まい・ふーりっしゅ・はーと

京都発。演奏会や展覧会、読書の感想などを綴っています。ブログタイトルは、ビル・エヴァンス・トリオの名演奏から採りました。

京都市交響楽団 第682回定期演奏会

2023-09-25 08:30:43 | kyokyo
2023年9月23日(土)14:30 開演 @京都コンサートホール・大ホール
指揮 : 沖澤 のどか(第14代・常任指揮者)/ 管弦楽 : 京都市交響楽団


            *  *  *  *  *

● ベートーヴェン : 交響曲第4番 変ロ長調 作品60
この交響曲は、京響の名曲ライブシリーズのCDに、広上淳一さん指揮の第533回定期(2010年3月)の演奏が収録されています。そのため、けっこう耳に馴染んだ印象がありますが、私にとって、演奏会で聴くのは、これが初めての経験になりました。これで、ベートーヴェンが遺した9つの交響曲のうち、京響の演奏で未聴なのは、第1番だけとなりました。

プレトークでの沖澤さんの言によると、第1楽章の序奏部分がもつ神秘的な雰囲気が、後半プログラムの「コスミック・トリロジー」を誘(いざな)うのに相応しいものとして選曲されたとのことでした。プログラム全体にも、ストーリー性というか、統一感を持たせる配慮を感じさせるお話でした。

全体の印象としては、溌剌とした躍動感、推進力のある演奏で、従来からある「偶数番号」の交響曲のイメージ-穏やかで、優しい-を払拭するようなものでした。CDのカップリングでは、「第8番」との組み合わせが多いような気がしますが、そのリズム感やアクセントなどには、「第2番」の延長線上にあるというよりは、むしろ「第7番」の萌芽を予感させるものでした。

● コネソン : 管弦楽のための「コスミック・トリロジー」(日本初演)
先述のプレトークによると、沖澤さんがいつか、オーケストラのしかるべきポジションを得たときには是非採り上げてみたい(客演指揮では、どこも採り上げてくれそうにない作品だそう…)と、長年温めてこられたのが本作品。ということで、今回の京響定期が「日本初演」という光栄に浴することになりました。

当然ながら、私も初めて聴くわけで、いくぶん緊張しながら、展開される壮大な音楽世界に身をゆだねることに。神話的なロマンのベールに包まれた、前時代のホルストの作品とは異質な(かと言って、決して無機的ではない)宇宙観に圧倒されてしまいました。自分の言葉で現在の心境を綴るには、言葉の方が追い付いてこないというのが正直なところです。

それにしても、常任指揮者就任後、わずか2回目の演奏会で、こういうプログラムを組んでみせる沖澤さん。指揮者として、オーケストラ・トレーナーとしてのご自分の力量に、余程の自信がないとできない「芸当」だと言えるでしょう。また、京響の演奏能力に対しても、確固たる信頼関係がないと、とてものこと出来る代物でもありません。演奏会ウケのする、言わば無難な(?)名曲ではなく、敢えて「日本初演」の現代曲で勝負してみせた、沖澤さんの並々ならぬ意欲と度胸の良さに、まずは敬意を表したいと思います。京響も、新たに迎えた常任指揮者の熱意と要求に、見事な演奏力で応えてくれました。



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第27回 京都の秋 音楽祭 開会記念コンサート

2023-09-12 13:01:59 | kyokyo
2023年9月10日(日)14:00 開演 @京都コンサートホール・大ホール
指揮 : 広上 淳一 / 独奏 : 津田 裕也(ピアノ)/ 管弦楽 : 京都市交響楽団


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● モーツァルト : ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K. 488
モーツァルトが遺したピアノ協奏曲の中でも、ひときわ高い人気を誇る名曲だけに、京響の演奏会でも数多く採り上げられているのだろうと思っていましたが、調べてみると、私が聴く機会を得たのは、意外にもたった1回だけのことでした。2014年2月の第576回定期、指揮は秋山和慶さん、ピアノ独奏は児玉桃さんによる演奏でした。

今回の独奏は、津田裕也(つだ・ゆうや)さん。現在、東京藝術大学で教鞭を執られているなど、その所作からは真面目で誠実な人柄が伝わってきました。全体3楽章の中では、とりわけ短調の第2楽章が素晴らしい出来映えで、ホール全体がシーンと水を打ったように、静寂と緊張感で満たされた、稀有の「瞬間」を体験することが出来ました。

対する広上=京響は、コンパクトでまとまりのある精緻なアンサンブルで、機敏に対応。このあたりは、広上さんが新たに「OEK」のポストを兼任されている効果、新たな音楽作りの一端が垣間見られたのかもしれません。(知らんけど…)

● マーラー : 交響曲第5番 嬰ハ短調
常任指揮者在任中の14年間、本拠地の京都コンサートホールにおいて、広上さん自身のタクトで、この第5番の交響曲が演奏される機会は、残念ながらありませんでした。事実、私自身の京響のコンサート(鑑賞)歴の中でも、下野竜也さんが大阪のザ・シンフォニーホールで指揮をされた特別演奏会(2011年4月)と、ユージン・ツィガーンさんが客演指揮された第603回定期(2016年7月)の2回だけのことになります。

SNS上では、広上=京響の熱演を称えるツイートが溢れかえる中、こういうコメントを載せるのは少々気が引けますが、私自身にとっては、マーラーの音楽との相性の悪さ(どうも合わない…)を突きつけられた演奏会となってしまいました。まずもって、演奏時間の長さがネック。とてものこと、集中力、体力が持ちません。とりわけ、永遠に続くかのような第2、第3楽章の展開は、ある種の「苦行」を強いられているようで、気が遠くなるようでした。このあたりで声楽が入ってくれると、ちょうどいい気分転換になるのですが、純器楽的に構築された本作品ではそういう訳にもいかず、圧倒的な音楽世界にあえなく打ちのめされてしまいました。

とはいうものの、「結婚行進曲」をそっくり裏返したかのような、トランペットの「葬送」ファンファーレが印象的な第1楽章や、静謐な情感を湛えた、ハープと弦楽合奏による第4楽章、まるで音の洪水のような、膨大なエネルギーの放出を見せる第5楽章のフィナーレなど、曲の聴きどころは、しっかりと集中して抑えることができました。

久しぶりに登場の広上さんですが、手慣れた熟達した業(技)でもって、オーケストラという「猛獣」を見事に操っていく、さながらサーカスの「猛獣使い」ようなイメージでした。それはひとえに、14年間という長きに亘って地道に、かつ着実に培われてきた、指揮者とオーケストラの相互信頼関係の証のようにも見えました。また、常任指揮者という「肩書き」が外れた分だけ、就任当初の自由奔放さ、大胆さ、思い切りのよさなど、明るく開放的な広上サウンドが甦ってきたかのようで、その点では、うれしい再発見もあったマーラーの第5番でした。


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