Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

将来への都合の良い感覚

2009-11-16 | アウトドーア・環境
殆ど二月振りに白樺の林に戻ってきた。最後に来た時は、そこを走ったか、それともハイキングコース全コース走破などと言っていた時である。最近四週間ほどは、初冬の天候もあったが生活に余裕がなくてあまり歩いていなかった。偶々冷蔵庫にバンビの肝臓のレバーのパテがあったので、パンが必要になった。日曜七時半を目指してパン屋へ行くと、明かりは灯っていなくて、外で親仁さんがトラックにものをつめていた。車を降りて張り紙を確かめると、親仁が「新しく焼かん」というのである。なるほど十一月から四月までは日曜日休みとなっている。それでもいつもの習慣で起きてしまうのが職人なのだ。

仕方ないので、次ぎの店で買おうと思うが開店までに三十分も時間がある。それならといつもの森の中の駐車場まで車を走らせる。車一つない。足元は濡れて良くないが、紅葉見学しながら往復三十分程歩いた。帰りには二台三台と車が入って来て、犬の散歩やジョッガーが集まって来ていた。

歩きながら考えていたのは前回考えていたことの内容である。つまり過去からみた未来つまり今日のことである。あの時は十一月を免許停止期間にして自転車でパンを買いに来ようと考えていたのだった。その時の未来像と今日の現実は大分異なっている。なによりも道が湿っていて、自転車がかなり泥はねしそうで、流石に乗っている人も少ないのである。そしてなによりも日曜日にはパン屋が閉っているとは思わなかった。その状況を想像しただけで脱力感が生じる。

将来を予測する方法は存在するが、一般的に日常生活の将来像は如何に感覚的なものでなりたっているかがこれで知れるのである。つまり、自転車で谷を詰めてきて汗を掻いて、新鮮なパンを買って幸せな日曜日の朝を愉しむ空想は、都合の良い想像でしかなかったのである。



参照:
秋のはじめの想いの数々 2009-09-05 | 暦
時間を掛ける楽しみを踏破 2009-08-28 | アウトドーア・環境
初夏の朝の森の散策 2009-05-09 | アウトドーア・環境

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