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「カミカゼ体験ショー」(笑) イントレピッド航空科学博物館

2015-12-08 | アメリカ

日向灘の掃海隊訓練参加記の途中ですが、今日12月8日は真珠湾攻撃、
つまり日米開戦となった日なので、関連話題をお送りすることにします。 


アメリカ人はどこかの日本人と違って、「愛国心」を発露させることに衒いがなく、
パトリオティシズムを否定しない点では世界スタンダードだと思いますが、
反面とにかくアメリカ万歳のあまり、時として無神経で空気を読まないところがあります。


といきなり言い放ってしまうわけですが、例えばこの冒頭写真を見て、
うんうん、こういうところがなんかついていけないよねー、と
言っていることに賛同していただける方もおられるのではないでしょうか。

この大きな壁に書かれた「カミカゼ体験ショー」のお知らせの前に立った
わたしとTOが思わず絶句して、

「うーん・・・」

と二人で唸っていたら、その時ちょうどショーとやらが始まってしまいました。


イントレピッドの最も暗い、そして最も輝ける日を追体験せよ。
新型マルチメディアによる”カミカゼ:暗黒の日、輝ける日”が、あなたを1944年11月25日、
イントレピッドに2機のカミカゼ自殺機((−_−#))が激突した日に誘います。
そこであなたは炎の下の真のヒロイズムを体験することになるでしょう。

「メモリアル・ウォール・オナーズ」にはそのときイントレピッドに乗り組んで
命を捧げたすべての士官とクルーの名前が記されています。

という説明によるこのショーは、その何機かの特攻隊の攻撃の一回を
再現してみせるというもののようです。
見せてもらいましょう。どんなものなのか。



その前に、甲板で目を留めたボードについて少し説明しておきましょう。
ちょうどフランスのダッソー・エタンダールが置いてある部分にあたるのですが、
この説明によるとちょうどこの部分にかつて特攻機が突っ込んだことがあるのだそうです。



これは、「イントレピッド」が受けた初めての特攻機による攻撃でした。
日にちは1944年、10月29日。フィリピン海でのことです。

そこにはかつてガン・タブ10(10番銃座)があり、そこの銃撃手は全員アフリカ系でした。
彼らは勇敢にも特攻機に対して砲撃を加えますが、飛行機はちょうど彼らのところに激突し、
24名の乗員たちは6人を除いて重軽傷を負い、8名が死亡しました。

この日付を所蔵の「特別攻撃隊全史」で検索してみると、これは比島方面作戦の
第一次、そして第二次神風特攻隊による攻撃によるもので、

初桜隊 野並晢一飛曹(甲飛10)以下、零戦3機

義烈隊 近藤寿男中尉(海機53)以下、彗星2機

神武隊 坂田馨上飛曹(乙飛13)以下、99艦爆2機

神兵隊 藤本勇中尉(海兵71)以下、9艦爆2機

が少なくともこの日、フィリピン方面で戦死を遂げたことがわかります。
この日の特攻による戦死者、12名。
直掩機での戦死や、機上戦死も入れての人数ですが、数だけで言えば
イントレピッドの戦死者より多くの命がこの日一日で失われました。

ただし、一連の「カミカゼ・アクション」が米軍にもたらしたショックは
計り知れないものでした。
それが証拠に、未だにアメリカでは「カミカゼ」を、まるで天災でもあるような、
抗しがたい恐怖を齎すものとしてこうやって語られているのです。

ちなみに、あの関行男大尉が初めて組織された特攻隊として、
敷島隊の5人を率いて特攻を行ったのはこの4日前の10月25日。
10月29日のイントレピッド突入は、これに続く第5次に亘る特攻攻撃の一つでした。



ショー(笑)の始まりを告げるアナウンスがあると、その辺の見学者が
三々五々集まってきてすべての見学者が何も言われないのに床に座り込みました。

日本では少し奇異な光景ですが、アメリカ人というのは常日頃
家の中でも靴で生活しているせいか、建物の中であれば(時には外も)
室内と同じように座り込む性質があります。

アメリカの大型書店、最近はアマゾンのおかげで減ってきましたが、
バーンズアンドノーブルスなどに行ってみると、通路という通路に
子供が(時々大人も)座り込んで本を立ち読み(座り読みか)しています。
まあこういうのからも、アメリカ人の清潔観念というのがうかがい知れるのですが、
総じてアメリカの道は綺麗で、たとえそうでなくても皆そもそも
あまり「外」というものを歩かない(ほとんど目的地まで車でドアトゥドア)
せいなんだろうと思っています。

日本人であるわたしたちは、座り込むことなく、立ったまま15分の間、
ショーを皆の輪の外から眺めることになりました。
まず会場が暗くなります。

「イントレピッド」艦上で、10月25日以降、連日フィリピンの各基地から
飛び立っておそってくる特攻機を待つ状態の乗組員たち。

右ではやはりアメリカ人らしく甲板にゴロゴロ転がって仮眠を取っている人もいますが、
左のまるで鉢担ぎ姫のような大きなヘルメットをかぶっている乗組員の
表情からは、不安と恐怖が隠せません。 

このころの米軍側の戦史から抜粋してみます。

「さらに、フィリピン諸島の各基地から飛来した特別攻撃隊の
アメリカ高速空母機動部隊に対する攻撃は、一層、被害甚大であった。
すなわち10月29日には大型航空母艦”イントレピッド”が損害を被り、その翌日は、
さらに大型空母”フランクリン”が飛行甲板に40フィートの大穴を開けられ、
アメリカ本国に修理のため回送された。

ついで、高速軽空母”ベローウッド”にも、また特攻機が体当たりをした。
11月5日には大型空母”レキシントン”が日本爆撃機の体当たりを喰らって損傷し、
死傷者182名を出した。

このような型破りの戦術はアメリカ海軍に深刻な関心を呼び起こした。
なぜならばアメリカ海軍は、いまだかつて、この自己犠牲の光景ほど、
ゾッと身の毛のよだつような気味悪いものを見たことがなかったからであった」




「イントレピッド」の乗員にとって、この日11月25日以前にも
カミカゼのアタックを受けていたため、その恐怖は大変なものだった、
と続くのですが、今映し出されているのは先ほど説明した、、10番砲座の
アフリカ系ばかりの小隊を狙うように突入した日本機(99艦爆ですね?)と、
この時に戦死した、小隊長のアルフォンソ・チャバリアスだと思われます。



そこでライトが点滅したり、警報が鳴らされたり、艦内のあちこちから
危急をつげる報告が飛び交ったりする緊迫感溢れる音声がさんざん流されたと思ったら、
いきなり子供が二人寝そべったり座ったりしている部分の床から煙が出てきました。



それまで立っていたダディがなぜか一緒になってくつろぐ展開(笑)
艦上は特攻機突入の際の爆発でもはや火の海となっている
・・・・・のでこういう演出をしたようですが、残念ながら
見ている皆にも全く緊迫感なし。

えーと・・・・・。



恐ろしい11月25日のカミカゼアタックによって、なんと69名もの将兵がなくなりました。
このショーは、それらの戦死者に捧ぐ、とありますが、なんというか
こんなショーを捧げられてもなあ、と思ってしまったのはわたしが日本人だから?

いや、きっとアメリカ人だってそう思う人は多いと思う。



海軍葬の行われんとする「イントレピッド」艦上。

この時に「イントレピッド」を襲った第3・第5神風特攻隊は目的が最初から機動部隊でした。

第3高徳隊 植竹功上飛曹(甲飛9) 以下5名 零戦

吉野隊 高武公美中尉(西南学院) 以下12名 零戦

笠置隊 鮎川幸男中尉(海兵71) 以下5名 零戦

疾風隊 前田操上飛曹(普電練) 以下8名 銀河・零戦

強風隊 山口晴雄上飛曹(甲飛9) 以下6名  銀河・零戦

計36名の特攻隊員が戦死しています。
レイテ湾には150隻にわたる艦船が充満していましたが、
この時の猛烈な攻撃によって、イントレピッドを含む空母4隻が
重篤な損害を受けることになりました。




この時の「イントレピッド」艦上。
皆がホースを持ち必死の消火に当たっています。

現在、「イントレピッド」に突入したのは、吉野隊の零戦のうち2機であることがわかっています。
 

 続きます。