Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

地方の音楽会の集客状況

2017-01-23 | 文化一般
エルブフィルハーモニー会場関連の記事は続いた。興味深いのは開会の時のメドレーからリーム作曲の世界初演曲が独仏文化放送局ARTEの番組からはカットされて放送されたということだ。勿論この専門局は必ずしも大衆文化向きの放送局ではないのでまた北ドイツ放送政策の放送権の問題ではない。寧ろ不思議に思うのはZDF系のこの放送局が態々ARDの制作ものを流す必要があったのかどうかということだろうか。フランス人に見せたかった意味も分からない。

兎に角、本当の芸術的な開場はその後のケント・ナガノ指揮のヴィットマンの新曲の初演にあったとあり、またムーティ―指揮シカゴ交響楽団の素晴らしさが書かれている。「名匠の棒によって弱音が響き」とか書いてあるので同じプログラムがバーデン・バーデンでどのように響くかが楽しみである。フリードリッヒ・ハースの作品がアンサムブル・レゾナンスで中劇場で演奏されて、なぜ大劇場で演奏されなかったかなどと書かれていて面白いと思った。編成は分からないがハースの作風も大ホールで集客可能なものである。

そしてベルリンでの管弦楽団の状況について同じ新聞で書かれていると、コンサートというのがやはり北欧のものだと感じさせる。それでもハムブルクは七割程度の集客と連邦共和国内では下位で、八割から九割の客席占有のベルリンの聴衆は飽きもしないでコンサートに通うとなっている。東ドイツの旧放送交響楽団が未だに存在して演奏活動をしていて、RIASのそれと並んで存在しているというから驚きである。片や戦前からのMDRに続く二番目に古い放送交響楽団で、片や進駐軍のであり、其々東ベルリン、西ベルリンの異なる聴衆層がいるのだろう。

前者は、新任ユロフスキー指揮で意欲的なコンサートを行い、ミュンヘンの放送交響楽団に競り合いたいというのである。その前任はマルク・ヤノフスキーはあくまでもローカルな指揮者であったのがペトレンコのあとを受けてバイロイトデビューしたことが驚きだったとされる。なるほどヴィデオにある通り、フィルハーモニーを一杯にする人気老指揮者が振る演奏は如何にもローカルであって、放送交響楽団らしくない荒っぽいもので、マタチッチ指揮N響ののそれを思い起こさせる。新指揮者の指揮は魅せるのも自覚しているようだが、腰振りのクリスティアン・ヤルヴィやダンスマスターのネゼセガンなどとは異なり、とても演奏とシンクロされていて息遣いのようだとされる。

もう一つの西側の後者もティチアーティという1983年生まれの指揮者が就任するようで、コンサートを開いた。それによると、前任者のテューガン・ソコロフのレパートリーのシューマンを引き継いでも、その不感症で「殆んど叶わなかった幻想性や瞬発性をもったフレージング」という面が、新任者ではなくなったと評価が高い。

合唱団を入れて四つの団体の資金面は2020年までは確保されているという。しかし一流の管弦楽団を二つ維持するのは、バイエルン放送局でもなく、最大のNDRでもない。SWRの一つは潰された。東西ベルリンの特殊事情や聴衆の数はあるだろうが二つが同じ方向で今後とも維持継続されることはあり得ないだろう。所謂ポピュラー音楽名曲演奏の管弦楽はまだほかにもあるようだから、フィルハーモニカーよりも意欲的なプログラムを提供する放送交響楽団ならば存在理由はあるのかもしれない。



参照:
ヤノフスキーのワンパターン 2016-07-28 | 文化一般
TV灯入れ式を取り止めた訳 2017-01-02 | 暦

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