Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

辺境のバーデン・バーデン

2015-03-01 | 文化一般
復活祭音楽祭の券を追加注文した。一年前に「ばらの騎士」初日を発注したが、今もベルリナーフィルハーモニカ―公演の券が大分残っている。一月前にこれほどの券が残っているのは有名管弦楽団の演奏会では珍しい。当時は2015年のカレンダーも無く予定がたたなかったので購入しなかった「ファウストの劫罰」もほとんど残っている。理由は分からないが、「ばらの騎士」の売れ残りも予想以上に多い。ラトルのオペラ指揮への批判も響いているのかもしれない。しかしこの指揮者がこの音楽祭で主役を務めるのも残り三年ほどしかないのである。後任の指揮者がキリル・ペトレンコぐらいになればオペラの上演の質が上がり、更に興味深くなるだろうが、交響楽団のオペラは副次的な特別な出し物であるには違いない。

作曲家ベルリオーズがバーデン・バーデンで指揮したと知って、またこの曲を何時生で接することがあるのかなと思うと、安いティケットに飛びつくしかなかった。65ユーロは決して安くはないが、ベルリンでもこのような曲はあまり聞く機会はなく、ご近所で演奏されるこのような機会を逃すわけにはいかないのだ。30ユーロの差額では済まないだろう。合唱はシュトラスブルクのでも良かったかもしれないがシュトッツガルトのそれも決して悪い筈はないであろう。

音楽ジャーナリストの追悼記事があった。FAZに長く係わってきた音楽評論家ゲルハルト・ローデである。年に一万キロもイヴェントを求めて旅していたというが、最後に訪れたのはバーデン・バーデンでのブーレーズ生誕九十年祭だったようだ。その時も足元は既に覚束なかったらしいが、享年83歳である。結局その記事は投稿されなかったようで、SWRの同管弦楽団の解散合併に反対活動を盛んに行っていたキール生まれの北ドイツ人としては心残りだったかもしれない。SWR放送管弦楽団がシュトッツガルトのそれとして合弁されても殆ど芸術的な価値は生じないだろうが、文化的な過疎地である黒い森のアルマン地方の観客動員数などが上述のようであれば、経済性からして困難であるのも頷ける。

機器のあるなしに拘わらず所帯や事務所ごとに強制的に視聴料を徴収される連邦共和国の公共放送機構であるが、「管弦楽団を潰すのは、教会を潰すのに等しい」とするほどの社会的な意味があるかどうかは分からない。ミュンヘンには東京のような立派な管弦楽団演奏会場は存在しない。東京を見習って、そのような公共投資が出来るのかどうかも、実は疑わしい。



参照:
主の居ない打ち出の小槌 2015-01-26 | 音
軽々しくギアーチェンジ 2015-01-29 | 生活

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