Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

休肝日をいれても残る疲労感

2010-10-07 | その他アルコール
昨日、石切場に向う途上、対向車のバンをやり過ごそうとした。するとパッシングされた。先でネズミ捕りでも遣っているのだろうかと運転手の方を見ると、黒っぽい影の男が運転席から前のめりになりながら左手を出して合図した。

結局誰か分からないのだが、明らかに知人で、こちらに合図していたようだ。知人であるからあれほど近くで顔を見ているのだから分かっても良い筈なのだが、分からない。車の感じや通行時刻や進行方向でしか推測出来ない。

最近は石切り場やアウトドーア活動の関係で「見かける顔の知人」が増えているのだが、あそこまで合図して来ているのだから、一度は飯などを食った仲なのだろう。そのシルエットと推測からある人物が挙がったが自信が無い。次にあったときに尋ねてみるしかないが、道路上で作業服などを着ているのを見かけたりすると、なかなか知人と関連付けるのに時間が掛かる場合もある。

昨晩は底を直した靴をはじめて試したが、岩場が湿っていて、体に力が入った。それでも一週間休んでいた割には体の切れは悪くは無かった。何よりも体に力が入るのが良い。それで、体こなしに今朝は六キロ近く走破してきた。これまた気温のせいか起き抜けにしては快調であったのだが一部快走の割りにはあまりタイムは伸びていなかった。やはり足腰に応え、予想通り昨晩の上体の軋みが上手く疲れとなって出て来た。冬の始まりは外気温から体の疲労が発散し難いので、上手く疲れを出してやるのは重要である。

帰って来てシャワーを浴びて、午後になると流石に全身疲労となった。昨晩は、胃腸の調子が今ひとつで休肝日としたが、今晩も休肝日である。牛乳が切れていて、コーヒーの飲みすぎが堪え、フィッシング詐欺との戦いなどのストレスが胸やけ感になってきている。こうしたことでもなければ休肝日は取れないので、それも良いかもしれない。肝臓の疲れが出てきているのかと思っていたが、休肝にしてもしんどいものはしんどい。

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