Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

高まらない緑の運動の背景

2011-04-28 | マスメディア批評
資料・データーとかを並べても部分的なことしかわからない。全体的にものを見れる者は歯車として働いている技術者や科学者の中にもほとんど居ない。常識のほうが重要である。だから、市民はそのような学術的な見解など気にせずに運動をしなければいけないのだ。そのような大切なことを教えずに、うまく飼いならすような教育が明治以降もしくは寺子屋時代から日本では推進されてきた。

一号機だろうかドライの気圧が一気圧以下になろうかとしている状況は常識的に、溜まっている水の吸引力でしかない。水棺などとあまりに水を入れ過ぎたものだから、いよいよ水漏れが激しくなったのだろう。そうなると窒素を注入するよりも酸素が入り込む量の方が増えて、所期の目的どころか、いよいよゴールデンウィークあたりに、もっとも恐れられている決壊となる事象も近いかもしれない。水が貯められなくなれば、冷却どころか壊れた燃料が一挙に飛び出てしまう。

FAZ新聞のクロンコ女史が東京から伝えている。反原発運動が大きく盛り上がらず、緑の運動として国政を左右しないその日本の構造を説明している。実際には多くの活動家がいて各地で反原発運動が繰り広げられているのだがあまりにも欧米のそれから比べると微小でしかないその背景である。

日本人の特性とかそうしたもの以外にも、行動的な活動家が少ないのは、通常の活動は労働団体が主体となって組織されているので人数が集まり大規模になるというのだ。しかし、民主党の支持母体である連合は、経営者側以上に原発推進派であって、地元の未組織労働者を含む地元民は原発に経済的に依存していることが指摘されている。貧しい地域に喜ばれて原発が誘致されたその社会背景が改めて浮き彫りにされている。まさに嘗ての自民党政治のやり方であり、日本の官僚主義はもしくは江戸幕府以来こうした民を育んできた。そしてその頂点に将軍もしくは近代的天皇が座したのである。

FAZ新聞は、だから少々の規模のデモンストレーションが各地で行われたとしても大スポンサーである電力会社の前にマスメディアのみならず地元のメディアでさえ地元民にインタヴューをしておきながら放映されることはないというのである。

こうした社会体制を崩壊させるには、直感で、地元エゴで、そしてそうした卑怯な地盤の上に過ごす生活を変えようとする大規模な活動しかないだろう。今回の福島を受けて、そのような国民運動が高まらない限り、経済的にも社会的にも日本には将来はないとみる。

一言触れておきたいが、極東に長く住みながらいつまでも欧州中心の左右が尻下がりにひん曲がった地図を見て、「西」を「南」と表現するな。もう少し地理を勉強しなさい。



参照:
Vom zähen Kampf gegen ein Tabu, Petra Klonko, FAZ vom 26.4.2011

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