Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

対波蘭戦に忠誠を示すか

2006-06-15 | ワールドカップ06・10・14
ドイツチームはポーランド戦である。得点頭のミロスラフ・クローゼがドイツのために忠誠を尽くすか、さもなくばポーランドのために裏切るか、終日TVの話題であった。

オペル・カイザースラウテルン工場の外国人労働者の息子として北プファルツのクーゼルで育った、FCカイザースラウテルンで頭角を顕したドイツ有数の得点王であるが、同じような境遇の奥さんと家庭ではポーランド語で喋り、同僚のルカス・ポドルスキらともフィールド上でポーランド語でも喋る。

多くの同じような境遇にある典型的なドイツの一流運動選手である。ドイツで育っているだけ、他の多くのオリンピック選手のような緊急特例移民ではないが、ドイツ移民の実情を良く物語っている。それどころか最近は、プログラマーを中心とした知的労働者のグリーンカード制度も出来ている。嘗てのトルコ人労働者を含めて、手っ取り早く使えるものを使うドイツ連邦共和国は、決して移民国ではないが、これが実情なのである。

こうした視点を示し広く社会に問う事は大切である。ドイツでドイツ人として出生する限り、姓はその氏素性を顕すものとして伝えられるが、名はドイツ風の名前を付ける事が要求される。例えば金髪碧眼のポーランド人との同一化を進めたのがナチスの政策であったことを考えれば、統一化は人種主義を防ぐ重要な政策である。統一化と同一化とは似ても非なる政策なのである。

ミロスラフ・クローゼがドイツを裏切るとは誰も思わない。むしろポーランドがこうした素材を多数輸出しながらもワールドカップに参加している方が脅威である。そしてフィールド上で通じる言語がドイツ語以外に多くの母国言語集団があるのが事実なのであり、その差異を強調する事が必要なのである。

ブラジルとクロアチアの試合を見て分かるのが、クロアチアは欧州の強いチームであって、豪州程度の技術レヴェルのチームには負けないであろう事である。FIFAの世界ランキングでは欧州同士の対戦成績の偏差が加味されていないから、そのランキングは実力を映し出さないと言われる。母体集団が違うのである。同様に日本はこのレベルに至るには何代かの世代交代が必要と言うが、それでも世界有数の短足の民族的身体特徴が変わるわけではない。

こうした認識は、あくまでも集団母体の中での比率を言う特徴を示す把握でしかない。しかしこうした評価に対して人種主義と批判する者ほど、少数集団間の差異を認めずに民族を抱合しようと試みる民族主義者であることが多い。特に旧植民地統治の位牌をこうした同一化で塗りつぶそうとする政策は悪しき民族主義である。

現代の民族主義と言えば中華思想を思い出す。ニュースは大きく伝えている。揚子江ダムの補償問題に異議を唱えた中華人が裁判闘争の末、ドイツ第一放送のインタヴューに答え、裏切り者としてリンチを受けて重態にある。中共政府は、政府を相手取った法的社会闘争を認知していると言うが、中華人民は裏切り者を放って置かない。共産党役員の不正を隠匿するためにありとあらゆる手が打たれる。ベルリン政府が関心を強めており人権問題として新たな火種となっている。

少集団を大集団の中に同一化して不純な色を混ぜて塗りつぶしてしまう水準化はいけない。隔離政策とは一線を隔す統一化こそが重要なのである。世界一高いと言われるIQ値を誇る上海市民は、低いと言われるアフリカ人を人種差別しており、彼らをたんに怠け者の安い労働力と見做している。

能力の差異や小集団を尊重しない同一化こそが大問題なのである。これを人種主義的民族主義と言う。

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4 コメント

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Unknown (モモリーネ)
2006-06-14 19:29:24
非常に興味深く拝読いさせていただきました。クローゼの例に基づいた視線とそのご指摘に、肝心な部分を気づかされました。高い教育を受けた移民ほど、ファーストネームにはドイツ名をつけるというのを私も先日新聞で読みましたが、そういった象徴も含んで、統一化は人種主義を防ぐ重要な方法というのにも頷けました。この先は、ドイツもカナダのように実力のある移民を優遇してゆくのでしょうか。そうなると同一化ならぬ統一というのは、なかなか難しいテーマですね。結局尊重する姿勢に頼るしかないとすると、今のドイツの現状ではかなり難しい課題なのでしょうか?

先日Netzer氏が、対日本テスト試合で、FIFAランキングを信用しないと述べていましたが、そういった母体集団の背景が考慮されていないとは、なるほどここで知りました。

中国問題も、政府と自治体の癒着が解決しないことには、変化は難しいのでしょうか。ZDF中国支局長の取った策は、非常に重要だったと思います。

これからドイツはどうなっていくのか、大きな関心と、また不安を抱きながら、今後も愛読させていただきます。
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名前を覚えられるように (pfaelzerwein)
2006-06-15 15:51:29
モモリーネさん、コメントありがとうございます。TZを購読されていらっしゃるようで、その感想ともども興味深いです。



ファーストネームは、ドイツ国籍であれば役所で受け付ける時に、ドイツ風に勧められる事を読んだ覚えがあります。可能性が限られているのは辛いですが、姓名とも読みづらい状況を避けるのは良いでしょう。ティポグラフや文法のような統一化ですね。



高齢化の問題は工業先進国は殆ど変わりません。これらの問題は労働の専門の視点からの提言としてブックマークのBLOG「時空を超えて」に詳しいです。



http://blog.goo.ne.jp/old-dreamer/



なにも安い労働力が必要では無いことは判ります。ただ、運動競技に関しては議論の余地が多くて、フランスのジダンに代表されるような少数派の鑑になるものなのかどうか。ドイツのスポーツ人口は分厚くても、誰も苦労をして一流選手になろうとは思わない。高額のプロ報酬にはそれほど魅力が無いと言う現実があると思います。ハングリー精神が無いと言うことですね。



尊重と言うキーワードを採ると、大多数の中心文化への尊重の必要も議論される所以です。人口分布からすると年寄り文化の尊重と置き換えられるかもしれません。この辺りは、中心文化・多文化主義議論の核心になるでしょうか。



サッカーに戻ると、移民ではありませんが高原選手などが、「寿司ボンバーなどと冗談じゃない」と怒っているようですがビルド紙などを相手に始まらないですね。「名前を覚えられるように点を稼げ」と言いたい。待っていて尊重される訳が無い。



FIFAのランキングの付け方は詳しくないのですが、標準偏差が加味されているような様子がありませんから、実際とは些か違うと言う発言になるようです。



北京の話ですが、今後も経過を追うためにもリンク等を上に加えておきます。



こちらこそ、宜しくお願いいたします。
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Unknown (Mudaidesuvic)
2006-06-27 22:13:02
こんにちは。あちらでのコメントにも考えさせられました。あと、なんか幼稚な文章でほんと恥ずかしいんですが、また一つ微妙に関連するような(しないかもしれませんが(笑))エントリーをTBさせていただきました。





>こうした認識は、あくまでも集団母体の中での比率を言う特徴を示す把握でしかない。しかしこうした評価に対して人種主義と批判する者ほど、少数集団間の差異を認めずに民族を抱合しようと試みる民族主義者であることが多い。特に旧植民地統治の位牌をこうした同一化で塗りつぶそうとする政策は悪しき民族主義である。





このへんはよくわかります。ほんとジレンマです。↑は身体的特徴の話ですが、民族性なんかのよりあいまいな話においても。私自身はやはり「多様性と差異に寛容な社会」がいいと思うのでなおさらです。難しいんですよねえ。



私自身内輪では「○○人は△△だ」みたいなことをかなり乱暴に言ったりするんですが、そういう言葉が私の意図しない形で伝言ゲームのように伝わって、結果的に偏見生産に荷担しちゃったりする可能性もありますし。「経験談」みたいな形で「一次資料」みたいに扱われてしまったり(実際そういうことがあったんです)。文化人類学者のある民族への愛情たっぷりな文章が、悪意のある人に変な風に利用されちゃったりすることもあるかもしれません。





このへんほんと難しくて私の中では全然整理できていません。学問的でなくても、ある属性の人たちを貶める悪意なんてまったくない語り口にまでケチをつける気はないんですよね(私もよくしてますし)。ヘイトスピーチっぽいかどうか、悪意があるかどうかなんてすぐわかりますし(線引きは微妙ですけど)。



差異に着目するのは他者を認識する方法としてまったく否定してないし、実際私自身は大好きなんですよねえ。そういう手法をヘイトスピーチに利用する人が問題なんであって、そういう手法そのものを否定する気はないんですが、それでもなんかモヤモヤした気持ちが残ってしまったり(笑)。やっぱり、昨今の嫌韓言説(100年前の白人さんたちのような素朴なノリなんで)がいろんな意味で私に影響を与えてるようです。
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IDの確立とセレクション (pfaelzerwein)
2006-06-28 17:48:06
様々な考え方が出来る問題と思います。差異を認識する若しくは確認する作業をIDの確立とすれば、差異を設定してその中で他のパラメーターを無視して水準化してしまう作業をセレクションとする事が出来るでしょう。後者はナチの政策でも有名ですし、パレスチナ解放の時にもテロリストが使っている様です。



前者を自他ともに認める主観客観双方からの差別とすると、後者は既成のある特定の概念に立脚している差別ではないかと思います。



ここでも何度か批判的に扱っている客観主義も判断基準が一面的なものを指し、多次元的な評価の方法を持たない議論を言います。



一例を挙げるならば、暗殺された大日本帝国宰相のお孫さんで国際通とされる女性がナイーヴな事を昔書いていた事が思い出されます。確か、「黒人はIQが低くて、知能労働には適さない。その肉体こそ素晴らしい。これほどに 客 観 的 な事象を言わないのは、人種差別のタヴーに抵触するのを恐れているだけ。」と言った主張でした。これは、少しみると潔い正論のように見えますが、良くある「ドイツ通とか言われる人」のハッタリ客観主義ですね。何一つも判断基準が審査されていない。複雑な総合連関はばっさりと切り捨てられている。複雑な事象をミクロ的に切り抜いて其処を備に観察して、強調して世に問う、数を狙う学術論文の如き方法をナイーヴな意見に利用している。



同じようにここで繰り返し批判している「ディべートと言う詰まらない議論」の練習方法は、意味の無い判断基準そのものを議論する事が出来ない。



また例えばスキージャンプの「日の丸飛行隊」を「短足飛行隊」と呼ぶなども一概に悪いとは思わない訳です。むしろテーゼ「日本人にO脚が多い」は、テーゼ「日本人にO脚の割合が他民族よりも多い。」と厳密に読みかえる方が、その体格発育的特長を考える上で重要です。これは、世界の一流スポーツマンの足を知るオーストリアの田舎の靴職人との会話で出てきた。



「その辺のおばさんの様なまたは安もの学者や文学者の様な意見」-これがそのものナイーヴな人のナイーヴな意見での定義の仕方-が罷り通るのが可笑しい。彼らが思考の方法に立ち入れないのは恐らく高等教育の欠陥か、論壇の名士と靴職人を比べると「日本人は知能指数が低いのか」?



彼のおばさんの個人の差異を配慮しない意見から、「秘書には黒人を雇わないとか、黒人の弁護士や会計士に依頼しない」と言うのは罰せられるべき人種差別そのものでしかないのは言うまでもありません。先ずは、おばさんには恐らく小学校では習わなかったであろう集合論の二次元の弁図でも書いて学習の遅れを若いときに勉強して取り戻して欲しかったですね。
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