ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

白洲次郎の「改憲」(おまけ・石原慎太郎の国会爺放談)

2013-02-14 | 日本のこと

   

安倍総理が中国との緊張が高まる中においても礼儀正しく
『旧正月おめでとうございます』
と在日華僑へ向けた新年の挨拶をしましたね。
これは日本国の総理大臣として恒例にしたがってたんたんと礼を尽くしたわけで、
照射したのしないのと中国側が発言を二転三転させ醜態を曝しているにも関わらず、
こちらはりっぱな文明国としての「大人の対応」であったとわたしは評価します。

元より日本は、その武士道精神から、たとえ戦争中であっても海に落ちた将兵を救出したり、
撃沈した敵国の軍艦が沈む現場に花束を投下したりと、
戦う相手にも、というかだからこそ礼節を以て相対する、というメンタリティがあります。

大東亜戦争中逝去したルーズベルト大統領を悼む弔電を送った鈴木貫太郎、
そして、国際法を無視して自国の一般船舶を沈められてもなお、
それに対する報復を諒とせず逆に捕虜を丁重に扱うよう指示した板垣征四郎。

この安倍首相の挨拶に中国人民がむしろ戸惑っているのを見て、わたしは
「これが日本の強みであり戦い方かもしれない」と思いました。


さて、政権交代後悪夢の三年が終わり、ようやく国会質疑を見ても、
その答弁の姑息なこと(つまりその場しのぎと言う本来の意味において)、
その稚拙なことに怒りと絶望のあまり胃を痛くすることもなくなり、
とりあえず外国人参政権やら人権法案やらを勝手に通される心配も遠のき、
安心とはいえないものの、切羽つまった心配をしなくともよくなり人心地がついた、
という今日この頃です。

国会で、「外国人からの違法献金や前科者との黒い交際、
あるいは手書きの領収書偽造についての質問に閣僚答えられず」
というような、どんな喜劇をも上回るブラックジョークの利いた場面をみることが
できなくなったのは、少し残念と言えば残念ですが。

答える閣僚の答弁にも実に安定感があって隙がなく、
(麻生さんの共産党議員に対する『我が国は共産国家じゃないんで』には笑った)
「ああ、良くも悪くも自民党は与党慣れしている」
と妙に感心してしまったのですが、片や昨日まで与党閣僚であった民主の皆さんの、
少数野党になったとたん本来の姿に先祖返りして、
実に品の無い与太者のようなイチャモン質疑をしてみたり、
「グーグルアースで中国の艦船の位置がわかる」となどいう愉快な、
体を張ったギャグで世間を心から笑わせてくれたり、という姿を
「ああ、良くも悪くも民主党とは野党が一番しっくりくる」
と、思わず目頭を熱くしながら見ています。(←嘘)


ところで今国会の「見もの」は民主の凋落(本当にこの言葉がぴったり)だけでなく、
石原慎太郎元東京都知事が18年ぶりに国会に帰ってきたことです。
わたしは正直言って、いまだに維新の党の立ち位置が今ひとつわからず、
「石原さんと橋下さんって、一緒に党をやるほど方向性が同じだったっけ?」
と違和感を感じたものですが、それについては今日はおきます。

昨日、その石原氏が衆議院予算委員会で質疑に立ったのを見ました。
質疑、といっても持ち時間の1時間40分、ほとんどそれは
時事放談。いや爺放談。

「シナと言って何が悪い。当の中国がほかの国にはそう呼ばせているのに」
「三木(首相)、わたしは大っ嫌いだったんだが」
「あいつが(オバマ大統領のこと)」
「私は『暴走老人』という名称が気に入っているのだが、
名付け親の田中真紀子さんは
落選してしまってこれが本当の『老婆の休日』」

しかしながら、わたしは心から思いましたね。
こんな人が国会にいるべきだと。国会に戻ってきてくれてよかったと。
この1時間40分の「爺放談」において、
民主党の議員たちの元閣僚とは思えない、ただけんか腰で噛みつくだけの、
ついでに「お前が言うか」という一言を投げつけたくなるような厚顔な質問とは、
内容も質もことなる世界が本人の見てきた歴史の重みすらをも伴って展開されました。

「自分の目の黒いうちに戦争をしたいだけ」とか「ボケ老人」などと、
特に「9条教」の方々はこのように石原氏を誹謗するわけですが、
そういう方たちに一度でもこの人の主張にじっくり耳を傾けたことがあるのか、
と聞いてみたいです。

リアルタイムのインターネット中継でわたしはこの質疑を見ていましたが、
氏がいきなり「憲法改正」について触れたので、注目しました。
石原氏はだいたいはわたしの考えと同じような「改憲論」を語ったと思います。
そしてほどなく、「あの」名前がその口から登場したのでした。
この部分を書き起こしてみましょう。

「今でも神格化されているかつての名総理であった吉田総理、
この側近中の側近だった白洲次郎さんからね、わたし面白いことを聞きました。
わたしあの、割と歳早くですね、世間に出たもんだから、
当時は文壇てもんがありましてね。その文壇の催し物、ゴルフの後で、
白洲次郎の奥さんの正子さんの縁で、白洲さんも来られてたんですが、
一緒にプレイしながらいろいろな話をしたんですね。
『吉田さんは立派だった』と。しかしね。
『一つ大きな間違いをした』と。
それはね、『サンフランシスコ条約が締結されたときに、
なんで、あの憲法を廃棄しなかったのか』こう言ってましたな」

・・・みなさん。

サンフランシスコ条約が締結されたときに憲法を廃棄するべきであった

サンフランシスコ条約のときに

(つまり)昭和27年に改憲すべきだった


どうですか~?(大威張り)

威張るわけではないんですが(威張ってるけど)、
わたくしことエリス中尉が去年の末、
「改憲論者からの手紙」というログで、このように述べたことを覚えておられますか?

その部分です。

ところでこの際ですからわたしの考えを言わせていただきましょうか。
わたしは、日本は憲法を日本が独立した昭和27年、
つまりあなたの生まれた年に改訂するべきだったと思っています。



つまり、わたしはこの石原氏の爺放談によって初めて知ったのですが、
白洲次郎とわたしは全く同じ考えだったんですねー。
いやはやこれは実に目出度い。
思わず、「マッキーの案内で武相荘訪問」という、
わたし的にば「あれ」以来あまり気が進まなかったお誘いに二つ返事で飛んで行って、
この人物に纏わるところで祝杯でも上げたい気分です。飲めないけど。

ね?そうでしょ?
改憲すべきはあのタイミングしかないと、白洲次郎も思っていたってことですよね。

さらに言うと、この「すべきだった」と言う言葉の中には、
「あのとき改憲する機会を逸したため、その後日本ではするしないを巡って
それそのものが国内の言論を二分する左右陣営の対立の道具となった」
ということに対する悔恨が込められているとわたしは思っています。


ところで石原議員は(議員って呼ぶのも畏れ多いほどエラそうにしてましたが)
改憲について簡単に言うと次のように述べていましたのでご参考までに。


現行の憲法は、戦争の勝利者が、
敗戦国を統治するために強引に造った即席の憲法である。
わたしは、統治された国が、独立した後、数十年にわたって
そういう憲法を存続させたという例を世界で見たことが無い

つまり、白洲次郎とエリス中尉の言うように、「真の独立」をするためにも、
サンフランシスコ条約のときをおいて改憲すべきタイミングは無かった、
と言うわけです。

さらには

憲法は廃棄すると総理大臣が言ったとき法的に阻止する根拠はない

とも。
だから、安倍総理、頑張ってやっちゃいなさい、ってことなのですが(笑)
また、トインビーの言葉を借りて、「借り物の憲法」「借り物の国防」
に甘んじている日本の現状をこのように語りました。


いかなる大国も滅亡する運命を逃れられないものであるが、ことに
いかなる大国も自分で自分のことを決められない国は速やかに滅びる

つまり、国防を傭兵に任せたローマ帝国の滅亡例として挙げたのです。

ところで。


世間からいわば「忘れられていた」白洲次郎をNHKが持ち上げたことに、
実を言うと、わたしはこの局の「戦略」を見ています。
ドラマ「白洲次郎」に続き、その後「吉田茂」も制作されたそうですが、
前にも言ったように「白洲次郎」でNHkは近衛公を「悲劇の宰相」としてのみ描き、
「反戦」の一面(しかも近衛は全面的な反戦論者でもなんでもない)だけをクローズアップし、
白洲と吉田が作り上げた憲法に対してはただ「困難を極めた」という面でのみ語り、
しょせんは占領国憲法であったという欠陥についてはあえて無視する。
NHKの「護憲的色づけ」を、このドラマの「白洲、吉田ヨイショ」に見るというのは、
少々穿ちすぎでありましょうか。

ドラマヒット後(ヒットしたかどうかは実は知らないのですが)、
雨後の竹の子のように出てきたさまざまの書物においても、
白洲が「憲法」をどう評価していたかについては、作成作業終了直後の

「監禁されて強姦されたらアイノコが生まれた」

以外の証言は全く述べられていません。
唯一つ、
(憲法について)「いいものはいい」と白洲が言ったことを、
「どういう欠陥があってもこの憲法はいいものである」
という無茶苦茶な解釈をしている文章を見たのみです。

わたしはこの「いいもの」とは、これも一連のログで述べたように
「現代にも通用し、改正する必要の全くない部分」
のことであり、白洲本人も「そのような部分は変える必要はない」
と言う意味で言ったのだと解釈しているのですが。



いま一度石原慎太郎についてです。
石原議員は冒頭、「国民に遺言をするつもりで国政に出てきた」と言いました。
そして、なぜ「暴走老人」と言われながらもこの挙に出たかというのは
靖国神社で見た齢九十歳の戦争未亡人の句に押されたからだと語りました。

その句とは、

「かくまでも醜い国になりたれば捧げし人の唯に惜しまる」

と言うのだそうです。
石原議員の証言による白洲次郎の言葉と同じくらい、
わたしはこの句に対し身の引き締まるような思いを持ったのですが、
あなたはこの未亡人の言葉をどのようにお感じになりますか。






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2 Comments

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感動の日 (大和 勇)
2013-02-15 10:17:34
貴姉の格調高いブログ拝見。誠に同感です。
石原氏の衆院予算委員会での質問?(独演)は実に聞き応えがあり、妻共々感動の1,40Hでした。
戦後独立国として60有余年占領軍の起草した憲法を全く見直すことなく来た日本は誠に異常な国だと理解しました。
石原節 (エリス中尉)
2013-02-15 23:33:20
大和勇さま、初めまして。

痛快石原節が結構好きなわたしは都知事時代の定例会見をずっと見てきました。
なかなかほかの政治家には言えないようなこともこのひとなら言えてしまうんですね。

日本の「異常さ」については昨年12月末頃の「不思議の国のダレス」
わたしが改憲すべきであると思う理由については「改憲派からの手紙」というログで開陳しております。
お時間がありましたらご笑覧ください。
石原閣下の国会質疑はまた別のアプローチで近々取り上げるつもりです。

しかし、何が異常だと言って、いまだに「改憲」というと
それが「戦争」につながるという無茶な理論をマスコミが標榜し、
さらにそれを信奉する人々がいて、むしろそちらの方が声が大きい(ように見せられている)
というのが一番異常なことかもしれません。

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