「普通とは違ったね」と齢を重ねたご婦人の声を聞いた。これが今回のマタイ受難曲の全てだった。そもそも日曜日に続いて、フランクフルトまで車を走らせる価値があるかと思ったのは、バーゼルの楽団の演奏であり、そこで学んだ指揮者アンドレア・マルコンの目新たしい名前でゆえだった。曲が鳴り出して、その管弦楽的な演奏姿勢や場違いな特にソプラノ歌手や不安定なアルト歌手のソリスツのバロックオペラティックな歌を聞いていて、ただただ失望したグルノーブルの団体や東京の鈴木教室のそれを思い浮かべるだけだった。オペラでもない叙唱のつまならさには、目を閉じると居眠りをしそうになる。それ以上に、中央ドイツの田舎者バッハの音楽には恥ずかしさを感じさせるほどの、先進国イタリアのバロックの眩い光を当てられて、どうしようもないみすぼらしさを感じさせたのだ。それは会場に居合わせた人たちも同じだったろうか。
その失望感はバス独唱の不明確な発声による29曲「喜んで私は覚悟しよう」で頂点となり、もはや33曲「かくしてわがイエスは捕まれたもう」に至ってはバロックオペラに身を委ねるのだ。だから第一部の終曲が終わって、通常なら要求されないところであるが、指揮者が求める拍手をしたのだった。会場の空気は、この内容ならばとそのようなものかと訝りながら、どこが指揮者の発言のように「宗教的」な演奏会なのだと感じた次第である。
そして期待なく二部も始まり40曲「わがイエスは不実の証言に黙したもう」で、まるでクラナッハの絵のような文字の分からない者にでも分かるような教条的ながらも嘲笑の衣装をも纏ったそれを「プロテスタント的」だと表出させるのだ。要するにここまでのそのやり方が、この受難曲オラトリオを生み出す比較的「新しい宗教」のそこまでの歴史的文化を見せてしまうのである。つまりそれは、第一部で感じた中央ドイツの遅れた地方文化圏の作曲家の仕事ぶりを客観的に見るということでしかない。
そして、バスの51曲「私のイエスを返せ」が引き続きオペラティックに響くのだが、61曲「わたしの頬の涙が」とアルトが歌うとその「hinein」がまさに方向性を以って表現されるとき、その内省的な「客観的な情景」が、あるところへと向かう収斂性をみて、66曲「来たれ、甘い十字架よ」にて、ヴィオラダガムバの激しい音楽が奏されるとき、今まで経験したことのない強い表現となっていた。
それがイエスが息を引き取り、コラール「わたしがいつかこの世を去るとき」で沈黙をおき、まるでカトリックのミサのサンクトュスもしくはコミュニオンの瞬間となるのである。恥ずかしながら、ルター教会のその時と、受難曲オラトリオのこの時が呼応するといううことを今の今まで気がつかなかったのである。しかし私が経験した中でこれを意識させる上演などは今までなかったのは事実であり、エヴァンギリストが語った後のコラールの意味を十分に理解できていなかったという事に他ならない。
こうなれば、今まではこのコミュニオンの時が過ぎてからの後の祭りぐらいにしか思っていなかった、些か面倒なプロテスタント的なコミュニオンの主観の客観の交じり合う経過の創作に明らかに光があてられたのだった。正直厄介どころだった75曲「わが心よ、汝を清めよ」から終曲78曲「われらは涙ながらにここにひざまずき」まで、そのとてもとても大切な創作を体験できたのだった。バッハの受難曲で、最後の最後までこれほど堪能できたことはなかったのである。合唱のベルリンの放送合唱団は、昨年のバーデン・バーデンで御馴染みだったが、すばらしいドイツ語の発声とともに、期待した純器楽的な楽団よりもはるかに私たちの世界との接点となっていた。
参照:
全脳をもって対話(自問)するとは? 2010-04-05 | 音
割れ窯に慰めなどあるのか? 2011-03-31 | アウトドーア・環境
期待してなかった以上の収穫 2012-03-20 | 音
屈曲した懺悔のデリカット 2012-03-21 | 音
ヨハネ受難曲への視点 2014-04-19 | 音
その失望感はバス独唱の不明確な発声による29曲「喜んで私は覚悟しよう」で頂点となり、もはや33曲「かくしてわがイエスは捕まれたもう」に至ってはバロックオペラに身を委ねるのだ。だから第一部の終曲が終わって、通常なら要求されないところであるが、指揮者が求める拍手をしたのだった。会場の空気は、この内容ならばとそのようなものかと訝りながら、どこが指揮者の発言のように「宗教的」な演奏会なのだと感じた次第である。
そして期待なく二部も始まり40曲「わがイエスは不実の証言に黙したもう」で、まるでクラナッハの絵のような文字の分からない者にでも分かるような教条的ながらも嘲笑の衣装をも纏ったそれを「プロテスタント的」だと表出させるのだ。要するにここまでのそのやり方が、この受難曲オラトリオを生み出す比較的「新しい宗教」のそこまでの歴史的文化を見せてしまうのである。つまりそれは、第一部で感じた中央ドイツの遅れた地方文化圏の作曲家の仕事ぶりを客観的に見るということでしかない。
そして、バスの51曲「私のイエスを返せ」が引き続きオペラティックに響くのだが、61曲「わたしの頬の涙が」とアルトが歌うとその「hinein」がまさに方向性を以って表現されるとき、その内省的な「客観的な情景」が、あるところへと向かう収斂性をみて、66曲「来たれ、甘い十字架よ」にて、ヴィオラダガムバの激しい音楽が奏されるとき、今まで経験したことのない強い表現となっていた。
それがイエスが息を引き取り、コラール「わたしがいつかこの世を去るとき」で沈黙をおき、まるでカトリックのミサのサンクトュスもしくはコミュニオンの瞬間となるのである。恥ずかしながら、ルター教会のその時と、受難曲オラトリオのこの時が呼応するといううことを今の今まで気がつかなかったのである。しかし私が経験した中でこれを意識させる上演などは今までなかったのは事実であり、エヴァンギリストが語った後のコラールの意味を十分に理解できていなかったという事に他ならない。
こうなれば、今まではこのコミュニオンの時が過ぎてからの後の祭りぐらいにしか思っていなかった、些か面倒なプロテスタント的なコミュニオンの主観の客観の交じり合う経過の創作に明らかに光があてられたのだった。正直厄介どころだった75曲「わが心よ、汝を清めよ」から終曲78曲「われらは涙ながらにここにひざまずき」まで、そのとてもとても大切な創作を体験できたのだった。バッハの受難曲で、最後の最後までこれほど堪能できたことはなかったのである。合唱のベルリンの放送合唱団は、昨年のバーデン・バーデンで御馴染みだったが、すばらしいドイツ語の発声とともに、期待した純器楽的な楽団よりもはるかに私たちの世界との接点となっていた。
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全脳をもって対話(自問)するとは? 2010-04-05 | 音
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