Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

メスナー爺さん世代

2017-02-19 | アウトドーア・環境
先のスキーツアーでの我らがメスナー爺さんのことも書いておかなければなるまい。1947年生まれそうだから本物よりは三つ若い。影響を強く受けずにはおれない世代だろう。我々の世代の時には岩に関しては全て終わっていたので、ヒマラヤに行かない限り直接の影響は限られていて、精々ソロクライミングと七級概念がまだまだ通用している一方、既にヨセミテからの影響を受けていたので、直接的な影響は殆んどなかった。しかし親仁の場合はプファルツの岩登りなどでもああした孤高の試みというのを無視できなかった筈である。

だから今回若い室内から始めたクライマーとの議論は大きな世代間ギャップを明らかにした。若いお兄ちゃんは言う。プファルツの砂岩地帯の「一本目のハーケンが遠くて危険で仕方ない」と、少なくとも「室内から室外へと全く繋がりが無い」と苦情する。勿論親仁は、「登れない者はそれだけだ、終わり。」と切り捨てる。

これには事情があって、現在の地域を管理する組織は過去のパイオニア時代を尊重して必要最小限のハーケン等しか設置していない。その過去というのは何も開拓時代だけでなく、鉄の時代を通しても決してハーケン連打とはしなかった地域のフリークライミング志向があって、同じ砂岩のザクセンと共通している。つまりそうした支点の設置は砂岩においては自然を壊すものでしかないとなり、フランケンのユラそれとは大いに異なるのである ― だから言う「フランス風にハーケン連打されている国境を超えたエルザスに入って登れ、終わり。」。反面、メスナーの指す七級以上の核心部にはまた確保のスタンドにはハーケンが打ち込まれている。

しかしクライミングホールで始め世代にとっては最初の支点に至るまでが何もなくて簡単に試すということが出来ないようになっているので苦情しているのだ。また旧世代にとってはそれをどのように対処していくのかがノウハウであって、クライミング談議はそれで盛り上がるのは今でも変わらないのである。

メスナー爺さんの面白いのは、世界中の山を登っているようだが、自慢のようにしてビバークの話が加わることで、如何にメスナー世代のそれであるかというのがよく分かる。メスナー自体もスピードを上げるためにもソロ登攀となっていったのではあるが、当時の感覚としては時間切れ日没でビバークなどというのが結構話題になっていたのも事実である。自分自身も壁の中で何夜寒い夜を過ごしただろうと考えると、充分に重い荷物を背負ってゆっくりと登っていたことが思い出された。

新世代の人にその辺りの事情まで分かる筈がないと思うが、その若い世代も氷河を適当に渉って、その後に直ぐドイツからの登山者が同じ場所で氷河に落ちて遭難したという話をしていた。「偶々幸運だった」というのが皆の感想で、トレースを残して後の者が落ちたという責任もあったかもしれないというのはあり得ることなのだ。



参照:
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
久しぶりに疲れを感じた日 2013-06-14 | 生活
人類の将来の進展のために 2012-12-02 | アウトドーア・環境

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