Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

溶解したアンナのドタキャン

2011-06-04 | 
今朝の新聞記事であるからもう情報としては古い。しかし、取り上げておこう。福島の放射能を恐れてメトロポリタンオペラ日本公演をドタキャンした世界的なソプラノの話である。

我々からすれば、初日の名古屋はともかく東京で世界的なスターを引き連れて計画通りに引越し公演を履行するというのはかなり政治的な行動であり、日本に対する連帯を示すことに違いない。その行為自体はとても素晴らしいことには違いないが、そこまでの危険を冒して行う価値があるかどうかはまさに政治的な判断なのである。

少なくとも、今更東京市場で成功をして更に名声と金を稼ぐ必要の無いスターにとっては、出来るだけ東京に行くことを避けたいと思うのが当然であり、実際にメトロポリタンオペラの公演のメンバーであった二人のドイツ人ヨーナス・カウフマンやヨゼフ・カレヤなどは巧く被爆を避けるように動いた。

しかし、プリマドンナであって目玉であったろうアンナ・ネトレブコは、その契約上のためかマネージャーの都合か直前までキャンセルとはしておらず、既に総勢が東京に結集してからキャンセルをしたというから支配人は大変お冠である。

もちろんニューヨークの歌劇団にとっては、日米同盟の枠組みやオバマ政権の核政策もあって、そのような非常識で正直な行動は到底受け入れられないのである。このソプラノがこうしたことから合衆国内での今後の活動にブレーキがかかるかどうかは皆目分からない。

新聞は、ロベルト・シューマンの言葉「全身全霊で打ち込まないような芸術家など嫌いだ」と挙げているが、モスクワで若くしてチェルノブイリ渦を経験して世界市場で十分にキャリアーを積んできたこうした東欧の歌姫がその稼いだ金が使えきれないようになるような危険に好き好んで突入するとは思えないのである。一体何のために苦労したキャリアーだったのか?当然である。

そもそもニューヨークの歌劇団が東京で披露するのは芸術などという立派なものでは一切無くてただの娯楽である。東北で福島で日々の生活に困っている人を尻目に、享楽を享受するためのエンターティメント以外の何物でもないのである。なるほどそうした消費が経済を支えているという説は確かにあるだろうが、そうしたエンターティメントが将来に向けて何らかの投資となるようなことは一切ないのである。いわゆる溝に捨てるような金である。

新聞は語る、なるほど福島の第一原発に働いている人を集めての建屋でのコンサートなどはプログラムに載っていないと。もちろんこれは途轍もない皮肉に違いない。



参照:
Annas Angst, Feuilleton, FAZ vom 3.6.2011

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 世界的評価の高まる菅政権 | トップ | 市民を無視する政治社会背景 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿