写真は、1992年エバーバッハ修道院の屋根組み修理中に偶然見つかったビザンチン帝国の十字架である。二つの部分が中空になって溶接されているその中には本物の聖遺骨が納められたと考えられている。
表面の長いガウンを羽織った十字架のキリストの頭にはギリシャ語でXクリストュスと書かれ、太陽と月が図示されている。そして右手と左手の横に、其々マリアとヨハネが描かれている。そして後になって上部にANO1680が新たに書き加えられており。嵐のあとの修理時に棟上に納められ、更に66年後に発見された場所へと再び移されたと予想されている。
つまりこれはスペイン十字架と呼ばれる御神体を納めた霊験豊かな天災などからのお守りとして天井裏に収められたと考えられている。いずれにしてもこの青銅の十字架は、九世紀から十二世紀に掛けてのビザンチン文化圏でのそれであり、胸から下げてペンダントとして用いられたものである。
残る疑問は、この十字架がシトー修道会のエバーバッハへと持たさされたかであり、聖戦の時期にラインガウへと運ばされたと想像されている。
表面の長いガウンを羽織った十字架のキリストの頭にはギリシャ語でXクリストュスと書かれ、太陽と月が図示されている。そして右手と左手の横に、其々マリアとヨハネが描かれている。そして後になって上部にANO1680が新たに書き加えられており。嵐のあとの修理時に棟上に納められ、更に66年後に発見された場所へと再び移されたと予想されている。
つまりこれはスペイン十字架と呼ばれる御神体を納めた霊験豊かな天災などからのお守りとして天井裏に収められたと考えられている。いずれにしてもこの青銅の十字架は、九世紀から十二世紀に掛けてのビザンチン文化圏でのそれであり、胸から下げてペンダントとして用いられたものである。
残る疑問は、この十字架がシトー修道会のエバーバッハへと持たさされたかであり、聖戦の時期にラインガウへと運ばされたと想像されている。
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