Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

郷に入るユンカーの領地にて

2011-02-11 | 雑感
夢とも妄想とも限らないものをみた。最近農に帰ったと言う人のお宅に招待されて行く。お宅は石造りかコンクリートの打ちっ放しか分からない巨大なはものだった。エレヴェーターなどが完備している大きさに驚くと同時にそのライフスタイルにそれ以上に驚いた。

石の壁の暗く冷たい内側にあるものは外とは異質のひんやりした空間と、まるで中世のような簡素な生活であった。そこに並ぶのは父親譲りの大漢和辞典とか古く使い込んだ本がこれまた道具棚のように並んでいるのである。そこまでみて、近代的な研究室風でも反面埃の被った資料室風のあるあまりの殺風景な書斎に違和感を感じていた。

そして何より驚いたのが一見近代風の厨房であった。奥さんが調理をしていた所に入って行きながら、とても素晴らしいキッチンですねと声を掛ける。如何にもステンレスを多用した近代性をジックリと見ると、火力は全て炭であり、その殆ど超近代的な光景はある種の合理性に満ち溢れていた。なぜかグリルが高い所に設置してあって、目の高さ以上の場所で炭がいこっているのである。「これは美味しそうに出来上がりますね」と感心しながら、厨房を辞去して豪邸案内が続く。

車に乗って邸内を案内される。そこで見た光景は、丁度嘗ての神戸市葺合区の阪急から山の方を望むとそこには山の麓まで草原が広がっているのであった。それがこの地主の所有地であり、そこでは酪農などが行われていて、話をしている右手には養鶏場か何かがあり、落ち着いた生産がそこにある。日本離れしており、合衆国の様でもないが、フランスの様でもある、一体何処だろう。

目の前に放牧されている牛や羊、そして山際での鹿などがあの調理場で料理されていると晩餐を楽しみにしていると、これが自らの管理の下での自給自足ではなくて自営自足なのであると思いつく。そのように暫く考えていくと、青髭公の領地でのエディートではないが、小作農がそこで働いているまるで中世以前の豪族そのものの生活であることに気が付いて目が覚める。



参照:
コメでは食えん話 (かわうそ亭)
進化という自然環境の神秘 2010-07-03 | アウトドーア・環境
批判精神無しに何を語っても 2010-06-04 | BLOG研究
芸術を理解するには趣味が肝要 2010-05-15 | ワイン

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