書評 憲法とは国家権力への国民からの命令である 小室直樹著 2013年ビジネス社刊
小室直樹氏は1932年生まれの政治経済学者で、副島隆彦氏の師匠であり、2010年に亡くなっています。本書は2002年に氏が「日本国憲法の問題点」と題して刊行した書籍を再編したものです。小室直樹氏は日本の既存の大勢に捉われず、基本に帰って世界的な視点から論理的に日本の問題点を指摘するという点で、大衆受けは多分しないでしょうが、私は非常に惹かれるものがあります。
本書の主題は「近代デモクラシーにおける憲法とは国家というモンスターを縛る鎖であり、憲法とは国家権力への命令である」という点と、日本国憲法における最も重要な条文は第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という一文に尽きる。というものです。この第13条はアメリカ独立宣言と同じ文章が使われており、ジョン・ロック以来の連綿たる近代デモクラシー思想のエッセンスが込められたものであって、国家たるものどんなに逆境、困難が待ち受けていても、国民の生命、自由そして幸福追求の権利を守らなければならない、と力説します。
近頃話題になった自民党の憲法改正案では、第13条「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。」と変更されています。一見あまり変わりがないように見えますが、実はジョン・ロックの思想を否定する基本的思想から変える大変革であることが解ります。社会契約説に基づいて人間が生まれながらに神から与えられた無制限の権利の一部を差し出すことによって、国家が形成されているのであるから、「もし国家権力が人民を不幸にるすなら、契約を改めてもいい。つまり革命を起こして、新しい政府を作るのは人民の正当な権利なのだとロックは述べています(同書籍30ページ)」と小室直樹氏は解説していますが、自民党案では、「公の秩序に反してはならない」と憲法が国民を規定してしまい、「国家が国民のあり方を規定する」という逆転現象によって憲法の原則からも離れ、いかにして近代国家が必要とされて作られたかという根本理念さえも忘れ去られてしまっています。自民党案を作った人はもう一度中学から民主主義とは何かを勉強し直す必要があります。もし全て理解した上でこのような逆転を仕掛けたとすれば、「日本には(お上を信ずる)思想があって、民主主義に儒教的な仁の思想を融合した」特殊な考え方に従って憲法を作り直したのだ、西洋的な民主主義は一度全て否定したのだ、と重々説明しないと「単なる騙し」になります。
小室氏はバブルを崩壊させて、数十兆円の国民の資産(株や地価など)を奪ったことも、北朝鮮の拉致を放置していたことも、日銀が長期間ゼロ金利を続けた事も全て「国民の生命財産を守る」という憲法の国家への命令に違反した行為であると断罪します。憲法9条については私が前から述べている解釈と同じであり、国益を追求する一手段として戦争という手段は放棄しているが、国民の生命を侵略から守るために自衛権の範囲で戦争を行うことは国家の使命であり、否定されようがない、と述べています。つまり「専守防衛の自衛隊は合憲である」という世界の常識に基づいた至極まっとうな解釈です。
本の後半では小室氏は民主主義を実現するための教育の重要性(日本の良さ、日本人としての自覚を大切にし、民主主義を不断の努力によって実現するようにする国民教育の重要性)を説いています。それはそれで説得力があり、重要なことですが、第5章「日本人が知らない戦争と平和の常識」は9条論争に関連して、日本人が国際紛争に関する常識にあまりに無知であることが述べられていて参考になります。
「統帥権の独立とシビリアンコントロール」
戦前政治家であっても民間人が軍事に関わる決定を下すことを「統帥権の干犯」と称して天皇の直轄事項を侵害する行為であり、認められないなどと軍人達が独走する元になりました。小室氏は「統帥権の独立」とは戦争において「軍略は軍人が専ら行う」ことを規定しただけであり、軍政・国家戦略は政治家が行うことは明治時代においてはきちんと分けて考えられていたと説明します。日露戦争を終わらせたのは軍人ではなく小村寿太郎です。またシビリアンコントロールならば何でも良いというものではなく、軍略を素人であるシビリアンが行うと第一次大戦のガリポリ上陸作戦(対トルコ、チャーチル主導により英仏連合軍48万のうち25万の死傷者が出て失敗)のような大敗を期する教訓もあると説明します。
「日本も批准している戦争法規であるジュネーブ条約」
1949年に制定されて日本も1953年に批准しているもので、他国に侵略された場合に、自衛官でない一般市民が家族を守るために敵と戦う決意をした際、万一捕虜になっても正規の戦闘員として保護を受ける基準も定められている。つまり
・ 部下について責任を負う一人の者が指揮している事。
・ 遠方から認識する事ができる固有の特殊標章を有する事。
・ 公然と武器を携行している事。
・ 戦争の法規及び慣例に従って行動している事。
がアピールできれば、正規軍でなくとも合法的軍隊として捕虜になった場合保護されるが、そうでなければゲリラ、テロリストとして虐殺されても文句が言えない。またこのようなテロリストが混ざっていたら周囲の一般人も見分けがつかないから同様に虐殺されても文句が言えない、というものです。日本人で知っている人は殆どいないでしょうが、永世中立国のスイスではこの規定が全国民に周知徹底されているということです。
これは重要な項目で、便衣兵が混ざっていたら南京で一般人が虐殺されても国際法上合法だったという事。ベトナムでベトコンが農民に混ざっていたので米兵が農民を虐殺したのも合法、アフガンでテロリストが民間人に混ざっているので無人機で民間人ごとミサイル攻撃するのも合法、テロリストはジュネーブ条約で保護されないからグアンタナモ収容所で拷問しても合法、という理屈の元になっています。
本から離れますが、私がよく見ている米国のテレビ番組「Law & Order」シーズン20第一話「Memo from the Dark Side」ではイラクで捕虜虐待をして精神的に障害を来した帰還兵が虐待の合法性を政府にテキスト制作によって進言した法学者を訴える(実際は法学者がこの帰還兵を殺害したのですが正当防衛で無罪)という筋書きで、テロリストの虐待は人道的には許されないけど合法であること、政府が人道的に間違った事をしたことをNYの地方検事と市民(陪審員)が裁く事は民主主義の理念からは正しいこと(既出のロックの思想から国家への反逆ではなく正当な権利と検事は陪審員を説得する)などが番組内で語られて、結果的には連邦検察の横槍で審理無効になってしまうのですが、捕虜虐待問題を正面から扱うアメリカのテレビ番組の質の高さや制作者の意気込みが感じられます。
憲法のあり方、国際法と国家の関係、忘れていた戦争の概念、そういった問題が身近なものに感ぜられる現在、この本は時宜を得たものであり、民主主義の原点を顧みるために必読のものであると思いました。
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