それだけでメディアの現場全てが体制側に則した報道しかしないのではさすがに従事する人達が生涯の仕事としてのインセンティブを保つことができないと思います。私はこれらに加えて、体制側が所謂「政治的正義」(politically correctness)を前面に押し出しているからメディアが表立って反対しにくいという面があるように思います。

 

政治的正義(PC)は民主主義の推進、差別の禁止などに代表されますが、社会主義経済が崩壊してしまった時に資本主義の勝利(民主主義の推進とセット)、資本主義に基づくグローバリズムの推進(偏狭なナショナリズムや差別主義の否定とセット)といった題目がそのままPCとなって無批判にメディアが報ずる事になって行ったのではないかと思われます。私は20世紀的な右翼左翼の定義は現在通用しないと以前から指摘していますが、20世紀的な左翼リベラルの主張は政府による規制の批判であったり、国家の垣根を否定してグローバルに自由に行動する事であったりしたので、21世紀における「体制」のありようがかなり20世紀的な左翼リベラルの主張と一見合致してしまって、これを批判することが20世紀的には忌避されるべき右翼思想に見まがう状況になってしまっているのではないかと思われるのです。

 

トランプ対クリントンなどまさにPC的にはクリントンを応援していれば批判される事はない状況であったと言えます。トランプは「選挙に不正がある「ISを作ったのはオバマとクリントンだ」と本当の事を訴えましたが、PC的には「陰謀論者」として相手にしないのが正しい扱いでした。メディアがその気になって調べればいくらでもトランプの主張の証拠を示すことができたにも関わらずです。

 

「韓国の朴大統領は全て素人のおばさん(崔順実)のご託宣どおりに政治をしている。」などと1年前に報道したらまさに「陰謀論」「デタラメで名誉毀損」などと一笑に付されたことでしょうが、今では疑う人もない真実です。米国の911やアラブの春の米国政府の関与、ウクライナのマイダンの米国が関与した非民主的な経過など、今後どこまで明らかになるか解りませんが、米国体制側から金をもらっていなかったトランプが政権を握ったことで、これらの内実がどこまで明らかになるか、メディアが陰謀論として封じて来たことがどれだけ表に出てくるかが楽しみです。勿論全てが明らかになることはなくて、トカゲの尻尾切りのような状態にはなるでしょうが、先日ラジオの番組で体制的とされるNational Public Radio (NPR)の地方コメンテーターがトランプの当選を受けて、日本のメディアインタビューで「アメリカ一般市民の意思を完全に見誤っていたことは真摯に反省している。」と暗にPCのみに着目していた選挙期間の報道を否定する発言をしていたことに感心しました。また「トランプの当選後特に少数民族者への迫害が強くなったとは感じない」とPCに基づいてトランプ当選後の悪影響を伝えるメディアを否定していたことも印象的でした。メディアにもまっとうな人は沢山いるに違いないと思います。真実と思われる事象を報道することに自己規制をかけずにできるかの問題なのだと思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

トランプ現象はマルチチュードの反乱だ

2016-11-14 22:05:23 | 政治

トランプの大統領選勝利は、シリアにおける米軍とロシア軍との実質的な開戦、第三次大戦の勃発を防ぎ、ひいては日本の自衛隊が米軍の援護のためにその戦争に関わる運命にあったことを避けることができたという点で、天祐とも言うべき出来事であると思います。「品のない柄の悪い大統領が当選した」などというレベルの感想しか述べられない日本人が多いことを大変残念に思います。

 

また、選挙前にトランプが「不正選挙が行われつつある現実」を糾弾して、このままでは選挙結果を受け入れかねると発言したことを猛烈に批判したメディアや人達が、トランプが選ばれた途端に「選挙結果を受け入れない」とデモをしている群衆に批難の声をあげない不条理をどう考えればよいのでしょう。あのNHKですらデモをする群衆に同情的とも取れる報道を繰り返すことに、「結局デモクラシーの基本も理解できていなかったのか」と暗澹たる気持ちになります。デモは「選挙が不正であった」と訴えているのではなく、「選挙結果が気に入らない」と訴えている全くデタラメな内容なのです。

 

日本ではトランプの勝利をネトウヨが喜んでいて、サヨクは怒っているらしいです。日本のサヨクは「クリントンが勝利して安倍首相と共にTPPを推し進め、シリアで米国とロシアで戦争が始まった方が良かった」と言っているのですから全く愚かな上に恐ろしい人達です。

 

ところで、トランプは無制限な自由貿易であるグローバリズムには反対であり、内向きの政治を行う事を公約としていることから、極右とかナショナリズム偏重と言われています。確かにサヨクというのは国家の枠組みをなくし、グローバリズムを推進する事を信条としていますから、安倍首相のようなTPP推進派はバリバリの左翼であると普段から私が批判している通りです。

 

経済の三要素は資本、労働力(ヒト)、資源(または物)と言われていますが、これら3つが国内でバランス良く成長すると健全な経済成長になります。しかし資源のない国や資源しかない国もあるからお互いの足りない所をやり取りする「貿易」を行うことでwin-winになるというのがこれまた国際貿易の健全な姿です。初期の(90年代)グローバリズムでは国家単位で資本の国(米国)、労働力の国(中国)、資源の国(中東など)と分けて国家単位で経済の要素を分担するグローバリズムでした。結果、米国はドルが国際通貨だから輪転機を回すだけ(或はコンピュータのキーをはじくだけ)でいくらでも資本を作り出すことができていくらでも儲けることができた。中国も安い労働力で世界から労働を奪って国家としては豊かになったのです。

 

しかし経済は「商品」を買ってもらわなければ回らないから当初豊かになった米国や中国で商品が良く売れたけれども国家内という単位で見ると豊かになったのは資本家や一部の高所得者だけで一般の労働者や物を扱う人達は安い労働力や物価であった他国の基準に引っ張られて等しく貧しくなってしまったというのが21世紀に入ってからのグローバリズムの姿です。つまり始めは国家間で貧富の差があったものが、次第に国内で貧富の差がついてそれが各国同じ状況に近づいてきたということです。

 

国家国益のためといって米軍が「テロとの戦争」を推し進めても結局グローバル企業が儲かるだけで国民が豊かになる訳ではないということが次第に解って来て、米軍の軍人達ももう騙されなくなってきた。トランプ氏を支持する米軍の将官が200人はいるという評判ですが、「米国の国益」という仮面をかぶったグローバリズムの「化けの皮が剥がれた」ことを米軍の当局者達が最も良くわかっている証拠でしょう。

 

「反グローバリズム」というのは「それぞれの国の中で経済の三要素が健全に発展するように戻しましょう」という運動であって、労働賃金に国家間で差があっても良いではないか(そのためには外国からの製品に高い関税を儲ける)という運動です。安倍首相はこの時になっても「関税をなくすTPPが日本の国益に資する」などと戯言を言ってTPPを批准する方向で動いていますが、欧州もTTIP(環大西洋貿易投資連携協定)にNoを突きつけているのに、日本だけが未だにTPPまっしぐら(国内は反対だらけなのに)というのは哀れなほどです。

 

アントニオ・ネグリとマイケル・ハートはグローバリズムにおける権力構造を「帝国」と呼び(以文社 2003年)、新たな民衆の敵として具象化してみせました。そしてその「帝国」的権力に対するグローバル民主主義の構成に向かう多種多様な集団的主体を「マルチチュード」と任命しました。続く「マルチチュード・帝国時代の戦争と民主主義」(NHKブックス2005年)や「コモンウエルス上・下」(NHKブックス2009年)、「反逆」(NHKブックス2013)でもマルチチュードたるものの「帝国」への抵抗のありようを種々説いているのですが、どうも抽象的すぎて今ひとつ理解しにくいものでした。「反逆」においては「アラブの春」の様がマルチチュードの表現とされていて、アラブの春も旧ロシア領のカラー革命もCIAに踊らされた米資本主義帝国のための権力構造の棚卸しである事が明確であるのに何を血迷った解説をしているのだろう、という感想しか持てませんでした。ネグリ・ハートはどうしても20世紀的な左翼思想から脱皮できておらず、地球市民的な抵抗運動に郷愁を持ち続けている点で「現実には使い物にならない」思想なのだと思います。

 

私は英国における「ブレグジット」によるナショナリズム回帰、欧州における移民増加を拒否する「自分達の生活を守る思想」、今回のトランプを応援する「グローバリズムの否定と米国内第一主義への回帰」こそが「一般民衆が声をあげてグローバリズムにNoを突きつけた」マルチチュードの平和的革命であると思います。移民とかマイノリティーとかを阻害するという点でこれはサヨクの人達からすると「受け入れがたい考え」のように見えますが、移民やマイノリティーを重視して「奇麗事を押し付ける事」で大衆を抑圧する方策こそが「グローバリスト達の常套手段」であることにそろそろ気がつくべきなのです。

 

移民は移民しなくても元の場所で生活できるようにグローバリズムを潰してローカリズムを復活させれば良いのであり、マイノリティはマジョリティを支配しようとせず(これを専制政治と言います)マジョリティを尊重しつつも自分達の地位を確保できるように訴えてゆけばよいのです。だからブレグジットやトランピズムで示された大衆の意思(グローバリストはこれをポピュリズムと呼んで上から目線で批判します)こそがグローバリズムに一石を投ずるマルチチュードの反乱と呼ぶべきなのです。残念ながらこのような視点を主張しているのは私だけ(海外のブログなどもググってみましたが)のようです。それだけ「反グローバリズムが具体的な力を持つ」ことを畏れる権力者やメディアが多いということでしょう。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

書評「やがて死ぬけしき」

2016-10-31 23:25:12 | 書評

書評「やがて死ぬけしき」 玄侑宗久著 サンガ新書2016年刊

 

「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」 という芭蕉の句からヒントを得て付けられた題名で、商品化される墓や葬儀、大震災と死、がん治療や新薬の登場まで、現代の死の様相を考えるとともに、いろは歌や高僧の言葉に耳を傾けながら、日本人の死生観の変遷を辿る。芥川賞作家の禅僧が語る、安心して死ぬための心構えと、さわやかに生き直す秘訣!・・というのが商品に付けられた説明でその通りなのですが、やはり死をいうものを意識して生きる大切さ、特にがんになった時に考えるべき「死」の様相を解りやすく示唆した(説明したとは言いがたいので)優れた内容の本だと思いました。

 

種々の示唆に富む話、送り経としての「いろは歌」から震災後に被災地で見られた怪談話までエッセイを集めたような形で特に形式張らずに集めた内容なのですが、医師として特に印象に残ったのは、がんの終末期と題名である「やがて死ぬけしき」の句を掛け合わせて説明した所でしょうか。「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」という芭蕉の句は様々な解釈があります。蝉はもうすぐ死んでしまう短い命なのに能天気に無邪気に鳴き騒ぐものだ、という軽卒をたしなめるような解釈もあり、鈴木大拙氏のように小さく短い命であっても十の力を出し切って生きる蝉こそ偉いのである、と讃える解釈もあります。玄侑宗久氏は蝉の人生の大半は地中にある、世に出る蝉の姿は長い蝉としての人生の終末期であって人生としては変態を遂げた別のステージであり「やがて死ぬけしき」なのだ(ということを意識して蝉の声を聞いてはいないが)という感嘆であると説明しています。私もこの解釈が良いように思います。

 

今までの長い人生は別の所にあって、人生の終末期は別のステージとして「やがて死ぬけしき」として存在するという考え方は、人間で言えば「がんの末期」や「老いで寝たきり」米澤 慧氏の表現を借りると「老揺(たゆたい)期」という事になるのではないかと思います。人間の場合は蝉のように長い臥薪嘗胆の末に繁殖のために花開く時という訳ではありませんが、人生の終末期とは「やがて死ぬけしき」として死を意識しながら人生の別のステージとして過ごす大事な時ではないか、という考え方は共感できます。日本人の死生観として、死を「新たな旅立ち」「誰もが知るあの世への帰還」と捉える事が大切であり、むやみに死を「恐怖」とのみ捉えることから開放される準備をするのは意味のあることだと思います。その中で宗教の役割、今話題の臨床宗教師の意義といった事も説明されます。

 

私の病院は地域の「がん拠点病院」に指定されています。私も「がん拠点病院」の内部委員として診療内容の充実に向けて会議に出席もするのですが、現在の急性期病棟のみで緩和病棟がない状態ではどうしても「治療できるがん」をベルトコンベア式に次々と治療してゆくのみで、終末期の患者さんをじっくりと看て行くことができないジレンマがあります。患者さんの立場にしてみると、早期癌から進行癌になって末期になるまで同じ一人の人間として存在するのですから、進行癌から末期になった所で当院では診れないので別の施設に移って下さいと言われても簡単に気持ちの切り替えができるものではないと思います。結局急性期病棟の中で次々と退院してゆく患者さんの中で末期の方も診るという結果になってしまうのですが、できれば同じ施設の中で自然な感じで急性期病棟から緩和病棟に移動して、最期は畳の上(自宅で)で迎えることができれば最高なのではないかと常々思います。

 

本書の内容から印象に残る話として、死が近い人が「亡くなった近親者の迎え」を感ずるのは自宅の場合の方が多い、という話が紹介されていて、「近親者の迎え」を感ずる人の方が安らかな死を迎えることができると言われています。「近親者の迎え」は日本だけでなく、アメリカのテレビドラマでも撃たれて死ぬ間際の人が亡くなった父親が自分を迎えに来ていると横で手を握る同僚に話すシーンがあり(NCISであった)、万国共通なのだと思います。また迎えに来るのは必ず死んだ人であること(小児であっても生きている親ではなく、必ず亡くなった肉親に限られる)が科学的に確かめられていて、人間にとって死の持つ意味や死後の世界というものの共通認識につながっていると考えられているようです。

 

一生懸命早期癌、進行癌を治療してきた医師ほど、ある程度の年齢を迎えると終末期医療や看取りをしっかりやりたいと考えるようになってホスピス医療を行う場合が多いのですが、私もそのような時期に来ているのかもしれないと少し感じています。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日本のがん医療は遅れているのか?

2016-10-20 16:26:13 | 医療

下記の厚労省の統計からの表に示すように、1980年以降日本人の死因の第一位は悪性新生物(がん)です。また40歳から90歳までの年齢層においても死因の一位はがんです。日本人のがん罹患率も年間160万人と増加を続けています。大阪府立成人病センターの記事を見ても、大阪府のがん罹患数、死亡数ともに2005年は1975年の2.5倍近くになっていることが解ります。日本人の二人に一人は一生の間に癌になりますし、3人に一人は癌で死ぬのが日本の現状です。

   

    日本の主な死因順位の変遷                                                大阪府のがん罹患数

 

このような統計だけを見ると、日本のがん医療が諸外国と比べて遅れていると勘違いをしてしまう人が中にはいますが、私が以前から指摘しているように日本における早期癌への治療は進んでおり、早期癌は根治してしまい、一生のうちに複数の癌にかかる高齢者が増加することでがんの罹患率が増加し、高齢者が他の病気で亡くならず、結局癌で死亡するから死因としての癌が増加する事を理解する必要があります。決して若い人のがん死が増加しているわけではありません。まあ勘違いしているだけならば良いのですが、本気で日本の急性期がん医療が間違っていると思い込んで正しい癌の治療を拒否してしまう「意識高い系」を自任する人達がいるので現場では困ることが度々あります。私もいままで複数のそのような方に遭遇し、適切な時期に治療をしなかったり、インチキ民間医療に走ったためにいよいよ重体になってどうにもならない状態になって救急車で病院に搬送されるといった経験をしてきました。その状態からは辛い状態をしのぐ一時的な処置と緩和医療しかできませんし、一番苦しい思いをするのは患者さん自身です。

  

 H6年とH23年の人口10万人あたりの癌死亡数(縦軸は人数)超高齢者は増加             H6年とH23年の全死因にしめる癌の割合(がん死数/全死亡数)若年者ではがん死はむしろ減っている

厚労省の死亡統計から作成した平成6年と22年の人口10万人あたりの年齢別がん死亡数を見ると、高齢者のがん死は増加しているものの、若年者は同等または減少していることが解ります。小児がん死は一見増加傾向に見えますが、小児の死亡率自体が減少しているので実患者数は減っていることが死亡統計の図からわかります。つまり高齢者の寿命ともいえるがん死(天寿癌)は増加していますが、若い人のがん死が増えている訳ではないのです。

 

   H6年とH23年の全死亡者数(実数)の年齢別推移 (縦軸は対数で人数、小児、若年者は死亡者数自体が減っている)

では全ての領域において日本のがん医療が優れているかというと、医師である私から見てもそう思えない分野が多々あります。それは終末期におけるがん医療です。治癒が期待できる早期癌については、現在の日本の医療は大変優れていると思います。しかし転移を伴う進行癌の治療についてはどうでしょうか。現実には早期癌を扱う急性期病院がそのまま進行癌や終末期の癌、看取りを含めて対応しているというのが現在の姿です。しかし欧米においては医療制度の違いもありますが、それぞれのステージにおいて医療の棲み分けがなされていると言えます。確実に治る早期癌の人が手術をしてどんどん退院してゆく隣で末期がんの人が点滴につながれて緩和医療を延々と行っているというのは明らかに異常な姿です。患者さんにとってもそのような病室で終末期を迎えることが残り少ない人生を自分らしく生きる助けになるとは思えません。

 

完治できない進行を遅らせるだけの治療であっても、自宅で苦痛なく普通に生活できることが前提の医療であれば、急性期病院でがん治療することは目的にかなっていると思います。しかし終末期になり、緩和医療が中心になったら自宅でホームドクターの往診を受けながら過ごすか、ホスピスのような自分のペースでのんびりと過ごせる病院で最後を迎えるのが優れた医療と言えると思います。特に患者さん本人や家族への「こころのケア」に配慮した医療ができれば最高だろうと思います。

 

日本のがん医療が遅れているのは「終末期の医療」においてです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

抗がん剤治療は無意味か?

2016-09-26 23:11:40 | 医療

最近複数の雑誌などで手術や薬物治療を否定するような特集が組まれて、「医者も自分なら受けない治療」などというキャッチコピーで人気記事になっています。西洋医学が進歩して「急性疾患であれば治るのが当たり前」になる一方慢性疾患は未だに症状をごまかすことしか出来ない現状から、そのような西洋医学の弱点に対して伝統医学やまやかしとしか思えない施術がいかにも「一歩進んだ医療」といわんばかりの紹介をされることがあります。

 

「がん」医療については、早期癌については手術や放射線治療の技術が進み、「根治」できる場合が多くなってきました。しかし原発巣から遠隔転移や浸潤を伴う進行癌になってしまうと、種々の抗がん剤治療が発達してきた現在でもなかなか根治に至らず、「がん死」の転帰を取る場合が多いのが現実です。そこで「根治できない抗がん剤治療は無意味だ」「抗がん剤治療は製薬会社と医者の儲け手段だ」という主張がなされるようになります。確かに新しい抗がん剤は非常に高価な物も多く、1瓶60万円とか一日内服2万5千円といった物もあり、今話題の肺がん(腎癌にも適応追加)治療剤オブジーボは一回150万円、年間3600万円という途方も無い値段になります。それで癌が根治するのかというと、しません。

 

しかし古くからある比較的安価な抗がん剤や後発品であっても効果がある薬剤は沢山あるので、経済的な問題は一時置いておいて、ここでは「抗がん剤治療は無意味か?」という問題について考えたいと思います。

 

多くの識者が指摘するように、抗がん剤の多くはがんを「根治」することはできません。白血病やリンパ腫、一部の癌においては全身播種や転移を伴う癌も根治可能なものがあります。私も睾丸腫瘍で複数のリンパ節転移がある例を化学療法で根治に持って行った事が何人もあります。私の母も抗がん剤+放射線治療で食道がんを治療し、すでに5年再発がありません。しかし根治できない癌の場合はどんなに頑張っても駄目です。

 

では根治できない癌を抗がん剤で治療するのは「無駄」なことでしょうか。確かに抗がん剤が全く効かず、治療しても一方的に癌が進行して死に至る例もあります。また抗がん剤の副作用で患者が亡くなってしまう所謂「化学療法死」というのもあります。このような場合は「無駄」或は「やらない方が良かった」という結論になるでしょう。

 

しかし最近の化学療法は吐き気や骨髄抑制などの副作用対策も進んで、また治療効果も高いものが多く、10年前であれば半年程度しか生きながらえなかった進行癌が、治療をすることで2年3年と日常生活を送ることができるようになってきました。最終的には「がん死」に至るのですが、治療をしながら2年3年と自宅で普通に生活することを「無駄」「意味の無い人生」と決めつけることはできないと私は思います。根治を目指さず、日常生活が苦痛なく送れるような治療を行うtumor dormancy therapy(癌と共生する)という概念は特に高齢者の癌治療においては重要な考え方と言えます。以前「癌医療におけるこころの問題」とうブログテーマの際に触れましたが、人生において二つ三つの癌を経験することも珍しくない現代の長寿社会においては、「程々に癌を治療する」ということも医療の目標として良いと思いますし、超高齢者の癌は天寿癌として緩和的な医療のみ行う方向で良いと思います。実際現実の医療において、私はこのような考え方を実践しています。

 

「根治を目指さない癌治療は無意味」「癌と共に生きる人生は敗北」という考え方も人生観の一つとして「あり」「一つの見識」だとは思いますが、日本人の死生観は「肉体は死んでも魂はあの世で生き続ける」「死生一体」というものであり、死んだら神の審判が降りるまで復活はないといった一神教的な西洋思想とは別であると思います。だから肉体が完全でなくても「それなりに自分らしく生きる」ことができればその間を「無意味」と定義付ける必要はないと思います。できるだけ日常生活を続けることができる「抗がん剤治療」であれば、無意味だと決めつけるのは誤りだと私は考えます。

 

「がんとは何か」

少しテーマから外れますが、医師や専門家は常識としているところの「がん」の概念を正しく理解していない一般の人があまりにも多いことを普段患者さんと接していて痛感しますので、ここで「がん」とは何かについて触れておきます。

 

「がん」とは「身体の細胞が決まった機能を逸脱してしかも無限に増殖してしまう状態」を言います。だから身体の細胞の種類だけ癌にも種類があり、機能逸脱の状態も増殖の状態も様々あることになります。「がん」という決まった病気があるのではなく、機能を逸脱して無限増殖する細胞があればその「状態」を「がん」と表現しているにすぎないのです。「血液検査すればがんがわかるのでしょう?」「癌化する遺伝子は決まっているのでしょう?」いずれも間違いです(一部正解ですが)。ちなみに上皮由来のがんを「癌」非上皮由来のがんを「肉腫」といい両方あわせてひらがなの「がん」と言います。

 

従って、抗がん剤とは「機能の逸脱を戻す」「無限の増殖を抑える」「本来の自分の細胞でなくなった非自己である細胞を認識して殺す」といった作用機序が考えられます。機能の逸脱を戻すものには血液癌の治療に使うものがあり、増殖抑制はチロシンキナーゼ阻害剤やDNA合成阻害剤など最も種類が多い抗がん剤です。非自己を認識して殺すものは免疫療法剤や各種の抗体治療剤があります。「・・・でがんが治る」などという広告を良く見かけますが、「・・・」の部分が機能の逸脱を是正するのか、癌細胞の増殖を抑えることが立証されているのか、非自己であることを認識して殺すのかきちんと説明してあるのは希です。それが書いてないものは「インチキ」と断定して良いです。がんとは西洋医学でサイエンスに基づいて病理学的に定義付けられた「細胞の状態」であって「がん」という「ひとつの物」が漠然と存在する訳ではないからです。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

生前譲位と憲法

2016-09-12 23:20:18 | 政治

2016年8月8日に放送されたビデオによる今上陛下の「生前譲位希望」を示唆するお言葉に対して、各界や安倍総理のコメントなどその対応を巡って議論が交わされています。私は結論的には現行法制通りに摂政を立ててご逝去されてからの新たな即位で全く問題ないと思っています。日本は天皇存在の有無に関わらず民心が動揺する事は無いと考えるからです。しかし改めて天皇の存在を考える時、日本国憲法の第一条に規定されているからには日本国のあり方を考える上で非常に重要な存在であることは明らかと思いますし、再度憲法との関わりについて検討してみるべきであると思いました。

  

 

まず日本国憲法と大日本帝国憲法の構成を比べてみると、その構成が殆ど同じであることが解ります。押しつけ云々と言われていますが、日本国憲法は大日本帝国憲法からの移行にパッと見で違和感がないよう配慮されていて、何よりポツダム宣言受諾において必須とされた「国体の護持」が保たれている事を印象付けるように第一章に天皇を置き、天皇が日本国において最初に規定されるべき存在でしかも「今後も存続する」存在であることが示されています。そして今までになかった戦争放棄の規定を二番目に配置して、帝国軍の無条件降伏とこちらは「存続の否定」が明示されたのです(帝国軍の消滅であって専守防衛に徹する限りにおいて自衛隊は別と私は思います。だからこそ帝国軍的な行動を取りかねない海外派兵はもっともらしい理由があっても絶対不可なのです)。それ以降の構成は国民主権、基本的人権の尊重に基づいて帝国憲法に類似の構成で国内の基本的規範が憲法上規定されたと考えれば分かりやすい内容です。

  

この構成は合衆国憲法とも全く異なりますし、同じ立憲君主制のオランダ憲法とも異なります。また同じ敗戦国であるドイツの基本法ともかなり異なることが解ります。

 

私は日常生活において天皇のことなど考えることはありませんし、尊敬はしていますが「絶対」の存在などではなく、天皇機関説、超特別職国家公務員(職業選択の自由がなく任免罷免の明確な規定もありませんが)であると考えています。だから本人が何と言おうが、法律に基づいて粛々と公務を行い、過ごされるのが良いと考えます。昭和大帝もそのお考えで亡くなるまで粛々と過ごされていたものと理解しています。「老い」も皇室典範に規定される身体の不治の重患と考えれば良いのであり、皇室会議の議により第十六条の規定通りに摂政を置けばよいだけの事です。これは日本国憲法の第五条にも銘記された事項です。最近、突然「にわか天皇崇拝者」が増殖して、今上天皇が特別のおことばを述べたからには、その遠回しに希望された内容を直ぐにも叶えなければ「不敬」と言わんばかりの雰囲気が世間に溢れていますが、噴飯ものと言わざるを得ません。現行の法律通りに皇室運営を行うことで困る国民は一人もいません。むしろ無理矢理法改正をしようとすることで不要な皇室論議が惹起されて、必要の無い生前譲位や女系天皇論で国論が二分される事になり、かえって国内が乱れる元になるのです。

 

摂政を置いて、近上天皇が理想とする国事行為を粛々と摂政となる東宮は行う。皇太子は置かない。現行の秋篠宮が今行っている事と同様の皇室外交を秋篠宮家が継続すれば良いだけのことです。宮内庁ホームページにおいて紹介されている「陛下のお言葉」における象徴天皇としてのあり方、考え方は実に正しいと思います。しかし、譲位して天皇でなくなれば、逝去された時の儀式を省略できて国民が楽であると言うお心遣いは無用です。逝去における喪をどう過ごすかは国民の側に託された宿題であって、それをどのように受け止めるかを国民が決めることこそが憲法第一条に規定された「・・この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」の思想を体現することになると私は思います。畏れながらそれを陛下が勝手に決めてはいけません。

 

残念ながら種々のブログや有識者の意見などにもあまり私のような意見は見当たらないのですが、もう一度日本国憲法の精神に戻って、憲法に規定された通りでは何故いけないのか、(天皇の個人的希望ではなく)憲法の精神を一番尊重するにはどうすれば良いのかを冷静に議論する事が大事なのではないかと、憲法の精神をないがしろにしがちな現行安倍内閣を見るにつけ思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

書評 日本が中国の属国にさせられる日

2016-08-19 17:30:54 | 書評

書評 日本が中国の属国にさせられる日 副島隆彦 著 2016年刊 KKベストセラーズ

やや衝撃的で挑戦的な題名の本で、販売戦略上ある程度キャッチーなタイトルにせざるを得ない点があったことは前書きにも書いてあるのですが、内容は今までの氏の著作とは少し趣が変わったと思われる内容でした。通常ブログで書いている書評(といっても本の紹介までゆかない単なる感想ですが)の形式ではなくて、直に著者である副島氏に送った感想文を記します。有難い事にすぐに直接著者である副島氏からメールによる返事をいただきました。概ね私の受け止めかたは著者の意図に反していないと言っていただけました。

 

著者 副島隆彦 氏に送った感想

 

 いつも示唆に富むご教示をありがとうございます。今回先生の力作「日本が中国の属国にさせられる日」を拝読し、「今までの先生の切り口と少し違うかな。」と率直な感じを得ました。それは前書きと6章の終論でも述べておられますが、修辞的内容を排して「本音」を直言することで現在の政界・言論界が20世紀的な観念に未だに執着して現在の状況に適合しきれていない状況に警鐘をならしていると思われた事だと思います。

 

 現在右翼左翼ともに何か未だに1980年代的な「セットになった観念」に捉われていて、現実に対応する上で何を言っているか解らないと思う事がしばしばです。共産中国はすでに毛沢東の時代の中国ではなく、米国と次の覇権を争い、必要があれば(国家戦略上利があれば)外国に対して限定的な武力闘争を仕掛ける事も辞さないというのは本当だと思います。「一体どこの国が日本に責めて来ると言うのです?」みたいな事を言っているようでは話にならないのであって、中国が日本に対して武力を使うことに「利なし」と思わせるにはどう振る舞って行くか、という議論が必要なのだとのご提案と感じました。それは「米国の先陣を切って戦場に突入する準備を整える」ことではないことは勿論ですが、もっと根っこの部分から日本のあり方について思想を持ちなさいということかなと愚考しております。以下先生の御著書を拝読して感じたことをご報告させていただきたく存じます。

 

 まず「中国の属国化」というタイトルは中国嫌いの諸兄への先生一流の注意喚起と思いますが、私なりに感じましたのは、広い意味で「日本は中国の文化経済圏の一部である」という先生の主張だと思います。ユーラシア大陸の西の端には種々の問題が山積していますが、統一通貨のユーロ圏という経済圏があり、今回EUからの離脱を表明しましたが、英国がその文化経済圏の一翼を担っています。そして東の端が中国と日本であり、中国は中央政府の統制がめちゃくちゃ強力なユーロ圏のようなものであり、それが二千年来支配者を変えながら続いてきた。現在は漢民族が主体の共産党という中央政府が仕切っている経済圏であると考えられます。日本は好むと好まざるとにかかわらずこの大きな経済圏の一翼を担っていて今後もその影響を受け続けるということだと思います。

 

 企業の経営者たちには中国嫌い、共産党恐怖症の人達が多いというご指摘はその通りでしょう。しかし1億人の日本人が生活してゆくための経済を動かすには今後とも中国とうまく付き合ってゆかねばならず、国益を考慮すれば大陸経済圏の一部として活動してゆく、もっと積極的にかかわってゆくことも必要になると私も思います。現在米国の対中戦略に取り込まれて日中が対立する構図が作られつつありますが、詰まるところ裏で手を結んだ米中に日本が二分割されるような結末にならないよう注意する必要があります。そのような「まさかという事」を平気でやるのが大国というものだと私も思います。

 

 また理屈だけでよい社会が作れるなどという幻想を抱いている左翼への叱責もまさしく当を得ていると思います。人間は理屈だけでは動きません。理屈で動かない人間を処罰や殺戮で言うことを聞かせてきたのが左翼の歴史です。その事実に真摯に向き合いなさいという先生のご指摘は至言と思いました。

 

 今程リベラルと言われる人達の立ち位置がはっきりしない時代はないと思います。1980年代のようなマルクス主義と反米・市民運動がセットになったような状態は比較的解りやすい状態であったと思いますが、反グローバリズムは突き詰めるとナショナリズムに繫がる可能性があり、親韓・親中も中韓のナショナリズム的右翼思想に利用されるだけという構図が見えている状態で「自分はリベラル」と思っている人達は一体何を主張すれば良いのか呆然としているのではないかと思われます。先生が主張されるようにきちんと左翼の誤りを総括してその上で何を目指すべきかを確立しなさい、というのは非常に重要な事と思います。

 

 ファシズムにならない郷土愛やナショナリズムというのは、米国の伝統的右翼・保守というのが国家統制から徹底的に自由であろうとする「リバータリアリズム」という解りやすい立ち位置である一方、日本の保守が米国では国家の統制を強める左翼的思想に近いというのが日本のリベラルにとって混乱する原因になっているように感じます。国家をバックにしたグローバリズム(コーポラティズム)に対抗する思想的な軸を確立するとともに、1億人が食べて行くにはどうするか、といった現実的な対応を提供できるようなリベラル思想がなければ「良くわからないうちにアジア人同士で戦争をさせられる羽目になる」という状況を打破する事はできないのではないかと先生の著作を読みながら痛感しました。

 

 以上雑駁な感想で恐縮ですが、今後とも先生のご活躍、ご教示宜しく御願いいたします。            Rakitarou   拝

 

以下 副島隆彦 氏からの返事

 

拙本 「日本が中国の属国にさせられる日 」をお読みいただき、丁寧な感想をお書きくださりありがとうございます。  正確に 私の考えを理解してくださいまして、心から嬉しく思います。

このように 私は、日本の 右、左 の両方を、結果として敵に回す(ほどではなくて、さらに無視される)ことになります。  私の先生たちが、そういう人たちでした。

そのために 勢力としての 彼らの仲間に入ることが、どうしても出来ません。

言論人として、影響力を持てないままで、生きてゆくのは、大変です。

これも自分の運命と、今では、すっかり諦めています。 諦(あきら)めるとは、何が事実かを明らかにする、ということだと、ずっと考えて生きてきました。

 

私にとっては、この本は、見抜いていただいたとおり、かなりの決断の末の 大きな態度変更の本です。日本共産党系の私の、数少ない、しかし、私から情報を取っていた人たちが、早くも、離反しました。 彼らは、やはり 古臭い左翼です。過去の栄光も、自分たちの先人たちの業績さえも、はっきりと確認できない人たちだ。

嫌われてもかまわない、という生き方を、私は、これからも、死ぬまで続けるのでしょう。

丁寧な読後感想をありがとうございます。重ねてお礼を申し上げます。

副島隆彦拝

 

 私は読んで強い印象を受けた本は、著者に出版社経由で感想を送ったりすることもたびたびあるのですが、きちんと返事を返して下さる著者の方も多く、有難いと思います。副島氏は10数年前に初めて読んだ経済本で強い衝撃を受けて感想を送った時も丁寧に封書で返書いただき、普段はべらんめい調ですが、非常に読者を大切にしている方だと以来尊敬しています。その点、「内田 樹」氏は著作の内容は非常に納得できるのですが、感想を送っても「なんで自分の知らない人の書いた文を読まされないといけないの?」などとツイートされてしまうので、不特定多数へ情報発信をしているプロの言葉と思えず興ざめでした。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

終戦の日に戦傷病学を考える

2016-08-15 23:57:19 | 医療

雑誌「軍事研究」8月号に「戦闘外傷からのサバイバルー駆けつけ警護自衛隊は戦死者続出」という記事が載っており、現代の戦傷病学について簡潔に説明されていて興味深く読みました。私が戦傷病学を学んだのは1980年代であり、当時はまだ米軍の朝鮮戦争・ベトナム戦争時の戦傷病学が自衛隊でも教えられていて、テレビ映画「M★A★S★H」(mobile army surgical hospital)の世界のような感じでした。今では災害医療の常識となっているトリアージ(傷病者の振り分け)も元は大量の戦傷病者を効率的に治療する目的で行われていたものであり、80年代当時我々も習いました。銃創についてもhigh velocity wound、low velocity woundライフル銃か拳銃かといった位は習いましたが現代のような高機能ライフルや高性能爆薬が実用化されていなかったのでまだ込み入った状況ではなかったと思います。米国内では当時から銃犯罪は多発していたので、米国で実際に医療を行っていた医師から「ブルックリンで銃で撃たれた妊婦から子供を取り出した」みたいな話は聞いていました。

 

記事を読んで、現代の戦傷病学を語る上で以前と大きく異なるように感じたのは以下の点です。

 

○  陸上戦闘では小口径銃(7.62mmから5.56mmへ)が中心になっていること。

○  命中精度の高い銃でスナイパーが防弾チョッキのない腰から下を狙うこと。

○  高性能爆薬で四肢が吹き飛ばされる可能性が高いこと。

 

銃の小口径化はNATOに続いて自衛隊でも行われていて、私が習った64式小銃は既に旧式で89式小銃(5.56mm)やMINIMIという分隊用機関銃も小口径を使っています。一方現代戦の特徴である対人狙撃銃の導入も行われています。

 

  陸上自衛隊89式小銃

映画「アメリカン・スナイパー」はイラク、アフガニスタンなどでの米軍の戦闘を具体的に描いていた訳ですが、主人公が前線で哨戒する兵士達をやや後方からスナイプすることで支援する現代戦の様がよく解ります。バトルライフルの命中精度が飛躍的に上がって、ゴーグルを使用すると450mの距離で30cmの的に50%は当たるという状況になり、戦闘の有効射程が700-800mになってきている(裸眼では殆ど見えない所から撃ってくる)現状があります。つまり前線で小口径の銃を乱射して敵を誘い出しておいて見えない遠方からスナイパーが仕留めるというのが現代の戦法です。先週から始まったNCIS LAの新シリーズでもテロリストとの国内における戦闘でこの方法が取られていて「ほう」と感心しました。私は昔64式小銃でスコープなしですが、400m先の4m四方くらいの的にまぐれで当てたことがあります。1-2mmずれてもメートル単位で的が外れるのであくまでまぐれです。南部式のピストルは25m離れて30cmの的に当てるのは時々当たるという程度です。テレビなどで刑事役の人が中央近くにバシバシ当てているのは出来過ぎと思います。

 

爆薬の高性能化を逆手に取ったものが、イラクなどでイスラム原理主義勢力が用いたIED( Improvised explosive device) で、数千円の元手で数百万から千万単位の装甲車などを吹き飛ばすことができるというものです。以前「勝てないアメリカ」という書評で紹介した通りです。ここで大事になってくるのが、四肢からの出血を最小限に抑える止血帯の利用です。米軍では一人最低2個の止血帯をいつでも直ぐに使えるよう携帯することが義務づけられているそうです。

 

   米軍の個人用救急装備

以下備忘録の意味で現代戦傷病の原則を記しておきます。

○  2-2-3の原則 2分以内で止血、20分以内で鎮痛(モルヒネなど)、3時間以内で有効な外科的処置による止血(阻血によって壊死を起こすから)。

○  SABACAの原則 Self-aidまず自分を助けよ

         Buddy-aid戦闘員相互の救護

         Civilian-aid市民への救護提供

○  LLEの原則 戦闘外傷救護の優先順位 Life-Limb-Eyesight(生命、四肢、視力)の順

 

これらはtactical combat casualty careのガイドブックによる防ぎ得た戦死の統計から得られた教訓だそうです。私は幸い戦傷病を診療せずに医師人生を終えることができそうですが、子供や孫の時代の日本人が再び戦火の中でこのような戦傷病と戦わねばならない日が来ることは避けたいものです。自然災害と違い、戦争は止めようと思えば止められるものです。現実に世の中に戦争がある以上、現代の戦傷病学は知っておかねばなりませんが、「殺し合いを避けるあらゆる努力(非武装中立ということではありません)」が第一であることは論を待たないと思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加