Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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利根川進先生の講義@世界神経学会議(京都)

2017年09月21日 | 認知症
【利根川博士は憧れの人】
世界神経学会議にて,1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞された利根川進先生の講演を,感激しながら拝聴した.いまの若者が山中伸弥先生のお話を聴いて目を輝かせるのと同様に,当時20歳であった私は,利根川先生がご自身の研究について語った「精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか (文春文庫)」を貪るように読んだ.この本は,大学院を卒業して,自分の進むべき方向が分からなくなった時,偶然読み直し「一人の科学者の,一生の研究時間なんてごく限られている. 研究テーマなんてごまんとある.ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでいたら,本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終わってしまうんですよ」という言葉を見つけて,自分が脳梗塞の創薬研究を一から始めるきっかけになった本である.

【研究に一貫性は必要か?】
実は山中伸弥先生も利根川先生の影響を受けたそうだ.山中先生はiPS研究に辿り着く前,数年で2,3回も研究テーマを変えている.山中先生は「日本では研究テーマの一貫性が評価の対象になっていますが,それについて先生はどうお考えですか?」と質問をされたと述べておられる.「別に持続性なんかなくたっていいと思います.面白いことを科学者はやるべき.僕は割と飽きるたちですから,同じテーマを一生やるなんて考えられない」という利根川先生の言葉に,山中先生は救われたそうである.実際,利根川先生自身もノーベル賞受賞の対象となった「抗体の多様性生成の遺伝学的原理の解明」から,研究テーマを大きく変え,記憶の研究に取り組まれた.スケールは違うかもしれないが,私もいろいろなテーマに取り組んできた.これは利根川先生のことばの影響が少なからずあると思う.

【記憶研究の現状 ―記憶の書き換えはすでにできる―】
記憶研究は光遺伝学(オプトジェネティクス)の開発により大きく発展した.驚くべきことに,映画「トータル・リコール」や「インセプション」のように,動物実験レベルでは,記憶の書き換えがある程度可能になっている.光遺伝学は,神経細胞にチャネルロドプシンという蛋白を発現させると,ブルーライトを当てることで(写真左),マウスを生かしたまま,特定の神経細胞の活動を恣意的にコントロールしたり,複数の神経細胞の活動を同時に記録したりする技術である.利根川先生らは以下のことを明らかにした.

1)記憶は特定の神経細胞群の回路に蓄えられている.つまり記憶は,海馬の歯状回にある記憶痕跡細胞群(エングラム細胞群という)のなかに,核酸やタンパク質に暗号化されて保存されている.例えば,ある部屋に入ると電気ショックを受けるような「嫌な記憶」をマウスに覚えさせたあと,同じ部屋に入れると「すくみ現象」が生じるが,これは「嫌な記憶」が特定のエングラム細胞群に保存されたため生じる.光遺伝学でこれらの細胞群を刺激すると,異なる部屋で,電気ショックを与えなくても「すくみ現象」を再現できる.
2)「嫌な記憶」ではなく,オスのマウスがメスのマウスと一緒に過ごすような「楽しい記憶」に変えると,それぞれの記憶を保存するエングラム細胞群は,異なる場所(扁桃体基底外側核の後方と前方)に存在し,かつお互いを抑制しあう.
3)アルツハイマー病(AD)の記憶障害は,記憶を新しく作れないのか,記憶を正しく思い出せないのかいまだ不明であるが,ADのモデルマウスで,海馬の歯状回のエングラム細胞群を直接,光遺伝学で活性化すると「失われた記憶」を回復できた.写真右はADマウスの海馬の歯状回のエングラム細胞(緑色)で,この細胞への内側嗅内皮質(赤色)からの入力を光刺激によって増強すると,記憶が回復することができる.もしかしたらAD患者の記憶も失われておらず,思い出せないだけかもしれない.
4)記憶には「誰が,いつ,どこで,どうした」という情報があるが,この中で「誰」という情報は,海馬の中の腹側CA1領域という場所に貯蔵されていた.マウスでこの領域を刺激することで,ほかのマウスの記憶に,恐怖や快感の記憶を人為的に植え付ける(書き換える)ことができるようになった(いわゆるメモリー・インセプションで,まるでSFの世界).
5)記憶は海馬から大脳皮質へ転送され,固定化されると考えられてきたが,このとき大脳皮質(前頭前皮質)のエングラム細胞群は成熟し,逆に海馬のエングラム細胞群は脱成熟する.つまり記憶想起に必要なエングラム細胞群の活動の場が,海馬から大脳皮質に切り替わるのだ.
6)記憶の書き込みと想起は,海馬のなかの別の回路が担当していた.背側CA1領域から直接,内側嗅内皮質に情報を伝える直接経路は記憶の書き込みに,背側CA1領域から背側海馬支脚を経由して内側嗅内皮質に情報を伝える間接経路は記憶の想起に重要である.

このように利根川先生らのマウスの「エングラム細胞」の研究は,ヒトの記憶研究に,近い将来,大きな発展をもたらすものと思われる.記憶にはさまざまな不思議な現象がある.覚えておくべき試験勉強の要点を簡単に忘れる反面,まったく大切でないことをよく覚えていたり,何かやろうと思って部屋に入ったとたんなぜか忘れてしまうことがある反面,関係のない場面でふと別の記憶が蘇ったりする・・・おそらくこれらの現象は,エングラム細胞の研究で説明されてしまうのではないだろうか(エングラム細胞の誤作動?).さらに認知症の治療も,将来はエングラム細胞に残された記憶を取り戻すことが目標になる可能性もある.ただただ圧倒され,基礎研究と臨床では乖離があることを実感するとともに,あらためて「面白いことを科学者はやるべき」と思った講義であった.




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