Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ロリータな感覚の体験

2008-06-09 | SNS・BLOG研究
ここ暫らく「思春期」と言う言葉をよく耳にした。男性によって使われたのは、「若いワイン」との比較、また女性によっては「自己の体験」として語られた。

何故そうした発想が集中したかは分からないが、やはり今年の春から夏の環境に関係があったのだろうか?

週末同行した19人のメンバーの中に一人のローティーンエイジャーの娘が居た。年齢は聞いていないが、参加者一人の娘のような若い奥さんの継ぎ子である。誰もが少し年の離れた姉妹としか見ないほど服装派当然のこと、体つきまで雰囲気が似ていた。

平均年齢が五十に近いグループの中では異色な存在であったので、そのなかなかロリータな雰囲気と自分を含めた周りの様子を観察していた。

特に気がついたのは母親世代以上の女性が、こうした若い娘に接する雰囲気で、予想すると母親が祖母のような接し方になるかと遠くから見ていると、意外にも若い娘に肩を並べる彼女らの方がどこか思春期の娘のような雰囲気を醸し出してくるのである。

つまり、どちらかと言えば大人の方がなんらかの影響を受ける割合が多いのである。その時点では親子関係などよりも、大人の方に時間を遡らせるような効果が認められる。

ハイロマン趣味の絵の描かれた壁やワインのクラッシックな絵のエチケットの瓶を話題にしていたら、道中の畑の中に幾多のステンレスの骨で丸く人間型の案山子が設置されていて、上記の娘がそれを叩いてみたい衝動に駆られていたことが継ぎ母から語られた。なるほど、現代芸術の価値にはそうしたインターアクティヴな面が付け加わっていることを明示しても構わない。

運動性を持った殻を破る好奇心に溢れ経験や知識に囚われないからこそ時代は進む。

それで自らはと言うと、丁度ローレライを上から望む対岸で、この娘をローレライにし立てて写真を撮影した。リュックサックに体をねじって懸ける手元が、魔法の竪琴を奏でるかのように自然に仕草を作って呉れた。こちらの意図を余すことなく感づいて対応できる機敏さが、こちらの如何にも古ぼけたアイデア以上にこの一葉の写真に新鮮さを齎してくれている。



参照:『ロリータ LOLITA』 (クララの森・少女愛惜)

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2 コメント

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実に腐女子的 (ヘルメス)
2008-06-11 23:44:49
とても面白い記事ですね。

アニメヲタクは圧倒的に若い世代ですが、腐女子は、娘と母そろってヤオイに興奮するようです。腐女子だと思って検索したら姥だったということもしばしば。たぶん娘を通じてでしょうね。チェルシーとヒラリーのような関係?

案山子は『オズの魔法使い』でマイケル・ジャクソンが演じてたので、私も案山子のように振る舞いましたが、女の子はだれも叩いてくれませんでした。

それにしても岩に潜む自縛霊に合祀されなくて、なによりです。

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新しい言葉 (pfaelzerwein)
2008-06-12 12:59:09
新しい言葉を教えて頂きました。ほう、チェルシーとヒラリーね。

ステンレスの案山子が男性的な胸郭であったのがよく分かりましたね。そうなんです。

こうした相対の影響関係に注意するのは、何かに一方的に囚われる現象とは甚だ異なりますから、自縛はないですね。
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