Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

秘密外交の達人を驚かす

2012-03-25 | マスメディア批評
NHKが2010年に制作した「核を求めた日本」で話題となったエゴン・バールが九十歳の誕生日を祝った。FAZ新聞は写真入の記事で、氏のプロフィールとドイツ連邦共和国の歴史の語べとしてのパーソナリティーを紹介している。何時もの人の頁ではなくて政治欄である。

そもそも生まれながらに氏は、ユダヤ人の母のもとに生まれているので列記としたドイツ人であるが女系のユダヤ世界では生まれながらのユダヤ人でもあるのだ。そのようなことで、教師の父親は公職につけなくなって、エゴンが政治的な存在となったのは宿命である。ナチスドイツ軍では士官候補生として従軍して、戦後はアメリカ駐留軍RIAS放送のチーフプロデューサーとして活躍する。SPDに参加してジャーナリストとしてブラントのご意見番となる。その後ブラント市長のもとにベルリンの議員として1960年に政界に進出する。

1966年にはボンの外務省に入り、外務計画局長となる ― 時代は異なるが宮台真司の語るように「地方議員から中央政界へ、政官において地方から国政へのキャリアーの構図」は現在でもなにも一般的では決してない、むしろ地方自治と国政は対立関係にあるのが本来である。

その当時から既に独自の対東独外交を目指しており、所謂冷戦構造の対抗軸を超えた両ドイツの接近を画策する第三の道を目指していたことから、日本の外務省が接近をした問題の1969年当時の状況はまさしくその通りなのである ― その件に関してはNHKの番組を受けて前原外務大臣の指令で行われた外務省の調査報告書に詳しい。

総選挙を受けてブラント外相が首班指名を受けたのに伴い、首相官邸事務次官となり盛んに東方外交を繰り広げ、最終的にはワイントンの怒りを買って、その後首相官邸スパイ事件と発達して首相ともども失脚するのは周知のことである ― なにか田中ロッキード事件や小沢何某の事件などと背景が相似している。

その後1972年の総選挙で初めて国会議員として連邦議会に進出して、特命大臣として東独やソヴィエトとの関係からまた同時にイスラエルとの関係などから独自の外交姿勢を貫いたことで、1989年以降はその独自の立場を失ったが、現在においてもSPDの本部にはシュミット元首相らと同様に事務所を構えていることにはかわらない ― ブラント政権下で脱原発を訴えていたシュレーダー前首相がイラク戦争で合衆国に反旗を翻して、シナに接近して、脱原発への礎を築いたのはただの偶然か?。

要するに当時の日本の外務省が採った姿勢を、小出助教の情報からNHKの番組をYOUTUBEで観た時は、大変唐突な行動に思えた。しかし、それは日本の外交の本質に触れていて、箱根会談での「驚くほどの開かれた印象」は日本の外交姿勢の根幹にかかわることでそれだけに周到な活動の継続性が感じられる。だから秘密外交の大物であったバール氏を驚かせたのであった。そこに日米安保と憲法九条の庇護の下に実は宇宙開発と原子力の安全利用の名の下に独自の安全保障外交を繰り広げてきた外務省の隠れた実力が示されている。

それでは、小出氏らが語るように、なぜ2010年暮れにこうした番組が放映されたかである。その意図などは分らないが、所謂政権交代で生じた独自の対中・対米外交そして民主党も掲げる憲法改正に関連していた動きに違いないのである。そしてその後に起きた福島第一の事故は、そうした状況を変えたのか、変えなかったのか?

もう一つ、過去記事を調べて確かめたのは、2006年当時日本で盛んになった核保有論争が、そうした状況に無関係でないことは確かである。折りしも、2005年からの京都議定書の発効と原発再開発、国連の常任理事国入りへの運動など全てが日本の外交基本方針と深く結びついている。客観的に観て、政権交代前から日本の外交は積極的に動いていて、合衆国の世界環境への変わらぬ影響は当然であるが、むしろ合衆国の相対的な地位の低下の方が顕著に表れている証拠でもある。

民主党の北京詣でが話題となっている。東北三県への旅行に数次ヴィザを出すと言うのである。シナ人は福島の石棺見学を一刻も早く実現して欲しいと願っている。勿論見学のためには透明の樹脂で蓋って観光に気を使って欲しいと考える。そして放射線浴をしながら、温泉に入り、福島周辺で汚染された鰻をたらふく食したいと願っている。そして少しでも癌症状が出たら損害賠償と称して法外な賠償金を請求する準備を進めているのである。シナ人を知っている者にはこれは至極当然のシナ風の考え方である。



参照:
Gestalter und Erzähler deutsch-deutscher Geschichte, FAZ vom 17.3.2012
「"核"を求めた日本」報道において取り上げられた文書等に関する外務省調査 報告書 pdf (外務省)
政治的核反応の連鎖 2006-10-17 | 歴史・時事
経済成長神話の要塞 2005-10-13 | 文化一般
二十五年前の市民の連帯 2011-08-13 | 歴史・時事
活魚寿司 大江戸 柏店」さんで夕食にしました。(千葉県柏市)(saarweineのワインなどに関してあれこれ)

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