Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

観想するベテラン芸術家

2005-11-16 | 文化一般
新発見のモーツァルトの最後の肖像の真偽は未だに定まらないようである。それよりも確かなる最後の像として有名なのが1789年の春にドレスデンで描かれたもので、ザルツブルクの財団が二十五万ポンドで購入した。銀板へのエッチングで詩人のテオドール・ケルナーの姪のドリス・ストックによるものである。多くの肖像がこれを元に描かれているという。

ライピチッヒのペータース社のオーナーのヘンリー・ヒンリックセンの所有であったが、本人がアウシュヴィッツのガス室送りとなって、戦後は音楽図書館の所有となっていた。無事に家族に返されて、今回競り落とされたようである。ドロテア・ストックの作品としては、ゲーテやシラー、ノヴァリスの奥さんや更にプロイセン王などが有名らしい。独身の彼女の作品は、ケルナー家によって伝えられたとある。

勿論ポートレートは、その作者である芸術家の目を通した表現である。だからそこに投影されるのは、「同時代の芸術家が見られていた肖像」と作者の個人的な印象である。少し違うかもしれないが同様な例は、BLOGによる人間像である。それは公開されているサイトやコメントやTBを通して作られた像であって、更にそれは受け手の取り方によっても違ったように投影される。このBLOG人間像を使って、その実際との差異を観察してみるのも面白い。文章等による表現の人物像は、その表現が如何に稚拙であろうとも、実際の人当たりとは違ったものを伝えるのだろうか?それとも初対面の実際の印象と近いものを語るのか?視覚的な外見以外の所作や付き合い方や話し声や肌触りや発散する体臭は、ポートレートにどの様に反映するのだろう。

1789年の4月にプラハからドレスデンへと廻って来たモーツァルトは、そこでニ長調のピアノ協奏曲K537をザクセン選帝侯アウグスト三世の前で演奏して多額の謝礼を受け取り、それを臍繰りとした。その後、ライプチッヒの聖トーマス教会でオルガンを即興して、5月12日に当地のゲヴァントハウスで、同じくロ長調とハ長調の其々K456とK503 を演奏している。一週間後には、ベルリンのジャンダルムマルクトの王立劇場で「後宮よりの逃走」を公演して、ヴィルヘルム二世から弦楽四重奏曲プロシアセットの依頼を受け、その三曲(ニ長調K575、変ロ長調 K589、 ヘ長調K590)の一部を作曲している。これらの曲では、以前のように天才が子供の頃からの英才教育の蓄えで筆を滑らすと言うような按配から、曲の構成や主題の発展を多声への興味の中で推敲した曲想となっている。実際、その苦労が本人から語られてる様に、王女のためのピアノソナタとこの二つの曲集を完成する事はなかった。プロシアセットに関しては、注文主のチェロの扱いの困難を巡る解説が良くなされるが、その観想する表情や丁寧な筆運びは、この時期の他の曲に見られるところである。

この旅行も経済的な要求から音楽的な貴族に取り入る事にあった。この時期を境に経済的な状況はますます困窮して行ったにも拘らず、当時の芸術家としては名誉に輝いていたには違いない。だからこそ、実年齢よりも大層経験豊富なベテラン作曲家モーツァルトが、当時の趣味や時代の変化に取り残されていこうとする姿をポートレートに見ることも出来るだろう。



参照:達人アマデウスの肖像 [ 音 ] / 2005-01-19

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