Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

夏も闌の夜の虫の音

2009-08-21 | 
昨晩の独日協会の会合はネッカーの流れを見ながら戸外で開かれた。19時始まりではまだまだ長い陽射しが不要であったが気持ちは決して悪くはなかった。

2003年の暑い夏との比較が語られるとそれを否定しない訳にはいかないが、本日の熱気を体感するとなるほどその比較も分かるような気がする。それでも夜はまた冷えてくれるような気配が漂っている。

その夏は八月の上旬に摂氏四十度近い暑さとなり、夜も三十度を少ししか下回らなかった。しかし今年はもう既に日は短く強さも衰えているから、陽が暮れれば直ぐに涼しくなる。

人間も窓を開けて眠らなければいけない夜が続けば睡眠が十分い取れずに疲労が溜まる。葡萄も夜冷えてこそはじめて良い酸が生成されるのである。

ドイツの赤ワインに関しては記念碑的な年となった2003年であるが、2006年、2008年と今一つの年を越えて、ここに再びチャンスが巡ってきただろうか。2005年よりも良い年となるかも知れない。リースリングに関しては偉大な年を期待している。

ネッカー河畔の草叢で盛んに虫の声がする。それをして夏も闌と仰るので、それは日本の季語で云えば盛夏を過ぎた日も短くなった秋を指すのだと説明するが、北ドイツなどではあまりこうした音を聞くことがなくて、どちらかと云えば暑い南の地方の真夏の夜を想像するのだという。

それに対してワイン街道ではやはり、盛夏を過ぎた秋の気配と共に聞こえる音だとすると、それは郊外部の感興だと云うのである。なるほどそうかもしれないが、広島の夏などを知っている者に云わせると、どうも虫の音と蝉の音が一緒くたになっているのだ。

蝉も秋の蝉や所謂ツクツク法師が秋だと云うとそれは聞いたことがあるようだ。中国の喧しいドリルマシンの音のような泣き声の蝉や油蝉やくまぜみと一緒にして貰うと困るのである。

なるほど、日本の夏は堪らなく暑く、その蝉の音は芭蕉が読んだように岩に染むほどの暑苦しさで忘我の境に至らなければ過ごしていられない。都市化の影響で益々まともに暮していられなくなっている日本の夏が嘆かわしい。

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