Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

2005年シラー・イヤーに寄せて

2005-01-17 | 文学・思想
2004 10/10&02/29 編集


友人と面会

窓枠の長い影に潜むように、石の壁際の粗末な机に向かっていた髭面男が、中腰に大きな眼を斜めに向け、人を一歩も近づけさせないかのように逞しい手を激しく前へと突き出す。この牢獄の友人を驚かし、プチ・ブルジョア風のニッカー・ボーカーをスマートに着こなした男が、没後二百年を迎えるフリードリッヒ・フォン・シラーである。突然の思いがけない訪問に嬉しさ半分、ばつの悪いなんともいえない表情を浮かべるのがクリスチャン・ダニエル・シューバルトである。

彼は、フランツ・シューベルトの有名歌曲の作家として二月にここの鱒の項で登場した。上の情景の絵を歯科の待合室の最新刊のシュピーゲル誌のなかに見つけた。誰が描いたかはわからなかったが、上手く刑務所長を丸め込んで颯爽と牢屋へと入り込んで得意げなシラーとこのシューバルトの表情が妙である(ゲーテと並んだシラーの顔つきと比べたい。)。シューバルトこそがシラーの処女ドラマ「盗賊」の主人公でもある。同名のオペラは、ヴェルディの初期の曲ながら後年の同じ組み合わせの「ドン・カルロス」に比べるとあまり上演されない。しかし、マンハイムのナチョナル・テアターのために書かれた原作の演劇の方は、後の観念的な理想主義作品よりも、まだここ暫く各地で頻繁に上演されそうだ。

ウィリアム・テルも題材としたりするシラーの作品は、音化されただけでも「歓喜に寄す」を筆頭に枚挙に暇がない。作家自身、たいへんポピュラーでありながら他の重要人物の影に隠れる感がある。しかしシューバルト訪問に顕れる様に、今日的に面白いネタを提供している事は間違いなさそうである。


鱒フィレの薫製/Die geraeucherte Forelle

フィレ二枚におろして薫製したもの。同様のサーモンに比べると半額以下。塩茹ジャガイモと新鮮なルッコラと小さなほうれん草の葉っぱにホースラディッシュを添える。ワインは、モーゼル中流域産の辛口リースリングを選択。鱒は、山中の池で養殖されて近くの小川で育つ。ある程度水深があれば流れが速くても棲息している。流れが強い氷河の川で漁られた鱒の方が引き締まって旨い感じがする。

シューベルト(Schubert)の歌曲で有名な「鱒」の原作は、シュヴァーベン出身の作曲家著作家シューバルト(Schubart)の手による詩である。アメリカ独立に感動する近代人。シラーの「盗賊」のモデルになるほどのお騒がせ者で、毒舌で10年間の投獄中シラーの面会を受ける。詩「鱒」の中で、「透き通った小川を矢のように泳ぐ」とあり、「釣り師が水を濁らして罠をかける」とある。作詩家は、最後の二つの節で初めて純な少女を鱒に重ねて、「気を付けなさい、既に危険が迫っています、さもなくば流血ですよ」と注意を促す。大作曲家シューベルトの方は、これには曲をつけずに、この歌曲の変奏を第四楽章においた「ピアノ五重奏」でさらに四つの楽章を作曲した。歌曲ではピクッと身体をひねらせながら瀬に留まる鱒も、五重奏の方ではあちらこちらへと快活に綿々と泳ぎ回わる。

実際に、川の上流下流至る所で養殖された新鮮な鱒が漁穫される。蒸し・焼き・ホイル焼き・薫製などの料理方法は概ね決まっているが、魚の大きさは様々だ。虹鱒もしばしばメニューに挙がる。氷河溜りの湖に突き出た鱒料理のレストランがよかった。冬は、氷結した湖面に光り輝く眩しい雪面がノルデックスキーや雪上散歩で賑わう、マイナス30度の世界だ。夏は、冷めたい颪の風が吹きつける深い色の湖となる。
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