Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ポストモダンと自嘲した男

2012-10-30 | 文化一般
ハンツ・ヴェルナー・ヘンツェの死亡記事が文化欄を飾っている。週末はドレスデンで自己の作曲の回顧シリーズのために滞在中だったようで享年86歳であった。幾つかの聞きなれない情報がそこには詰められているが、それ以上に悼辞を書いている作曲家の顔ぶれの方が興味深かった。

先ずはヴォルフガンク・リームであって、「音楽への君への付き合いから私の芸術への道」を示した作曲家としてこの先輩作曲家を評価している。そこでは、当時の恋人であったインゲボルク・バッハマンのテキストに作曲した「夜の音楽とアリア」のドナウエッシンゲンでの初演で、まさしくリームの師匠であったシュットクハウゼンやブーレーズそしてノーノが席を立って示唆行為をした件で、後々も大きな傷心としてその示唆行為が故人に残ったことを、故人の音楽へのロマンティックな対応として十分に手短に説明している。

ペーター・ルチカは、まさしく故人の劇場音楽の成功が示すような、「劇場の問いかけ」とその方向性を重視していて、同じように言葉の音楽を作曲して成功しているアルベルト・ライマンは、自らのそれとの相違を故人と近年話し合ったことについて触れている。

まさしく、アドルノのアウシュヴィッツ以後にアリアは書けないとするそれとは異なって、器楽曲の何処彼処に言葉の歌が読み取れるその作曲法を再確認させる記事となっている。そうして他の前衛作曲から孤立して、「売れる」自らの芸術を推し進める一方、自嘲して「ポストモダン」と名乗る世代違いのこの作曲家は、1953年以降はイタリアに居を移して、そこにて自らの地所からのワインと野菜などの収穫で伴侶と養子縁組した同性愛の恋人であろう息子とともに作曲に勤しむゴージャスな生活に触れられている。

そうした芸術的な心情は、その教育の欠損や独自のキャリアーを積むその時代のプロフィールからすれば、故人の社会的思想的な傾向や些かアウトサイダー的な芸術人生に十分に投影されている訳で、その意味から回顧折衷的な居直りの芸術に投げかけれれる大きな謎は存在しないであろう。故人の舞台作品やその他多種多様の作品が、今後どのような形で経済的な価値を維持するのかどうかが興味の的となるのであろう。

故人とは、その交響曲七番のプロミスの演奏会で同席しただけでなく、一度は挨拶する予定になっていた。しかし交響曲十番の初演に追われていたのか、結局対面することはなかった。もし三島由紀夫の話などをしていたらと思うのだが、その代わりに招待された演奏会も辞去して帰宅したのを思い起こす。個人的には縁がありそうで、お門違いのすれ違いの作曲家だった。



参照:
Er suchte die Schönheit und den Glanz der Wahrheit, Elenore Büning, FAZ vom 29.10.2012
海の潮は藍より青し 2005-08-28 | 文学・思想
暁に燃えて、荒れ狂う 2005-08-30 | 歴史・時事
非日常の実用音楽 2005-12-10 | 音
スッキリする白いキョゾウ 2007-12-11 | マスメディア批評

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